4.マフィア
昴の話はこうだった。明日、日が変わる頃に横浜の埠頭で海外マフィアの動きがあるらしい。その様子を見に行くのだとか。偵察か、場合によっては戦闘になるのだろうか。人の生き死にが関わることだ用心はしておこう。
昼食を終えると腹ごなしに外に出る。道路を行き交う多くの車に人々。大分慣れた方だが、それでも都会のこの喧騒はどうにかならないかと思う。数十分歩いた所に河川敷がある。そこに寄り、草原に寝転び、休んだら帰るというのが最近の散歩の道のりだ。今日もいつも通り、その草原に転ぶ。ここは時折電車が近くを通るが、それを除いては比較的静かでゆったりとできる。目の前を犬の散歩や走り鍛えている者が何度か通り過ぎる中、俺は日を浴び、気分を晴らす。暑さはあるものの太陽の光というのは気持ちが良い。
額に汗が出始めた所で起き上がる。さて帰るか。
「あっ。」
後ろから声がし、振り向くと若い女が立っていた。短い茶髪に小柄な容姿、何処かで見た様な気もするが、思い出せない。こちらから声をかけようとすると女は足早に去って行く。
「待ってくれ。」
声が届いたのか女は体をビクッとさせ立ち止まった。近寄ると女の体が小刻みに震えている。俺はこの時代に来て誰かに何か怖がらせる様なことをした覚えは無いのだが。
「あの、何か。」
小声で絞り出す様に話す女。思い出した、あの不動産屋の女だ。どうしてそんなに怖がるのか聞いてみるが、動揺したままどうにもならない。これは駄目だな。呼び止めて悪かったと帰ることにする。考えるにヤクザと関わりが有るのが駄目なのだろう。昴に紹介して貰った訳だが、何か揺すっていたのかもしれないな。
「ま、待って下さい。このことはオーナーには内緒にして頂けませんか?」
オーナーとは誰のことだろう?女に聞くと、
「誰と言われましても秋川様のことですが?ご存知無かったのですか?」
昴がオーナー?ヤクザの仕事で揺すっていた訳では無いのか。それにしても不動産屋を経営していたとは。しかし、オーナーとはそれ程に恐れられるものなのだろうか?話せる様になったので詳しく聞くと、昴はヤクザであり、不動産屋のオーナーであることは社員全員が知っており、その知り合いだと名乗る俺は同じヤクザの者か、別の大物なのではないかと思ったらしい。まあ、そんな奴にはできるだけ関わりたく無いのは分かる。
「俺はそんな大層な者じゃない。こっちに来て何も分からない所を昴に助けて貰っただけだ。」
「そうなんですか?・・・すみません、あまり良い態度では無かったですよね。」
女は頭を下げる。
「いや、そう身構えるのも分かる。俺も昴がヤクザだと知ったのも最近だからな。」
「私も最初就職する時は良い会社だなと思ったんですけど、入ってみたらヤクザのフロント企業だったと知ってびくびくしてたんです。でも今の所は皆良い人でそんなに辛いとかは無いんですけどね。」
緊張が和らいだのか少し笑顔も見える。良かった、しかし俺もヤクザになったということは今伝えない方が良いかも知れないな。
それから河川敷の草原に腰を下ろし、少し女と話す。女は香川京子と言い、この春に大学を卒業し、地方から出てきたばかりらしい。初めての都会と一人暮らしで心細い中、ヤクザに目を付けられたのではないかと更に心が圧迫されていたのだとか。
まあ俺も似た様なものだな。何だか親近感が湧く。これも何かの縁と、連絡先を交換した。
「へえ、年下だったんだ。二十一ということは専門とか行ってたの?」
「いや、ちょっと事情があって十五から働いてたんだ。大学には行ってみたかったが。」
「そうなんだ。ごめんね、言い難いこと聞いちゃって。」
「別に良いさ。良ければまた色々話をさせて欲しい。ここにはあまり知り合いが居なくてな。」
「うん、私も知り合いが増えて嬉しい。お互い頑張ろうね。」
最後には笑顔で手を振り見送られた。話してみるものだな。さて、もうじき夕方だ。スーパーに寄って帰ろう。
早めの夕食を済ませ、部屋で寛いでいると昴が迎えに来た。上官が迎えに来るというのも考えてみればおかしな話だな。本人に聞いてみると、「気にすんな。」とのことだ。それなら甘えさせて貰おう。
今日は昨日昼間にも行った倉庫に車をつけた。倉庫の中には昨日居た組の者達の姿があった。整列する組員の後ろに回る。
「よし、お前ら昨日に続いて今日も一仕事やるぞ。今回は中国マフィアが相手だ。奴ら今日何かやらかすらしい。考えられるので可能性が高いのは二つ。不法入国の手引きか、薬の持ち込みだ。どっちにしても奴らを勢い付かせてしまう。放っておけばまずいと思ったらぶっ潰せ、そして死ぬな。分かったか!」
「「はい!」」
指示が終わると着替えにかかる。今日もあの黒い服だ。それに今日は拳銃が二丁付いている。銃の重みを感じ、神経が研ぎ澄まされていく。
目を閉じ集中していると徳本が声をかけてきた。
「おい新入り、中国マフィアはヤバいからな気を付けろよ。」
と、にやけた顔でそう言う徳本。直後、その頭を真壁さんが叩いた。
「こら、怖がらすな。って言ってもあんまり影響受けてないか。まあ中国マフィアがヤバいのは本当だから気を引き締めろよ。って俺も同じこと言ってんな。とにかく気を付けろ。」
何だろう、気が緩んでしまう。しかし、それ程に危険だということだろう。死ぬ気で、いや、生きる為に全力を尽くす。
時間となり目的の埠頭へ移動する。着いた先にまだ敵は居ない。それもその筈、日が変わるまでにあと二時間程ある。今回の作戦は潜伏し、様子を見ながら判断し、場合により戦うというものだ。その為皆素早く動く。三名は乗ってきた車を別の場所に移動させ、緊急時に備え車で待機し、残った者はコンテナの影等に姿を隠した。その待ち時間、ただ石の様に佇むのだが、少々焦れったい。早く来てくれないだろうか。
その十数分後、奴らはやって来た。埠頭に黒塗りの車五台に大型のトラックが一台着き、中から黒い正装の男が十五人降りてくる。その内の一人が何処かへ電話をかけ、他の者達に何かを伝える様子が見えた。トラックは荷台を開け、数名は海に向かい待機している。海から何が来るのだろうか。待つ間、一人一人を観察する。先程電話をかけた男。若く、銀色の髪を染めるその男は明らかに他の者と違う。余裕のある顔をしながら警戒を止めていない。強そうだ。他の者も見るが中々の手練れだと分かる。皆どう思っているだろうか?隣に居る徳本の顔を見ると、少し強張っていた。やはり昨日の相手とは格が違うのだな。
ふと、海の方から音がする。エンジンの唸る音だ。目を向けると小型の船が一隻岸に近付いて来る。その上には煤けた服を来た者が何人も乗っていた。あれが不法入国者か。こちらの陸地に立つと中国マフィアの連中から何やら指示を受けている。
それでこれはどうするんだ?あれは止めるべきなのか?それともじっと去るのを待つのか?
トラックの中に不法入国者全員が乗り込み荷台の扉が閉まるのを見計らって、誰かが銃を放った。そうか、自由な状態で混乱を作ると奴らが逃げるからか。
銃弾を続け様に放ち、敵に反撃の隙を与えない。だが捉える迄には至らず、先に銃に込めた弾が尽きてしまう。補充の時を狙い、忍び寄る敵にこちらも下がりながら近接戦の用意をした。
敵は素早く、もう目の前まで来ている。俺は銃を腰にしまい、殴りかかる右腕を掴んで投げる。背を地に付けさせる勢いはあったものの、そのまま上手く転がり立ち上がるその男に痛手は負わせていない。
真正面から向き合うと片言の日本語で話してくるのだが、正直何を言っているか分からない。恐らく罵倒しているのだろう。
男が話し終えると再び格闘になる。動作は乱暴だが鋭さもあり、それを凌ぎながら糸口を探した。よし、足だ。俺は屈み男の足を取るとそのまま双手刈りをかける。その際、頭を強く打ち付けた男は気絶し、動かなくなった。まず一人。
辺りを見回す。暗いせいかはっきりとは分からないが、どこも近接戦になりつつあり、あまり良くはなさそうだ。ここは引いた方が良い。しかし、どう逃げる?うっ!
右の頬に痛みが走る。拳が飛んで来た方を向こうとすると次の拳が見えた。首を大きく振りかわす。
「お前ら、何が目的だ!」
銀髪の男が興奮ぎみに声を張る。まずい奴が来てしまったな。男の目は常にこちらを向き外そうとしない。俺は右手を腰に当てる。銃なら仕留められるが、男とは二メートルしか距離が無い。銃を抜く前に押さえられるだろう。・・・それなら。
右手を腰から少ししたのポケットに入れる。そして、それが済むと男に背を向けて走った。追ってくるのを背後に感じ、足が気持ち早くなる。
「皆、逃げろ!」
俺は声を張った。全員に届いたか分からない。しかし、数名走り出すのも見える。そのまま逃げてくれ。
息が上がりながら、埠頭の出口を目指す。追手はまだ付いて来る。しつこいな。
そんな時、目の前に光が現れた。それは次第と大きくなり、俺の横を速度を上げて通り抜ける。迎えの車だ。追手の男達を引く勢いで走り、遠ざける。これにより隙が生まれ、俺達は車に乗り込む。その場に居た者を回収し終えた車は目一杯に加速し脱出した。
息がきつい。体力に自信はあったのだが、追いかけられていた分、余計に力が加わったのだろう。
「おい、徳本が居ないぞ!」
その声が車内に響いた。