四つ、私に春が来るⅢ
「そうだね。でも、奴隷だって主人がいい人なら一生懸命働くのよ?」
まあ、今までの歴史ではあまりなかったことだけれど。
「へぇ?じゃあ、あんたは何をしてくれるの?」
ハルは私を挑発するようにからかう。この子も、彼のことを好きなんだな、そう思える。
そして、私も。
「私は、彼の奴隷ですから。神様の言うことなら何なりと」
こういう立場を盾にできるのは、何かに縛られたがる人間の特権だ。
キスをされたから、とか、助けてくれたから、とか。理由は色々とある。
「うーわ、人間が調子乗っちゃって……。あんたなんてさっちゃんが力の供給止めれば直ぐに魔界行きなんだからね」
「そうならないようにちゃんと尽くしますー」
私はなんだかんだ、普通に生きることはできない定めだった。
ならば、神に恋をすることだって、私にとっては普通のことだ。
私にとっての世界は、もう人間界じゃない。ここで生きる私は、仮初の姿。
「……なんかあんた、生意気になった」
ハルもどこか気圧されたように私の様子を伺う・
「そりゃあね。普通の人間と一緒にされちゃあ困るよ。私は神様の第一下僕よ?」
「なにそれ。自慢すること?」
ハルは笑う。私も笑う。
私が生きる世界は、きっと、彼と共にあるのだ。私がたどるはずだった運命を変えた彼に、私は全てを捧げる義務がある。
「私が人生で、一番自慢できることだよ」
言うと、ハルはどこか羨ましそうな視線で私を見た。
「何よ何よ、人間のくせに!」
「ハルもなっちゃえばいいんじゃない?人間がなれるんなら、精霊もなれるでしょ?」
私が聞くと、ハルは黙りこくる。
電車の中で、大声でこんな話をしているのに、どこか誇らしく、楽しい。まあ、ハルの力がなければ私はとっくに精神病院の患者だろうけれど。
「さっちゃんは、そういうのあんま好きじゃないから」
どことなく、しょんぼりとするハル。
「物事は何事も、自然に、あるがままなのが一番だって。だから、必要がないやつを隷属はさせないんだって」
なんとも彼らしい発言のような気がした。
「でもね、そうするとさっちゃんは一人でしょ?」
ハルは言う。
「人間やめて、神になって。ずーっとさっちゃんは一人っきりであの場所を綺麗なまま守ってきた。さっちゃんがさ、何考えてるのかは私、あんまり良くわかんないんだけどさ。ずっと一人って、寂しいでしょ?」
魔界に流されて、ずっと一人だった私は、すぐ目を瞑った。
状況はだいぶ違えど、彼は未だ目を開いたままそこにいる。
「だからさ、私はさっちゃんの頼みだったら聞くし、何かしてあげたいな、とは思ってる」
彼女もまた、彼のことを大切に思っている。それは痛いほどわかった。
「でも、私は風の精霊だから。ずっと一緒にはいられない。だから、ずっと一緒に居れるあんたは嫌い」
ハルはそう言いながら、私に向けて微笑んだ。
思いの長さの違いはあるかもしれない。けれど、私たちは同じ思いを通じて、気持ちを通わせることができたのかもしれない。
電車が町並みを通り過ぎ、窓の景色を自然が覆うと、彼の領域に入ったことが自然と理解できた。身体の細胞が震えるようだ。これが私の霊力ということなのだろうか。
学院前の駅で降り、その後も歩いて桜山を目指す。
「軽いって言っても、結構しんどいものよね……!!」
運動に秀でていない私の肉体では、彼の体を背負って斜面を歩くこともややしんどい。
「ほら、もう少しだから、頑張りなさいよ」
「っていうか、私どんな風に彼と接すればいいんだろう?」
下僕とか奴隷だとか、散々自分でも言ったけれど、実際何をすればいいのかはよくわからない。
「別に何もしなくていいんじゃない?普通に人間らしく生きるだけで。あんたに急に何ができるってわけでもないでしょ?」
確かにそうなのだけれど。
そう、好きになってしまった以上、彼に何かをしてあげたいと思うのも、また必然の話であった。
神に恋する人と精霊のジレンマという奴だろうか。私に出来ることは、ゆっくりと彼の身体を運ぶことだけ。
一ヶ月しか通っていない桜風学院が、なぜか懐かしく視界に映った。校門は都合よく空いていた。校舎の端を通り、桜の木を目指す。
「上り坂キッツ!」
当然の如く、山登りは阪より傾斜が厳しい。
「弱音言わなーい。ほら、ちょっとだけ追い風にしてあげるから」
優しげな風に吹かれて、私はあの場所を目指す。
「というか、もう領域に入ってるんだから、出てきてくれても良くない?」
「そうだけど。それができないってことは、きっとその身体は必要なんじゃないの?」
だとしたら、私を救いに来たのは結構なリスクだったのではないだろうか。そう思うと、足にも力が入る。
その場所についても、彼は居なかった。やはり、身体を返さなければダメなのだろうか。
「で、どこに置けばいいわけ?」
なんだか、ハルとの距離が大いに縮まっていた。今では、言葉を選ぶ必要もない。
「えっと確か、あの桜の木の中から出てきた」
「桜の木の中?」
流石に地面を掘り返した柩の中から出てきたのではないとは思ってはいたが、木の中からとは私の想定外過ぎた。
さて、どうしたものか、私がその木に触れた瞬間、木が勝手に割れ、中に光が満ちた空間が広がっていた。
「おお……」
一瞬だけ、この中が神界なのかな、とか、ここに入ったらどうなるんだろうな、とか、懲りないことを考えた。
彼の身体をゆっくりと下ろすと、これまた自動で木の幹は閉じた。鼓動のような振動が一度来た後に、再び世界は静まった。
「ふー、やれやれ……」
そして、彼の霊体が木の幹を透けて出てくる。ジャージではなく、いつかの浴衣のような服を着ている。霊体という奴だ。
「さっちゃん!」
ハルがすかさず抱きつく。私にはまだ、そこまでの度胸はない。
「まさか、ここに入ったら肉体を入れんと出れないとは思いもしなかったぞ」
今まではこんな事態はなかったのだろう。少しばかり驚きと新鮮さが彼の新しい表情を彩っていた。
そして改めて、私を向き直る。
「ま、これで一件落着と」
私は、その視線を受け止めきれなかった。
だって、キスをしたのだ。それもとびきりに情熱的な。彼の視線を直視するには、まだ時間が必要だった。
初心だと言われても仕方がない。私は今まで男を意識したことがなくて、幽霊だけを気にしていた。そして、神様に初めて唇を奪われ、そして同時に心を奪われた。
ここまでだ、と私は思う。ここまでがきっと、避けえぬ私の運命だったのだろう。
この学院に入って、本当に良かった。今はそう思う。
「さて、あとはこいつの遅刻の処理だな」
え、と私は思う。
「いいですよ、別にそこまでしてくれなくても。自分で何とかしますって」
私は両手を振って遠慮をする。
しかし、彼は手を腰に当ててふんぞり返る。
「下僕の失態は主の失態。心配するな。頼る宛はあるしな」
ただの遅刻でもネタになるけれど、言い訳に困るのも確か。彼の善意を断るのもどうだろうか、と思う。
「うん、じゃあ、お願いします」
言うと、彼はすぐに動き出す。
「よし、じゃあ行くか。ハルはちょっとここで待っててくれ」
「えー?なんで?」
春は唇を尖らす。
「色々あるんだよ、隷属となるとな」
彼がそう言うと、意外にハルはおとなしく従う。
「わかったけど……」
何か言いたそうな口ぶりには、不満を言いたいという意思表示がある。恨みがましい視線が私に飛んだ。私はなぜか、手を合わせてハルに謝罪した。理屈はわからない。ふんぞり返っても良かったのかもしれない。しかし、そんな気にはならなかった。
「ほら、行くぞ」
「あ、はい」
彼と共に、校舎への道のりを引き返す。
彼と一緒にいると、ここが人間界なのかどこか別の世界なのか、わからなくなる。言うなら、私と彼の間に新しい世界があるような気になる。
「なんというか、俺が言うのも何なんだが」
「ひゃい!?」
唐突な言葉に、明らかに変な言葉が出て、身体が熱くなる。
「……あんな選択肢しかやれなくて悪かったな」
彼は憮然とした態度でそう言った。
「え、あ、ううん。大丈夫、です」
心臓がドキドキしている。
触れられそうで、触れられない距離感は人間であっても人間でなくとも同じ。肉体的にしか繋がれない人間と違って、私と彼はもっと根っこの方を共有している。私の中に彼の一部を感じる。それは常に磨り減っていき、なくなるとまた私は一人でどこかの世界に迷い込む。
二人で校舎に入る。廊下を歩く音が一つだけなのに違和感を感じた。
今はまだ、二限の授業中。廊下は静かだ。
「今後、定期的に俺の力を分けていくことになる。慣れんうちは弊害が出るかもしれんがそれは承知しておいてくれ」
「あ、はい……。でも、どうやって?」
「さっきやったろ?霊体で接触するんだよ」
私はつい、立ち止まった。
「さっき、ってキスですか!?」
彼は私が何を驚いているのかよくわからないようだった。
神に、人間の感覚を分れというのは、まあ無理なのかもしれない。
「別に肉体に干渉しているわけではないからファーストキスではなかろう?相変わらずこの国の人間は貞操観念に五月蝿い」
たしかに、日本は昔からそうだ。特に、キスまでの敷居が日本は高いような気がする。海外では挨拶としてやる人も多い。
「うー、じゃあ、毎回アレをやるわけですか?」
「まあそうだな。俺もどの位力が持つのかは未知数だから、タイミングはお前に任せる」
私の顔は真っ赤だった。
だってそうだろう、私がキスをねだる訳だから。そんなこと、人生で一回もしたことない。
彼は神だけど、元人間だけあって、ハルとは違う人間らしさが少しだけ残っている。彼が悪いわけではないのに謝ったりするのもきっとそうだ。
そんな彼の様子を伺いつつ、一歩引いて彼の後ろをついていくと、眼前には校長室。
応接室を挟んで職員室と中で繋がってはいるけれど校長室に直に入ることもできる。
「え、ここ?」
「そうだ。入るぞ」
「ちょ、ちょっと待ってください!別に校長先生じゃなくても!」
「こいつがここのトップだろ?だったらコイツに話をつけてもらおう」
「普通に怒られますから!大丈夫ですから!」
私が拒否すると、彼は悪戯な表情でにやりと笑った。
「いい機会だ。お前に拒否権がないことを教えてやろう」
彼がそう言うと、私の右腕に熱がこもるのを感じる。私以外の何かが、私の筋肉を動かしている。
「うええ!?」
その右手がドアをノックしそうだったので、左手で抑える。けれど、それは私の全力でも止まるはずがなかった。
「霊体は肉体とも密接に繋がっている。俺の肉体もこうやって霊力で操っていたわけだ」
「り、理屈はわかりましたからー!」
しかし、私の抵抗も虚しく、校長室と書かれたドアを、私はノックしてしまう。
はい、と中から声がした。
私は無言で彼を見る。
「入るぞ」
「……そんな偉そうに」
私は自分の意思とは裏腹に、校長室の扉を開けた。
「はいはい。えーと、今は授業中では?何かようかな?」
高野司校長は、校内でも評判の狸親父である。
見た目のとおり体格がよく、頭も良い。優しい顔をしているのもそうだが、、何より話が面白いし、人格者でもある。
彼、いや、神様を見たという話を聞きたがる。一年に何度か見る人がいるようで、その話を懐かしそうに聞くのだという。
「えーっと……」
私は彼を見る。校長も彼を見るが、そこには何もない。私の目にも彼はいない。
「あ、あれ?」
まさか丸投げ?と思ったけれど、いつの間にか校長室の机に彼は腰掛けていた。
上質な机は、彼の遊び道具でしかないのかもしれない。事実、金額的な価値は、私にももう必要のない物差しであった
私に寄ってくる校長に、なんと声をかけたらいいのか分からず、声に詰まっていると、彼が声を出した。
「おい、タヌキ」
その声はいつもと変わらなかったが、校長はその声に背筋を正した。
振り向き、きっと彼の姿を見たのだろう。その表情は、どこか旧友を見るような。子供の頃、きっとこんな顔だったのだろうな、と思うような少年の顔を校長はして、すぐ私を見た。
「君は、入学式で急に立った子だね。やっぱり、見ていたんですね」
校長先生は本当に嬉しそうに私に微笑んだ。
「これはこれは。四十年振りですかな」
「お前は老けたな」
「人間ですからな。あなたには一瞬でも、私には長かったのですよ」
まあいい、と彼は続ける。
「今回のコイツの遅刻は俺の不手際だ。適当に理由をつけて処理してくれ」
彼がそう言うと、ふぅむ、と校長は私を見る。
「まあ、その程度なら構いませんが……」
校長先生の順応さは私からしたら異様だった。大昔に一度あっただけの存在と再び再開したというのに、まるで見知った友人と会う時のようだ。
「それにしても、本当に久しいですな。少しお話でも?」
「軽々しく現れたら有り難みがないだろ。俺は確かにここに居るが、神頼みしてばかりというのもどうかと思うがな」
「それはそうですが」
校長先生も楽しそうに話をする。
「えーっと、校長先生はこの神様に言われてここの校長になったんですよね?」
私が言うと、彼は首を振る。
「俺は中身を磨けとは言ったが、校長になれとは言っていない」
「そうですな。私が勝手に思い入れて、勝手に校長になったのですよ。それはそうと、川口先生にはお会いに?」
「俺は毎日会っているよ。大人なのだから、もう少し身だしなみに気を使えと言っておけ。それと、茶も無理に毎日出す必要はないとな」
そうでしたか、と校長は嬉しげに笑った。
「え、えーと……。じゃあ、私は授業に戻っても?」
「そうだな。俺も戻ろう」
彼も机から降りる。
「ええ?話ししていけばいいじゃないですか」
「言ったろう。あまり人間に関わるのは、その人間にとってよろしくないんだよ」
見過ごせないのは別だがな、と彼はこちらに歩いてくる。
「その通りだと思いますよ。私も、彼に導かれたなどは思っていませんしね」
校長も嬉しそうに笑って、彼が座っていば場所を撫でた。
「今度から俺に用があるときはこいつを使え。人間にしては少し特殊だからな。だが、贔屓はするなよ」
まるで親のように忠告をした。
「なるほど。えーっと……」
「あ、一年の芹川七々海です」
「芹川七々海さん。あなたにも色々ありそうですけれど、決して未来を悲観しないで下さいね。あと、授業は午後から出たらよろしい。我が校は授業時間が長く、その分内容も濃ゆいので復習を忘れないように」
はい、有難うございます、と私が言う。それと、と校長は続けた。
「あの時、声をかけていただいて、有難うございます。お陰で私は今もここにいる」
その時の校長の表情は、嬉しさとも懐かしさとも言えない表情だった。だが、なにか人生で大きなことを成し遂げたような、清々しい顔だった。
「それはお前が中身を磨いた結果だ。俺に感謝することじゃない」
そうは言うけれど、彼もなんだか嬉しそうだった。
校長室を出ると、彼もいつの間にか私に隣に立っていた。
「ま、後は好きにしろ」
彼は私を置いて、先に進もうとする。
「あ、あそこでお昼ご飯食べていいですか?」
私が言うと、彼は少しばかり悩む。やはり、私といえどあの場所に人を極力近づけたくはないのだろうか。
「……まあ、今日だけだぞ」
彼はそう言って歩みを進めた。
「お前はハルともだいぶ打ち解けているからな。あいつにもいい兆しだ」
外に出ると、まだ春の暖かい風がこの地域を撫でるように吹いている。
「なんで校長先生に声をかけたんですか?」
私が問う。話によれば、校長先生は失恋していただけで、私のような窮地ではなかった。
「あいつは上手く行かないと分かっていながらも、自らにケジメをつけるために思い人に気持ちを伝えた。結果は目に見えていたが、立ち直る手助けくらいはしてやってもいいだろ。あいつは優秀だったしな」
告白を成功させる手伝いをしないのが、神たる所以なのだろうか。桜の木へと向かう坂道に差し掛かる。
「それと、私はなんて呼べばいいですか?やっぱりさっちゃん?」
私が言うと、彼は苦々しくこちらを見る。
「その呼び方はやめろ。名前はそうだな。お前が死んだときにでも教えよう」
どうやら、下僕になっても名前は教えられないようだ。
私の人生は、この場所で変わる。それは人間の生き方ではないかもしれないけれど、元々私は人間としては長く生きられなかったのではないだろうか。
「じゃあ、私も愛称を付けざるえを得ないんですけど」
「なんでだよ。神でいいだろ」
「それじゃあ味気ないですもん」
葉桜が舞うあの場所には、ハルも待っている。ここが今日から私の世界。
「ハルと考えますから」
彼は何かを諦めたような表情をした。
「奴隷の癖に、主人の呼び名を決めるのか」
「主だからこそですよ、神様」
「あ、おっそーい!」
桜風学院。
私にとって、世界の全てが変わった大事な場所。この場所で過ごす時間を、私にとって、きっと素敵な時間になる。
それはきっと、ここを去っていった卒業生も、そうなのだろう。有名になった人も、そうでない人も。
自分の世界で、自分の今を。大切な誰かや、生きがいのある何かを抱いて生きている。
その世界で、生きていく。私も、彼も。




