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不知火と海人  作者: 糯米
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上編

 あやかしはどこから来て、なぜ生まれてくるのか……。

 この世に生をけたのは何か意味をもたらすためにあるのか?

 理由はともあれ、あやかしはどこからでも生まれるものだ。その存在は常に人に不気味がられ、忌み嫌われる。おぞましい存在だとされている。

 

 何も悪い働きをしたことはないというのに。

 それでも不思議なことに、世には多くの人間があやかしに恋焦がれ、多くの許されぬ恋物語が紡がれて残されている。


 旧暦七月。晦日みそかの夜、立ち騒ぐ潮風は波が引くように穏やかになっていく。

 月夜つくよではない空は暗く、寂寥せきりょうとした海は夜音よと一つしない。


 七月の晦日は漁に出ることが禁じられている。この日は漁を生業なりわいとする海人あまびとにとっては意義の深い日である。

 それを知らぬ人はおらず、禁を破る痴れ者もいない。

 

 いくばくもなく、たまゆらの静寂は終わりを告げる。海から立ち昇る霧はとめどなく続く。砂浜と海の繋がりは霧によって断ち切られた。

 もやもやになった海岸はさながら隠世かくりよの入り口そのもの。


 岸から遠く離れた沖。ぽつんと一つ火が灯る。ゆらゆらとやおらなびき、はたして水面を焦がせるかは定かではない。けれど、夜空に耀かがよう様子は段違いに明るい。

 風前の灯火の如く輝く。燃え盛るそれを、人はあやかし不知火しらぬいという。

 

 一つまたひとつ、親火おやびのもとに次々と不知火が生まれてくる。数百。数千。やがて数万もの火が海に上がり、一面を照らし上げる。

 そのうち、静けさは海に漂う霧と共に消えていく。波一つない水面に、何かが徐々に浮き上がってくる。波濤はとうを巻き起こし、滔々と対流するその中心に、数百丈も及ぶ巨体を持つあやかしがあった。

 かの正体は出会うことが極めて稀で、生涯一度あるかないかという百年に一度しか海面に浮かび上がるとされる目の見えない、大妖怪盲亀の浮木。蠢くようにわずかに動いた盲亀に、襲歩の馬をもってしてもその後ろ影を見失うという。

 そんな神獣とてもいうあやかしの背中に、万もおよぶ幼き白拍子しらびょうしが姿を露にしていた。


 大妖怪盲亀の浮木の背中に集う面々は、単衣ひとえごとに脇元が裂けている水干を身に纏い、円く広がる袖括で必要以上に長く隠されている二の手を舞い踊らせ、しなやかなに楽舞を舞う。

 大きい帯を前にし、踵をつけてつま先立ち。

 その度に跳ねるたれ先が、とても無邪気で可愛らしい。

 きれいに結われて垂れ下がった、長く伸びる黒髪。微に入り細にめかしこんで装飾何一つ欠かさない。

 唯一。玉に瑕なのは、そこにいるどの子も漏れなく色の薄い身をしていること。


 ここに招かれることがあるともすれば、華清宮かせいきゅうの宴席や月の都だと言われれば疑いなく信じるだろう。


 短躯たんくな不知火っ子たちの中心に。婀娜あだやかな姿でたおやかにげんはじく姿がある。細長く秀麗な手で、いたって脆そうな指で今にも琴線に食い込まれそうに、奏でだすのは世に聞くどの曲よりも美しく儚げ。

 月と酒には持って来いな音色だ。

 あやかしの妖、という一文字を一身に集い、彼女自身がその字の解釈と言っても過言ではない。美しすぎる彼女の正体は親火という成人の不知火である。


「早う踏みをしっかり合わせなんし。直に龍神様のおなりよ」


 周りの幼き子を一瞥すると、小さくつぼめた口つきを吊上げて静かに笑う。


凍蝶いててふさま、少うしだけ休憩させておくんなんし」

「あたしもうーダメでありんすぇ。死にそうでありんす」


 凍蝶。彼女の直ぐそばで舞を踊っていた幼い子は舞をやめ、弱音を吐く。

 続けて言う子も息が絶え絶え、ぬれた綿のように重くぐったりした体を休ませるべく腰を下ろす。

 その会話は周りの多くの視線を引き寄せた。見守っていた不知火っ子たちも、同じ遭遇に身を置かれているだけあってすぐに共鳴した。

 みんな口ぐちに揃って憩いの一時を乞いはじめる。

 お願いしんす。お願い。お願いでありんす。凍蝶さまお願いなの。とまさに女三人寄れば姦しい、ここは万もいる。


 朔月の夜を明るくに灯す灯火。

 彼女たちは龍神さまのご帰還を導き、迎えるあやかしである。

 龍神さまのおこぼれにあずかり、生き長らえる彼女たちに求められていることは多くない。

 お稽古への献身的な努力と鞠躬如きっきゅうじょとして仕える心を持つ。その上で舞を捧げれば良いのだ。しなければならないのだ。精気をもらうためには。


 しかし、こんなに幼い子に厳しく強要するのはあまりにも心苦しい、そう思っている凍蝶はもう一度おさらいをしてからでいいかしらと。休憩をもうしばらく後にした。


 その時。大妖怪盲亀の浮木の端のまた端っこに、小さな不知火っ子が足の踏み場に困っているのだった。

 彼女はあまりにも踏み場のない端っこに追いやられている。

 舞ごとのおさらいどころか、いつ足を踏み外し海に落ちて泡に消えるかわからない状況にいる。

 風前の灯火、というのはこのことだろう。舞のことも忘れ、おそるおそる足元に細心の注意を払っている。ふと遠くの暗い海を、彼女は眺めだした。


 暗く、寒そう。

 けれど、静かで安らぎをどこか感じられる。

 遠くの島がぼうっとかすんで見える。黒く、影のようにたゆたう。

 もそろもそろ、近づい? ……てきている。

 

 彼女はそこでやっと気づいた。黒影の正体は島ではない。

 一葉の小舟だった。まだ距離が離れている小舟だけど、その船の上には何も乗っていない。物は見えない、精気を感じない。空っぽな小舟が一葉、海をさまようだけ。

 周りの子も見えただろうかと振り向くと、誰一人もその方向へ目をやる者はいない。

 凍蝶さまが奏でる音色に合わせて、舞を舞うだけ。誰もが一心不乱を貫いているように見えた。

 

 羨ましいと小さな不知火っ子は思った。

 自分も混ざりたい。踊りたい。凍蝶さまに褒めてもらいたい! 

 しかし、水に落ちるのが怖い。消えたくない。と彼女は忙しいのである。

 いっそのこと、その船を足場にして踊ればいいと彼女は閃く。

 船はまだまだ遠いけれど、怪火を操れば引き寄せることはできる。


 わいしょわいしょと天灯鬼から盗んだ灯籠のような、二丁の立派な怪火を操って船を波で押して寄せている。

 初めは、船に届く前に何度も海に沈みかける危機に迫られたが文字通り、肝が冷える思いをどうにか乗り越えた。そのおかげで、今は操りもある程度悟りが開いたようにうまくいく。

 

 近づかせた小舟に、いざ乗ろうとすると。そこには倒れた人間の姿があった。

 ぼさぼさとした頭、小汚い上着。酷く汚れている手足はタコだらけ。一番不思議なことに、その姿を目にするまで存在を感じ取れなかった。精気がない様子だ。

 初めて見る人間に嬉しくわくわくする反面、疑問も浮かぶ。

 この人は人間のお偉いさんなのかと感心した。

 なぜなら、長い腕、長い脚に長い胴体。自分自身の体の比例とまったく違うこの抜け殻のような人間は、凍蝶さまのと似ているからだ。きっと、この人間も現世うつしよでは自分みたいな人間を躾けるお偉い人だ。

 

 ふむふむと頷く。


 不知火っ子が小舟に乗り、人間をまじまじと見ている間も、亀様やほかの不知火たちが遠らかになっていく。というのも、盲亀の浮木に乗る誰か彼女の方向を向く者がいたのならば、彼女たちはすぐ目の前にいると見るだろう。

 なぜなら、大妖怪盲亀の浮木には結界が張ってあるのだから。このことを、不知火っ子はしらない。


 遠ざかっていく灯火を眺めて不知火っ子は途方に暮れていく。

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