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At 4 A.M.  作者: 加賀いつ子
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Chapter 2

 金になるとはいえ、密輸稼業は神経を使う。

 戦況は悪化しているらしく、この国の敗北が囁かれ始めていた。

敵のゲリラは音もなく忍び寄るどころか、今では大手を降ってまかり通り、街の周囲に地雷の花壇をこしらえているという噂も、まことしやかに流れていた。どの輸送ルートが安全かを見極めるのは、情報が錯綜しているだけに至難のわざで、毎日がロシアンルーレットの様相を帯びてきた。

 ジョニーは、運転席にのぼった。今では、大型トラックも時々任される。人手不足という事もあったが、ジョニーの腕はなかなか悪くなかったのだ。

 生きている事の奇跡はすなわち、ルーレットに勝ち続ける事だ。ジョニーは、郊外へと走らせたが、見慣れた田園風景の中で、地雷にやられたらしい軍用トラックの残骸を見た途端、へびを呑み込んだような気分を味わった。この国に来てから、何度となくこういう気分に打ちのめされそうになっていたが、今呑み込んだへびは一体何匹目になるのか数えていると、政府軍兵士がバラバラとやって来て、たちまち道路を封鎖してしまった。警官の姿も見えたが、彼等は、お預けを喰らった犬のように悲しげで、形ばかりの調書を力無くとっていた。

 ジョニーは舌打ちをくれ、口の中で悪罵しながら、電話を探すためにもと来た道を引き返し始めた。周囲は野次馬だらけで、全員が農民である。辺り一面水田だったから、電話のありそうな家はない。ジョニーは街外れまで戻ろうと決めた。    

 アクセルを踏みながら、神と聖母を呪い、地元の人間を真似て

 「チョイオーイ!」

と叫んで馬鹿笑いしながら角を曲がった途端、道路脇の細い路地から子供達の集団が飛び出し、ジョニーは急ブレーキを踏んだ。と同時に、少女の金切り声が響き渡り、ジョニーは車を停めて、外へ飛び出した。

 けが人はなかったようだった。しかし、子供達―というよりもガチョウの集団と言った方が近かったが―は、怯えと興奮で口やかましく騒いでおり、そんな彼らを、一番年かさらしい少女が大変な剣幕で叱りつけていた。少女も、他の子供達も、ひと目で混血児であることが見てとれた。この街には、混血児があふれ返っている。どうやら、近くに託児所があるらしかった。

 ジョニーは、まだ激しくどなり散らしている少女に声をかけた。

 「英語、わかるかい。」 

少女は首を横に振った。ジョニーが肩をすくめると、少女は

 「フランス語、話せる?」

 と、訊いてきた。歯切れのよい発音である。

 「ああ、話せるよ。」

 「さっきは、この子達が突然飛び出してきて、びっくりしたでしょ。ごめんなさい。もう、あんな事しないようにって十分注意しといたわ。だから許してやって、ムシュウ。」

 少女はジョニーの目を見つめながら、早口で一気にまくしたてた。必死の面持ちなので、ジョニーは手を降ってもういいんだと言い、それより電話のある所を知らないかと聞いてみた。 

「電話ならあるわ。こっちよ。」

 少女は子供達を促すと、後ろから追い立てるように駆け出した。

 託児所は、洋風の建物であまり大きくはなく、荒れた印象を与えた。しかし、爆撃の影響を受けた形跡はなく、おそらく手入れが悪いのだろう。広い前庭がついているのが取り柄で、薄紫色の花が一面に咲いていた。

 ジョニーはボスに電話を入れ、事情を話し、指示を仰いだ。すぐに引き返して来いという。ボスは、こちらが危ない橋を渡るぶん、取引相手に値段を吊り上げる理由が出来たからだろう、笑い声を上げながら電話を切った。

 先刻の少女が、こちらを凝っと見ていた。ジョニーは、

 「メルシィ、マドゥモァゼル」

 と、笑いかけた。

 年令は十二、三才くらいだろうか。美しい娘である。貧しいなりをしているが、ほっそりした全身からは優美で野性的なエレガンスが漂っていた。

 ジョニーはタバコを取り出し、火を点けると尋ねた。

 「名前は?」

 「Rose d'Asie」

 「アジアのばらか。いい名前だね。誰がつけてくれた?」

 「父さんよ。…あたしの父さん、とても偉いのよ。」

 「どういう風に偉いんだい。」

 よくぞ聞いて下さったとばかりに、少女は勢い込んで喋り始めた。

 「とにかく偉いの。だって、大臣だったのよ。わかる?大臣よ。それに、昔の戦争じゃあ『若き安南』《ジュンヌ・アンナム》をいろいろ助けたんだっていうわ。フランス人なのによ、すてきでしょ。きっと、すごく頭が良くて上手に立ち回る人だったのよ。母さんが、よく言ってたもの、お前の利発さは父親譲りだって。」

 ジョニーは、笑いながら聞いていた。

 「あなた、アメリカ人でしょ。フランス語上手いのね。奥さんがフランス人なの?」

 「いや。」

 「じゃ、よく勉強したのね。でも、あたしだって何でも知ってるのよ、今は学校に行ってないけど。」

 ジョニーは真面目な顔を作って、そうだろうなと調子を合わせた。

 「父さんが生きてればあたし、きっといい暮らししてたんだわ。あたし、父さんの顔、写真でしか知らないの。あたしが生まれる前に、この街を出て行って…それからフランスで大臣になったんですって。でも、誤解しないでね、母さんは棄てられたんじゃあないのよ。自分でここに残ったの。一族の面倒をみなきゃならなかったんだもの。それに、父さんとは年が離れてるから、うまくやっていく自信がなかったんですって。」

 少女の言う事は、相当眉唾だったが、少なくとも彼女自身にとっては真実に等しいのだろう。何から何まで、この娘のでっちあげだったとしても、作り上げたストーリーが自分の中で真実に成り代わっていったという事は、大いに有り得る。

それで、この娘が幸せならば、何も言わずに信じたふりをしてやればいいのだ。奇妙な事だが、夜の歓楽街を泳ぎ回り、懐を探られ病気を移される心配をしながら得られる快楽よりも、この少女のでたらめを聞いている方が、よほど貴重であるように思われた。要するに、ジョニーはこの『アジアのばら』がお気に召したのだ。

 「それで…ローズ・ダジィ、いや、これは言いにくいな。縮めてロージィにしよう。」

 「ロージィ?いやだわ、それじゃいかにもアメリカ人みたいね。」

 そう言いながらも、少女はまんざらでもなさそうだった。

 「ロージィ、君はここの生徒なんだろ。」

 「いいえ。」

 「じゃあ、何をしてる?」

 「この子達の面倒をみてるの。」

 「君ひとりで?」

 「そう。」

 「だけど君も」

 子供なのに、と言いかけて、ジョニーは言葉を飲み込んだ。それは何故だか、この娘、ロージィに対して失礼だと思ったのだ。

 「ここには、その、大人はいないのかい?」

 「いないわ。母さんが死んでからはずっと、あたしがやってるの。一日一回は尼様マスールが様子を見に来て下さるけど。あ、マスール・テレーズが来たわ。」

 ロージィは、身を翻すと庭へ駆け出して行った。

 マスール・テレーズは、痩せて背の高い、若い修道女だった。

ロージィを愛しげな眼差しで見遣り、抱きしめ、両頬に接吻すると、ロージィに手を引っ張られてジョニーのところへやって来た。

白人の男の中でも長身なジョニーの前に立っても、それほどの身長差はない。おそらく6フィートはあるだろう。片目に薄い傷跡があって閉じかかっているにもかからず、たいへんな美貌であった。が、修道女であるからか、それとも元々そういう個性の持ち主なのか、女の匂いが全くしなかった。どこか中性的である。

 ジョニーが手を差し出すより早く、マスール・テレーズが白い手を差し出し、しっかりと握りしめた。何のてらいもない率直な態度に、かえってジョニーはへどもどした。

 「子供達を助けて下さったのですって?本当に感謝致します。」

 訛りのない、流暢な英語だった。ジョニーがアメリカ人である事を、一目で見て取ったらしい。

 「軍関係のお仕事を?」 

 ジョニーは、気を取り直すと、微笑した。

 「ええ、まあ下請けのような事を。ところで、こちらの託児所は、修道院の経営ではないんでしょうね?」

 「違います。ここは、元々この子の母親がやっていました。私は友人でしたので、時々相談に乗っていましたが、彼女が亡くなってから後継者がいないのです。この子は去年まで親戚の家にいましたけれど、ある日そこを飛び出して、何人かの孤児達を連れてここへ戻って来たんです。」

 「学校へは行かずに、一人でここを切り盛りしているような事を言っていましたが。」

 「このような事は、長く続けさせるわけにはいきません。私どもの会で、ここを買い取れれば良いのですけれど、そんな予算はありませんし…せめて、この子を引き取って、一人前の修道女に育て上げるのが精一杯でしょうね。」

 「親族は、ロージィを放ったらかしにしているんですか。」

 マスール・テレーズは、形のよいアーモンド型の目を見開き、ごく僅かに肩をすくめた。

 「いいえ、奪い合っていますわ。この土地の権利を狙っていますもの。でも、結局後見人代行の弁護士の話では、ロージィは土地を売る事に決めて、買い手のめどもついたようです。確か、ショロンの中国人シノワの実業家だとか。」       

 そこで、マスール・テレーズは、顔をしかめた。どうやら、買い手は好ましからざる人物らしい。

 「それで、土地の売却後、ロージィは見習い修道女となるわけですね。」

 「ええ。この子は賢い子ですから、いずれパリの本部修道会で勉強させる事も考えています。本人も、その気になっていますわ。」 

 「そうですか。いや、失礼しました。誰も大人がいないというのが不思議だったものですから。」

 「この国は、戦乱の地です。どんな非常識なありさまも起こり得るんですわ。」

 マスール・テレーズは、いささか謎めいた表情でそう言うと、お辞儀をして去って行った。

 ジョニーは、ロージィの姿を探した。ロージィは庭で、男の子達とサッカーの真似事をして走り回っていたが、ジョニーに気がつくと、手を振った。ジョニーは手を振り返すと、トラックに乗り込み、エンジンをかけた。門の前までロージィがやって来て、ジョニーを見上げた。二人の視線がぶつかった。

 「また来てくれる?」

 ジョニーは、ひどく充実した気分になった。出来るだけ優しげに見えるよう、ロージィに向かって頷いた。ロージィは、うれしそうに唇を噛みしめると、頬を上気させて門の中へと駆けて行った。

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