No.01 Title:僕がモフスキー教授です
「僕、もうダメかもしんない」
白髪の少年がぽつりと言った。
「何言ってんの教授、まだ十六歳でしょ。俺より十歳も若いんだし、人生これからだよ。頑張らないと」
フレーム幅の細い眼鏡をかけ、白衣を着た青年が少年を勇気づける。
少年はその言葉に、やれやれといった表情を浮かべ、そして愛用している高級オフィスチェアに腰かけた。
「人生を適当に生きてる君には言われたくないな。というかまだ何がダメなのか話してないし」
ここは毛玉大学の敷地内にある、もふもふ研究所。
通称もふラボ。
そしてこの少年こそが、研究所の所長であり大学教授であるモフスキー教授だ。
「それはごもっともですね。で、何がダメなんですか? 世界の終わりだ、みたいな顔してますけど。それに白髪も増えてるし」
「白髪は元からだよ、知ってるでしょイーミャ!」
眼鏡の男は名を井宮といい、もふラボの研究員である。
ロシア出身の教授には、愛称でイーミャと呼ばれていた。
「分かんないですよ。元が白いから気づかないだけで、実は疲労によって頭皮にダメージを……」
「イーミャ! 僕はまだ十六歳だぞ。大丈夫に決まってる」
「怒んないでくださいよ。冗談です、冗談。今日も美しい白髪ですよ。それで……何でしたっけ?」
井宮は本題が何だったのか忘れたわけではないが、基本的にやる気が無いので、教授に丸投げする形で問いかけた。
「さっきさ、学長に呼ばれたんだけど。このラボ、近いうちに廃止する予定なんだって」
それを聞いて井宮は特に表情を変えることなく反応した。
「そうなんですか。まあ、仕方ないのかもしれませんね」
「仕方ないだって? この四年間一生懸命やってきたんだぞ! イーミャだって居場所がなくなっちゃうんだぞ?」
「いやぁ、俺はいいんですよ。ここにいるのも何となくなんで。でも教授は良い機会じゃないですか。これを機にもっとまともな研究を……」
「もふもふしたアニマルを研究して何が悪い? 僕はもっともふもふの可能性を世界に広めたいだけなのに」
教授は腕組みして悔しそうに主張した。
「でも教授ならもっといい生き方があると思うんですがね。十歳でロシア国立アニマルアカデミーを首席で卒業、その後アニマルアカデミー主席研究員を経て、十二歳から毛玉大学アニマルサイエンス学部教授、もふもふ研究所所長。最後のだけ何か引っかかるんですよね」
井宮は目の前のパソコンで何かを入力しつつ言った。
「引っかかるって何だよ。僕があちこち根回ししてやっと設立できた研究所だぞ! 僕の理想の研究所なのに」
教授は足元で丸まっているもふもふした塊を両手で引き上げると、その塊に話しかけた。
「ね~、シバさんもそう思うよね?」
シバさんとは、教授が飼っている柴犬のことだ。
白柴の子犬で、ぬいぐるみのように可愛い。
いつも教授の足元で丸まっていて、持ち上げると何とも言えない笑みを浮かべて舌を出す。
「シバさんに聞いたって、何も答えてはくれませんよ教授」
「そんなこと分かってるさ」
教授はつまらなそうに言うと、持ち上げていたシバさんを膝に乗っけた。
「学長が言うにはさ、実績が足りないんだと」
「あ~、確かに何の実績もないっすね」
「そんなわけないだろっ? 研究発表したじゃん! 新しい単位作ったじゃん!」
教授は反論した。
「モッファーですか?」
「そう、モッファーだ。もふもふアニマルのもふ度を指し示す、素晴らしい便利な単位。これによって種の違いを超えてもふ度を統一することに……」
「教授、そんなんじゃだめですよ」
「え、なんで?」
井宮は言う。
「もふ度を測る研究者なんて、教授以外にいないんですよ。思い出してください、研究発表のことを。みんな困惑してたじゃないですか。天才と呼ばれ注目されていた研究者が、実際にはこんな不可思議な研究をしてたなんて。あれで動物学会の研究者はみんな失望したんですよ。現実を見ましょ?」
「うるさいなぁ。イーミャまでそんなこと言うの? 僕はいいんだ。これが僕なんだから。理解できないのなら、それこそ天才ゆえというものだろうよ」
「まあ、そう言ってしまえばもう何でもありですけどね」
「で、教授はもふラボ存続の危機をどう乗り越えるんですか? その様子だとあきらめる気はないんでしょ?」
「と―ぜん! ひとまず研究にとりかかろう。やりたい研究があったんだ~。予算には限界があるけど、どうせ廃止になるなら好きなことやらなきゃね」
教授は軽くシバさんを撫でた後、床に降ろした。
そして立ち上がると、背後にある棚の上の金庫に手をかけた。
「あ、その金庫気になってたんですよね。何が入ってるんです?」
「これはね~」
楽しそうにカチカチとダイヤルを回す教授。
そして扉を開くと中身を手に取って掲げた。
「じゃ~ん!」
手には何やら大量の資料がスクラップされたファイルがあった。
「じゃ~ん、って言われても分かりませんが」
「これこそ、僕が秘密裏に進めてた研究なのだよ、イーミャ君」
得意げな表情を浮かべる教授。
極秘と書かれたファイル。
恐らくその中身は井宮にとって特に興味のないものであろう。
ただ、手伝わされるのは目に見えているわけで。
「その研究って、学長が納得するようなものなんですか?」
「それは保証できない」
「あ、じゃあ絶対ダメなやつだ!」
「でも絶対に面白いから! イーミャも手伝ってね」
「え~、俺博士論文書かなきゃなんないのに」
「そんなのいつでもパパッと書けるじゃん」
「そんな、教授みたいに天才じゃないんですから」
やる気なさそうにはしているが、なんだかんだ言って卒業はしたい井宮。
「じゃあ、あとでアドバイスくらいはしてあげるから、ね?」
「それなら仕方ないですね。手伝いますよ」
「やった!」
飛び跳ねる教授。
こういうところは割と年齢相応の振る舞いをする。
「それで、教授がやりたかった研究って何なんです?」
「ふっふ~ん! よくぞ聞いてくれました! まあ、今までの研究も好きでやってたわけですが。今回はとっておきです!」
そう前置きして深呼吸すると、また子供らしい笑顔で研究内容を発表した。
「究極のもふもふ生物を作るのです!」