第12話
久々の投稿。
翌朝。いつものように朝ご飯をせがむ声はなかった。
何日ぶりの静かな朝だろうか。
「俺は何をしているんだ?」
雪菜はいない。
なのに、食卓の上には食器が二人分並べられていた。
「おかしいな」
なんでこんなに寂しいんだ。
* * *
雪菜が翔人の目の前からいなくなって、一週間が経っていた。
もうすぐ一月も終わるだろうか。
「……」
白兎荘は静かだ。シンと静まり返っている。
残り香だけがそこには存在していた。
冬の寒風がたてつけの悪くなった窓を鳴らしている。
台所で読書していると、鋭い音が響いてお湯が沸いたことを告げてくる。
翔人はゆっくりと立ち上がって火を止める。食器棚のほうへ歩いていき、マグカップに手を伸ばす。
「……雪菜」
隣に置いてあったマグカップに手の甲が触れる。これまでの白兎荘には絶対に存在しなかったであろうパステルカラーの明るいマグカップ。
この冬から翔人のマグカップの隣に増えた。
あの日から、雪菜が残していった痕跡を見るたびにため息をつく日々が続いていた。
雪菜がいなくなった夜。玄関の扉が開く音はしなかった。なのに、階段を下りた先にすでに雪菜はいなかった。
本当に幽霊なのだろうか。非現実的な事実が、いまだに受け入れがたく心にわだかまっている。
けれど、あの日々は翔人の夢などではない。
現実だ。その証拠に雪菜が触れて、使っていたものはすべてここにあるのだから。
「あの野郎……」
こんなものを残していくなら、最初から来るんじゃねえよ。
しかも、俺は過去の男の代わりにされたんだろ?
これまで我慢していた熱いものがほほを伝って流れていった。
翔人はいつの間にか外に出ていた。雪菜と最初に買い物に来たショッピングモール。
雑多な人込みの中で何も見もせず歩き回っていた。
いや、追いかけていた。
あそこは雪菜が箸を買った店。マグカップもだ。歯ブラシはあそこの店だった。
景色が、灰色だった。
雪菜がいなくなればいいと、最初は思っていた。けれど、実際にいなくなってどうなった。心にはぽっかりと穴が開き、その穴は埋まることなく蝕んでくるだけだった。
俺は、あいつに会いたいのか?
翔人は、立ち止まった。
あいつは俺を他の男だと思って接してきていたのだろう?
口元がゆがんだ。
「ショウ?」
その時、後ろから聞き覚えのある声で懐かしい呼び名が呼ばれた。
「……ミズキ」
「どうしたの。こんなところで会うなんて珍しいね」
ミズキがうつむき気味だった翔人の顔を覗き込んだ。
うっすらと茶色を含んだ髪がさらさらと肩から胸に流れ落ちた。
「いや、少し散歩に来ただけだ」
翔人は誤魔化したが、ミズキは翔人のことをよく知っていた。
「誤魔化したでしょ。いや、っていう時はたいてい誤魔化してる時だったもんね」
「そんなことない」
翔人は否定するが、ミズキも慣れたものでくすくすと笑っている。
「元がつくとはいえ、恋人だった女の子の目は騙されないぞ!」
ああ。
雪菜の笑顔もこんな風に無邪気だった。
「実に悩みのありそうな顔をしているね。聞いてあげようか」
ミズキはそう言って翔人の袖を近くの喫茶店まで引っ張てきた。
翔人はその手を振り払うこともせず、ただついていった。
注文を済ませ、ミズキに促された翔人は雰囲気に流されるままに話してしまっていた。
「ふ~ん。同棲していた彼女に逃げられたんだ」
ミズキは甘ったるそうなウィンナーココアを一口飲んだ。
いつも思っていたが、そんな甘いものを飲んで胸が焼けないのだろうか。翔人も一度飲んでみたが、飲める代物じゃないと感じた。
「……まあ、そんな感じなのかな」
確かに可愛かった。
今になって思えば、山原さんには悪いが、好きになりかけていたと思う。
「ショウもあたしも、別れてから碌な恋愛してないね」
「ミズキもかよ」
お互い何とも言えない表情になりながら笑いあった。
「ショウの話も聞いたんだからさ、あたしの話も聞いて行ってよ」
雪菜にも似た無邪気な笑みを顔に浮かべてミズキも話し始めた。
久しぶりに再会した二人の話は日が暮れるころまで続いた。
「あたしたちってさ、似てなさそうで結局は似た者同士って感じだよね」
暗くなった帰り道を二人並んで歩いていた。
その距離は付き合っていたころのように近い。
「そうかもしれないな」
やっぱり楽しかった。
ミズキといるのはリズムが合うというか、馴染んだ。
別れた理由は、何だったかな。そうだ、俺が他に好きな人ができたって言って別れたんだった。その恋は結局叶わなかったし、そのすぐ後に山原さんのことが気になったんだ。
喫茶店で花が咲いていた会話は、夜道を歩くうちに途切れ途切れになり、今はポツリポツリと言葉を発するだけになった。
リズムはゆっくりとなり、落ち着いた空気になっていく。
「じゃあ、あたしのアパートすぐそこだから、ここで」
交差点の横断歩道を渡ったところで、ミズキが手を振った。
「ああ。じゃあな」
翔人も手を振り返して白兎荘へ帰る道に向きなおろうとした。
「ショウっ……」
突然、ミズキの異様に熱くなっていた手が、翔人の手を握りしめた。
「やっぱりあたし、ショウの事が好きだよ。変な振られ方したもの同士さ、やり直さない?」
その言葉は予想外であり、少し期待してしまっていたのかもしれない。
翔人の胸が嫌な跳ね上がり方をした。
そのどこか苦しそうな表情は、雪菜が泣きそうになっている表情に見えた。
翔人の全身が何とも言えない感覚になり、そして何かが緩んだ。
これは、許されるだろうか。
ミズキの唇はとてつもなく熱かった。
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