36.休息
「やっと来ましたね!」
俺の住むマンションの入口、オートロックを解除しようとすると、そう声が聞こえた。
振り向くと疲れた様子の和泉が立っていた。俺が帰って来るのを隠れて見張っていたのか、服は汚れ、髪が少しボサついている。
「よっ、お疲れさん。それじゃ俺も眠いからまたな。」
「ちょっ、ちょっと待って下さいよ!」
そのまま置いていこうとすると、後ろから服を強く引っ張られた。さすがにダメか。何日も待ってたみたいだし、少しは優しくした方が良いかな?
「じゃあ、上がってく?」
「ふぇ!?」
俺のその問いに何とも間の抜けた声で返す和泉。女の子だし、やっぱりダメだろうな。
「やめと・・」
「お邪魔します!」
俺が他の提案をしようとするのを遮る様に和泉はそう答えた。これは俺だけが意識してることなのか?まあ、気にしないならそれでも良いけど。オートロックを解除し、「どうぞ。」とマンションの中へと案内した。
六十平米の二LDKは独り暮らしには少し広いが、お客がいるときには丁度良い。上着を適当に投げ置き、重い体をソファへとダイブさせた。ヤバいなもう起きてられないや。和泉が居ることを気にせず、そのまま眠りについた。
イテテ!目が覚めたとき、寝違えたのか首が左に回らなかった。体勢が悪かったかな。そういや和泉は?
起き上がるとすぐ傍のテーブルで寝る姿が見えた。
あらあら、こんな所で寝ちゃって、本当に警戒心がないねえ。ん?和泉の寝るすぐ近くに食品用ラップで覆った皿があった。その中にはオムライスが入っている。
ふーん、旨そうだ。どれどれ。口にすると少し甘く、薄目の味付けだった。うん、なかなか。料理はちゃんとできるようだ。
さて、毛布でも掛けてやろう。立ち上がろうとしたそのとき、物音に気付いたのか大きな欠伸を伴いながら和泉は目を覚ました。
「オムライスごちそうさま。作り置きありがとな。」
「それはそれは、どういたしまして。」
まだ半分寝た状態で和泉は答える。
「それで、和泉さんは今日、何しに来たの?」
「あ!えっと、あなたが無事が見に来たんです!ほらこの前襲われたじゃないですか!」
そういやそうだな。和泉を撒いて二週間くらい顔も見てないのだから。ヤクザとはいえ、保護対象にはなるんだねえ。
もうそろそろ言ってもいいかな?和泉に危険が及ぶのは良くないし。
「ありがとな、和泉さん。じゃあそのお礼にちゃんと話をしてあげよう。実は・・・。」
それから和泉に俺が公安であること、訳あってヤクザに潜入していることを話した。直ぐに飲み込めない和泉に手帳等を使いながらゆっくり、丁寧に、変な誤解をしないようにと。
話が終わると和泉は大きく息をついた。
「良かった、秋川さんがヤクザじゃなくて・・、いや、ヤクザはヤクザか?とにかく悪い人では無いと分かってホッとしました。」
「悪かったね、今まで黙ってて。こっちも任務だから、情報はあまり広げられないんだ。という訳で、これからは程良い距離感で頼めるかい?」
「はい、了解しました。」
ピシッと敬礼する和泉を見て噴き出した。ぷっ、やっぱり似合わない。赤くなる和泉を軽くあしらい、落ち着いた所で駅まで送ることにした。
すっかり日の落ちた街を駅まで歩く。隣を歩く和泉はどこか嬉しそうな顔をしている。今までも警戒心は無かった様なものだが、もう完全に力を抜いてるな。これで良いのかねえ。
「送って頂いてありがとうございました。」
「うん、じゃあ気を付けて。」
「はい。」
何気ないやり取りで和泉を送る。さて、帰るか。
「秋川あぁぁぁ!」
えっ!何だ?胸が熱い。そこにそっと手を当てると赤いものがべったりと付いた。これ・は・・。
体の力がふっと抜け、その場に倒れ込む。周りから悲鳴が上がり、俺を刺した奴はどこかへ逃げていく。
「秋川さん、秋川さん!」
和泉か、良かった、あんたは無事みたいだな。
「誰か早く救急車を!誰か!」
そんなに必死になって。そんなに心配してくれるとは嬉しい・な・・。そこから俺の意識は飛んだ。
その日の夜こんなニュースが流れた。
「本日午後七時頃新宿駅近くの路上で三十代男性が通り魔に刃物で刺される事件がありました。刺された男性は救急車にて搬送され、病院にて治療を受けておりますが、今も尚、意識不明の重体です。目撃者からの情報によると犯人は三十代の白髪長身の男で、ナイフの様な刃物を持ち犯行に及んだとのことで、現在も逃走中。警察は付近への注意を促しております。」




