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人の国にて

まだ前段。パーティーすらまだって…どういうことやねん…

燃えている───

少年は絶句した。つい数刻前まで自分がいた城が、燃えている。炎は大きく、もう少し近づけば少年を飲み込んでしまいそうだ。


「あいつら、どこ行った!?」


城にいたはずの従者の姿が見えない。まさか、まだ城にいるのか。

少年は唇を噛んだ。いや、あいつらのことだ。きっともう脱出してるはず。脱出して、この近くにいるはず─



その時、声が聞こえた。

誰かが咳き込む声だ。


「おい!お前!」

「あ、ぐ…」


少年のいた場所から少し離れた土の上に、一人の男がいた。地面に倒れ伏した男は、もうひとつ咳き込むと、真っ赤な血を吐いた。


「しっかりしろ!…お前、まさか、」

「…いつら、まだ、中に…」

「わかった、わかったから!もう喋るな!」


少年は必死だった。男が助からないことはもう明らかだった。それでも─それでも、少年は、男を助けたかったのだ。


「大丈夫、大丈夫だ。きっと、俺が助ける…!」

「…!!」


男が少年の腕をつかむ。瀕死とは思えないほどの力だった。


「止めたって無駄だ。」

「あ…あん、たは…」

「もう喋るな!!」


叫ぶように、少年は言った。迷いは全て断ち切ったのだ。心を揺り動かされたりなんてするもんか。


徐々に男の手から力が抜けていくのが分かる。ここまでよく持った方だ。


「何も心配するな。大丈夫だから。」


少年は男に言った。自分に言い聞かせているようでもあった。


炎がさらに大きくなって、少年と男を照らしていた。



***




『むかしむかし、まだ世界が平らだったころの話。

世界は二種類の、知能を持った生命体が治めておりました。

一つは魔物、もう一つは人と呼ばれておりました。

二種類の生命体はとても仲が良かったのですが、生活様式にたいへん差がありましたので、世界を丁度半分に分け、西側に魔物が、東側に人がそれぞれ住み、ささやかな交流を行いながら、平和に平和に暮らしておりました。時たま魔物と人との間に子をなすこともあり、その子供は半魔と呼ばれていました。半魔たちは、魔物の国と人の国の境界線に村をおこし、そこに皆で住んでいました。


それから幾ばくかの月日が流れ──

数が増えた半魔たちは、こう思いました。

「国は魔物と人の国の二つしかない。俺たち半魔の国も作ろうではないか。」

その頃の村は、村としての立場は認めてもらえていたものの、税金は双方の国に払わねばならず、また法律においても双方のものを守らねばならなかったのです。半魔たちは、二つの国の王様に、自分達の国の成立を認めてほしいとお願いをしに行きました。

人の王はこう言いました。

「あいわかった。そなたたちの独立を認めよう。」

しかし、魔物の王はこう言いました。

「それはいかん。そんなことは認められない。これまで通りでいなさい。」

魔物の王は、半魔の独立を認めてくれなかったのです。

それに怒った半魔たちは、魔物の王に反乱をおこしました。

今まで平和そのものだった世界で反乱がおきたものですから、世界は大混乱に陥りました。魔物の国と、半魔の村。その戦いを止めようとした人の国にまで戦火は及び、沢山の人や魔物が怪我をしたり死んだりしました。

戦いに疲れた魔物の国と人の国の人々はこう思いました。

「この戦いは、元々半魔の奴らがおこしたものだ。二度と戦いがおこらないように、半魔の奴らを皆殺しにして、今後一切、人と魔物は関わらないようにしよう。」

魔物の国と人の国はいったん停戦協定を結び、半魔たちを挟み撃ちにする形で攻撃しました。半魔たちの村は焼かれ、女子供関わらず皆殺しにされました。こうして半魔は世界から姿を消したのです。

そして、残された魔物と人は、二度と半魔をつくらないよう、国境に大きな大きな壁をたて、魔物の国と人の国の行き来ができないようにしたのです。』

人の国、王立図書館所蔵、「この世界の歴史」より抜粋


『半魔は、人と魔物の利点双方を持ち合わせた、たいへん貴重な生命体でした。魔物の鋭い五感を持ち、人の細やかな才覚を有する、高度な知的生命体だったのです。

特筆すべきは、彼らが「魔法」と呼ばれる特殊能力の持ち主である、ということです。「魔法」はこの世界の物理法則から脱却した技であります。超強化、瞬間移動、千里眼、精神操作など、「魔法」には様々な種類がありますが、個人が持てる「魔法」の種類は一種類だけでした。さらに、魔法を使うとそれに見合った副作用も確認できたということで、けして「魔法」は万能ではないようです。』

同上図書館所蔵、「半魔の生態」より抜粋


『…ですので、私は先の戦争の原因は魔王にあると思うわけですよ。何てったって半魔が反乱をおこしたのは魔王が申し入れを断ったせいですから。ええ、やはり魔物は野蛮です。私達人が世界を統一し、清廉とした世界をつくるべきじゃないでしょうか。…』

王側近、××氏独占インタビュー記事より抜粋


「勇者選抜会開催のお知らせ

下記の条件に符合するものは、12月25日に宮殿前広間に集合すべし

・満18才男子であるもの

・健康であるもの

・従四上位以上であるもの

選抜会での優勝者には、「勇者」の地位、及び魔物の国入場資格を与える

なお、該当者は必ず出席すべし

連絡なしに欠席した場合、貴族資格を剥奪するものとする」

二日前に出されたおふれ、全文抜粋



***



「勝者、赤!!よって、今年の勇者は桜木カグヤに決定!!」


王都、宮殿前広間。日が傾く中、およそ五時間に渡る勇者選定会は終わりをつげた。審判の男が叫ぶと同時に周囲の観客がワッと沸く。剣を持っていない方の手を掴み挙げられ、カグヤはそっとため息をついた。後ろの他の勇者候補を見ると、皆一様に悔しいような安心したような微妙な表情をしている。それもそうだ。彼らは勇者という名誉を得られなかったが、これから貴族として安定した地位を約束されたのだから。カグヤいえども、この後のことを考えると頭が痛い。

顔をあげて観客の奥を見る。人の良さそうな笑顔をこちらに向けながら手を振る翁はこの国の王だ。最も、その表情が崩れたことを見た者は誰もいない。そのすぐ横にいるカグヤの家族。その家族から、目で「もっと愛想よくしろ」と制され、カグヤは半ばヤケクソになって剣を持っている方の手も高々と挙げた。再び観客が湧く。


(勇者がどういう末路を辿るか、全員良くわかっているはずなのに。)


湧いているのは今年の生け贄が決まったからか、と心の中で自嘲する。自分の親族でなくてよかった、これで一年は安心だ、とでも思っているのだろう。


(…あーあ、くっだんね…)


空を仰ぐ。薄暗くなりつつある空を、鷹が悠々と飛んでいた。


万里の運命はたった今、定まった。

勇者としての名誉を得て、そして、恐らく一年以内に死ぬ。


(つまんねー人生だったな。)


一度として心動かされることもなく、血が滾るような戦いもすることなく、自分はもうすぐ死んで行く。


観客の歓声をどこか遠くに感じながら、カグヤは静かに目を閉じた。




***




勇者制度とは、人の国の王が長い間続けている選定のことである。貴族の若い男たちが一堂に会し、剣技を争う。そしてこの争いに勝ち残ったものが勇者となり、勇者としての特別資格及び魔物の国への渡航権を得るのである。


…というのは表向きで、


実際勇者に課せられるのは「魔王討伐」という途方もない難題である。

勇者としての特別資格には、国軍の統帥権も含まれており、選定が終わった夜、勇者率いる軍勢は魔物の国に向かって出発する。一年以内に魔王の首をとって帰ってくれば、本物の勇者として、莫大な褒美や王の所持する幾つかの権利が譲渡されるらしい。らしいというのは、この制度が始まってかなりの年月がたつが、未だに旅立った勇者が一人として帰ってきていないからだ。兵士は何人か帰ってきたが、「炎が、水が、」「ひぃぃぃ!!見るな!こっちを見るな!!」など、皆正気ではなく、詳しいことは何も分からなかった。かろうじて分かったのは、ちりじりになったのは国境付近だということだけ。魔王討伐はおろか、魔物の国にすら辿り着けないで、いままでの勇者たちは皆、脱落している。


要するに、勇者になった時点で、一年以内に死ぬということはほぼほぼ確定事項であるということだ。


とはいえ、勇者となった時点でその家に渡される賞金も少なくはない。万里もまた、家族に(主に姉に)「あんたが優勝することなんて分かりきってんだから、手ぇ抜いたら…わかってるよね?」と圧力をかけられ、選定会に参加せざるをえなくなったのである。




***




「いやー、カグヤくん。君の剣技は中々に美しかったよ!」

「はぁ、そっすか。」


その夜行われた晩餐会。油っこい料理に辟易しつつ、カグヤは酔っ払った官僚に絡まれ、気のない返事を繰り返していた。


「君は勉学の才もあると聞く。いやまったく、天は二物をとはよく言ったものだ。」


あっはっはっは!と肩を抱きながら、官僚はさらに酒を煽る。カグヤに話しかけてくるよりも前から散々に飲んでいたようで、呂律が回らなくなってきている。適当に椅子に座らせ、カグヤはなるべく目立たないところに移動した。


(才能、ねぇ、)


幼い頃から、そつなく何でもこなしていた。勉学も剣技も、他の子供に遅れをとったことなど一度もない。それどころか、レベル差がありすぎて教える側の大人が頭を抱えるほどであった。故に、万里は誰かと競ったことはない。勝ちが確定している勝負の何が楽しいのだろうか。退屈。今までの人生はその一言につきる。

18になれば勇者選定会に行かなければならないのは前々から承知していた。そして、勝ち残って勇者になるのはカグヤであることもわかっていた。死が確定している勇者になることもまたつまらない。狭苦しい王都から出ていける、それだけが救いだろうか。


王都の外、魔物の国。そこにカグヤを沸き立たせるものは、はたしてあるのだろうか。心踊らされるものはあるのだろうか。


(…今考えてもしゃーねーか。)


明朝、カグヤは国軍を率いて出立する。何はともあれ話はそれからだろう。広間の端のベンチに座りながら、カグヤは手に持っていたグラスの水を見つめた。空に輝く満月が、水面に写っている。



その月に、ちらりと何かの影が走った。


「あ?」


よく目を凝らして見るも、既に水面には丸い月のみが写っているばかりだ。上を見上げても影らしきものは見えない。


(いや、待てよ…こっちからこっちに横切ったってことは、影が走った先は…)


王城の門、宮殿前広間の入り口あたりだ。そう当たりをつけた万里は、ゆっくりと門の上を向いた。



そこにいたのは、一匹の狼。

銀色の毛並みをした、美しい狼だった。



「おい、なんだあれ!?」

「誰か護衛兵呼んでこい!!」


周囲の人々も門の狼に気づき始めたようだ。ざわつき出した人々を余所に、狼はゆっくりと首を動かす。深い銀の毛が月光を反射して、キラキラと輝いていた。

金色の瞳が、真っ直ぐにカグヤを射抜く。


ゾクリ、と背筋が粟立った。


(こいつの狙いは、俺か…!)


直感でそう思った。人生で初めて感じる命の危機。けれどもカグヤは口元がつり上がるのを抑えられなかった。今まで感じたことのない何かが沸き上がってくる。これは、ああ、これが、高揚感というものか!


ダン!と塀を蹴って、狼は跳躍した。そのまま万里に飛びかかってくる。


(面白ぇじゃねぇか…!!)


剣を抜く。狼の爪が万里の喉笛にかかる寸前、受け流してかわした。存外固いようで、剣がピシリと音をたてる。勇者に贈呈された剣が安モンかよ、と内心毒づきながら、続くであろう第二撃に備えるべく、体勢を直して狼の方に振り向いた。


「は?」


振り向いた先に、狼はいなかった。


月光を浴び、二本の足でゆらりと立つその姿は、明らかに人間のものだ。年若い、カグヤと同じくらいの青年。狼と同じ、銀の髪に金色の瞳のその青年は、カグヤを見据えて問いかける。


「お前が勇者だな?」


低い声だった。青年は、金の瞳をカグヤに真っ直ぐ向け、殺気をとばしながら、腰に巻き付けたベルトから剣を抜いた。


「…そうだと言ったら?」

「魔物の国への渡航権利書を持ってるはずだ。寄越せ。」

「へぇ、渡航権利書ねぇ。」


勇者になった際、贈呈される数々の品目。金や剣(先程ヒビが入ったが)等があるなか、最も重要である一枚の紙切れも渡されるのだ。

それが、魔物の国への渡航権利書である。

万里も詳しいことは聞かされていない。それをいつ使うのか、どう使うのか、全くわからない。ただひとつ言えるのは──



「おい、こっちだ!!」

「は?人間?侵入者は狼じゃなかったのか!?」

「くそ、この際人だろうが狼だろうが関係ねぇ!!」

「囲め囲め!!ここから逃がすな!!」


いつの間にか、カグヤと青年の周りに護衛兵達が集まってきていた。槍を青年に向けながら、じりじりと近付いてくる。

金の瞳が、スッと細められた。


「…チッ。」


舌打ちを一つして、青年が屈んだ。地面に手をついた青年の体が一瞬光る。次の瞬間には青年の姿はなく、銀の狼がそこにいた。


「ひ、ひぃぃぃ!!」

「お、おおかみ!?何があったんだ!?」


固まった護衛兵達には見向きもせず、狼は跳躍した。再び塀の上に立った狼は、カグヤの方をちらりと見る。バチリ、と再び目があった。カグヤが思わず一歩踏み出したとたん、狼はくるりと背を向け、姿を消した。



「い、今のは…?」

「勇者様!御下命を!!あの化け物を、即刻捕らえましょう!!」

「…あの?ゆ、勇者様、なにを…?」


残った護衛兵達がカグヤの周りに集まる。口々に今の狼を捕らえようとの気概をみせるが、カグヤが塀から視線を外すことはなかった。


(今のは挑発か?やっぱり面白ぇじゃねぇか…!)


「勇者様!御下命を!」

「兵士一同、準備は出来ております!」

「…おい、渡航権利書はどこにある。」

「はっ、それでしたらこちらに…」


一人の兵士が皮袋を持ってくる。中を見ると、少しの金、水筒、本などの旅の必需品に加え、「渡航権利書」と書かれた一枚の紙がある。


「よし、もうお前らいいぞ。下がれ。」

「はっ…は?あ、あの?」

「勇者様?まさか一人で追うつもりでは…?」



ニヤリと笑う。


「あいつを殺るのは俺だ。誰にも手出しさせねぇよ。」


それとも俺にたてついて、その首飛ばされたいか?


笑いながら問うと、ひぃと情けない悲鳴をあげて、兵士達はガクガクと頷いた。カグヤは皮袋を肩に担ぎ、未だ騒然とするパーティー参加者に向かって、こう言いはなった。


「よく聞いてくれ!!俺は予定より早く出立する!!一年以内に、あの狼の首と魔王の首、二つ揃えて持ち帰ろう!!勇者の名に懸けて誓う!!手出し無用だ!!」


剣を掲げて叫ぶと、周囲からどよめきがおこる。そうだ、手出しはさせない。あれは俺一人の獲物だ。誰にも獲らせるものか──


人々の間をくぐり抜け、カグヤは城の外へと飛び出した。




***




一歩、城の外へ出ると、そこは月明かりもあまり届かない静かで暗い森の中だ。


(そういや、狼って夜目が利くんだっけか。)


だとしたらこの状況は完全に不利だ。カグヤは進むスピードを緩めて、周囲を警戒しつつ、奥へと進んだ。

神経を研ぎ澄ます。


(葉が擦れる音…風が通る音…これは、野うさぎか…)


左右から様々な音が聞こえる。が、狼や人が動いているような音は聞こえない。


(どこに行った…?)


さらに進む。すると突然、全ての音が消えた。耳を澄ましても何も聞こえない。シン、と静まる森はどこか不気味で、カグヤは目を閉じ、剣に手をかけた。


(来る…)


ガサガサガサガサッ



近付いてくる音が聞こえる。どこから来る?右か、左か、それとも──



(…上だ!)


目を開いてバッと上を見る。と同時に剣を振り抜いた。


ザシュッと、何かを切り裂いた手応えを感じる。


「ギャンッ!!」

「っしゃ、当たったか!?」


そして聞こえる獣の悲鳴。これはやったかと、バランスを崩した転がったものの近くに向かう。


「…これ、だよな…?」


苦しげな表情を浮かべ、腹から血を流しているそれは、

明らかに、人の姿をしていた。




***




「…ん、んん…?」

「お、よーやく起きたか。」


王城から程近い町にある、宿屋の一室。青年を背負い、どうにか兵士の目の届かないところまでこれた。もう既に空はうっすら明るくなっている。


「ったく、こっちの気も知らねぇでグースカ寝やがって…」

「ここは…」

「宿屋。」


ボーッとした様子で、青年はカグヤに問う。寝ぼけているのだろうか、瞳の焦点が微妙に合っていない。


「お前、名前は?」

「…シンヤ。」

「ふーん、で、何で渡航権利書が欲しいんだ?」

「渡航、権利書…?」

「いい加減目ぇ覚ませよ。それが欲しくて俺のこと襲ったんじゃねーの?」


ぱちぱちと瞬きしながら受け答えしていたシンヤは、その一言で完全に覚醒したようだ。


「て、めぇっ、は!?」

「あー、無駄無駄。念のため縛らせてもらったから。」

「…殺すなら早く殺せばいいじゃねぇか。」

「そういうんじゃねぇんだよ。」

「…何が目的だ。」


ベッドサイドに手足を縛りつけた格好のまま、シンヤが問う。抵抗は諦めたようだが、瞳は未だに敵意をむき出しにしている。

カグヤはひとつため息をついた。


「俺はカグヤ、今年の勇者だ。お前をここにつれてきた目的…あー、お前の治療のため?」

「治療?って、この傷、お前がやったんだろ。」

「いやまあ、そうなんだけどよ。そういうことじゃなくてだな、」

「…お前本当に何がしたいんだ?」


呆れたように言われる。確かに、あの森でシンヤにとどめを差すことは容易かった。ただ、カグヤはあそこで全てを終わらせたくなかったのである。あんな一瞬だけじゃなくて、緊迫した、肌のひりつくような時間を、もっともっと長く感じていたかったのだ。


「まあ、お前とちゃんとした場所で、めいっぱい命の取り合いをしたいって思っただけだ。邪魔物が多いあの城や、暗い森とかじゃなくてな。」

「…意味がわからねぇ。」

「わかんなくていーぜ。多分俺にしかわかんねーだろうから。」

「そうか…」

「んで?お前は何で渡航権利書が欲しいわけ?俺に渡されたの、あれ以外にも金になるようなものはしこたまあっけど。」

「別に、金が欲しいわけじゃねぇ。俺は、魔物の国に行きたいんだ。」


きっぱりとシンヤは言い切った。カグヤの眉がピクリと動く。


「ほー?そりゃまたなんで。」

「…なんでテメェに言わなくちゃならねぇ。」

「渡航権利書持ってんの俺だぞ?渡すにしろ渡さないにしろ、訳を聞く権利ぐらいあんだろ。」

「…チッ…」

「それにお前、あの変身…ありゃ一体なんだ?銀の狼、あれお前だよな?」


そう問うたものの、カグヤはシンヤの正体に気がつきつつあった。子供の頃、本で読んだ古の存在。人と魔物からの攻撃を受け、滅んだはずの種族。人と魔物の利点双方を有し、魔法を操るその名前は──


「まさか、お前、半魔か。」


シンヤの手がピクリと動く。


「…わかったのか。」

「それ以外に説明がつかねぇからな。しかし驚いた。半魔は絶滅したはずじゃなかったのか。」

「…?絶滅…?数こそ少ねぇが、半魔はまだいるぞ。」

「は?マジかよ。」


カグヤは首をひねった。半魔は絶滅などしていなかった、のか?


「会ったことあんのか、他の半魔に?」

「家族は皆半魔だ。他に半魔がいるって話は親から聞いた。」

「ふうん、親ねぇ。今は一緒じゃねぇのか?」

「死んだ。」

「は?」

「死んだ。二人とも。」


殺されたんだ


淡々と告げるシンヤの瞳の奥が、チリチリと燃えているのが見えた。言い表せないような圧力を感じ、カグヤは思わず息をのむ。


「魔物の国に、何しに行くんだ。」

「……」

「復讐か。」

「違ぇ。復讐、じゃねぇよ。」


深く息を吐いて、シンヤは言った。


「俺の弟が、魔物の国にいる。」




***




「無闇に魔法を使ってしまってはダメよ。副作用が何かわからないうちはね。」


幼い頃、初めて魔法を使ったとき、母からそう諭されたことを、シンヤは今でも覚えている。

魔法を使わなければ、半魔は普通の人間とさほど変わりはない。国境の壁の近くの小さな村に、シンヤ達はひっそりと暮らしていた。父と母と、少し年の離れた弟と一緒にシンヤは幸せな時を過ごしていたのだ。



ある日──

シンヤが学校へ向かうと、クラスメイトが何やら騒いでいる。


「今日山の方見たら、すごい人数の兵隊がこっち来てるのが見えたんだよ!」

「すげぇ!でも、こんなとこになにしに来たのかな?」

「さあ…なぁ、学校終わったら行ってみねぇか!?」

「おう!シンヤも行こうぜ!」


興奮気味に話すクラスメイトにこくこくと頷く。シンヤもまた、クラスメイトが話す大勢の兵隊のことが気になっていた。



「兵隊って、あれのことか?」

「そうそう!けどおっかしーなー。もっと人数いたはずなんだけど…」

「ふーん?うわぁ…でもカッコいいなあ…」

「そういやお前、将来国軍に入りたいんだっけ?」

「そうそう!カッコいいだろ~、憧れちゃうなぁ…」


そう話す二人を眺めつつ、シンヤは眼下の兵隊達の様子を見ていた。

放課後、近くの山に来たシンヤたち三人は、遠くに見える町のほうで何やら集まっている兵隊達を見つけた。遠目のため、二人には兵隊達が何をしているか見えていないようだが、半魔であるシンヤには目の前のようにはっきり見える。 


(…なんか、おかしいな…)


皆、何かを企んでいるような、含みを持った顔をしている。そもそもなぜこんな辺境の村に来たのか、その疑問も解けていない。


(…え、あ…?)


十人ほどの兵隊が向かった先にあったのは、シンヤの家。一番前にいた兵隊が扉を叩くと、中から母が出てくる。戸惑った様子で一言二言話していたと思うと、前にいた兵隊が何かを取り出して母に突きつけた。

何かを確かめる間もなく、母がばたりと倒れた。


パァンと、乾いた音が遅れて聞こえてきた。


(は…) 


世界中の音が消えた。体が硬直して動かない。言葉を発することもできない。


(なにが、あった?)


兵隊の動きは止まらない。母が倒れたのを見届けると、一番前の兵隊は手を挙げた。それを見て、周りに控えていた兵隊達が家に火を放つ。


「あれ?おい、なんか燃えてねぇか!?」

「つーか、あの辺ってシンヤん家の近く…っておい!シンヤ!」


火は一気に燃え広がり、シンヤの家を瞬く間に包み込んだ。その様子は二人にも見えたようで、青い顔をしながら、呆然として動かないシンヤの肩を揺すった。


「おい、しっかりしろって、大丈夫だから!」

「落ち着けよ!きっと近くの兵隊さん達がなんとかしてくれるって!」

「…違う。」


そう、違う。だって、母を撃ち殺したのは、家に火をつけたのは、あの兵隊達なのだから。なぜ、なぜ、そんなことを。こんな辺鄙で、穏やかで、のどかで、平和な場所に。いったいなぜ。


火はシンヤの家から次第に周囲の建物にも引火し始めてきた。


「と、とりあえず、俺たちも下降りようぜ!」

「そうだな、消火とか、手伝えることあるだろ。」

「ほら、シンヤ!しっかりしろって!」

「お前が行かな」


二人はシンヤの両腕をとり、下山するよう促した。そのうち一人の声が、不自然に途切れる。

十座の目に映ったのは、赤い、あかい、


「…え?」

「困るんだよなぁ~手間が増えてさぁ~」

「村ごと潰せって指令だしな。」


両側の二人の胸から、ゆっくりと剣が引き抜かれる。トサ、と軽い音を残して、二人はそれっきり動かなくなった。じわりじわりと赤い血が流れる。


下品な笑い声が聞こえた。次はお前だと、剣を向けられるのがわかった。


シンヤの視界が真っ赤に染まる。



「あぁああぁぁああ!!!!!」



光がその場をつつみ、狼が姿を現した。




***




「全滅だ。全部焼けた。親父もお袋も、大人も子供もみんなだ。ただ、弟は、流行病にかかって郊外の病院に入院していた弟だけは、焼け死ぬことはなかった。」

「焼け死ぬことは?」

「その代わり、拐われた。魔物に。」


淡々と話していた十座の口元が、少し震えた。


「村に火がつけられた時あたりに、病院から弟は消えた、らしい。病室には人の国の鳥のじゃねぇ真っ黒い大きな羽が残っていた。…弟は、きっと、魔物に拐われた。拐われて、魔物の国に行った。」


ぐるりと首を回して、シンヤはカグヤを真っ直ぐに見た。


「俺は魔物の国に行かなきゃいけねぇ。…襲っておいて言うのもナンだが、せめて、俺を連れていってくれないか。」


頼む。この通りだ。


手首がベットサイドに繋がれたままの不自由な状態で、シンヤはカグヤに頭を下げた。


「ひとつ、聞いておく。勇者が魔物の国から帰ってきたことは一回もねぇし、そもそも国境すら越えられねぇらしい。命の保証はないに等しいが、お前はいいんだな?」

「構わない。」

「そうか。」


シンヤの意志は固いようだ。弟に会えるなら危険も厭わないってか。上等じゃねぇか。


「…いいぜ。俺も人手が欲しかったところだ。お前は戦力になりそうだし、ついてくるなりなんなり、好きにすりゃいい。ただし、約束しろ。弟に会えた暁には、俺と殺り合え。今のお前は俺を殺せねぇだろ。」


(殺り合うんだったら、正々堂々と。それだけは絶対譲れねぇ。)


「わかった。…恩にきる。」

コクリとシンヤが頷くのを見届けて、カグヤはシンヤを縛っていた縄を切った。ゆっくりと起き上がるシンヤに向かって手を差し出す。


「まぁ、なんだ。停戦協定、ってやつだな。」

「ああ…よろしく。」


軽く手が握られる。いつの間にか日は昇っていて、窓から朝日が差し込んでいた。




***




賑やかだ。

そこら中から聞こえる人の声の多いこと多いこと。人酔いしそうになって口を押さえたカグヤがちらっと横を見ると、平気そうな顔をしてすたすた歩くシンヤの姿が目に飛び込んできた。


「…お前、やけに人混み慣れしてねぇか?」

「テメェが貧弱なだけだろ。」


しれっと返され、カグヤの額に青筋が浮いた。思わずつかみかかりそうになった手を必死で抑える。


あの始めの宿屋を出てから早四日、王都を抜けて二人は商人の街に来ていた。カグヤはともかくシンヤの装備があまりにこれから死地に赴くには相応しくない格好だったので、剣やら籠手やらを買おうと、暫く立ち寄ることにしたのだ。しかし、問題点がふたつ。


(こいつ、壊滅的にあわねぇ…)


王都を出るまでは、兵士に見つからないよう大人しくしていたが、商人の街に入ったことで緊張の糸が切れたのか、次第に本来のテンポを取り戻してきている。負けず嫌いで、生意気で。正直、事情が事情でなければ関わりたくないタイプだろうと思う。お互いに。

そしてもうひとつ。


「お前、食いすぎじゃねぇ?」

「腹減るもんはしょうがねぇだろ。」


そう言って、シンヤは手に持っていた餡まんにかぶりついた。見ていてこちらの腹が膨れるような食べっぷりだ。他人が見たらほほえましく思うだろうが、これが本日五個目の餡まんだということを知っているカグヤにとっては、脅威以外の何物でもない。皮袋に入っている金はそこまで多くない。しっかり財布の紐を締めてないと食い潰されそうだ。

今のところ、シンヤがあの狼だとバレた様子はなく、街の人々もいい食べっぷりのシンヤにガンガン声をかけている。その度に足を止めるシンヤをどうにか引きずりつつ、二人は武器屋に向かった。




***




「短剣、片手剣、ニ丁拳銃にライフル…なんでもござれだな。」

「広ぇ…」


街で一番の武器屋と紹介された店に二人は入った。人も多いし武器も多い。軍隊御用達の武器屋のようで、広い店内にところ狭しと様々な武器が並べられている。


「んで?お前なに使うの。」

「できれば剣がいい。」

「あーまー確かに、お前銃とか弓とか使えそうにねぇもんな。」

「ああ?んだと?」


ぎゃんぎゃん言い合いながら、店の奥に進む。軍御用達といえど、護身用などに武器を購入する人も多いようだ。ちらりと視界の端に赤毛の、まだ少年らしい子供の姿が入った。


(人の国は治安は悪くねぇって聞いたけど、子供が武器買いに来るってどうなんだよ…)


頭のなかでそんなことを考えていると、グイッと強く袖を引かれ、カグヤは前につんのめった。


「おい!なにすんだ。」

「あれがいい。」

「は?あれ?」


十座が指差した方向にあったのは、ショーケースに入れられている一本の短剣だった。明らかに高そう、というか高い。財布の中身で買えないこともないが、このあとのことを考えると、節制せねばならないだろう。


「無理だ。高ぇ。却下。」

「…じゃあ盗むか。」

「どうしてそうなんだよ!!」

「金がなかったら盗んできた。」

「そんなん犯罪だろが!」

「観念しやがれ!コソ泥が!」

「いやまだやってねぇって…って、え?」


突如響いた怒鳴り声に、カグヤは思わずそちらをむいた。入り口近くに飾られている拳銃の棚。その前にいるのは怒鳴り声の声の主であろう店員と、


(さっきの…赤毛のガキじゃねぇか。)


入店時にちらりと見えた、赤い髪の男子だった。年は13くらいで、サイズの合っていない大きめのトレーナーにズボンを履いている。

男子は店員をキッと睨み付けながら反論した。


「泥棒なんかしてない!見てただけじゃないか!!」

「あぁ!?誤魔化してんじゃねぇぞガキ!!」

「わっ、…ぐっ」


店員は男子の首を片手で掴み、軽々と持ち上げた。苦しそうに顔を歪ませる子供を、店員が怖いのか周囲の人々は遠巻きに見ている。

面倒事だ、と思ったが、反射的に体が動く。気がつくとカグヤは、店員の男に膝カックンを仕掛けていた。


「うお!?」

「あ、やっべ。」


予想外の攻撃(?)に男は男子の首をつかんでいた手を離し、その場に膝をついた。自由になった男子が床に落ち、ぐぇっとカエルがつぶれたような音をあげる。


「テメェ何しやがる!!」

「あー、これ、いくら?」

「はぁ!?」


こういう手合いは事態が落ち着いて警察沙汰になる前にトンズラするに限る。男が答えなかったので、近くに落ちていた値札ピッタリの金をそこに置いた。


「この銃、俺が買い取るから。じゃ、」


床に座り込んで呆然とこちらを見る男を一瞥し、万里は赤毛の子供の手を引っ張って店を後にした。店の奥から駆け寄ってきたシンヤもその後に続く。

我に返った店員が、シンヤの肩を掴んだ。


「待てやコラァ!!テメェあいつらの仲間だろ!!どうオトシマエつけて…」

「あぁ?」

「ヒッ…!」


獅子より鋭い眼光で見すくめられ、今度は恐怖で店員が膝をつく。その様子を見て、邪魔したな、と聞こえるか聞こえないかぐらいの声で呟いて、シンヤは店を出た。



***



「っと、ここまで来れば大丈夫か。」


店から走って数分。人通りの少ない路地裏に、カグヤと男子はすべりこんだ。


「あ、あの!ありがとう!!」

「あ?あぁ、気にすんな。」


ちらりと男子の首を見る。先程絞められた跡が赤くなっているのを見て、カグヤは舌打ちをした。 


(なんだってこんなガキに…)


黙ってしまったカグヤを不思議そうに見つつ、男子は話し始めた。


「俺、トラ!いや~、ほんと助かった。まさかあそこで死にそうになるとは…」

「俺はカグヤ。で?なんでトラは武器屋にいたんだ?」

「そりゃ、武器が必要だったから…」

「武器が必要って…お前ガキじゃねぇか。」

「ガキじゃない!」


むう、と不満げにトラは口を尖らす。そうは言ってもトラの身長はカグヤの胸ほどにも満たない。だぼついた衣服は痩身をより強調している。カグヤが買った(?)銃は小型だが、重さもそれなりにあるし、撃ったときの反発にトラが耐えられるとは思えない。というかそもそもなんでこんな子供が武器を持つ必要があるのか。

カグヤが難しい顔をして考えている間に、シンヤが二人に追い付いた。


「…お前も泥棒紛いのことしてんじゃねぇか。」

「うっせ!金は払ったっての。」

「カグヤ…さんの連れ?…って、あああああ!!!」


狭い路地裏に、トラの叫び声が響いた。


「バッカトラおま、声がでけぇよ!」

「ああ、あの、あのあのあの!もしかして、シンヤサン、ッスか!?」

「え?あ、あぁ、そうだが…」

「なにお前ら、知り合い?」

「いや、俺は…」

「知り合いっていうか、俺が一方的に知ってるだけだけど!一匹狼のシンヤっていや、貧民街出身の奴で知らないやつはいねぇよ!まさかこんなとこで会えるとは…!」


目をキラキラと輝かせてトラがシンヤに詰め寄る。迫力に押され、シンヤはジリジリと後ずさった。しかし悲しいかな、狭い路地裏に逃げ場所はなく、あえなく壁に追い詰められる。


「お、おい…」

「ここで会ったのも、神様のお導き…シンヤサン、」


と、トラは言葉を切り、ざっと音をたててその場に膝をついた。


「どうか…どうか俺に、力を貸してください!!!」


言うなり、目を丸くしているシンヤ(とカグヤ)の前で頭を地面に擦り付ける。二人が今までに見たことのない、綺麗な土下座だった。




***




商人の街に点在する、いわゆるゴーストタウンと呼ばれる場所は、浮浪者や失業者、孤児たちの溜まり場になっている。皆それぞれ、徒党を組むか強いものの下っぱになるなどして、どうにか工夫して生きてきた。縄張り意識は強く、下手に寝床を広げたり、許可なく物を盗んだりすれば、たちまちタコ殴りにされ、二度とその地区で暮らしてゆけない。そんな厳しい環境の中、トラは幼馴染みのミユと共に必死で日々を生き抜いてきた。


二ヶ月前───

トラたちの住んでいた地区に、新顔が入った。

格好は明らかに浮浪者のそれだったが、やけに気前がよく、地区の権力者たちを次々と懐柔しているようだった。


「ねぇ、ミユ。あいつ、どう思う?」

「怪しいよね、どう見ても。」


廃屋の影から、二人は通りの酒屋を見る。新顔の隣にいるのはつい数日前、トラの顔見知りの靴磨きの少年を、磨きが甘いと言って撃ち殺した男だ。


「……、…………。」

「………!……。」

「ん~、なんか話してる?」

「うん、この距離じゃ聞こえないけど。」


影から顔を引っ込め、トラとミユはその場を後にした。暗い、舗装されていない道路を歩きながら、先程の新入りについてあれこれ意見をかわす。


「金持ちが没落して~とか?」

「だったらこんなとここないでしょ。ここよりも住みやすいとこはいっぱいあるんだからさ。」

「じゃあここに何か用があったとか?」

「…うん、そうなの、かな…」

「…ミユ?どうかしたの?」

「いや、あいつの首元にあったタトゥー、どっかで見たような気がすんだよね…」

「タトゥー?」


トラは首を傾げた。ここいらにいるそこそこ金を持っている大人たちは、皆思い思いのタトゥーやらピアスやらをしていて、新入りがそれらをつけていても何らおかしくはない。洞察力の優れているミユが、その事に違和感を感じているのは、少々腑に落ちないことだった。


「どんなタトゥーだったの?」

「なんかの家紋、みたいな?」


懐から紙を取りだし、すらすらと書き付ける。ものの数分で表れたそれは、トラでも見たことのない形をしていた。


「へぇ~珍しいタトゥーもあるんだね。」

「うん…」

「そんなに気になる?」

「…うん、いや、まぁいいや。」


ミユは未だに釈然としない様子だったが、うだうだ考えるのは性に合わない。書き付けた紙をトラに渡すと、今日の晩御飯は?とトラに聞いてきた。


「今日は久しぶりにいいやつが手に入ったよ!」

「前回のやつよりマシ?」

「全然マシ!期待してていいよ!」

「へぇ。やるじゃん。」


そう言ってミユは笑った。トラも嬉しくなってつられて笑った。

寝床に着いた二人は、共に晩御飯を食べ、明日の計画を立ててから眠りについた。


その夜が、ミユと過ごした最後の夜になった。



「……?」


辺りが騒がしくなって、眠い目を擦りながらミユは起き上がった。まだ暗い。日の出前だ。


「ミユ…?」


すぐそばで寝ていたはずのミユがいない。トラより先に起きて、その辺を散歩しているのはよくあることだが、何故か、とても、嫌な予感がした。

簡素な作りの小屋から外に出る。


「あ…」


ミユがいた。

体格のいい男に抱えられている。手足は力なく垂れ下がっており、顔は見えないものの、意識がないことは容易に分かった。


「ミ」


ミユの名前を言い切る前に、後頭部に強い衝撃を受けた。ぐわんぐわんと揺れる頭で立つことなど到底できず。重力に従ってトラはその場に倒れこんだ。


薄れゆく意識の中、立ち去る男の首元に、昨日ミユが書いてくれたタトゥーがあるのがぼんやりと見えた。



***



「これがそのタトゥーッス。二人は見たことあるッスか?」


トラは懐から紙を取り出し、二人に差し出した。複雑な模様をしている。


「俺はねぇな。」


首を傾げつつ、シンヤが言った。元来、物を覚えるのが得意ではない。たとえ見ていたとしてもすぐに忘れてしまうだろう。


「この、紋様…どこかで…」

「カグヤサンには心当たりあるの!?」


一方、カグヤは紋様に見覚えがあったようで、まじまじとその紙を見つめていた。どこか、それも一回や二回ではなく、これの縮小版のようなものを何回も見た覚えがあったような。


「…いや、悪ぃ。見たことはあると思うんだが、何なのかは思い出せねぇ。」

「そう…」


返された紙を大事そうにしまい、トラは再び二人に向き直った。


「この二ヶ月、俺なりに色々調べてたんだけど、どうしてもタトゥーのことはわかんなくて。でも、最近いろんな地区から子供を拐う奴等がいるってことがわかったんだ。そいつらのアジトの場所に、とりあえず忍び込んでみようと思ったんだけど、やっぱ一人じゃ無謀かな~と…」

「そりゃ無謀だわ。何考えてんだよ…」

「なんで、是非!シンヤサンにご協力いただきたく!」


あとカグヤサンにも!そう言ってトラはもう一度地面に頭を付けようとした。シンヤが慌てて止める。


「わ、わかった、わかったから。協力する、」

「ほんと!?わーいやった!!」


シンヤが思わず諾と答えると、トラは飛び上がって喜んだ。もうこれは断れない流れだ。状況がよく飲み込めていないようなシンヤを横目で見て、カグヤは大きくため息をついた。



***



「ほんとにここであってんのか?」

「間違いない。確かな情報だよ!」

「ならいいけどよ…」


深夜。カグヤ、シンヤ、トラの三人は、町外れにある二階建ての空倉庫に来ていた。向かいの空き家に身を潜めつつ様子をうかがう。門に見張りが二人。倉庫の扉は閉まっており、鍵がかかっているかは定かではない。


「ここからどうすんだ?」

「なるべく事を大きくしたくないんで…見張りサンにはちょっと眠っててほしいかな。」

「どうやって?」

「これを使いマス。」


ズボンのポケットをごそごそして取り出したのは、一つの赤いボールだった。


「なんだこれ。」

「睡眠爆弾だよ!投げると破裂して中の睡眠ガスが出てくる仕組み。」

「…なんでそんなもん持ってんだ?」

「盗ってきた。あの店から。」

「あの店…はぁ!?あの武器屋か!?」

「へへん、あんなことされて黙って出ていくわけないじゃん!ああ、もっとあるよ。」


だぼついたズボンのポケットを探ると、赤いボールの他にも、白いボールに青いボール、銃弾、小型ナイフ、催涙スプレーなど、ザクザクと武器らしきものが出てくる。


「これ、全部あの店から盗ってきたのか?」

「手先の器用さには定評あるんで!もともと俺達、スリで食ってきたからね。ミユが金持ってる奴見つけて、俺が実行。いいコンビなんだよ!」

「そうか。」


シンヤは少し笑って、トラの頭を撫でた。へへ、と照れ臭そうに笑うトラを横目で見つつ、カグヤはこっそりとため息をついた。


「…おい、そろそろ、」

「うん。…じゃあ、行くよ。」


トラは立ち上がって、赤いボールを門に向かって投げる。投げられたボールは地面についた瞬間、白い煙を吹き出した。しばらくのち、ドサ、という音が二つ聞こえる。


「…よさそう。息吸わないように行こ。」


三人は倉庫に向かって静かに駆けた。煙の中に倒れている二人は完全に眠っているようで、ピクリとも動かない。


「…!」


倉庫の扉にたどり着く。どうやら鍵は開いているようだ。耳をつけて中から人の気配がないことを確認し、静かに扉を開け、三人は中に滑り込んだ。




三人が倉庫の中に入ってしばらくのち─

眠り込んでいる見張り二人の横に、一人の男がやってくる。男はしゃがみこむと、見張りの首もとを捲った。

タトゥーがある。


「…ぬるいな。」


立ち上がり、背負っていた大剣を片手で持つ。刃を見張りに向けると、胸に向かってその剣を突き刺した。

じわりと、どす黒いものが広がる。


「さてと、行くか…」


もう一人も同じように刺し殺す。息絶えた二人を振り返ることもせず、男はゆっくりと倉庫に向かった。



***



倉庫内は暗い。月明かりでどうにか中の様子をうかがうことができた。だだっ広い倉庫内は所々に木箱や縄が散らばっている以外には特に物はなく、シンと静まり返っていた。

三人は一塊になって、倉庫内をゆっくり進んだ。


「ここじゃねぇ、のか…?」

「いや、ここのはず。見張りもいたし、多分…」

「多分ってなぁ。…おい、どうした。」


やけに静かなシンヤをちらりと見ると、口を押さえて気持ち悪そうにしている。


「シンヤサン?気分悪い?」

「ここ…嫌な臭いがする。」

「嫌な臭い?」


トラとカグヤがスンと鼻を鳴らす。


「特に変な臭いはしねぇけど。」

「…下だ。この下からする。」

「下?…あ、これ。」


シンヤの言葉を聞いて、トラが床をよく見ると、端の目立たないところに取っ手らしきものが埋め込まれているのがわかった。


「地下室…?」

「とりあえず開けてみるぞ。」


取っ手を両手で掴み、カグヤは思いっきり引いた。ズズ、と音を立てながら少しずつ扉は開き、中から人がやっと一人通れるぐらいの階段が目の前に現れる。ヒヤリとした空気が一瞬遅れて流れてきた。


「階段…やっぱ地下室っぽいね。」

「…奥から人の気配がする。」

「下に人さらいのやつらがいるってのか?」

「そう、なのかもしれねぇ。結構沢山ある。」


眉を潜めながらシンヤは呟いた。さっき言っていた嫌な臭いというのもこの下からするのだろう。


「…お前、ここいるか?」


思わず口をついて出た言葉に、シンヤとトラはもちろん、カグヤも驚いた。何故か、なぜかはわからないが、この先の景色をシンヤに見せてはいけない。そんな気がしたのだ。


「…俺はそんなにやわじゃねぇよ。俺も行く。」

「そう、か。」


柄にもないことを言ってしまった。カグヤは照れ隠しに頭をがしがしと掻くと、「それじゃまぁ、行くか。」と先頭に立って階段を降り始めた。



***




ピチョン、ピチョンと音がする。どこからか水が漏れているのだろうか。階段は長く、かなり急で、さらに暗い。壁には溝が掘ってあり、そこにある明かりが無ければ目の前も見えないような真の闇である。


「ほんとに人いるのかこれ。」

「…暗い。じめじめしてて…ここに、ほんとうに…」

「トラ…?」


暗さのせいで、振り向いても表情は見えない。しかし、シンヤは階段を降り始めた時から一言も発していないし、トラは途切れることなくぶつぶつと呟いている。


(確かに、馴染みがこんなとこにいるかもしれないってなりゃあな…)


カグヤは手すりもない階段を慎重に降りつつ、倉庫に入る前のトラの話を思い出した。


(スリで生きてきた、ねぇ。)


当たり前だが、スリは犯罪だ。王都でスリなんかやれば、刑務所から二三年は出てこれない。軽犯罪とはいえ、しっかり取り締まりはされている。それを当たり前のように軽々しく言うとは。シンヤも動揺せず聞いていたところを見ると、シンヤにとっても不思議ではないのだろう。あの時は話を遮り、中に入ることを促したが、あれ以上話を聞いていたら頭が痛くなっていたに違いない。

トラとシンヤを軽蔑しているわけではない。王都にいたころは、僅かな貧富の差はあれど、皆自分と同じような生活をしていると、そう思っていたし、実際そうだった。子供が犯罪を犯しながらでないと生活出来ない環境があるなんて、思いもしなかったのだ。


(実際見てみないとわかんねぇもんだな。)


考えてみれば、今まで勉強してきたことと言えば、この国の歴史であったり国のしきたりであったり計算だったり、『外』に関する事を学んだことはなかった。


(…この件が終わったら、あそこに行ってみっか。)


そんなことを考えながら進んでいると、少し先に黒い扉があるのが見えた。


「おい、着いたみたいだぞ。」


後ろに声をかける。トラが扉に耳をつけた。


「…人の息がするッス。それも沢山。十人はいると思うッス。」

「開けても平気か?」


コクリ、とトラが頷いたのを見て、カグヤは静かに扉を開けた。



***



ギイィ、とひきつった音を立てながら、重い扉はゆっくりと開いた。


「うっ…?この、臭いは…」


開いた扉から異臭がする。マントで口と鼻を押さえながら、カグヤは中を覗いた。




子供がいた。



沢山いた。



半分は、息をしていないようだった。



「これ、は…」

「扉が、開いた…?」


ゆらりと、一人の子供が立った。くすんだ色の髪をした、痩せた子供だった。年は太一と同じぐらい。手には手枷がついている。

ジャラ、と鎖が揺れた。


「みんな、立てよ。立って、ここから逃げるんだ。」

「あ…そと…?」

「そと、に出れるの?」


口々にそと、そと、と呟きながら、10人ほどの子供達が立ち上がる。


「…今ならまだ見張りも寝てるはずだ。」


呆然としているカグヤに変わり、トラが子供達に言った。カグヤもトラから袖を引っ張られ、慌てて扉のそばからどく。


「早く、ここから出て。」


その言葉が引き金となったように、子供達は駆け出した。我先にと扉に殺到する。バタバタと階段をかけ上がる音を聞いて、トラは息を吐いた。


「あの、あんたら…」


三人に一人の子供が近づいてくる。先程はじめに言葉を発した、痩せた男の子だ。


「扉、開けてくれてありがとう。おかげでここから出られる。」

「ここは、どういう、」


未だショックが抜けきれないカグヤが、恐る恐る訊ねた。

男の子が何かを言う前に、トラが答える。


「言ったでしょ、カグヤサン。ここが、人さらいのアジトだよ。」


部屋に残ったのは、カグヤ達三人と、痩せた子供と、十人ほどの子供の死体。

ここが、これが、そうなのか。

ピチョンと音がする。カグヤの目の前にある死体の目から、血が流れ落ちた音だ。全身には暴行の痕。額に銃痕が一つ。連れてこられた後、殺されてここに放置されていたのだろう。異臭の正体は腐臭だったのだ。

トラの方を見た。薄暗い中で目が光っている。動揺はしていないようだった。

まさか、こんなのも、日常だと?


「あんたらは、なんでここに?」


黙ってしまったカグヤを不思議そうに見ながら、子供はトラに訊ねた。


「俺は、友達がさらわれて、ここにいるんじゃないかって思ったんだ。君、緑の髪の子、見なかった?俺と同じぐらいの、女の子。」


子供が、驚いた顔をした。


「…早く行った方がいい。あんたらが来るちょっと前に、大人に連れていかれた。多分二階だ。この先にある。」


そう言って、子供はカグヤ達が入ってきた扉の反対側の壁を指差した。暗くてよく分からないが、そこにも扉があるようだ。


「そこから行ける。」

「わかった!ありがとう!」


トラはなるべく死体を踏まないようにしながら、奥の扉に向かった。未だ気分の悪そうなシンヤがあとに続く。

さらにその後を追いかけるカグヤは、ふと後ろを振り向いた。

子供はまだ、部屋にいる。逃げ出そうとしなかった。


「…お前、逃げないの。」


その質問には答えずに、子供は口元に笑みを浮かべた。

目元は潤んで、泣きそうだった。


「あいつ、助けてやれよ。まだきっと、間に合うから。」


そう言って、子供は消えた。

子供の死体の中に、くすんだ髪の、痩せた子供があるのを見て、カグヤは唇を噛んだ。


「…ありがとな。」


やっと、それだけ言うと、カグヤは二人の後を追った。



***



村が焼かれたあの日、狼になったシンヤが再び人に戻ったのは、丸一日たった後だった。目の前にあったのは二人の級友の死体と、兵士だったであろう、肉塊。誰が兵士を殺したかなんて、辛うじてわかる噛み砕かれた痕と、自身の顔をぬぐえばすぐにわかった。

級友を丁寧に葬り、シンヤは村へ急いだ。近づくほど強くなる焦げ臭い臭いには、気づかないふりをした。



村には、既に生きている人間はいなかった。未だ火が燻る家々の間を縫うように進む。真っ先に向かった自宅のあった場所は、跡形もなく燃え尽きており、家にいたであろう父と母も形すら分からなかった。いつも行っていた駄菓子屋も、公園も、学校も、分からなかった。

悪い夢でもみているようだった。



「…トウマは、」


村の惨状を見て、やけに冴えた頭で思い出したのは、年の離れた弟のことだった。重い病で、一週間前から隣村の病院に入院している。

無事、だろうか。いや、きっと大丈夫だ。早く、トウマにもこの事を知らせなければ。

シンヤは隣村へ急いだ。何度も見舞いに行っているから、道は分かる。ひたすらに駆けた。シンヤにはもう、家族は弟だけしかいなかったから。


隣村の病院に駆け込んだシンヤは、担当医から、弟が、村が襲撃された日に、魔物に拐われたということを知らされた。

頭を殴られたような衝撃だった。

自分が、怒りで我を忘れていた間に、と思うと、どうにもやりきれない気持ちになった。もし、すぐに弟の所に向かっていれば、弟とも離れ離れになることはなかったのに。一人きりになることはなかったのに。

シンヤは自分を責めた。責めて、責めて、そうして決意した。

自分が第一にやるべきことは、弟と再会すること。そのために、魔物の国へ行くこと。

手掛かりは、弟の病室に落ちていた、大きな黒い羽。これをもとに、弟を探すこと。

だから、怒りで我を忘れるなんてこと、してはいけない。感情的に狼になれば、自身で制御することは難しい。

だからシンヤは今まで、必要な時にしか狼にはならなかった。弟に会う。その目的の為だけに魔法を使おうと、そう決めたのだ。



倉庫に入る前から、嫌な予感はしていた。

人さらいのアジト。シンヤも一人になった後はゴーストタウンで生きてきたから分かる。そこはろくでもない場所だ。商品であるはずの人々は、ろくに食事も与えられず、太陽の届かない屋内で売られる日を粛々と待つ。三日いれば心が壊れ、一週間ともなれば生きているのが不思議なぐらい。トラも、それは分かっているはずだ。二週間前に拐われたミユが生きている確率は、かなり低いはずだ。


(それでも、認めたくないんだろう。)


普通、ゴーストタウンにおいて、友情とか親愛とかそういう感情は存在しない。あるのは利害関係だけ。だから簡単に裏切ったり裏切られたりする。そう言うのが煩わしくて、シンヤは今まで仲間を作ってきたことはなかった。

では、トラとミユは?協力して生きてきた二人は、どのような関係なのだろうか。仲間、家族、友達…大切な存在だったのは間違いない。

吐き気を押さえながらシンヤはトラをちらりと見る。ぶつぶつと、何かを呟いているのが分かった。心中穏やかでないだろう。見ず知らずのシンヤ達に助けを求めるほど、切羽詰まっていたのだから。

鼻の奥に残る死臭に辟易しながら、トラと共に、教えてもらった扉の先にあった階段を駆け上がる。



上がった先にあったのは、一枚の扉だった。扉に耳をつけてみても、物音はしない。ただ、息づかいはする。五人はいるようだ。


「おい、ト一──」

「ミ、ユ、」


鍵穴から中の様子を覗いていたトラが、彼の友の名を呟く。中にいるのか、まさか─


いや、違う。これは罠だ。


「ミユがいる。行かなきゃ、」

「トラ、待て!開けるな!!」


シンヤの必死の警告は、トラには届かなかったようで、

バタン!と大きな音をたてて、扉は開かれた。


部屋の中央に、緑色の髪の子供が倒れている。


「ミユ!!」


叫びながら、トラは部屋の中央へ駆け出す。そのトラの前に、一人の男が立ち塞がった。


「え……」


勢いそのままに、ドスッとトラは男にぶつかった。

その背中から、銀色に光る刃が飛び出ている。


ずるりと、トラは床に倒れ伏した。

一拍遅れて、ドロリとした赤い液体が床を汚す。


「あ…」


前方に三人、背後に二人、剣を持った男が立っている。


「全く…侵入者だから始末しろと言われて来てみれば、ただのガキ二人じゃねぇか。」

「早く始末しようぜ。チェックが遅れちまう。」

「んじゃあ、まぁ、次はこいつか?」


トラを刺した男が、血に濡れたその剣をシンヤに向ける。周囲の兵士たちは、剣を抜かず、にやにやとこちらを見ている。




鼻に残る死臭




流れる血




向けられた剣



「あ、あぁ、」



まずい、と思ったときにはもう、


自分の体は眩しい光を発し始めていた。



「あぁああぁぁああ!!」



視界が真っ赤に染まり、シンヤの意識は闇に落ちた。




***



なんだ、


これは。




トラとシンヤから少し遅れて来たカグヤは、上りきる直前に眩しい光を見た。

何かあったのか、と慌てて階段を駆け上がった先に、それはあった。


狼だ。銀色の毛をした、美しい狼。王都で見た、シンヤが変身した姿。

ただ、大きさが違った。


「でけぇ…」


そう呟いてしまうほど、それは大きかった。王都で見たときの軽く二倍はあるか。尻尾をゆっくりと揺らしながらあたりを窺っているその様子は、兵士の気力を削ぐに十分だったようだ。情けない声と共に、カランカランと剣が落ちる音がした。


「おい、お前、」

「──、─────!!!」


カグヤが思わず声をかけると、突如それは吠えた。狼の遠吠えとはまた違う、怪物のような叫び声だ。パリンとガラスの砕ける音がした。振動で窓が割れたようだ。


「あ、ぎゃぁぁぁぁぁ!!!」

「ひぃ、来るな!こっちに、あ、がっ、」


兵士たちの悲鳴が響き始めたところで、カグヤはようやく状況を飲み込んだ。部屋の中央に倒れている緑色の子供。この子供がトラの探し人で間違いないだろう。駆け寄って呼吸を確認する。所々汚れているが、外傷はなく、息もしている。


(問題はこっちだな…)


ミユの手前で倒れているのは、トラだった。腹を貫かれていて、出血も多い。恐らくここまで誘導されたところを兵士に刺されたのだろう。早く医者に看せなければ手遅れになる。


部屋の隅、窓際に二人を寝かせた万里は、兵士と戦うそれに目を向けた。戦う、と言うよりも、一方的な虐殺と言った方が正しい。五人だった兵士は既に一人になっていて、他の四人は首や腹や足から血を吹き出して倒れている。


「は、なんだ、こりゃ。本物のバケモンじゃねぇか。」


最後の一人の喉笛に噛みついたそれは、ぐりんと首を回してカグヤを見た。瞳は暗く、濁っている。


「…!!」


突然、それはカグヤに向かって突進してきた。辛うじてかわし、体勢を立て直す。


「見境なしかよ、てめぇ…!」


それは再びこちらに向かってきた。敵味方の判別がつかなくなったそれは、どうやら動くもののみに反応するらしい。トラやミユに襲いかかる様子がないのは、不幸中の幸いといったところか。

しかし、現状を打破しなければいけないのは事実である。トラを早いとこ外に連れていかないといけないが、それの攻撃をかわしながら二人を抱えて脱出を試みるのは少々無理がある。


「ったく、世話のかかるやつだなぁ、おい!」


ダン!!と床を踏み壊す勢いでそれは跳躍した。万里は剣で受け流す。バキン!と音をたてて剣は完全に砕けた。


(強化されてやがる…!)


舌打ちをし、落ちていた兵士の剣を拾う。それから目を離さずに、じりじりと扉の方へ後退る。覚悟を決めるしかない。一度深呼吸すると、カグヤはそれに向かって言い放った。


「お前、俺に言ったよなぁ!」

「……」

「弟を探すために魔物の国へ行きたいって!連れてってくれって!」

「……」

「だったら、こんなところで暴れまわってる暇なんかねぇだろうが!」

「……」


賭けだった。

たとえ襲いかかってきたとしても、この扉の大きさではそれは通れない。はまって身動きがとれなくなったところで、目を覚まさないのであれば、そのまま殺すつもりだった。


でも、やっぱり惜しい。


こいつを殺したくない。失いたくない。





「今、こんなとこで俺に殺されるんじゃねぇ!!さっさと目を覚ましやがれ!!」





カグヤの渾身の叫びは、果たして、届いたようだった。


「…っ、まぶしっ…!」


目が眩むような光が、部屋に満ちる。

思わず目を覆い、再び開くと、それはもう、消えていた。



***



声が聞こえた。



必死そうな声だった。



暗闇の中、シンヤはぼんやりと目をあける。歪んだ視界の先に、光が見えた。

そこから、また、声が聞こえた。


「お前、俺に言ったよなぁ!」


言った?俺が、お前に?


「弟を探すために魔物の国へ行きたいって!連れてってくれって!」


ああ、そうだ、俺は、トウマを探しに、魔物の国へ行かなければいけないんだ。


「だったら、こんなところで暴れまわってる暇なんかねぇだろうが!」


思い出す、後悔と決意。ドクリ、と心臓が一際大きく音をたてる。俺は、何をしてるんだ。これじゃあまた、遠ざかるだけだ。



「今、こんなとこで俺に殺されるんじゃねぇ!!さっさと目を覚ましやがれ!!」



自分を包んでいた何かに、ヒビが入る。

ビシビシと音をたてて砕けるそれの間から見えたのは─


紛れもない、光だった。



***



どさり、と床に倒れこんだそれは、ちゃんと人の形をしていて、カグヤは大きなため息をついた。


「ったく、手間かけさせやがって…」

「ゲホッ、ッが、ぐ…」

「おい、大丈夫かよ。」


膝をついた状態で、シンヤが咳き込む。慌てて近づき、背中をさすると、シンヤが細く目を開けて、カグヤを見上げた。


「……い。」

「あぁ?何だって?」

「…わる、い。たすかった。」

「あー、…あぁ、おう。」


それきり、シンヤは気を失った。すやすやと安らかな寝息が聞こえて、ほっと胸を撫で下ろした。


(なんか、むず痒いな…)


妙に気恥ずかしくなって、カグヤは目をそらした。背中をポン、と一回叩き、立ち上がる。


「とにかく、トラとミユ連れてここから出るか。早く医者に行かねぇと。」


そう思って、部屋の端の二人を見た。


「は…?」



二人の側に、鳥がいた。



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