第5話
それから〈龍〉が語ったことはダリウスには驚天動地の話だった。遠い昔、妖と人の距離は今よりは随分と近かった。時には交わることもあった。時が過ぎ、人の中に残った妖の血は薄れ、その血を引いて生まれる者のほとんどはただの人と変わらぬが、まれに先祖帰りして妖と等しい力を持つ人がいる。
「俺がそうであると?」
『そうだ。先程の動き、その眼、妖のものだ。何より、おぬしの右眼から妖力が漏れておる。おそらく、右眼を妖が潰した時に、おぬしの中に眠っておったそれが目覚めたのだ』
「言われてみれば、右眼をやられてからも、別に不便はなかった、ような覚えがある。逆に調子がよさそうだと、仲間から不思議がられたこともあった」
『そして、先程の姫の危機に本格的に覚醒したのではないか、と我は思う』
「姫…?」
〈龍〉は言った。
『姫もお前と同じ、妖の血を宿した身なのだ。姫の中に眠っておられるのは、かつて妖のヌシであったお方でな』
いつのまにか、周囲に妖が集まってきていた。大入道、髑髏、ろくろくびといった、ここまでにダリウスが追い払った妖達だけではない。目鼻も口もない人のような妖。大きな蜘蛛のような妖。いろいろな妖が、〈龍〉の話を聞いていた。
〈龍〉は言った。里から捨てられた姫がここに置き去りにされたのは全くの偶然ではない。昔からこの森は妖の森として恐れられていた。それは、この地に地脈の口があり、妖が集まりやすいから。だから里の者は姫をここに捨てた。そして、ここに棲んでいた妖達は姫をこっそりと、近隣の村からくすねた食べ物を与えたり、入り込んだ人や獣を追い払ったりと守ってきた。
『おぬしに我等妖が見えるのも、妖の血のため』
「なぜ俺にだけ見えるのだと不思議だったが、そういうわけか…」
『姫に我等の姿は見えぬ。妖の力が目覚めておらんでな』
姫はずっとひとりだった。言葉を交わす親も友もなく、ただ生きてきた。それが悲しいと〈龍〉は言う。
黒い霧のような体をぶわりとダリウスにまとわりつかせて、〈龍は〉言った。
『姫のそばにいてやってはくれまいか。姫はひとりきりで生きてきた。我らは妖。姫は人。姫を陰ながら守ることはできても、話相手にはなれぬ。側にいて手を握ってさしあげることができぬ。ずっと痛ましく思っていたのだ。妖の血に目覚めた人であるおぬしなら、姫のお側にふさわしい』
「里に返してやることは、出来ぬか?」
『難しかろうな。姫のふた親は既におらぬ。姫が頼れる者はおらぬ。村の者はまだ姫のことを覚えておろう。いまここで、村の者達がみな妖にやられたとなれば、なおさらだ。それに』
「?」
『もし、姫の中に眠る妖のヌシ殿が目覚めたら、それこそ姫は人の間では生きていけまい』
「それは、俺も今日から人の中では生きていけぬという意味ではないか」
〈龍〉は肩をすくめたように感じられた。〈龍〉に肩などないように思えるが、器用なことだ。
「さて」
ダリウスは思った。波斯で武人の家に生まれ、抗争で親を失って剣の腕ひとつで生きてきた。世界を見てやろうと印度、爪哇、中華と流れ歩き、多くの人を見た。天につづくと言われる喜麻拉亜の高山に登ったこともある。船に乗って大海原で海獣と戦ったこともある。人が作ったとも思えない大きな都も見た。世界の東の果てというこの島国で、とうとう御伽噺の龍と戦った。広い世界を見てきたものだ、と改めて思う。ここらで少し腰を落ち着けるのも悪くはない。妖の姫の用心棒というのも面白い。
「よかろう、暫しおひいさまにお仕えするとしよう」
この時のダリウスには知るよしもなかった。数年後、ふとした弾みで本当に姫の中の妖のヌシが覚醒してしまうことも、その妖力で姫と自分が尽きない命を持ってしまうことも、姫を慕ってさらに有象無象の妖どもがこの寺に集まってくることも。