紫との出会い
この任務は僕には最初から荷が重いものだった。
任務の内容は別の任務にかかりきりになっている『最強』の肩代わりを務めること。
殺し屋業界最強の五人を示す『五色』に対して、所詮僕は『十色』、対外評価で6番目に挙がる存在だと言っても、『最強』の肩代わりをするなんて無謀な話だ。
だから必死に断ったというのに、リーダーの紅が「鏡ノ肩代ワリト言ッテモ業界6位ノ黒君ヨリ強い敵ナンテコノ世界二存在シナイカラ大丈夫ダヨ」と言うので泣く泣く引き受けたというのに――どうしてこうなった。
「――よう」
地下水道のやや暗い廊下、僕が目の前の敵を倒すために張っていた青色のワイヤー『青龍』を、蜘蛛の巣を払うようにたやすく切断したそいつは、軽い口調で挨拶をして散歩のような足取りで僕に近づいてきた。
最初に目に入ったのは紫色の髪。
才能ある存在であることを示すその髪の色は、有する実力が無条件でS級であることを語っていた。
もしもその髪がただ染めたものであれば、あるいはその髪の色を有する存在が二つ名持ちでなければ僕もここまで焦ることは無かった。
だけど、僕は彼女≪その存在≫を知っていた。
腰まである長髪と全く同じ紫色を持つ瞳と、同色のロングコートとロングブーツ。
彼女を知る者で彼女を騙ろうとする者は存在しない。皆、自分の命が惜しいからだ。
彼女を知らない者で彼女を騙る者は存在しない。彼女を騙ろうと考える卑しい存在にはそもそも彼女の存在を知る手段が無いからだ。
彼女の二つ名は『死神』。彼女を見た者は必ず殺されることがその名の由来。
その実体は『切断』の概念を持つ才能ある存在。
彼女は、――元『五色』、紫。
その強さは最低でも僕と同等か、それ以上。もしも彼女と出会ったなら決して戦ってはならないと紅から忠告されているくらいだから、おそらく現時点での実力は僕が負けているに違いない。
「っ!!!」
僕は構えていた青龍を再度振るった。
青色のワイヤーで形作られた苦無が先端から勢いよく解けて,先ほどよりも高い密度で青が巡らされていく。倒せるとは思っていない。そもそもこの武器では相性が悪いし、真の使い手の青ではない僕の技術では彼女に傷一つ負わせることはできないだろう。
僕が逃げるまで一瞬でも足を止めることができれば十分。そう考えての一手であったが――
「お前、俺のことを舐めてるのか?」
「くっ!?」
彼女が右手で何かを振るうと同時にすべてのワイヤーが瞬時に切り裂かれた。
なんだ? 長い糸の先に丸い物が勢いよく回転している。もしかして、ヨーヨーか?
見るからに安っぽい作りだ。普通のタコ糸の先に紫色のプラスチックの本体、少し値が張るヨーヨーならば先端の本体がしばらく回り続けるはずだが、そうなることもなくしゅるしゅると跳ね返るように彼女の手に戻っていく。
そんな安物のヨーヨーですら、僕が操る紅が作った特性のワイヤーを切断できるその事実に戦慄する。
概念系の能力者に常識が通じないことはよく知っていたはずだった。だが、明らかにこの世界の常識を鑑みて不可能な事象を起こすには必要以上のリスクが生じる。そのリスクを嫌わずに惜しみなく能力を発動している時点で、彼女の能力は完成の域に近いに違いない。
「切ろうという意思のない攻撃で俺を切り裂ける筈がないだろ? 俺を誰だと思ってるんだ?」
ワイヤーを切る前と一切変わらないペースで近づいてくる彼女に、僕はバックステップで距離を一定以上に詰めさせないように気を付ける。しかし、入り組んだ地下水道には限界《行き止まり》が存在する。すぐに背後の壁を意識して僕は足を止め、彼女に向き合った。
「お? 少しはやる気になったのか? まあ、無駄だけどな」
彼女は腰にぶら下げていた刃渡り50cmほどのレイピアを抜いた。対して僕は、『切断』に対抗するために最も重量がある刀『玄武』を持ち上げる。玄武の重さは見た目に反して軽く自身の重さを超える。当然素の僕では自由に扱えないため、能力を発動した。
「ん? その能力……お前、もしかして『黒』か?」
能力の発動と同時に薄く銀色に染まった僕の髪を見て彼女が尋ねてくる。
「……だったら?」と僕が答えると、彼女は嬉しそうに笑った。
「いや、一番会いたいやつに会えるなんて、ついてるなと思って、ね!」
「っ!!」
そう言うと、予備動作なく彼女はレイピアを斜めに振り上げた。
対する僕は袈裟懸けに玄武を振りぬく。
タイミングも速度も同時。彼女の持つ、か弱いレイピアであれば確実に打ち砕けるはずだった。少なくても僕にはその自信があった。
しかし――
「……かはっ」
切り裂かれたのは玄武と、僕の胸の方であった。
崩れ落ちる僕の胸より下と噴き出す血と臓物を気にも留めず、宙に浮かぶ僕の頭を掴んだ彼女は僕を睨んでこう言った。
「弱いな。すべてが中途半端。こんなのが鏡の弟子。こんなのが十色。これ以下にされるなんてまったく俺も舐められたもんだ。……鏡にふさわしいのは俺だ。お前じゃない」
消えていく意識の中で聞き取れたのはそこまでだった。
やがて視界が閉じる前に僕の胸より上は更に縦に切断されて、胸より下と共に地面に落ちる。離れていく彼女を見て、僕は。
――助かった、と既に切り落とされて存在しない胸を撫でおろす思いだった。
☽
『――お母さん、ねえ、目を開けてよ』
目の前の女性を母と呼ぶ『自分』は,愛おしい彼女だった存在を再び抱きしめようとした。
周囲は血が溢れている。黒づくめの衣服で全身を包む存在が5人。性別すらも分からないそれらが、何らかの才能ある存在である『自分』を誘拐するために仕向けられた刺客であったと知ったのはずいぶん後のことであったが、当時の自分にはそんなことはどうでもよかった。『自分』と母を襲ったそれらを『自分』と同じ『人』と思うことすら許せなかったことだけはよく覚えている。
母は既にこと切れていた。初めに刺客に襲われた時にはまだ息があった。すべてのことが済んだ時にもまだ――。彼女が息を引き取ったのは、『自分』が彼女を抱きしめたからだ。
すべてのこと――母の腕が刺客に切り落とされ、目の前が真っ赤に染まった後のこと。
絶対に許さない。同じ目に合わせてやる、と怯むことなく瞬間的に心を燃やした『自分』と、『自分』を捕まえた刺客の腕が飛んだのは同時であった。
『は?』と現実を見失った刺客の間抜けな声が響いた刹那の後、生け捕り不可と判断した刺客たちが『自分』を殺そうと、それぞれの得物を向けてきた。そのすべてを身体で受けた『自分』は、くるり、と踊るように一回転した。すべての刺客はその瞬間、腰の上下が分かたれて絶命した。身体で受けた得物はすべて切断されていた。
まるで、最初からそれが出来ると知っていたような全能感。否、それが出来ないわけが無いと知っていたような既視感。降り落ちる血の雨に安心し、母に近づいていく『自分』。
恐怖の顔に歪みながらも、愛しい我が子が近づいてきて抱き留める母。
その四肢が切断されたのは必然であった。
事実が感情に追いついてこない。声を上げることも出来なかった。ただ現実を受け止められずに、どうにか母の身体を抱きしめようとする『自分』。それをすればするほど豆腐のように崩れていく母だったもの。やがて受け止められる肉片も無くなったところで『自分』の意識も溶けていった。
目が覚めれば消えてなくなる、夢であればと願いながら。
☽
「――はっ、うぁああああああああああっ!!」
「……おや、お目覚めかいクロ。今回はまたずいぶんと酷い記憶を見たようだね」
目が覚めるとそこは僕の能力の師匠である緑の居る医務室だった。
どうやら紫が去って行ってから追撃は無かったらしい。騒がしい動悸を落ち着けながら、僕は今回も拾ってしまった命を再確認するのだった。
何より自分が読みたい話なので、なるべく更新できるように頑張ります。
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