表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

異形人外恋愛系

嫁取亀



 とある森の奥に、小さな小さな神域があった。

 そこには、美しい池と、十と数匹ばかりの亀、そして彼らを見守る石の神がいた。

 四季は存在しているが、その変動は穏やかで、暑くなりすぎることも寒くなりすぎることもない。

 小さな神域は、静かに悠久の時を紡いでいた。



 ある日のこと。



「あっ、ゾウガメっ」


 池の中央に鎮座する一際巨大な亀を指さし、四、五才ほどの体躯の幼女が声を上げた。


「……ニホンイシガメじゃ」


 対して、永きを生きるモノは大人げもなく彼女の些細な誤りを訂正する。


「ツルギしってるもん、ニホンイシガメそんなに大きくないんだもん」


 幼女はムッと眉を寄せたあと、声量を大きくして亀のげんに異議を唱えた。

 人語を介する畜生の存在に、素直に慄くだけの常識や知識は未だない。


「そりゃあ、ワシゃ正確には岩から成った土着神であって、亀そのものではないからのぅ」

「どちゃーし……? なにそれー、ヘンなのっ」

「童は容赦っちゅうもんを知らんな」


 亀の姿を模す古き石の神は、分厚い瞼を下げ半目で幼子を眺める。

 彼女はたまたま神域に迷い込んだ、只の人間の子供だ。

 幼き者は穢れ少なく、よくよく見えざるモノを見る。


「おーい、カメー。おいでおいでー」


 腰を低く落とし池の水面を両手のひらで叩く幼女。

 彼女の視線は石の神にのみ向けられているが、常日頃より神域に住まう十と数匹の亀たちは、突然の荒振神あらぶるかみの来訪にすっかり萎縮し、慌てて潜った水底で一塊ひとかたまりになって震えていた。


「これで悪気がないんじゃから、童っちゅうもんはタチが悪い」


 ため息を吐きながらも、石の神は幼女の希望通り池の淵まで緩やかに泳いでいく。

 無視してしまっても良かったが、幼き者は基本的に行動が突飛で先が読めず、ならば目の前で相手をしてやるのが最も被害が少なく済もうと大人しく身を寄せることにしたのだ。


「わーい、カメー」

「これっ、甲羅を叩くでない」

「カーメー」

「これっ、無遠慮に撫で回すでない」

「カメカメー」

「これっ、背に乗り上げるでない」

「んんんカメぇぇーっ」

「これっ、危ない真似は止めんか。

 お主程度の力でワシの身体が持ち上がるわけがなかろうが。

 石で亀なんじゃぞ、何貫あると思うておる」



 この日、幼き人の子は、夕陽が空を赤く染め上げるまで大亀を構い続けた。

 口煩いが従順な石の神の対応に気をよくしたのか、彼女はその後、連日のように彼の神域を侵すようになる。



「カメー、エサーっ」

「はぁ。ワシ、霞で充分なんじゃが」


 ブツブツと文句を垂れ流しながらも、石の神は差し出された葉野菜を無心で咀嚼する。

 甚だ不敬な幼女の態度であるが、元々ただの岩であった彼の本質からして、怒りのような激しい感情など湧こうはずもない。

 人の子が無垢でいられる年月というものは、永きを生きる神からすれば瞬きほどの間にも等しく、さればこそ、些かの辛抱であると石の神はただただ彼女の為すことを諦念の境地で受け入れていた。

 緩慢に顎を動かしている大亀の心情など露知らず、幼き者は彼の目を直近から覗き込みつつ、満面の笑みを浮かべている。


「カメ、あのねー。ツルギがオナマエつけてあげるね」

「は?」


 唐突かつ横暴な提案に嘴が止まり、野菜の切れ端がいくつも地面に零れ落ちた。

 そんな亀の様子が視界に入っているのか、いないのか、幼女は両手に拳を作って言葉を続ける。


「えーっとね、ムシャムシャたべるからぁ、ムシャノコージっ」

「苗字じゃないの」

「オナマエよっ」


 思わずといった体でツッコミを入れる石の神。

 苗字という単語の意味は正確に理解できていなかったが、せっかく付けた名にケチをつけられたような気がして、幼女は不満げに頬を膨らませた。


「しかし、仮にも神相手に名縛りを掛けようなど、無知とは怖ろしいのぅ」


 などと言いつつ、石の神はやはり、諦念と共に彼女のそれを受け入れる。

 幼き者は彼のセリフにきょとんと首を傾げるも、数秒もすれば忘れ去り、興味のままに戯れに移行した。



 春の終わりに出会った一人と一柱だったが、好みの移ろいやすい幼児の特性に反して、一月、三月、半年と経っても、彼女は亀の元へ足しげく通い続けた。



「うわぁぁん、ムシャノコージ死んじゃったぁーッ」

「なんじゃあ、姦しいのぅ」

「あっ!」

「自然の摂理に従って冬眠しておっただけじゃ、勝手に殺すでないわ。

 まぁ、あくまで亀真似じゃから、起きていたところで問題があるわけでもないがの」

「うわぁぁん、ムシャノコージ生きてたぁーーッ」

「どちらにしろ泣くんか……難儀な童じゃのぅ」


 邂逅から初の冬場など、些細な騒動が起こりもしたが、おかげでより強く大亀への執着を表すようになった幼女に、石の神も僅かずつ絆されていくことになる。


「ムシャノコージぃーっ」


 やがて、二度目の春、三度目の春と時を重ねていけば、幼女は少女へと成長し、当時たどたどしかった言葉遣いも、彼が改めて気付く頃には流暢に紡がれるようになっていた。


「武者小路っ」


 小学校生活も半ばを過ぎた頃合には精神的にもませてきたようで、少しずつヤンチャも息を潜めて、交流は主に会話によって為されるようになる。


「もーっ、聞いてよ武者小路っ!

 男子ってば、本当サイテーなんだからっ」

「あぁ、うむ。聞いておる。聞いておるとも」


 石の神の見守る十と数匹の亀たちも、常に大亀にのみ興味を注ぐ少女の存在にすっかり慣れて、もはや彼女が大声で木々の隙間から飛び込んで来ようが特段の反応を示すこともない。


「しかし、すでに齢も二桁に達し無垢なる時は過ぎ去っておるはず……。

 なぜ未だアレは惑わずワシの神域に到達できるのか」


 静けさの戻る池の中、頼りなげな細い背が消えていった方角に視線を向けたまま、亀の口がポツリと動いた。

 世情に疎い身とはいえ、日々の語らいから、彼女がけして人としての生に馴染めていないわけではないと察している。

 それは、少しずつ少女の足が彼の元から遠のいている事実からも明らかだった。

 だが、彼女はそこから更に数年の時を超え、制服と呼ばれる画一的衣装を身に着ける段階に達しても、変わらず大亀を訪ね続けていた。


「ねぇ。武者小路って神様だって言ってたよね。

 ってことは、私が付けたのと別に本当の名前があるんでしょ?」

「うん? まぁ、あるのぅ」

「教えてよ」

「あー、あぁ。

 そりゃあもう、そのまーんま、オオイワキノオカミじゃよ」

「おーいわき……?」

大石亀之男神おおいわきのおかみ

「ふーん。じゃあ、今度からオーイワ様って呼ぶね」

「相変わらず畏れっちゅうもんを知らんな、お主」


 彼が武者小路という亀ではなく岩を礎とする古き土着神だと理解した上で、かねてよりの態度を一切変えようとしない辺り、中々肝の据わっている少女である。

 よもや、このまま成人しても襲来は止まぬのかと、密かに困惑していた石の神だったが、実際の離別は間もなく、彼の想像によらぬ事情によりやって来た。


「……オーイワ様」

「おや。どうしたのじゃ、そのように肩を落として」


 明朗快活で、愚痴は吐けども、滅多なことで浮かぬ様子など見せることのなかった少女が、池の淵に視線を固定したまま沈んだ声を響かせている。

 それを気に掛けた大亀が彼女の足元に泳ぎ寄り、首を伸ばして俯くかんばせを覗き込んだ。

 すると、温かな水滴がひとつ降って、彼の頭部を僅かに濡らした。


「わ、私、引っ越すことになったの。

 もう、会いに来れないくらい、ずっと遠くに」


 少女は身を屈め、甲羅に腕を回して、女性らしく伸ばされた濡羽色の髪の囲いの中で額を亀の鼻先に触れ合わせる。


「そうか……寂しくなるのぅ」

「本当? 本当にそう思ってくれる?」


 硬い背に置いた手はそのまま、数センチ顔を引き隙間を空けて、彼女は至近距離から彼に視線を合わせた。

 まるで、嘘があるなら全てをあばこうとでもいうような強い瞳だった。


「なんじゃ、妙に殊勝な態度で」


 石の神が発した言葉に、しかし、返る声はない。

 が、目は口ほどに物を言う。

 別離を哀しむ少女の想いに触れて、彼はこれまでにない胸の痛みを感じていた。

 まさか、命儚き人の子にこれほど情を移すことになろうとは、と石神は自らに苦笑いを送る。


「……ううむ、よし、餞別にワシのカケラをやろう」

「え?」


 間もなく、ガラスを打ち合わせたかのごとき澄んだ高音が少女の耳に届いた。

 それを追うように彼女が身を起こせば、眼差しの先、池の中央付近に鎮座する大岩の中から、薄灰色のビー玉にも似た何かが迫り出してくる。

 次いで、宙に浮遊する玉は、ゆっくりゆっくりと彼女の目前まで移動してきた。


「ほれ。これを持っておれば、ほんの少ぅし暗い気分が軽くなる……やもしれぬ。

 まぁ、ないよりはマシ程度の代物じゃな」

「えっ、い、いいの?」

「うむ」


 咄嗟に差し出した白い手のひらの上に、吸い込まれるように到着した玉を、少女は呆然と眺める。

 しばしの後、彼女は静かに身を震わせてから、小さく呟きを落とした。


「オーイワ様は優しいけど、いつも淡泊だったから、本当は私のこと全然興味ないんだと思ってた……」


 零れた声は亀の耳には入らなかったようで、彼は未だ仕舞われもしない玉に何を勘違いしたか、こんなことを言ってくる。


「いらぬなら、適当にその辺に捨て置けば、お主以外には普通の石と変わらんから」

「ううん、いる。大事にする。嬉しい」

「お、おぉ。そうか」


 途端、玉を両手で強く握り込んで胸元へ引き、花が綻ぶような大人びた笑みを浮かべる少女に、石の神は厚い瞼を二度三度と瞬かせた。


「ありがとう、オー……大石亀之男神おおいわきのおかみ様」

「うむ…………達者でのぅ、ツルギ」


 こうして、邂逅とは正反対の静寂の中、一人の少女と一柱の神に紡がれた奇縁は分かたれたのである。





 只岩の頃から数えれば億を超える年月在り続ける大石亀之男神だが、同一の人物と幾度も言葉を交わす機会というものは、これまでにはまず有り得なかった。

 稀に彼の住まう池に迷い込む者がいたとしても、ほとんどはその一度きりで、例え二度を目指そうと考えたところで早々辿り着ける程度の領域ではなかったのだ。

 石の神が過ごしてきた永い永い時から比較すれば、彼女と語らった数年など、それこそ瞬きにも足りぬ刹那の間であっただろう。

 しかし、少女の存在はさながら閃光のように強烈で、彼の心に深く鋭く刻み込まれていた。



 気が遠くなるほど繰り返してきた日常を取り戻しただけであるはずなのに、ふとした瞬間、石神の胸には言い知れぬ虚しさが去来する。

 何一つ変わらぬ清浄なる神域の中、たった一つ色を変えた彼の魂が無自覚に涙を溢れさせていた。



「ここは……こんなに静かじゃったかのぅ……」



 石の神の戸惑いを置き去りに、季節は無慈悲に巡っていく。

 一秒が、一日が、一年が、これほど長く感じる過去があっただろうかと、亀は無言で天を仰いだ。




 転機は、それから更に数年の後にやってくる。


「オーイワ様っ!」


 彼の知るよりも幾分か艶の増した声が、彼の耳に慣れ親しんだ愛称を叫んでいた。

 見やれば、そこには巨大なスーツケースを引き連れた一人の女性の姿。


「……お主、よもやツルギか」


 瞼を限界まで開いた石の神が未だ記憶に新しい名を舌に乗せれば、女性は満面の笑みを浮かべて池に駆け寄ってくる。


「そうだよ! 良かった、覚えててくれたっ」


 逸る心のままに彼女の元へと身を進ませながら、大亀は感嘆の声を上げた。


「おぉ。なんとまぁ、立派な女人になったものよ。

 人の成長とはかくも早……」

「オーイワ様、私と結婚して!」

「また何ぞ言い出しおったな」


 女の奇天烈な発言に、彼は池の半ばでピタリと動きを止める。

 訝しむ大亀へ、焦りを含んだ表情で彼女は告げた。


「このままじゃ私、脂ぎった成金爺と無理やり結婚させられちゃうっ。

 だから、その前にオーイワ様と……」

「いや、ワシ、岩で亀よ? 何でそういう結論に至れるんじゃ?」


 深く慈しんではいたが、まさかそのような対象として見ていたわけもない石の神は、首を仰け反らせて遺憾の意を示す。


「とにかく、人の子は人の子と結ばれるが定めじゃろ」

「やだっ!」


 即座なる拒否。


「あんな人の皮を被ったゲロ野郎と一緒になるくらいなら、人じゃなくてもオーイワ様の方がよっぽどいいもんんんっ」


 地団太を踏みながら、ツルギはそう吐き捨てる。

 大人のおの字もない様子に、大亀は呆れて開いた口が塞がらない。


「童のようなことを言い出しおって」

「まだ成人してないしっ」

「かつての日ノ本なら、子の一人二人産んでおるよわいじゃろ」

「いつの時代の話よソレっ」


 一歩も引かぬといった強烈な視線で睨み付けてくる女にたじろぎながらも、石の神は彼女に己を諦めさせるための取って置きの情報を投げつけた。


「しかし、結婚と一口に言うてものぅ。

 そこそこ長く生きてはおるが、ワシ、人間の姿に変じることもなければ、住まうに相応しい隠世かくりよに連れてやることも出来ん、この小さな池を護るので精一杯の底辺土着神じゃからのぅ」

「野生生活だって亀姦だって何だっていいからお嫁さんにしてっ」

「えぇぇ」


 これには億年を生きる神もドン引き。

 人間と神が結ばれ夫婦めおととなる出来事自体はけして珍しいものではないが、それも人型を有する力ある神に限っての話である。

 もちろん、加えて別次元に屋敷を所持し、更に下働きが存在している場合などがほとんどだ。

 神々の常識からしても今の状況はまず有り得ない。

 ゾウガメと見紛うサイズの石の神すらスッポリ収まってしまいそうな巨大なスーツケースは、よもや池で暮らすためのものかと、そこまでの覚悟があって彼女はここにいるのかと、彼は内心で戦慄した。


「……だ、誰ぞ、適当に人の子を見繕うのではいかんのか?」

「見ず知らずの女にいきなり求婚されてすぐ籍入れようと思える男なんて、仮にいたとしても高確率で外れ物件でしょっ」

「事情が事情じゃ、少々過ぎた干渉にはなるがワシの知り合いのえにしを司る神に頼んで……」

「止めて!」


 懸命に代案を講じようとする大亀に、もはや取り繕う気もなくなったのか、ツルギは真っ直ぐに心情を吐露し始める。


「私はオーイワ様がいいの! オーイワ様じゃなきゃダメなのっ!」

「よ、弱ったのぅ。なぜ、そうまでワシに拘るんじゃ」

「そんなのっ、好きだからに決まってるでしょ!」

「おおぅ」


 薄々察してはいたが、どうか外れてくれと願っていた推測が事実であると突き付けられて、石の神は大いに怯んだ。

 その隙を狙うかのように、彼女は言葉を次から次へと吐き出していく。


「オーイワ様は神だし亀だし岩だし、住む世界が違うんだから諦めなきゃって思ってたけど、でも、成金脂爺と結婚させられそうになって、それで、やっぱりオーイワ様じゃなきゃ嫌だって、どうしても、私。だから、ダメかもしれないけど、せめて告白だけでもしておきたくて……オーイワ様がカケラなんてくれるから、私、見るたび胸がギュウってなって、いつかにソレが恋なんだって気付いて、どんな素敵な人を前にしたって全然興味が持てなくなったのはオーイワ様のせいなんだからっ、ちゃんと責任とって結婚してよぉぉ!」

「……途中までは、いじらしかったのにのぅ」


 髪を振り乱しつつ支離滅裂に吠えるツルギへ、石の神が残念なものを見る目を向けながら呟いた。


「あっ、あと勘違いしないで欲しいんだけど、別に亀に興奮する変態になったわけじゃないから、あくまでオーイワ様が好きなだけだからっ」

「それ言う必要あった?」

「いや、重要だから。ここ、テストに出るから」

「てすと?」


 何はともあれ、彼女が真剣に望んでいる以上、説得は無意味かと大亀は思考の方向性を変える。


「いやまぁ、うぅーん。

 長い神生じんせい、嫁の一人ぐらいおっても良いのかもしれんが……しかし、人の子はのぅ」


 今後の人生を丸ごとかけた愛の告白を受けたとすれば、真面目に答えを返してやらねばなるまいと、石の神は首を曲げて唸り始めた。


「何でっ、何がダメ?

 オーイワ様と一緒になるの絶対後悔しないし、私にイヤなところがあるなら直すからっ!

 ねぇ、お願いオーイワ様ぁ!」

「うぅーーーーむ」


 億年という月日を在りながら、ただの一度も自らの色恋沙汰について経験のない身であるからして、彼は悩みに悩んだ。

 誰ぞを妻とし共にある未来など想像もつかないことだった。

 そもそも、彼は岩であり亀であり、伝え聞く婚姻譚は全て遠くの他人事に過ぎないはずだったのだ。

 それが、ここに来て、まさかの儚き人の子からの熱烈な求愛である。


「こうまで望まれておるのだ、娶ってやれば良いではないか」

「へ?」


 唐突に見知らぬ声が天から落ちて、ツルギが目を見開いて固まった。

 十と数年もの間、彼の神域に通い続けた彼女だが、闖入者があったのは初めてのことだ。

 一方、届いた音を追って視線を上げた石の神は、その先に浮く者を確認してパチクリと瞼を瞬かせる。


「むっ、厄除やくよけの?」

「やあ、石亀いわきの」


 穏やかな後光を背負う僧じみた装いの半透明の男は、大石亀之男神へ親しみのこもる笑みを向けた。


「か、か、神様、ほん、本物っ」


 如何にもな雰囲気を醸し出す高位存在の登場に、ツルギは口元を手で押さえ震えている。

 どうも圧倒されているらしい様子の彼女を、大亀は頭上に疑問符をこさえながら訝しげに見やった。


「お主、ワシを何だと思っておるの?」

「いや、オーイワ様はオーイワ様だから」

「ええ?」


 真顔で返されて、困惑する石の神。

 そんな一人と一柱を楽し気に観察しつつ、厄除のと呼ばれた男は人間の女へ語りかける。


「知っておるか、人の子よ」

「ふぁい!?」

「この石亀のは確かに力弱き神であるが、原初に等しき遥か古来より定着しておるおかげで、ここな池周りはそれはそれは強固な守護神域と化しておるのだよ。

 もはや生半な神社仏閣など比ぶべくもなき程にのぅ。

 斯様かような神の縄張りに只人如きが幾度と足を踏み入れるなど、いかほど御霊みたまの相性が良ければ為せるものか。

 くく、我には想像も及ばぬわ」

「こ、これっ、厄除の! 余計なことを!」


 確実にツルギを調子付かせるであろう事実を暴露する知己に、大亀が慌てて咎めの言葉を投げつけた。

 しかし、遅すぎる対応である。


「オーイワ様っ! 今の話、本当!?」

「うっ……」


 彼の予想通り、彼女はこれまで以上に期待を湛えた眼差しで、話の真偽を問うてきた。

 結婚の二文字が輝く黒の瞳にありありと刻まれている。

 口ごもる大亀へ、闖入者はさらに彼を追い詰める情報を容赦なく浴びせかけた。


「石亀のは長く在るだけ旧知の神も多くあろう。

 祝言を挙げれば、彼奴きゃつらのこと、こぞって押しかけきたるは自明の理。

 数多祝福を授かれば、如何な人の子と言えど神格化も果たされよう。

 其方との暮らし向きにも、もはや不自由はせぬ。

 娶ってやれば良いではないか、何を躊躇うことがある?」

「よいではないか!」

「ぬぅぅぅぅ」


 二対一という不利な状況に、石の神が呻る。

 ツルギを厭っているわけではないが、彼女はあくまで庇護の対象で、愛でるの意味が違うのだ。

 幾年と続けてきた日常が今更になって変化することへの怯えもある。

 何より、このように半端な情で彼女を娶るなどして、真に幸福を与えてやれるとは、彼にはとても思えなかった。

 しかも、一度とて契りを交わしてしまえば、ツルギは再び人の世に戻ることも叶わない。

 それゆえの苦悩、それゆえの葛藤。


 だが、天は彼に更なる試練を与えんとしていた。


「噂を聞いて、私、参上!」

えにしの?」

「いやはや、久しいの。石亀の」

がくのも!」

「俺もいるぞ」

「武芸のまで!?

 どうしたんじゃ、揃いも揃って」


 突然の来訪者たちに目を白黒させる石の神。


「俺は、面白いものが見られると、縁のに連れられて来ただけだ」


 これは武芸の神の言。


「麻呂も似たようなものでおじゃる。

 ま、武芸のと比すれば、些かにも事情は耳に挟んでおるが」


 楽の神は含み笑い。


「あの石亀いわきのが人間の女の子ともう何年も仲良くしてるって言うから覗きに来てみれば、一体全体どういうこと!?」

「はぁ!?」


 色恋沙汰に目のない縁の女神が鬼の形相で吠え詰め寄って、大亀はギョッと身を竦ませた。


「こぉんな可愛い子から求婚されて、返事を渋るなんて信じらんない!

 何をそんなに怖がってるか知らないけど、私が無理やりにでも縁を繋げてあげましょうか!?」

「こりゃあ! 止めんか、馬鹿者!

 仮にも神として、やって良いことと悪いことがあるじゃろうが!」


 池の淵に立つツルギの元へ飛翔して、緊張に固まる彼女の肩を抱き、不穏な主張を繰り出す女神へ、石神の本気の叱責が飛ぶ。

 しかし、堪えてはいないようで、縁の女神は顰め面で舌を出して、この場で唯一の人間から天へ泳ぐように距離を取った。


「別に、嬢ちゃんの覚悟が決まってんなら、祝言でも何でも挙げてやりゃいいと思うがなぁ」

「ええい、武芸のっ。少しは考えて物を言わんかっ」

「いいえっ、もっと言ってやって下さい!」

「こりゃ、ツルギっ!」


 逞しい武芸の神の呟きに恐れ知らずにもツルギが乗っかっていけば、必死な大亀と反対に、周囲から朗らかな笑いが響く。


「ほほ、石亀いわきのの負けは見えておじゃりまする。

 諦めてお覚悟召されませい」

がくのまでそのような」

えにしのが道中大層騒いでおじゃりましたゆえ、二陣、三陣と今にも貴殿の敵は増えましょうぞ。

 となれば、もはや詰みと申せましょう?」

「おお。年貢の納め時であるな、石亀の」

「なぁっ、なんたる……っ」


 雅やかな楽の神に齎された情報をもってして僧じみた厄除の神が揶揄うように口角を上げれば、絶望的な状況に衝撃を受けた大亀は、嘴から白い泡を吹き尻から水に沈み込んだ。


「きゃーーっ、オーイワ様ーーーーー!?」


 叫びながら、ツルギは彼を助けようと慌てて池へ駆け入っていく。


「あらまぁ、つれない石頭相手に健気けなげでイイ子ねぇ」

「誠に」

「良き伴侶に恵まれ、羨ましい限りでおじゃる」

「そこの亀共、供えモンのソーセージ食うかぁ?」


 眼下で忙しなく水音と声が上がっている一方、少々のことで死にも弱りもしないと把握している神々の反応は薄いものだった。


「オーイワ様っ、オーイワ様ーーーーっ!」


 やがて、必死に大亀を陸地に引きずり上げたツルギが涙ながらに「こんなつもりじゃなかった。ダメで元々で無理強いするつもりはなかった」と嘆き謝罪する姿に、うっかり絆された石の神は、それまでの迷いが嘘のように軽率に彼女との婚姻を許諾する。

 気の早いことに、言質は取ったと浮かれる(えにし)の女神の主導で、噂を聞きつけ続々と集まり来る神々らの協力を得て、その日、その場で、物の見事に一人と一柱の祝言が遂げられた。

 あまりの手際の良さに、主役両名がひたすら唖然としていた様子は、後々まで続く彼らの笑い話となる。

 大石亀之男神の当初の苦悩についても、間もなく彼が妻を真に愛したことで杞憂に終わった。




 不可思議な縁に結ばれた彼らは、今もどこかの森の奥、神域の池の中心で、夫婦水入らずの睦まじい日々を送っているらしい。




「ダーリン、好き。大好き。愛してる」

「そうかい、ハニー。ありがたいのぅ」





 おしまい。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 純愛、ご馳走様です。作者の他作品の中でも読みやすくてほのぼの読めて癒されました。
[一言] 珍しく大人しめでほのぼの系かと思ったら「人の皮をかぶった〜」辺りからおや?となり「私、参上!」でおやおや?となり、最後の「ハニー」で全部持ってかれました… 面白かったです! 美味しく頂きま…
[良い点] 感想一番手、頂きました!バンザーイ! 何時もの、ムキムキうっはーぬちょぬちょズッポシな文章とは異なり(誉め言葉)、なんて雅な格調高い・・と途中まで拝見しておりましたが、「私、参上」で吹き…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ