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第五話

 

 和室の真ん中に敷いた布団には、カーテンをすり抜けてきた朝日が差していた。

 当然、それは眠っている翔人の顔にも当たっている。

 夜明けの遅い季節に、白い光が部屋の中を薄暗く満たしている。


「う……ん」


 翔人は寝返りを打って、うっすらと瞼を上げた。

 白い光が容赦なく瞳に突き刺さる。

 思わず目を閉じて、再び眠りにつこうとする。

 ところが、見えた時計と、いるはずのない翔人以外の白兎荘の住人らしき人間の顔が翔人の覚醒を促してきた。

 休日の朝という寝ていたいときに、翔人は目を覚ます。


「おはよう。翔人」


 目の前で、雪菜の笑顔が踊っている。雪菜が白兎荘に泊まるのは、一晩限りでは無かった。その最初に迎える朝だった。

 雪菜。

 その姿が、自分の寝室で確認されていることに翔人の脳みそに警告音が鳴り始める。完全に頭が覚醒したとき、ようやく翔人に驚きという感情が押し寄せてきた。

 布団を押しのけ、飛び起きる。


「なんでお前がこの部屋にいるんだよ!」


 今が冬でよかったと翔人は心底思った。

 なぜなら、冬ならちゃんと寝巻としてスウェットかジャージを身に着けているからだ。これが夏だと、半そで半ズボンで、ときおり上半身は裸で眠っていることがある。

 家の中で、しかも寝室で異性に上半身でも裸を見られることには翔人にだって抵抗感はあった。

 ただ、寝顔を見られてしまったであろうことは、悔やまれる。


「朝ごはん」


 一言で要求を突き付けてきた雪菜に関心すら翔人は向けてしまいそうになった。


「眠い」


 仕返しに翔人も一言で返す。それでも雪菜は引き下がらなかった。


「お腹すいたの」

「お前は食欲の塊か?」


 もう一度布団を被ろうとして雪菜に布団を押さえつけられる。

 いくら翔人の寝起きが良いとはいえ、寝起きにしつこくされたら誰でも対応は辛辣になるだろう。


「酷い。これでも、女の子」


 布団を引っ張るが、雪菜の体重が乗っていて、腕の力だけじゃ取り戻すのは厳しそうだった。


「ごはん。朝ごはん」


 雪菜は単語を並べた主張を続ける。これが、下手に言葉を組み立てるよりも、威圧的な主張になっていた。

 何回も引くが布団はびくともしない。無言の威圧として翔人は雪菜の顔を睨むが、ごはんという単語と一緒に放たれる笑顔で返される。

 観念するしかないらしいと、翔人は悟った。


「分かった。作るから、その手放せ」


 翔人は布団を押さえつけていた雪菜の手をあごでしゃくる。


「はい」


 雪菜が素直に手を放す。


「隙あり!」


 翔人は勢いよく布団を被る。

 雪菜に止める隙など与えない。

 雪菜に背を向けて、被った布団は首元でしっかりと手で押さえる。


「あっ。ずるいよ、翔人。騙したねっ」


 雪菜が布団を被って動かない翔人の体を勢いよく揺する。

 翔人は布団に入っていれば特に文句は無いので、平気な顔をしていた。少々、揺れが強すぎる気もしていたが、許容範囲内だった。

 だが、雪菜は諦める気がないらしい。揺れはずっと続いている。

 そろそろ布団から出て、朝食を作ってやろうかと翔人が思ったとき揺れが止んだ。


「早く起きないと、キスするよ」


 雪菜がそんなことを言い出して、面食らった。

 けれど、できもしない脅しだろうと翔人はもう少し大人しくしておく。内心でほくそ笑んでいた。


「本当にするよ? いいの?」


 雪菜が言葉を重ねてくる。

 やっぱりできないんだと翔人が思って、しばらく動かないでいると雪菜が動く気配があった。

 果たして何をしているか気になった。翔人は寝たふりのために閉じていた目を開く。


「なっ……ッ」


 驚きの声を上げようとした唇が塞がれてしまう。

 行き場を失った息が肺を逆流する。熱が唇を駆け巡った。

 これは、まずい。

 翔人はしっとりとした唇から離れ、布団からも飛び出る。壁際まで後ずさり、唇をさすり意識してしまう。


「本当にキスするなんて。馬鹿かよ」


 信じらんねえ、と翔人の口から呟きが漏れる。

 驚いたことによってキスはほんの一瞬だったが、それでも翔人が雪菜にキスをされたことには変わりがない。

 感触も覚えていないし、感じる余裕もなかった。


「本当にするって、言ったでしょ」


 雪菜は翔人が寝ていた布団の上に両手をついて四つん這いになっている。

 その雪菜も唇をもじもじとさせ、翔人から顔を逸らして顔を赤らめていた。

 顔を見ていた翔人の視線が自然ともじもじとする唇に引き寄せられる。翔人も、より顔が熱くなっていくのが感じられた。火が出そうだ。

 窓から差し込む朝日が、見えている景色をぼかす。

 しばらく、翔人と雪菜は同じ体勢のまま固まっていた。


「朝ごはん、作るか……」

「うん」



* * *



 廊下に出て、階段を下る。

 軋む床板の音が後ろにもうひとつあるので、翔人には雪菜がついてきていることが分かった。


「朝ごはん、何がいい?」


 階段を降りながら、翔人が雪菜に聞いた。

 さっきのことを気にして、声がいつもと違う気がした。

 短い階段は、そのひとつの質問で終わってしまう。台所は階段が終わってしまったら、すぐのところだ。


「悪いことした、と思う。好きなの、作ってやるよ」


 我ながら酷い対応の仕方だと、翔人は思った。

 けれども、今の翔人が考えることができたのはこれくらいだった。

 台所に入っても、後ろに気配があったので雪菜がいることは分かっている。

 お互いに、不自然に同じ向きで前後に並んで立っている。

 それが、朝にあったことを余計に意識させた。


「……卵焼き」


 雪菜が小さな声で答えた。


「分かった。ちょっと待ってろ」


 少しの沈黙でも辛かった翔人の返答は早かった。

 翔人はさっそく冷蔵庫を開けて、生卵をふたつ取り出す。コンロに向かうとき、服の裾を引っ張られた。


「甘いやつね」


 翔人は振り向く。目が合う。


「分かった」


 翔人は卵を見つめて返す。

 今、雪菜の顔を見続けることができなかった。

 雪菜の手が裾を離れ、翔人は卵焼きを作り始める。雪菜の希望通りに、砂糖を多めに入れた。

 雪菜は、イスに座って出来上がるのを待っている。


「どう、だった?」


 静かにしていた雪菜が、翔人に話しかけていた。

 雪菜の質問に、翔人手が一瞬止まる。

 けれど、卵焼きを焦がさないように、手を動かし始める。


「何が?」

「……分かってるでしょ」


 雪菜の声が不満げにとがる。

 無意識にでも朝のことを思い出した翔人は、心臓がどんどん高鳴るのを感じた。


「びっくりした。それが、一番。それ以外は、考える余裕がなかった。だから、ほとんど何も感じてないし、覚えていない」


 意外にも、しっとりした唇以外は。そう心の中で翔人は付け足す。


「……そう、なんだ」


 雪菜の声は残念そうな響きが含まれていた。

 その間にも、翔人の手はてきぱきと動いていた。薄く焼かれた卵をくるくると巻いていき、よく見る卵焼きの形に仕上げていく。それを等間隔に切り分ける。

 冷蔵庫からプチトマトと、ハムを出してきて卵焼きの皿に一緒に盛り付ける。

 それを雪菜の待つ食卓に置く。


「ほらよ」


 食卓に置いて、翔人は何かの違和感に気付く。


「あ……。パン焼き忘れてた」


 普段通りにはいかないらしい。



次回の投稿は、2017年1月5日(木)23時です。

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