ありがとう。といっていなくなる人
私はありがとうと思った証を残していなくなる人の事を結構前から考えているのだが、未だほとんどわかることが出来ていない。
それどころか、その想いに近づけているのかさえ全くわからない。距離感すら掴ませてくれない。
私も時折いなくなりたいと思う事はもちろんある。
だが、そんな時に思い浮かぶのは、祖母より早くいなくなれないなであったり、親よりも早くいなくなれないなという思いだ。そして、そう思う人間は私の他にもきっといるのだと思っている。
でも、だからこそわからないのだ。
ありがとうと残していなくなる人の事が。
ありがとうと思っているのに、いなくなってしまうのか?
想える相手がいるのに、何故いなくなってしまう事ができるのか……私には全くわからないのだ。
何も残さずにいなくなる人の気持ちは少しだけわかる。きっと想える人がいなかったり、あるいは何も考えられない状態だったりするのだろう。ふとした弾みでそのまま……そんな事もあるのだろう。
しかし、ありがとうと残していなくなるという事は、残される人の事を一度もしくは何度も想ってからいなくなっているという事になる。
何故そのようなことが出来るのだろうか?
その人はいなくなるその日まで、いったい何を想ってそこにいたのだろうか?
その人はいなくなったその日に、そこにいようと想えた何かを全て失ってしまったのだろうか?
もちろん人それぞれ、たくさんのいなくなりたい事情があるのだと思う。そして、その中には少しは納得してしまえる事情というものもあるかもしれない。
だがしかし、それは全てではない。
ましてやそれが学生ともなれば、どんな事情があろうともわかる事は出来ないかもしれない。
ただ、それでも私はこの事を考え続けると思う。
たとえいなくなろうとしている人を引き留める事が不可能だと思っていたとしても、私は考え続ける。