第一章 十八話 紅白戦④―一回表―
お待たせして申し訳ありません。苦戦しました。
「ダ、ダメだぁ……やられたぁ。」
「……で、どうだった?」
「球種はストレートとカーブ。荒れてると思って様子見してたらやられちゃったぁ。……でもストレートもカーブも当てられない球じゃないと思う。」
「OK!!……行って来るね。」
「が、頑張って!!」
ネクストバッターズサークル付近で次の打者の漆原さんに新山さんが声を掛けている。
多分相手投手の印象なんかを伝えているのだろう。
「新山さん、ちょっと良い?」
悔しそうな表情でベンチに戻ってくる新山さんを手招きしてベンチ横に呼ぶ。
「扇コーチィ……すみません。全然手が出せませんでした……。」
「あはは……そんな感じだったね。」
ヘルメットを外し、僕の横に腰を掛けて情けない声で謝る新山さんに苦笑いを浮かべてそう返した。
「それで、トッキー、――相手投手の印象はどう感じた?」
「う~ん。一球も手を出せなかったあたしが言うのも何ですけど、甲子園出場校の投手にしては……。」
「レベルが低かった?」
「い、いえ、ただ意外とあたしでも打てそうな感じがしたので……。」
時 篤哉二年生。三年が引退した後の新チームのエース候補だ。
球速は120km後半。いわゆる軟投派の投手だ。持ち前の制球力を活かし、ツーシーム、大きく曲がるカーブ、タイミングを外すチェンジアップ、打ち損じを誘うSFFを器用に操る。
今年の夏は二番手投手として際どい場面でチームを支えてくれた。
「ま、球速自体はあんな感じでそんなに速くないからね。……じゃあ印象に反して手が出なかったのはなんでだと思う?……というか新山さんはいつも何を考えて打席に立ってる?」
そう言って漆原さんの立つ打席の方を指差す。
中学生にとっては結構速く感じると思うけど、当てられないほどではない、そんな球速。
ちょうどトッキーが三球目となる球を放ろうとしているところだ。
……直球がまた外寄りに外れた。まだ本調子ではないようだ。
一般的に打者には三通りのタイプが居ると言われている。
一つは相手投手、捕手の配球、リードを読み、球種あるいはコースを絞って打席に立つタイプ。
もう一つは自身の経験則や直感に従い、来た球を打ち返す、そんなタイプ。
最後は両者を相併せ持つタイプ。
「……?」
言わんとしていることが上手く伝わっていないのか首を傾げる。
「えっと……例えば基本直球狙いとか、得意なコースとかそういう話ね。」
「う、打てそうな球を打つ!!」
…………。
「ふ、ふざけてるわけじゃないですよ!?基本直球狙いで打てそうなところに来たら思いっきり振る……そんな感じです!!」
ジト目が効いたのか新山さんは慌てて弁解する。
「ま、まぁさっきみたいに荒れてそうな時は四球狙いで様子見もしますけど……。」
「ならさっきのは四球狙い?」
「う~ん。初球と二球目が大きく外れたので、三球目は甘い球だけ待ってました……まぁ三球目はど真ん中のカーブでしたけど。」
人差し指を口元に当て、打席を思い出すように話す。
「立ち上がり悪いと思った判断は良かったと思うよ。で、その三球目の甘いコースに来たカーブだけど……、どうして甘い球だったのに手が出なかったんだろう?」
「それは………なんか身体が咄嗟に反応できなかったというか……。」
「……僕の勝手な予想だけど投げた瞬間に『当たる』って思わなかった?」
「あっ!!思いました!!何で分かるんですか?」
「僕が捕手でも多分同じ要求をしたと思うから。」
カウント、2ボール、0ストライク。明らかに投手不利のカウントで誰もがストライクを欲しがる。
新山さんからすれば一番コントロールし易い球である直球を狙ったのだと思うけれど、捕手目線からすれば、その読みは素直すぎる。そんな状況で安易にカウントを取りに行ったら明らかに狙われる。
だからこそ軌道が直球と異なり、ともすれば左打者に死球を思わせる、そんな球種の選択だったのだと思う。……それにカーブのような抜く球は腕をしっかり振らないと投げられない。捕手の樋口から立ち上がり荒れていたトッキーへの『腕しっかり振ってちゃんと投げろ』のメッセージも込められているだろう。
「……立ち上がり悪いと思った判断は良かったと思うよ。だからこそ……。」
そう言いかけたとき、鈍い金属音がグラウンドに響いた。
「う~わ、ボッテボテ……。」
「いや、これは面白い!!」
投じられた五球目のカーブに泳がされ、打ち損じた打球が三塁線を転々と転がる。
「っっやっば!!」
守備位置の関係で左翼手に寄っていた三塁手は打速を瞬時に見極め、全力で前進する。
捕球地点まで到達した段階で打者走者は一塁に到達し掛かっていた。
普通の捕球では間に合わない。そんな刹那の判断から素手捕球、そして持ち前の強肩を活かした低く鋭い送球。
捕球から送球まで何のロスもない完璧なプレイ。
「っしゃあ!!アウトっしょ!!」
三塁手――下司 猛士が拳を突き上げ、興奮気味に言う。
「いや、普通にセーフだから。」
「え!?」
一塁手の神場 竜朗が面倒そうに判定結果を伝える。
……際どかったけど一番近くの当事者がそういうならギリギリでセーフだったのだろう。
塁上では漆原さんが微妙な表情をしているが、ともあれ初出塁だ。
「えりー!!ナイスラン!!」
横では新山さんが自分のことに喜び、一塁に向かって拳を突き上げた。
「……扇コーチ、前に昨日言っていた『泥臭い野球』って今みたいなプレイのことですよね。」
「そうだね。」
今のプレイはボテボテのいわゆる打ち取られた打球。それでも出塁できたのはそこで諦めず、最後まで走り切ったから。まさしく泥臭い出塁だった。
「……うん。ならさっきのあたしは全然泥臭くなかったです。カーブに手が出なかったのは仕方なかったけど、最後の一球は粘れた。そういうのもちゃんと泥臭いですよね?」
「……ははっ!!……それが自分で分かれば百点。」
先回りで言われてしまった。野球は一球一球間を取れる競技だ。だからこそ前のプレイを引き摺らないマインドセットが大切になる。今彼女自身が言ったけれど、プレイ中はある程度割り切って「仕方なかった」と思った方が良い。その「仕方なかった」を反省し、それを超えられるようにするのが練習なわけで、反省と後悔は別だ。
今回、新山さんが自分でそれに気づけた。……それができれば僕から今言えることは何もない。
「次の打席もちゃんと見てるからね!」
「は、はい!!」
さて、ここからどう繋げられるか……。
元気の良い返事の後、久遠さんの元に走っていく新山さんを横目に意識は打席に立つ三番の上原君に向かう。
この試合、漆原さんのような出塁を活かし、各回でどこまで得点を伸ばせるか、それがキーになってくる。元々試合の特性上、攻撃側が圧倒的に有利だ。正規のルールで試合を実施したとしてもフィールド内のヒットコースを完全に潰すことは不可能で、どこかのヒットコースを守備シフトによって潰す時、他の守りが必ず手薄になる。それでも実戦でシフトを敷くのは打者の特徴を把握し、試合状況、カウントに応じて球種、コースを工夫することで守備の手厚い方向へ打球が向かう確率を上げることが出来るからだ。
だけど、この特殊ルールでの試合は前提が違う。通常より二人も少ないメンバーをどうにかカバーしようとして初回から守備シフトを敷いているが、そんなものは焼け石に水だ。どこもかしこもヒットコース。今の守備シフトはそう言っても過言ではないだろう。
例え相手がよほどの格上だったとしても完封されることはないと断言できる。
打席の上原君がサイン確認のためにこちらを見ている。
それに対して僕は試合前に決めておいたサインで応える。――『自由に打て。君に任せた。』
緊迫した場面で手堅く行くならバント、どうしても点が欲しいなら盗塁、意表を突くならラン&ヒット。将来的にはこの子達がそういった小技を実戦でどこまで決められるか。それも確認したいけれど、今回は自分たちでこの特殊な試合状況にどこまで対応できるか見たい。そんな考えからのサインだった。
そんな僕のサインに上原君はヘルメットのつばに触れることで「了解」の意を示す。
相手の守備位置は相変わらず全体的に深い。これまでとは遊撃手が二塁ベースに若干寄ったこと、左打席に立つ上原君に合わせ一塁手がより深くなったことが異なる。
ある程度のデータがあれば、その傾向に合わせて守備位置を動かせるけど、今回のように初見の相手の場合、構え、体格等でポジショニングすることがある。一塁手の神場は中学生にしては体格の良い上原君を見て少し警戒したといった感じだ。遊撃手に関しては、漆原さんの盗塁を警戒してのシフトだろう。
…………良し。
そんな相手の守備位置を見て、一塁走者の漆原さんが一塁上を離れ、二塁に向かって大きくリードを取るのを見て、心の中でその判断を称賛する。
野球はソフトボールと異なり、プレイ中の走者の離塁が認められている。それは投球後にいち早く次の塁へ進むことが主目的で行われる。そして相手バッテリーはその目的を妨害する為に文字通り牽制球を投げたりする。
今回のケースでは漆原さんが相手の深すぎる守備位置を見て『牽制はない』と判断し、普段よりも大きく離塁した。
そんな様子を見て、トッキーが一度セットポジションを解除し、間を取った。
リードの副次的な効果に相手投手への揺さぶりというものがあるが、まさに今、その効果が出ている。
左投手のトッキーからすれば、大きなリードを取った相手が眼前に映る。すごく気になるだろう。
トッキーがセットポジションに再び入った。
その直後、投球動作に移る。
「は、早い!!」
こちら側のベンチから思わず、そんな声が上がる。
投じられた球は捕手が思わず立ち上がるくらい大きく、外角高めに逸れた。
「……一塁!!」
「っや、やばい!!」
それは一瞬の出来事だった。
逸れた球を何となしに捕球した捕手樋口が流れるように一塁に転送し、その先には深く守っていたはずの一塁手神場が待ち構えていた。
「……良く戻ったじゃん……。」
「ぎ、ぎりぎり……。」
ヘッドスライディングによる土煙が立つ中、そんなやり取りが交わされる。
まさしくタッチの差でのセーフ。
「もうっ!!樋口君高いってば!!完全に刺せてたのに!!」
「……ご、ごめんなさい……。」
そんな様子を見て一塁側ベンチから沢井さんが野次を飛ばしている。
……なるほど、今のはベンチ指示の作戦か。相変わらず良い性格をしている。
超クイックでの投球、ピッチアウト(外角高めのボール球)、投球後の一塁手の塁へのカバー、これらすべてが一つの型として成立していた。――まさにセットプレイ。
一塁手が送球を取った時点でのタイミングで言えば、完全にアウト。
けれど、送球が浮いたことで、タッチまでの時間が若干遅れた。それが明暗を分けた形だ。
沢井さんは今のプレイで言っているのだ『簡単に盗塁させるわけないでしょ?』、と。
最もオーソドックスな盗塁は投球間に行われる。いわばバッテリーと走者の競争だ。
投球動作の開始と共に走者は進塁を試み、捕手は投球後すぐさま、進塁先へ送球する。
故に投球動作、捕球後の送球動作をいかに短縮するか、それが盗塁の阻止の観点では重要になる。
今回はあらかじめ、盗塁されることを予想することでそれらの動作を最小化させたのだ。
……これで漆原さんが自発的に盗塁を試みる可能性はほとんどなくなっただろう。
盗塁の成功率は一般的には七割くらいと言われている。もちろんそれは色々な要因で変動するけれど、「出塁というチャンスを失ってアウトカウントを増やす」ということを秤に掛け、「進塁」というリターンを得るのが盗塁だ。
今回のように初回、三番打者という好打順という状況で無闇やたらと自己判断できるものではない。
それでも盗塁を企画する場合、よほど走者の脚力が優れているか、相手に致命的な問題がある等の目に見える理由が無ければできない。
元より期待しているのは上原君の打力。
「……さぁ上原君、頼んだよ!!」




