第14話
ただいま……!
「宇良くん……?」
疑問符に満ちた声が平穏を感じていた翔人の心を一瞬で巻き戻す。
「や、山原さん……」
見られたくなかった。
最初に思ったのはソレだった。
山原さんには告白もしていない。だから、他の女の子と仲良くしていようが翔人が罪悪感をもつ必要はないはずだ。
けれど、目の前に現れた山原さんの瞳は不思議と逸らしたくなる目だった。
「誰?」
ミズキが若干鋭い目つきになっている。
「私は宇良くんと同じ大学に通っています。山原南帆です」
翔人が答える前に山原さんがミズキに自己紹介をした。
山原さんはミズキにそれだけ言うと、すぐに翔人の方を向いた。心なしか視線の冷たさが増しているような気がする。
「雪菜ちゃんとはどうなったの?」
「雪菜?」
どうしてここで雪菜の話を持ち出してくるんだ?
翔人はよく分からなかったが、山原さんの目がさらに細められたのを見て焦りながら答える。
「もう家に帰ったんじゃないのか?」
「知らないの?」
適当な言い方をしたせいか、山原さんの声がキツい。
「喧嘩したらその日の朝にはいなくなっていたんだ。あいつは携帯も持っていないし、連絡の取りようがない。もともと家出していたんだ。帰ったんだろ。おかげでのんびり暮らしているよ」
「ふうん」
しばらく無言の見つめあいが続く。
「心配じゃないんだ?」
「あいつだってもう成人しているだろ。いちいち心配されるような年じゃない」
「それでいいんだ」
山原さんの上からにらみつけるような目線にイラついた。
「どういう意味だよ」
言った後で後悔した。
翔人は別に山原さんを嫌っているわけではないし、そんな関係は少しも望んでいない。
けど、冷静になるには遅かった。
「私は納得しない」
瞳に軽蔑の色を混ぜながら、山原さんは言った。
翔人の胸にザラリと錆びついた刃が入った。
翔人は何も言えないまま、去っていく山原さんの背中を目で追っていた。
「何、あの女」
「気にするな」
「待ってよ。それにユキナって誰?」
ミズキがしつこい。
「気にするなって」
「言えないような関係なんだ」
ミズキの声に若干の棘が混ざる。
ミズキからしたらよりを戻そうとしている元カレに、女の陰が複数ちらついたのだ。気にならないわけがない。
しかし、翔人の気も立っていた。
「気にすんなって言ってんだろ」
ミズキの顔を正面からにらみつける。
ミズキの顔が一瞬だけ恐怖したかのように見えた。
お互いが黙って見つめあう。
そのあと、夕方まで一緒に過ごしたものの険悪なムードは一向に改善されなかった。
「送ってくか?」
「いい」
別れ際、断られると分かっていたが社交辞令として聞いてみた。案の定断られたが。
「ショウが……何でもない」
「なんだよ」
「気にしないで」
それだけ言い残してミズキは立ち去ろうとする。
翔人は思わずミズキの肩を掴んだ。
「何よ。やめてよ」
「なんでそんな不機嫌なんだよ」
「分からないの?」
「分からねーな」
売り言葉に買い言葉。
ただの反抗心で翔人は言葉を選んでいた。
ミズキの口が開きかけたとき、聞き覚えのある声が遠くから聞こえた。
「翔人?」
「雪菜……!」
とっさの反応だった。
ミズキに向いていたはずの意識が、すべて雪菜に向いた。
「さいってい」
「……え」
頬に痛みを感じた。
「わたしはあの女の代わりだったんだ」
平手打ちされたのだと今更理解した。
ミズキは肩に置かれていた翔人の腕をはじき、道の先へと駆け出した。
翔人は固まったまま動くことができなかった。
「雪菜!」
地面をける音がして振り向くと雪菜が背を向けて駆け出していた。
翔人は、ミズキではなく、雪菜を追いかけた。
追いかけて追いかけて。
雪菜の手首に手が届きそうになった時、軽く振り向いた雪菜と目があった。
「来ないで!」
明確な拒絶だった。
一体、雪菜からの拒絶が翔人にとってどれほどの衝撃だったのだろう。
足は止まり、思考も止まった。
走り去る雪菜を追いかけるための、一歩を再び踏み出すことはできなかった。