第16話 瓦礫を背に
『――さぁ、どうする東雲サハラ?』
空から降ってくる声に、サハラは全身の力を使って抗う。
「ウリ、エル……てっめぇ……!」
機体の著しい損傷を告げるアラート。全天周のモニターを覆いつくす黒煙と瓦礫。外から聞こえてくる誰かの大声。
倒れた《アルヴァ》を起き上がらせるため、腕と足に力を入れる。自分が今どうなってるか、サハラはわからなかった。
確認することすらせず、ただただ空の騎士を睨む。全身の痛覚が壊れたのだろうか、焼けるように熱い。
「がぁ……っ!」
呻きながら足と腕を動かす。右目を熱いものがどろりと覆って、また視界が赤く塗り重ねられる。
『――ここまで、だな』
その様子をゆっくりと眺めていたウリエルが、ふいに会話を切り上げる。《ヘルヴィム》が剣を収める。
『――最早弱者であるお前と戦う意義は何処にも無い、東雲サハラ』
「……待て、このッ……!」
ぐらりと揺れる《アルヴァ》の中で、サハラが咆える。
しかしもう、その言葉はウリエルの意識の外だった。
『――其れに、借りた剣は振るい難いしな』
ヴヴヴ、と《ヘルヴィム》の銀文様が点滅する。
ウリエルはそれだけ言うと、《ヘルヴィム》の腕を天高く掲げた。
すると呼応するように青空が歪み、次元の穴が開く。
周りの《エンジェ》《アルケン》がそれを見て虚空に戻り行く中、《ヘルヴィム》もまたゆっくりと穴へ向かう。
「待てっつってんだろ……!」
機体が倒れるのも厭わず、サハラは《アルヴァ》の右手で呪光砲を放つ。しかし《ヘルヴィム》からは逸れ、届かない。
『――さらば、だ。東雲サハラ……』
ウリエルの邪悪な笑みが、サハラにも見えた気がした。
虚空へと消えゆく《ヘルヴィム》の文様が強く閃く。
『――次は更なる戦いを、楽しみにしているぞ』
「待てえッ!」
その挑発的な台詞に、サハラが叫ぶ。反射的にブースターを燃やすと、ぐらりと不安定な姿勢のまま飛び上がる《アルヴァ》。
「このまま、行かせて堪るか……!」
歯を食いしばって飛ぶサハラの耳に、何かの音声が伝わる。
『……ラ! ……ハラ!』
熱くなっているサハラに、そのノイズ交じりの音は届かない。しかし、そのノイズが不意に晴れて、サハラにもその声が聞こえた。
『サハラ! 戻れ馬鹿!』
『サハラっ!』
聞き覚えのある二つの声。それは、管制で戦っているアランとマオのものだった。
『天使は退いてるんだから、無理に追わなくても……!』
「俺はエースなんだよ!」
マオの言葉に、サハラが叫ぶ。
それは自分に言い聞かせる呪文のようだった。
「隊長とシューマもやられて、エースである俺までくたばるわけにはいかねぇんだ! 俺が……俺がアイツを!」
サハラの目は既に《ヘルヴィム》も消え、徐々に閉じ始めている次元の穴しか映っていなかった。
そんなサハラへ、アランが怒鳴る。
『馬鹿言ってんじゃねぇよ! そんな状態の《アルヴァ》で勝てる訳ねぇだろ!』
「でも!」
『でもじゃねぇ!』
「アラン、俺は!」
『死にに行くのがエースかよ!? いま生きて、次アイツぶっ飛ばすのがお前の仕事だろうが!』
「……ッ!」
アランの言葉に、サハラの力が緩む。
ブースターの火が消え、一瞬空中に留まった――かと思うと、落ちていく《アルヴァスレイド》。
サハラは力が入らなくなってしまった体でなんとか落下を制御しながら、閉じる虚空を眺めるしか出来なかった。
「くそ……くそッ……!」
今の自分は負けた弱者でしかないことを痛感しながら、サハラは隻腕の《アルヴァ》と共に、落ちる。
今回の戦いでユデック基地は大きく損傷し、職員は総出で復旧作業にあたることになった。
それは雪暗セイゴ率いるセイゴ隊も例外ではなく、負傷した雪暗セイゴ、白雨シューマ、そして東雲サハラもまた作業に駆り出されていた。
「……サハラ……」
瓦礫の除去をしながら、マオが遠くを見る。
崩れた第一格納庫から少し離れた場所、瓦礫の上で、サハラは傷付いた己の愛機を見上げていた。
「ったく、あの馬鹿野郎が」
マオの隣で、そう吐き捨てるのはアランだった。
次元の穴が閉じ、《アルヴァ》が他の堕天機に支えられながら帰投した直後のこと。
応急手当を受けたサハラへ、アランは基地の廊下で掴みかかっていた。
「お前の真っ直ぐなとことか、エースとしての覚悟とかは嫌いじゃないし凄ぇと思ってるよ」
「……」
サハラの黒い瞳の奥をを睨みながら、アランは続ける。
「でもお前は少しは考えろって言ってるんだよ。エースなら勝手に死のうとするんじゃねぇ。周りを見ろ」
アランはそれだけ言い放つと、踵を返して廊下の奥へ消えて行ったのだった。
「良くも悪くも馬鹿なんだよアイツは」
おどけるようにそう笑うのは頭に包帯を巻いたシューマだった。
「真っ直ぐなんだよ、東雲サハラって男は」
「でも融通の利かないそれは、ただの馬鹿だ」
シューマの言葉に反論するアラン。
アランは瓦礫を片付けながら呟く。
「自分が天使にとってどういう意味を持ってるのかわかってんのかよ……」
その言葉は虚しさと哀しさを孕んでいた。
一瞬だけ、ただ一瞬だけ闇のように深い目をしたアランは、切り替えるように首をぶんぶんと振る。
「あぁーっ、イライラする。俺もう一回アイツに――」
文句言ってくる、と歩き出そうとしたアランを誰かの手が制した。武骨だが傷だらけの手。
「俺が行く」
そう言ったのはセイゴだった。まだ生傷が目立つ体でサハラの方へ歩きながら後ろの三人に告げる。
「朝霧マイトからセイゴ隊に辞令がある。先に行け」
一方。
サハラは愛機を見上げながら、拳を握り締めていた。
「畜生……ッ!」
左腕を失い、痛々しい姿を晒す《アルヴァスレイド》。
その機体の特異性ゆえにここまで損傷すると修復は困難らしい、とゴロウの言葉が蘇る。
この力をちゃんと引き出せていれば俺は勝てたんじゃないか。
そんな考えが頭をよぎる。
「次こそ、俺が……!」
サハラがそう呟くと、後ろから声がかかる。
「今は、それでいい」
振り返ると、そこにはセイゴが立っていた。
「隊長……」
少し意外な言葉に、サハラは驚く。
てっきり、また厳しい言葉をかけられると思っていた。
「サハラ」
セイゴは真っ直ぐに《アルヴァ》を見ながら訊く。
「確かにあのウリエルは強敵だ。お前が倒すべき相手かも知れない。……あるいは命を捨ててでも時間を稼ぐべき相手かも知れない」
「……」
「だが、先日の戦いは命を捨ててでも食い止めるものだったか?」
「……」
先日の戦いを思い出す……いや、思い出す必要もなかった。
敵は退いていた。こちらは消耗していた。
なら、追う必要がなかったのは当然のことだ。
「……いいや、違いました」
「それでいい」
セイゴはサハラの肩に手を置いて、続けた。
「次、お前が勝てばそれでいい」
それだけ言うと、踵を返しながら、セイゴはサハラに言い残した。
「朝霧マイトがセイゴ隊を呼んでいる。来い」
サハラはもう一度、《アルヴァ》を見た。
赤と黒の機体は傷付き、左腕がない姿は明らかに敗北したそれだった。
しかしその緑眼は曇ってはいなかった。
それを確認すると、サハラは立ち上がった。
「ようやく揃ったか」
セイゴ、シューマ、マオ、アラン、サハラ……五人を前にして朝霧マイトが手にした書類を開く。
「辞令だ」
その声は淡々と書類を読み上げていく。
「小春日マオを除いたセイゴ隊四人はテノーラン基地へ配属となる」
サハラは一瞬、言葉の意味するところを考えた。
テノーランという名前はサハラにとって馴染みある場所の名であり、あの人がいる場所。
しかしサハラはその前提に気付いた。
「テノーラン……って、マオを除いてって今」
聞き返すサハラへ、朝霧は頷く。
「あぁ。小春日マオはこのユデック基地に残ってもらう。そうだな?」
朝霧が確認すると、マオが「えへへ」と笑って朝霧の隣に立った。
「そういうことなの」
どうして、という顔をしていたのだろうか。サハラやシューマへマオが説明する。
「言ってたでしょ、考えてることがあるって。だからね、私は残るの」
セイゴはそれを知っていたらしく、目を伏せて同意している。アラン、シューマ、サハラの男性陣だけがきょとんとしていた。
そんな男たちへ、マオが笑いかける。
「大丈夫。すぐに会えるよ、きっと」
そこまで聞いても、サハラにはマオが何を考えているのか分からなかったが……それでも、マオの決めたことならと割り切った。
それを確認して、朝霧が話を戻す。
「セイゴ隊にはテノーランへ向かってもらうが、途中でイーナクにも寄ってもらう」
「イーナク?」
シューマが聞き返す。
イーナク基地は、東に位置するユデックと西に位置するテノーランの間にあるカトスキアの基地だった。比較的天使の襲来が少ないことと、温暖な気候から物資が豊富なことで有名である。
シューマの問いに、朝霧が淡々と答える。
「イーナクにて、損傷した《アステロード》二機の修繕と《アルヴァスレイド》の応急処置を行う。それに、テノーランへ行くついでに拾ってもらう人物がいる」
「人物ぅ?」
誰だよ、と訝し気に聞くアラン。朝霧はそれをじろりと睨むと、その名を告げた。
「春雷 デオン、という男だ」
「春雷……デオン」
名前を取り敢えず反芻するサハラ。訓練生時代に聞いたような、聞いてないような。
「辞令は以上だ」
そこまで語った朝霧が、ぱたんと書類を閉じる。
「出発は明朝。各自それまでに自機と荷物の搬入を済ませておけ」
そして、翌朝。
いよいよ出発となり、サハラたちは迎えに来たカトスキアの艦で朝霧とマオに短く別れを告げていた。
「じゃあな、マオ」
「うん。サハラもアランも、また今度ね」
「あぁ。この馬鹿の管制は任せろ」
それだけ。
それだけだが、三人の間には『また会える』という確信があった。
マオと朝霧が艦から離れると、艦内放送が響く。
『これより本艦はイーナク基地を経由し、テノーラン基地へと向かう』
テノーラン基地。
カトスキアの中枢である、第一の基地。
過去は『アズゼアルの昇天』の舞台であり、今はその最前線であり――そして、母・東雲アシェラがいる場所。
「テノーラン……!」
水平線の彼方を見つめるサハラ。
艦長が、出航を告げる。
『では――サターネ級三番艦バアルゼーヴェ、発進!』
海の向こうへ進み行く艦を見ながら、マオが「そう言えば」と隣の朝霧マイトへ尋ねる。
「ウリエルが来た時……アランが朝霧さんに呼ばれてたって聞いたんですけど、何を話してたんです?」
何気なく聞いたマオだったが、朝霧は眉をひそめる。
「夕靄アランが? あの時私は彼に会っていないが……」
あれ? と首を傾げるマオを他所に朝霧は少し考えるのだった。
「夕靄アラン……ふむ……」




