3、~夜明けの来訪者~
辛うじて残っていたベランダの柵に乗り、片手で黐桜の体を支える〝人〟・・・
黒いローブに全身を包み、フードを目深に被っているので男女の判別もできない。
体を拘束していた〝黒〟は消え、裂魁は頬と腕にできた掠り傷に触れないよう慎重に、しかし視線はその人物に向けたまま起き上がる。
黐桜は呆けているようだが、きちんと自分の足で立っているし、意識もハッキリしているようだ。
それを確認し、裂魁は警戒を解かないまま、その場の全員の疑問を投げかけた。
「何者だ?お前・・・どこから現れた?」
硬く閉ざされていた口は、裂魁の質問に答えない代わりに、ゆるりと楽しそうに弧を描いた。
奇妙な威圧感を醸し出し、背中に携えた鉄製の六尺棒は、明らかに身長を超える長さだ。
袖から見える手、フードに隠されていない鼻から下を見るだけでも恐ろしく白い肌ということは分かった。
黐桜が落ちた時、裂魁と澪織は闇に全身を包まれかけていた。
だが、意識を手放しかけた瞬間〝黒〟の動きが止まり、それは消え去った。
まるで、最初からそこには何も無かったかのように。
驚くのもつかの間、黐桜を心配した澪織がベランダに出ようとした時、
〝奴〟は現れた。
黐桜の腰に手を回し、引き上げるようにして飛び上がってきた〝影〟はそのままベランダの柵の上に着地し、黐桜を降ろした。
未だに黐桜を気遣ってか、彼の肩に手を回している。
『この騒動はこの人が・・・?でも、黐桜を助けてくれた・・・のよね?』
驚愕の出来事が続きすぎて、確信には至らない。
けれど、相手からは殺気の類も感じられなかった。
「う・・・ぅ」「!、黐桜!」
疲労の所為か、掠れてしまっている声を出した黐桜は、ふらつきながら自分を支えていた人物と向き合う。
「お前、誰だ・・・?敵じゃねぇよな?俺を助けてくれた・・・」
息を荒くし、つっかえながらも言葉を紡ぐ黐桜。
裂魁達は表情には出さないが、内心ハラハラしながら黐桜を見守っていた。
「なんで・・・」
「油断すんなよ、黐桜!まだそいつが味方だって決まったわけじゃ・・・!」
「君達には・・・」
「「「!」」」
凛として、どこか澄んでいる少女らしい声。
まだ幼ささえ含むその声に三人が驚いていた時、いきなり強風が吹いた。
裂魁と澪織は、思わず目を閉じてしまったが、黐桜は確と見た。
風に煽られ、外れたフードから現れた・・・〝彼女〟の顔を。
光を閉じ込めた、白銀の髪。
腰を超えるほど長いそれを、ボサボサのまま無造作に垂らしている。
今までローブの中に収まっていたのが不思議なくらいだ。
顔の半分を覆っているので、黐桜以外はさっきとあまり視界が変わっていない。
前髪の隙間から覗く銀色の瞳は、深い色合いながらも色素が薄い。
唯一目の前にいる黐桜を真っ直ぐ見据え、黐桜もその強い光に釘付けになった。
「君達には死んでほしくない。それだけさ」
小さく息を吐き、少女は柵の上で立ち上がる。
互いを見合っていた黐桜も視線を上げ、最後に彼女は目を細めて笑った。
「じゃあね、綾歌黐桜・・・」
「はっ・・・?え、おいっ!?」
足場を蹴り上げ、後ろに飛び退き、その場を離れた少女。
・・・しかし忘れてはいけない。
黐桜達がいたのは三分の一ほど壊れたベランダ。少女が蹴った足場はその柵だ。
後ろには何もなく、落ちたら地面に叩き付けられる・・・。
「マジかよ・・・!」
「ちょ、嘘でしょ!?」
事情は分からないが、自宅の前で飛び降り自殺(?)などたまったもんじゃない。柵に駆け寄った黐桜に続き、裂魁と澪織も部屋から走り出てきた。
ふわあぁりっ
「「「!?」」」
・・・が、それは杞憂に終わる。
彼らの驚きを余所に、少女は空中に浮かんだ。
そして振り返った時、彼女の右隣の空間に亀裂が生じた。
「騒がせてごめんね。でも、これからは君らも危機感もちなよ?伊吹姉弟」
そっと囁く様に言うと裂け目はさらに大きくなり、黒い円形の穴になった。
清々しい微笑を湛え、烈火と澪織に片手を振ると、少女は裂け目に身を投じる。
少女を吸い込んで間もなく、亀裂と裂け目も消えたが、黐桜達はしばらくポカンとその場に立ち尽くしていた。
夜明けの街は、未だに静かだった。
* * * *
高層ビルが建ち並ぶ街の、遠く離れた外れに佇む廃墟。
今にも崩れそうで、近々取り壊されるらしいその建物の屋上に、少女はいた。
揺れる髪は輪郭をぼやかし、纏うローブで闇に同化しそうだ。
感情のない目でただ真っ直ぐ前を見ていた少女だが、不意に笑みを浮かべた。
次の瞬間、彼女の後ろに黒い大きな穴が現れ、そこから二つの影が飛び出した。
少女と同じローブを纏い、しかし少女より少し背が高い影たちだった。
「遅かったね、二人とも。もう少しで死人が出てたんだよ?」
二人を振り向き、微笑みながら軽い調子で言う少女。
現れた人物のうち、一人はため息をつき、一人は怒りのオーラを放っている。
「姐さんが急に飛び出すからじゃん!せめて一言かけていってよ!」
「今に始まった事ではありませんが、単独行動は控えてほしいとあれほど言っておいた筈です。追っ手を撒いてる最中に、いきなり空間移動するなんて・・・」
声からしてどちらも少年。吐き出されるのはどちらも文句の嵐。
だが、当の少女は涼しい顔で受け流している。・・・僅かに苦笑も含んでいるが。
「ごめんごめん。でもあの支社長、やっぱり綾歌黐桜たちに手ぇ出してきたからさ。ほっとく訳にはいかないじゃない?気紛れだけの行動ではないし、許して」
手を合わせて申し訳なさそうにする少女に、二人は何も言えなくなった。
怒りが収まったらしい事を確認すると、少女は笑みを消し、真面目な表情になる。場の空気も変わった。
「イェン。データは?」
「ここに」
イェンと呼ばれた少年は、ポケットから出したUSBメモリを見せた。
「よし、今夜の成果は十分。あとは追っ手が来る前に・・・戻るよ」
「「了解」」
疾風を切り裂き、三つの影は、闇夜を駆け抜けた。