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不知火と海人  作者: 糯米
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中編

「どうしよう」

 人の抜け殻と遠ざかっていく灯火とを見比べている。不知火っ子は困りはてる。 

 生まれてからつゆの間しか経っていない彼女は大勢と離れて初めて寒いという感覚を覚えた。

 盲亀の浮木にいるとき、凍蝶さまが火を灯してくれていたから分からなかったけれど、一人でいる時は火がついていない。道理で寒くて暗いわけだ。


 では灯せばいいのだと、気軽に思っていた不知火っ子はぬっとたくさんの怪火を出した。その燃料は彼女自身の生命力だと知らずに。

 ぽっくり下駄を脱ぐと、船の小縁に上る、ひょろりとよろめく足を踏み直す。お年頃な彼女ははしゃぎがちで船の小縁を小走りで一周回ったら、天頭に立っていた。

 不知火っ子はそこから俯いて人の顔を覗く。影が落ちているその顔にわずかだが、顰める様子があった。


「あれ?」


 今度は人の両膝が肘に着くくらいまで曲がり、震え出した。

 怪火をその人の近くにやって照明を当てながら観察しようとすると、急に顰めた顔が和らいで全身の力が抜けたように見えた。


「あなたさま、生きてやす?」


 ひょいと怪火をどかすと人はすぐに顔を顰める。戻したら顔を気持ち良さそうに緩める。


「うふふふっ、うふふふっ」


 楽しそうに遊んでいたら、彼女もすぐに飽きた。

 突然この人のことが気になり、興味を持つようになった。

 この人はここで何をしていたの? どうして死んだように船で寝ているのか、このままどこかへ流れつくつもりだったのか。

 この人は知らないことだらけで気が気じゃない。もっと知りたい、聞きたい――――。


 そう思って彼女は介抱しだした。

 ずっと怪火でその人を暖めてどのぐらい経ったか分からない。盲亀も他の不知火も見失った。

 海の真っただ中に、一人、一匹と一葉。なおその人は人として世に留まっているかも定かではない。


「我は……、我はいずこに?」  

「やっと起きんした! あたしはずっと介抱してやりんしたの!」

 

 空虚を見るように人はきょろきょろしている。目の前にいる女子おなごがやっと目に留まり、今度は驚くのあまり跳ね上がった。

 目の前のお年頃な女子は噂に聞く白拍子のような装束をしており、一見して高級品だと分かるその生地を汚したら首何個捧げても足りない! 

 やんごとなきお方ではなくとも恐れ多い存在だとたじろぐ。


 しかし、彼はやっぱり違和感を覚えた。すらっと伸びている腰足に対して身に纏う衣裳は縮んでいるように見える。特に、太ももが大胆に露出しているそれはもはや子供の服を身に纏っただけのお年頃な女子。とても得も言われぬ姿である。


「は、はっ……はっ……」

「は?」

「破廉恥です!」


 跳ね上がった時に自ずと後ずさったが、二度も船梁に引っかかり盛大に転んだ。 

 今や彼は船尾に引っこんでいる。赤らむ顔をそらし気味に構え、両手で目を隠している。ちなみに、末広状に広がっている手は何も隠せていない。

 

 不知火は唇をとがらせてしばらく口をつぐんだ。


「失礼なやつめ。あたしが救ってやったというのに」

「た、たい、大変失礼いたしました! 命を助けていただいてありがとうございまする!」


 まだ動揺している彼は上擦った声で詫びを叫びながら土下座する。


「くふふふっ、ふふっ。あなたは楽しい人だわ、あなたは海人?」

「そうだ我、名は海界うなさかと言います……。魚を取る漁師だが、来年は科挙かきょに進士し文官になる予定です。そなたの名は何と言います?」

「名はありんせん。不知火よ」


 裸足のまま、不知火はゆっくりと海界の方へ歩み寄る。どこに目をやれば良いやら、困っている海界も初めて見る女子の華奢な裸足に、目が釘付けになる。

 足首につけている鈴が転がされて、可愛らしくちりんちりんと鳴る。

 不知火が近づいてきたのは何をするかと思いきや、肘をついてしゃがんだ。刹那、長く伸びている髪が靡いて淡い香りを放つ。その甘く淡い香りははからずも海界の男心をくすぐった。


「何を見ているの?」


 至近距離で不知火の瞳はぱちぱちと瞬いた。覗き込んでいる顔が近すぎて彼女の甘い吐息がかかってしまいそう。ごっくりと海界は唾を飲み込んだ。

 

「すまない。あまりにも美しかったので、つい……見惚れてしまいました」


 ふいに褒められた不知火は、ぎゅっと胸が締め付けられる感覚を覚えた。ほんのりと、耳に熱が籠るのを感じた。とっさに、両手を後ろで組み、塵を捻った。


「あなたはお偉い人なのね?」

「そんな、とんでもありません。」

「官人でありんしょう」

「それは我のこころざし、されどいつか必ずやなってみせます」

「ふーん、なったらどうしんす?」

「そうですね。その時はお父に良いもん食わせてやる、毎日お米さ。そなたはどうですか」

「あたし?」

「志と言いますか、夢はありませんか?」

「うーん、凍蝶さまのようになりとうござりんす?」

「おお、その方はどんなお方ですか」

「えらいお美しゅうて! みんなを導いてくれる優しいお方でありんす」

「ならそなたの夢はもう叶っていますな」


 また褒められていると理解した不知火は、はにかんでそっぽを向くと最初の疑問を思い出す。


「今日は七月晦日。海に出ていていいの?」

「我は……魚を……」


 海界の記憶は戻りつつある。死ぬ覚悟の末に見た走馬灯。まっくらな闇に飲み込まれて寒い霧の中を漂浪し続けたこと。その記憶は数珠繋ぎのように、海を出た理由を考えるだけでどんどん思い出す。

 こみ上げてくる記憶らは先を争っていっべんに出ようとしている。


「お父の魚!」


 慌てて膝歩きで小縁こべりまでいき、海に浸かる網を引き上げた。海界が空っぽな網を乱暴に漁っているのを見て不知火はきょとんとした。

 何もなかったはずのところから、海界は笑い声を漏らしながら網に引っかかっている数匹の死んだ魚を取り出す。


「よかったぁ」

「ようござりんしたね」

「ここはいずこ? 我らはいずこへ向かっています?」


 不知火は海界に少し不満を垂れた口調で答える。


「どこへも向かっておりんせん。彷徨っているのでありんす」


 今度こそ海界は周りを真面目に見渡す。海というか、まるで真っ青な空間に閉じ込められたかのようだ。海と言っても波も、潮風も、何一つ立たない。

 島や山の姿もどこにもなく、碧い海に蒼い空。満月が昇る月夜、現世とは思えないほど何もかも穏やかすぎている。

 ここは本当の海なのか、海界はひそかに眉をひそめる。潮のにおいも薄く、どちらかというと目の前にいる少女のほんのりとした甘い香りの方が勝っている。寒いと感じるはずなのに、なぜかとても暖かい。彼女はまるで篝火のようだ。


「晦日と言いましたか」

「うん」

「見よ」


 海界はそう言い、空を見上げた。彼に連れられて振り向いた不知火は思わず息を呑んだ。


「満月です」 


 不知火がおもむろに立ち、静かに月を見ていると、海界は話を続ける。


を失ってしまったのか……我らは神隠しの類に遭ったのかもしれません。我が海を出たのは確か二十の夜です。そして、そなたは晦日と言いましたが。そこには満月。」

「ねえ落ち着いて」

「我は故あって急いで帰らねばなりません」

「あたしが何とかしんしょうか」


 今にも海に飛び込みそうな姿勢を取っている海界を、不知火は宥める。

 自分より頭一つはある背高な海界を見上げる。座らせようと彼の肩を掴まえたが、もう一つの手はいつの間にか彼の逞しく大きい手を握りしめていた。


「どこへ向かえばいいか分かりんすか?」

「ええ、あっちです」

「分かりんした」

「て、手が……」

 

 不知火の華奢な指は海界の唇に添え、ため息にも似たような吐息の一言。


「座って」

 

 それはもう美しくて色っぽくて……。

 言葉を失った海界は恥ずかしさに顔が火照る。緊張して、慌ててさらにどきどきして海界という人はもう忙しすぎる感情の負荷に絶えずパンクしそうだ。


 にんまりと相好を崩した不知火はひそかに言う。精気いただき、と。

 置いていた下駄を履くと不知火は後ずさって船の天頭に立つ。

 真っ直ぐに立っていた彼女はきれいな満月と並び、月光に照らされて逆光から見えた瞳は潤い溢れ、小さくつぼめた口はみずみずしい。


 うふふ。微笑ましいなと、不知火は思った。

 

 海人なのに、不知火のこと聞いて驚かないのね。逆にあたしの素足を見ただけでそこまで顔を赤らめてくれるのが嬉しい。間抜けな顔で美しいと褒められても、笑えるだけだから……。

 人の里に行ってはいけないと、嫌な予感はする。けれど、知りたいと思う。

 あなたのこと、あなたをそこまで心配させる『《《おとう》》』のこと。きっと綺麗な人なのかな? あたしのように踊れるのかしら? あたしは踊りだけじゃないのよ、唄だって歌える。

 ううん、きっと違うんだ。もしかしたらあなたのことなら何でも知っている人なのかな?

 そうしたらあたしだって知りたい。あたしだって。


「あなたの住む場所に行ってみたい」

 

 怪火を呼び出して彼らに力を与えるべく不知火は舞を踊りだす。

 穏やかに、ゆったりと、羽毛のように軽やかに踏む足取りで、踊っている。

 まわるごとに、ちりんちりんと慎ましく鳴る鈴を聞き、せせらぎのように流れる袂が描き見えるようで見えない絵を見、海界はその美しい光景に心を奪われてしまった。


 観る者を意識して作られた舞なのか、一つひとつの所作は観る者の琴線に触れる。時にこちらに敬礼しているような動きや調子はいいアクセントになっていてメリハリをもたらす。

 また、目が合った。……このようなことを考える状況ではない、目を離さねばならないとそう思っても、体はその光景を目に焼き付けようと微塵たりとも動けやしない。

 

 怪火の力を得て船は悠々と進んでいく。

  

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