おかしな皇子と甘いイタズラ
会議の議事録をまとめていたら、すっかり帰るのが遅くなってしまった夜の9時。
自宅アパートに近付くにつれ、玄関にあるオレンジの物体が非常に気になりだす。どう考えてもウチの前だ。そして、造り物のように大きなかぼちゃだ。
玄関まで辿り着いてもう一度深呼吸。どう見てもかぼちゃだ。
「なんでかぼちゃ…⁈」
と思わず心の声が表に出る。
ひとまずもう一度深呼吸をして、冷静に考える。扉が開かないほど扉の真ん前に置かれている時点で、私は知りませんとは言えない気がするが、私が朝出る時にはなかったので当然私は知らない。
スマホを開いて日付を確認すると今日は10月31日。つまりはハロウィンだ。なるほど!きっと誰かがハロウィンパーティーに持ってきてうちの前にうっかりかぼちゃを置き忘れたのか!って、わざわざ2階の角部屋までこれを持ってくるか⁈とひとりツッコミを入れる。
落ち着け、私。とにかくこれは私がどうにかしなきゃいけない。そうだ!明日は燃えるゴミの回収日。ハロウィンの次の日だし大目に見てくれると信じて、とりあえず、
「ゴミに出すか!」
と気合を入れて、腕まくりをする。10月末の夜は肌寒く、腕まくりは少々キツイが、抱えても手が回らないほど大きなかぼちゃだ。これ位の気合は大切だろう。
「ちょっと待ったー!」
ん?今、何処からか男の人の声がした。しかも嫌味なほど低くて良い声なのに、それが焦っているものだから、違和感しか感じない。
「おい!そこに誰かいるのか?やっと誰か人が通ったか…。どんな田舎だここは!まあいい。何故か身動きがとれないのだ。なんとかしてくれないか?」
うん。これ、かぼちゃが喋ってるね。私は、帰る途中に頭でもぶつけたのだろうか?
1人、頭を悩ませていると、かぼちゃがイライラした様子で話しを続ける。
「おい!俺を相手に無視とは良い度胸だ。いいからなんとかしろ。」
「あの…。大変申し上げにくいのですが、今、貴方から何が見えますか?」
「はぁ?薄汚れた灰色の壁が見えるが?」
あっ、それうちの玄関扉だ。かぼちゃにとっては壁に見えるらしい。とにかく、これはかぼちゃに現状を理解してもらうのが1番だと、カバンから鏡を取り出し、かぼちゃと扉の間に置く。
すると、鏡にはハロウィンでよく見るジャック・オ・ランタンの1.5倍禍々しさを出した顔に彫られたジャック・オ・ランタンが写った。しかも、瞳は紅く、空洞にぽっかりと浮いているものだから余計に気持ちが悪い。
私が恐怖のあまり声が出せなくなるのと同じようにかぼちゃも驚いたらしく、紅い瞳が針の先のように小さくなる。
「こ…れ、かぼちゃ⁈」
やっとの事でかぼちゃが声を取り戻す。
「はい。私は喋るかぼちゃには初めて遭遇したものですから、とりあえず、ゴミに捨てに行こうと思っていたところです。」
「いや、そこ、捨てるなよ。」
「いや、現実感がないというか…。まぁ、とりあえず貴方が身動き取れない理由はわかりましたよね?」
「待て待て!何の解決にもなってないぞ。どうやったら人間に戻れるんだよ!」
「とりあえず、私は疲れ果ててますし、ここで騒いでいると近所迷惑ですから、失礼させていただきますね。お休みなさい、かぼちゃ。」
さっ、ひと眠りすればこの訳のわからない夢も覚めることだろう。
「1人に…しないでくれ。」
先ほどまでの強気な姿勢から打って変わって、か細い小さな声が聞こえ、扉にのばした手が止まる。
こんな声で助けを求められたら放っておける訳がない。全く面倒を抱えたものだと、ため息をひとつこぼし、大きく開けた玄関の中にかぼちゃを入れる事にした。
「良いのか?」
「良いわけないです!誰がこんな厄介そうなものを招き入れるんですか?だいたい、1人暮らしを始めて最初に家に招いたのかぼちゃってどういう事ですか!」
全くどうにかしている。かぼちゃ相手に怒るとか、本当にどうにかしてる。
頭がおかしくなっていて、案外、他人から見た私は1人で何もない空間に向かって喋っているのかと一瞬、頭をよぎるが、そんな事言ってられない。
「それで?何か、かぼちゃになるキッカケとかあったんですか?」
玄関に置かれたかぼちゃと向き合い話すという非常に滑稽な図となりながら、話を切り出す。
「キッカケ…ならある。」
「は?」
「いつもは人通りの多い道だったんだが、今日に限って誰も歩いてない夜道を歩いていたら、黒のコートに黒の帽子を目深にかぶった男に会った。そして、trick or treate!と突然声を掛けられた。当然、頭のおかしな奴だと思って無視して通り過ぎようとしたら、腕を掴まれ、お菓子だよ?お菓子。くれなきゃイタズラしちゃうヨォ〜。と詰め寄るんだ。だから、甘いものは好まないから持っていないとあしらった。そして気づいたら…。」
「かぼちゃになっていたと…。それ、絶対にその男のせいですよね!…ん?」
「どうした?」
「何か紙が貼ってあります。」
ペリッとかぼちゃに貼られた付箋のようなメモ紙を剥がすと、幼い子供が書いたような字で、
“ぼくのイタズラきにいったかなぁ。よがあけたらきみはずーっとかぼちゃになっちゃうぞ☆”
と書かれている。ポップに書かれているが、ぞっとする。つまり今晩中に怪しい男を見つけないとかぼちゃは本当のかぼちゃになってしまうらしい。2人の間に重く冷たい沈黙が流れる。
「と…とりあえず、特徴は分かっているから探すしかないですね。どのあたりで遭遇されたんですか?」
と尋ねてみれば、ここから2回ほど電車を乗り換えた先にあるこの辺りでは1番大きな街で、その通りで人が誰もいないというのは確かに妙な話しだった。
「ここからだと1時間はゆうにかかりますね…。近くに住んでる方で誰かお願いできそうな方はいないんですか?って、こんな話し誰も信じられないですよね…。」
「いない。笑えるだろう?こんな状況になっても最期に話しておきたい奴が誰もいないんだ。俺の親は子供に関心がなかった。頭が良く、運動が出来、多くの人を惹きつける者であれと言われたが、そうなったところで褒められた事もなく、独立してしまえば、何の関わりもなくなった。成功者となる秘訣は何だと思う?」
唐突にかぼちゃが自嘲する様に尋ねてくる。
「運を惹きつける事…?」
「いいや、そんな曖昧なものはいらない。人を信じない事だ。誰かがやってくれるとか誰かに任せれば、などと甘い事を言う阿呆は必ず人に裏切られて破滅する。足元をすくうのも足を引っ張るのも全て他人だ。利用される前に利用して、奴らを踏み台にのし上がる者が成功者だ。実際、俺の周りはそういう奴ばかりだったし、そうじゃないお人好しは皆、踏み台にされていった。いくら綺麗事を並べようと世間というのはそんなもんだ。俺は世間から見れば、地位も名誉も財産も全てを手にした成功者だ。だがな、こんな状況になって、初めて思い知ったよ。俺は孤独だったんだな。頼る友もいない。弱音を吐ける奴も、誰1人いない。今晩で俺という人格は死ぬかもしれないっていうのに、会いたい顔も聞きたい声も話したい奴も誰1人いないんだっ…!」
きっとこの人は人間の姿だった時には、私なんかが顔を見る事もできないほど偉い立場の人だったんだろう。そんな人でも孤独を感じる事は素直に驚きだった。
「大丈夫ですよ。」
根拠なんて何処にもないけど、
「自分にとって何が足りないってわからない人の方が多いんです。それに気がつけて、そういう生き方をしていたことを後悔出来たんだから、もう、一歩成長できたって事ですよ。世間は確かに綺麗事だけじゃ罷り通らない事の方が多いですけど、それでも人を信じてみたい、頼れる人を作りたいって事、言えたんですから、貴方は充分強い人間です、ジャック。」
「綺麗事だな。君はきっと、そのお人好しで苦労した事がない、ありふれた平凡な日常を送る庶民Aといったポジションなんだろう。」
「ちょっ…!失礼ですね!庶民Aには庶民Aなりの苦労がありますから!」
「だが、今はその綺麗事が心に染みるとは…俺も随分と参っているらしい。ありがとう…。君がいてくれて良かった…。ちょっと待て、今、俺を何と呼んだ?」
「へ?ジャックって呼びましたけど…。」
「俺はそんなふざけた名前じゃない!」
うん、とりあえず世界中のジャックに謝罪しようか。
「だって…ジャック・オ・ランタンでしょ?だから、ジャック。」
「君はピーマンか?」
「えっ、もっと可愛い野菜に例えて…。」
「言葉を勉強しないか!頭が空っぽだと言っているのだ。俺は倉橋龍也だ。断じて、ジャックではない!」
さっきまでの良い話の雰囲気を返してもらいたい。第一、名乗らなかった自分がいけないと思うし、そもそも、かぼちゃを倉橋さんとは呼びたくない…いや、無理だ。
「呼びたく…、お…覚えにくい名前ですね。」
「今、大体、お前の考えた事が分かったぞ、ピーマン。」
「年頃の女の子をピーマン呼ばわりって失礼ですよ!私は鈴木由美ですから!」
「ふんっ、至ってありふれた庶民Aに相応しい名前だな。」
とりあえず、世界中の鈴木由美さんに謝罪しようか。
「覚えにくい名前よりもよっぽどマシです。とにかく!今は謎の男を探さなきゃいけないですよね?」
「ふんっ、当てもないくせに偉そうな事を言うな。」
「庶民Aの力を舐めないで下さい!」
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唐突に啖呵を切った女は、よく見るありふれたビジネスバッグからスマホを取り出し、何処かへと電話をかけ始めた。
どうやら電話の相手は、タクシー運転手らしく、先程からここまで迎えに来てもらいたいとか、友達価格でまけてほしいなどと、ケチな事を頼んでいる。
だが、実に楽しそうに話しをする。借りを作るとか、相手に腹の内を探られるとか、そういった不都合を何1つ想定していない、心から信頼した友人である事が容易に伺えた。
羨ましい…という感情が湧き出た事に驚きが生じる。自身に誰かを羨む感情が存在した事も、そういう存在を求める事も初めての事だった。
話がまとまったのか、女はスマホをカバンにしまい再び出かけようと靴を履きだす。
実に平凡な女だ。
何処にでも売ってる飾りっ気のない黒のパンプスにグレーのスーツ、ベージュのトレンチコートに、長い髪を黒の髪ゴムで結いた姿は何処の就活生だ、とツッコミを入れたくなるほど、社会人然としていないが、まぁ見かけない事もない無難な格好だ。
「何処に行く?」
そんな女に縋ろうだなんて滑稽だ。昔の自分が見たら、鼻で笑われるだろう。
「何処って例の男を探しに行くんですよ。高校時代の友人がタクシードライバーをやっていて、ちょうどこの辺りにいるっていうから乗せてってもらおうと思って。存外、この時間は電車の本数が少なくて、向こうまで出るのは結構大変なんですよ?」
「はっ、そんな事を言って面倒な俺を置いて逃げるんだろう?」
決めつけたように告げた言葉は、否定されるためだ。会って間もないこの女に何処までワガママを言うつもりなのか。そして、言質をとり、何処まで縛りつけるというのだ。
当然の考えは、冷静になりきれない俺の頭から霧散していく。
「はぁ?中身が空っぽのジャックは理解が出来ないんですか?この部屋で貴方と話していたところで男が見つかるとでも思っているんですか?ここで、首を洗って待ってなさい!絶対に男を見つけて、貴方を人間に戻して、庶民Aでもやれば出来るんだって見返してやるんだから!!」
と俺の返答も聞かずに、外へと出て行く。
だいたい、首を洗って待ってろなんて日常で使う奴を始めて見た。本当にピーマンらしい。
はふっとため息をつく。女がいなくなった部屋は嫌味なほど静かだ。外にいた時には遠くの車の音や何処か他所の部屋から聞こえる話し声、自転車の錆びたブレーキ音に風の音…。様々な音が聞こえ、誰か通らないかと耳をそばだてていた。
それが今はぷっつりと消えている。
静寂は恐怖だ。ひしひしと現実が押し寄せ、時間が嫌に長く感じ、今考えたことを最期に自分が消えてしまうのではないかと怯えてしまう。
嫌だ。イヤだ。いやだ。早く、はやく、戻ってきてくれ!
どんな話でもいい。俺に声を聞かせてくれ!
ホントウニモドッテクルノカ?
戻ってくる。人を裏切る事を知らないお人好しだ。絶対に戻って来てくれる。
サッキアッタバカリノヤツヲシンジルノカ?
嫌だ。イヤだ。いやだ!俺はあいつを信じたいんだ!
ヒトハウラギルイキモノナンダロウ?
あいつは違う!絶対にそんな事はしない!
「甘いネェ〜☆」
心のうちの葛藤に唐突に第三者が混じる。
その声は忘れもしない、あの謎の男だった。
「お前!!どうしてここにいる?」
「そりゃあ、甘〜いお嬢さんと遭遇した糖度0の君がどうなったか見るためだヨォ〜。フッフッフッフッ、イイねイイね、その顔。あのお嬢さんを信じてしまいたい甘い心と信じきれない君の心のどうしようもない葛藤…。もうっ、最高だよ!」
「貴様…っ!」
「でもよ〜く考えてごらん。友達のタクシーに乗った彼女が、夜の繁華街を1人で歩き回って探してくると思う?普通は怖〜い人達に会わないために、タクシーから降りずに時間を潰して、ゴメーン見つからなかった〜☆って言うもんでしょう?」
黙れ。
「しかも、よ〜く知ってる友達とか恋人ならまだしも、今日はじめまして☆をした、しかもかぼちゃの言うこと聞いて探すと思えるのかい?」
黙れ。黙れ。
「仮にお人好しのお嬢さんの本領発揮で、探していたとしても、今日はハロウィンだ。仮装した大人も多いのに見つけられるとお嬢さんが本心から思ってると思えるかい?」
黙れ。黙れ。黙れ!
「クハッハッハ!イイ顔だ。イイよ〜、最高だよ!信じた心がたたき折られるその直前のこの感じ。堪らないネェ〜!」
「貴様…何者だ?」
「ボク?悪魔だよ。甘いものくれなきゃイタズラして、甘〜いモノをもらっていくのさ。人間不信を通り越して、無関心を貫く君が、誰かの助けを求めなきゃいけなくなって、その人は究極のお人好しで、だから、甘い考えを持っちゃって、でも裏切られてってなったら最高に甘い復讐が見られるだろう?憎しみ一色に染まった魂はどんな甘露よりも甘くトロけるだろう?だから、君を選んだのさ。ボクの考えは間違ってなかったってね!そうそう、これでお嬢さんが悪い狼にでも捕まって君の事を深〜く恨んでくれたら文句ないね!最高のハロウィンだよ!」
「今なんて言った?」
「ん〜?最高のハロウィンだよ!って。」
「その前だ。あいつに手を出すつもりか?」
「あれぇ?お嬢さんの事、好きになっちゃった?意外と君も単純な…。」
「あいつに手を出すのかって聞いている!」
身体が熱い。どんどん熱くなっていく。感情が昂ぶるとこんなにも身体は熱くなるものなんだ。
まだ、何にも知らないあいつのためにこんなにムキになるのはおかしいって分かってる。それでも、あいつはあいつのまんまお人好しでいて欲しいんだ。あいつには傷ついてほしくないんだ。
「一生、人に戻れなくたって構わない。あいつに手を出さないでくれ!」
「ふーん、でも君、勘違いしてるよ?ジャック・オ・ランタンは魔除けだ。ジャック・オ・ランタンが来たあの子に悪魔は近付けない。あの子が自分の足で狼に向かっていくだけの話だ。それを止める術があるとでもいうのかい?」
「まさか、そこまで織り込み済みだというのか?」
「あくまで可能性の話しさ。君が信じた通り、夜の街を走り回って、無事に戻って来てくれるとイイねぇ。」
熱い。熱い。熱い。熱した油が体を巡っているかのように身体がどんどん熱くなる。
「君に出会わなければ、あのお嬢さんは幸せに平凡な毎日を送れただろうにネェ〜!」
唐突に頭がスッと冷えていく。
平凡を絵に描いたような女。きっと、人間の俺とあいつの間には絶対的な立場の差が存在するだろう。そんな彼女を捕らえた所で、幸せになれるはずがない。
でも…
「いいや、幸せにしてやるさ。あいつはここで俺と出会ったことによって、周りが考える以上の最高にトロける様な甘い人生を送れるんだ。」
「へぇ〜!強引に嫁にでもするつもりかい?」
今まで声でしか存在を確認出来なかった悪魔の姿が目の前に現れる。黒のコートに黒の帽子は相変わらずだが、背筋が冷たくなるほどの不気味な笑顔を貼り付けた青白い男。
俺の返答がお気に召した様で、一層言葉に機嫌の良さが乗る。その様が、男にこの世ならざる不気味さを与える。
だが、唐突に何の話しを始めたというんだ?
「なんだそれは?あいつが望むものをくれてやると言っているんだ。俺はあいつを手放さないし、裏切らないし、疑わない。何があっても何を言われても、俺はあいつを信じる!」
カッと一気に身体が熱くなり、自分がバラバラになる妙な錯覚に陥る。
「賭けは君の勝ちだ。」
ニヤリとひび割れた唇から黄ばんだ歯が覗く。
「っ…何の話しだ。」
「言っただろう?ボクは君がお嬢さんを信じきれず、お嬢さんも君をあっさり裏切る。憎しみの連鎖を待ち望んでた。それ以上に甘〜いものをボクは知らないからネェ〜。だけど、君たちはお互いを裏切らなかった。フッフッ、面白いものが見られたよ!こんなに滑稽な綺麗事が存在するなんてね〜☆」
1人で男はクツクツと笑い転げる。
「今回は君の魂を取らない。せいぜい甘くとろける最高の顔を見せて、ボクを飽きさせないことだね?」
頭に響く声を聞きながら、俺は深い闇に沈んでいった。
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寝不足だ。
一睡も出来なかった。
一晩中、繁華街のキャッチをすり抜けながら探したのに謎の男は見つからず、トボトボと夜明けに帰れば、かぼちゃは蒸発していたのだ。
どうやら、私の頭が沸いていたらしい。
存在しないかぼちゃを相手に話しをして、ヤバイ!と焦り、繁華街を彷徨うなんて、本気で心が病んでいるとしか思えない。
本日何度目か分からないため息をついて、次の会議室へ向かおうとすると、
「ヒドイ顔だな。」
と、後ろから嫌味なほど、低くていい声で声が掛けられる。さて、この声は、どこで聞いたものだったのだろうか?
サッと振り返ると、そこには我が社の若き社長の姿があった。
「す…すみません!顔を洗って出直します!」
冷酷非情な超やり手の社長は、ダメな社員をバッサリと切る事で有名だ。かぼちゃのせいで、職を失う訳にはいかない。
しかし、ぷっと社長が吹き出す。
「俺は日常で顔を洗って出直しますなんて言う奴始めて会ったぞ?相変わらずの頭の足りなさだな?」
相変わらず?と頭に疑問符が並ぶがここで口答えをする訳にはいかない。
「はい…。申し訳ありません。」
ただただ小さくなるしかないが、庶民Aに出来る最大の切り抜け方だ。
すると、人を小馬鹿にした様に鼻で笑われる。
「社長に声を掛けられただけで何を想像している、ピーマン。」
…ん?ピーマン…?
「まさか!この声…ジャック⁈」
「ジャックではないと何度言えばその空っぽの頭に染み込む!全く、自分の会社の社長の声くらい覚えておく事だな、鈴木由美。」
「ひ…人に戻れたんですか⁈」
「あぁ、謎の男は俺を笑いに会いに来たぞ?それより庶民A。君は俺に人を信じてみろと言って、その言葉通り、君は一晩中、俺のために街を走り回った。そこで、君を今日から俺の第一秘書に任命してやる。光栄だろう?」
ニヤリと意地悪く笑ってもイケメンはカッコいい。この冷酷非情な社長は、鼻筋が通ったやや釣り目の硬派なイケメンなのだ。
顔良し、声良し、仕事良し。社内を問わず、彼を見た誰もが振り返り、その姿を目に焼き付け、あわよくば、彼女にしてもらいたいと思い、この冷酷非情な性格に打ちのめされるのが定番なのだ。
ついたあだ名が、雪の皇子。
童話、雪の女王をパロッたらしい。
そんな社長が直々に私に辞令を下したのだ。
社内は軽いパニックに陥っている。第一営業部の女性社員からのトゲのような視線に既に耐えられない。
「はぁ?無理!無理ですから!」
「俺が決めた事だ。異論は認めない。今すぐ荷物をまとめて社長室に来い。」
人嫌いの社長には秘書がいない。その栄えある第一号に私が選ばれた…って、無理!無理ですから!
「俺はお前を幸せにしてやるからな。」
「ちょっ…何て仰ったんですか?」
「同じ事は2度話さない主義だ。肝に銘じておけ。」
雪の皇子ならぬ、かぼちゃ皇子の癖に偉そうだ。嵐の予感しか感じないがこの際仕方があるまい。人嫌いのくせに寂しがりやな貴方が、私を置いてくれるって言うんだから。