鉄板と父親と男達
目の前には大きな鉄板がついたテーブルがある。
太一は人数分の飲み物を持ってきた。
「好きなもの言ってね?」
「そうだなぁ、もんじゃもいいけどしばらく食べてないから、お好み焼きで。」
「俺はいつものもんじゃをお願いするよ」
「オッケー!荒方さんはどうします?」
メニューを見つめていた朱鷺は困った顔をあげた。
「こ、これはどういう食べ物なんだ?」
思わず三人は固まる。
「お好み焼きともんじゃ焼きだぞ?」
「とりあえず、焼くものなのか?」
「…あんた、知らないの?」
「初めて聞いた。」
「そんな奴を初めて聞いた。」
呆れる藤と北斗。珍しくも、朱鷺が困るのだ。
「ふふふ、どっちも粉物だよ。」
「粉物?」
「うん、簡単に言えば粉に色んな具材を混ぜて焼く食べ物。
もんじゃは東京あたりだけど、お好み焼きは関西の食べ物なんだ。」
「同じものなのか?」
「ううん、全然違う。じゃあ…両方作ってあげるね。」
「頼む。」
呆れていた二人だが、太一の準備を待つ朱鷺の姿が、
真新しいものを見る子供のように見えて、少し笑った。
ここは太一の自宅。
彼の実家は飲食店を経営している。
主にもんじゃ焼きとお好み焼きを扱っている、ぞくに言う“粉物”だ。
店の名前はずばり“こなもん”。
しばらくして、太一はいくつかの器と何やら先がひらべったい道具を持ってきた。
「じゃ、最初は僕が焼くからね。」
にっこりと笑って太一はエプロンを装着した。
そしてひらべったい道具を手にした瞬間、彼の表情が一変。
ただならぬ気配を感じた朱鷺は身構えた。
にこやかな笑みを浮かべていた表情は、無表情になり鉄板から目を離さない。
まるで、隙を逃さないかのような視線で、鉄板の上の具材を見つめる。
片方にはお好み焼き、もう一方ではもんじゃ焼きをほぼ同時に作っていく。
まるで野菜が踊っているかのように舞っていく。
そして固まっていく生地に飲み込まれて形を成していく。
まるで、彼に弄ばれる者達のようだ。
しゃっと、鉄板を滑らせてお好み焼きが完成。
すぐにソースと鰹節、青海苔がトッピングされた。
そして、一瞬のうちに三人の目前に取り皿と小さいひらべったい道具が置かれた。
「えぇか?嬢ちゃん。」
「!?」
びくりと朱鷺が肩を震わせた。
太一の口調と雰囲気が全く違う。
「お好み焼きちゅーのはな、自分の分は自分でやるのが当たり前やねん。
今回は特別やったけど、次は自分でやるんやで?」
「承知した!!」
ふっと笑うと太一はすぐにもんじゃも焼いてしまうと、ひらべったい道具を置いた。
「この平たい器具は何なんだ?」
「あぁ、それはコテっていう道具だよ。
まぁ、地域によってはテコとか、へらとかって名称が変わっちゃうんだけどね。」
太一を見ると、元のにこやかな笑顔に戻っていた。
どうやら、コテを持つと変わるらしい。
「焦げちゃう前に食べてみなよ?」
促されて試しに食べてみる。
「う、美味い!!」
「でしょう~?っていうか、本当に食べた事無かったんだね。」
『丼物ばっかり食べてるからな…。』
思わず、口から出かかった言葉を飲み込む北斗。
その間にも、あっという間に藤と北斗の分まで作ってしまう太一。
ちなみに、「最初だけ。」と毎回言うが、なんだかんだで作ってくれる。
「うん、美味い。」
「やっぱり美味しいね。」
「えへへ。これは自信あるからね。」
「そういえば、今度ドラマに出るんだって?」
「うん、まぁ、1・2回しか出ない役なんだけどね。」
「あれ?舞台に出る話は?」
「それは今、勉強中!先生を紹介してもらえたからね、
舞台の裏方させてもらいながら、見せてもらってるんだぁ。」
「忙しそうだな。」
「…二人に言われたくないよ。」
そんな世間話をしながら食事をとっていく。
太一も自分の分を焼いて食べる。
しかし、すぐに朱鷺の手があがる。
「金は払う。追加を頼みたい。」
「もう食べたの?」
まだ三人は半分ぐらい残っている段階。
朱鷺は、小さめに作ったとはいえ、
もんじゃとお好み焼きの二つがあったのだが、きれいに鉄板から消えている。
「いいよ、何がいい?でも、お金はいらな」
「いや、太一!払う!払わせてくれ!」
「え?」
「……先に注文聞いてから考えて。」
「う、うん?」
北斗が血相変えて太一を止めた。
ついでに藤からもにこやかに説得されて首をかしげた。
朱鷺はルンルンでメニューを開いて注文する。
「まず、お好み焼きの豚玉一つに、海老とイカの海鮮玉一つ。
あとミックスとやらも一つ。このモダン焼きとは何だ?」
「麺が入った広島風お好み焼きの事だよ。」
「じゃあ、それももらおう。
あと、もんじゃ焼きの、チーズ玉一つに、これも豚玉を一つ。
餅明太も一つ………とりあえずこれくらいで。」
流石に藤と北斗は驚かなかった。
普段の彼女の食生活を知っていたからだ。
朝はともかく、昼は仕事で知らないが、夜ご飯はたまに一緒になる。
彼女は常に丼物しか食べておらず、だいたい一回の食事に少なくとも三杯は食べるのだ。
そんな生活を毎日見ている二人は慣れたものだが、最初のうちは慣れるまでが大変だった。
見るだけで食欲が減りそうになる。
ところが、太一の反応は違った。
「オッケー。じゃあ、交互に焼いてく?」
「自分で焼いてみたい!」
「うん、じゃあもう一個コテを持ってこようか。」
とにこやかに準備をしに行った。
彼の器の大きさを感じる。
すると、朱鷺の目にあるものが止まる。
「仙羽殿。この凸凹した鉄板は何だ?」
「それは“タコ焼き”用の鉄板だよ。」
「タコ焼き!?それも粉物とやらか!?」
「食べてみる?」
「是非!!」
着々と準備を進めていく太一。
その傍ら、目を輝かせる朱鷺。
北斗はそんな姿を見ながら、タコ焼きを知らない事か、
まだ追加注文をする朱鷺に呆れたらいいのか、
彼女の逸脱した行動をものともしない太一に感心すればいいのか、
とりあえず色んな情報についていけず悩んでいた。
ふと、藤のほうを見ると心なしか不機嫌だった。
『可愛がってる弟を取られた気分か。』
北斗は一人、突っ込み所の多いこの現状を、見守る傍観者という道を選んだ。
もんじゃにお好み焼き、しまいにはタコ焼きも作り方を教わり大興奮した後は、もくもくとひたすらに食べ続ける朱鷺。
太一は彼女の食べっぷりのよさに、ニコニコとご満悦だ。
まるで子供にたくさんご飯を与える母親のようだ。
だが、彼の表情を見てるとほんの少しだけ朱鷺に感謝せざるをえないかと思ったが、
隣りの藤のあまりの機嫌の悪さに、決して口には出せない北斗である。
「しかし、仙羽殿の実家は素晴らしいな。東西の名品が両方そろってあるのだから。」
「あははは。大袈裟だなぁ。確かに東京や大阪とかなら珍しいかもしれないけど。
最近は地域によっては両方出す店なんて珍しくないよ。
むしろ、知らない荒方さんのほうが珍しいと思うけど。」
「ふむ。まだ私の知らない世界があるというだけの話だな。」
「太一の場合は両親がそれぞれ東西の出身だから、かなり本格派。
そうそう、こんなに美味い所なんて無いな。」
「照れるよ、北斗君。」
「俺も太一の家の味付けは好きだよ。」
「藤君も有難う。」
にっこりと笑う太一。
「ほほう。東西の本格派がタッグを組んだという事か。」
「最初は完全に敵対心剥き出しだったんだけどね。」
「?」
「生粋のもんじゃ焼き人の母さんの店の真隣りに、
生粋のお好み焼き人の父さんが店をかまえたのが出会いだったんだ。
店と言っても、その頃は屋台だったけど。
いやぁ、修羅場ってぐらいに凄かったらしいけどね。」
「凄い?」
「うん。完全に最強最大のライバル意識がMAXだったらしくてね。
毎日のように四角い鉄板という名のリングで(売上を)争ってたって話。」
「さぞかし素晴らしい試合だったのであろうな。」
北斗も藤ももう黙って聞く事にした。
「それがいつしか、毎晩白い四角いリングで戦うようになり、
結婚してこの店を構えて僕が生まれたってわけ。」
「白い四角いリング?」
「うん。ベッ」
「太一。そこは省こうか。」
にっこりと藤がストップをかけた。
きょとんと不思議そうな顔の朱鷺を見て、太一も思わず「あ、ごめん。」と照れ笑い。
「太一ぃ、帰ってんのか?」
「父さん?起きたの?」
店の奥から声が聞こえる。
ぱたぱたと太一は声のほうへ走って行った。
「今日は藤くんと北斗くんが来てくれてるんだ。あと新しいマネージャーの荒方さんもいるよ。」
「そうか、まぁ・・・・・・酒持ってきてくれ。」
「父さん!また飲んだの!?」
「いいじゃねぇか!」
「駄目だよ!ほら、水飲んで!」
「酒っつってんだろぉ!」
そんな声だけのやり取りが聞こえてくる。
ふと、朱鷺の動きが止まり、じっと扉を見つめる。
「5………いや、6人。」
「は?」
北斗が疑問の声をあげた瞬間。
店の扉が大袈裟に開かれた。
「ごめぇんくださぁい!」
「邪魔すんぞぉ!」
いかにも柄の悪い連中がぞろぞろと入ってきた。
慌てて太一が奥から出てくる。
「半崎さん!?」
「今晩は、太一君。これはこれはご友人もご一緒でしたか。」
連中の中でただ一人、スマートにスーツを着こなした男が前に出た。
太一が不安そうな目を二人に向ける。
「あー、荒方さん。耳塞いで。」
「早く。」
何も答えず、朱鷺は耳を塞ぐ。
二人は視線を彼らから離した。
「すみませんね。出直したい所ですが、そういうわけにも……。」
「半崎さん、今月分はもうお返ししたはずですけど?」
「実は利子分が足りていなかったようでして。」
「そんな!」
「来週取りに来ます。この額を揃えておいてくださいね?」
「待ってください!こんなになんて…。」
藤と北斗には聞こえないほどの小声だった。
だが、何となく理不尽な感じを受け、思わず眉間にしわが寄る。
「過剰な利子を要求されているようだな。」
「は?」
耳を塞いだままの朱鷺がそんな事を呟いた。
しっかりと塞いでいるようには見えるし、はっきりと内容は聞き取れない。
何が起こったのかと考えていると、彼女ははっきり答えた。
「読唇術。」
「口の動きでわかるのか?」
「あぁ、その通り。」
北斗の疑問も読唇術で読んだ。
「今月分は払ったのに、利子分を受けとっていなかったと言った。来週には受けとりにくるそうだ。」
「何の為に耳を塞いだんだか…。」
呆れる藤。
「おぃ、何騒いでんだ?」
柄の悪い男が一人こちらに近寄ってきた。
「騒いではおらん。」
「あぁ!?口答えすんのか!?」
朱鷺の態度に男は腹を立てたようだが、ふと視線を変えた。
「お?どっかで見たことあるような顔じゃのう?」
藤と北斗を舐めるように見つめる。
二人は視線を避けるように違う方を向いた。
「こっち向かんかい!!」
と、手を伸ばした瞬間、朱鷺はその手を払い、開いた口の中へ熱々のタコ焼きを詰め込んだ。
男はあまりの熱さに転がるが、すぐに立ち上がり顔を真っ赤にして怒鳴る。
「この野郎!!」
だが、いとも簡単に足を払われ、すとんと椅子に座らせられた。
直後、開いた口にまたタコ焼きを入れて、今度は片手でその口を抑えつけた。
「私の奢りだ。よく味わえ。」
もがく男。
「ここはこういう美味いものに舌鼓をうって楽しむ場所だ。
貴様のように怒鳴ったりして暴れてよい場所では無い。それは“不粋”というものだ。」
食べたのを確認して彼女が手を離すと、案の定、男はブチ切れた。
「なにすんじゃー!?」
殴りかかろうとしたのだが、
「チカちゃん、おやめなさい。」
半崎が男を止めた。
たった一言でおとなしくなったのだ。
「お嬢ちゃんの言う通り、不粋よ。じゃあ、太一君。今日はこれで帰りますね。お邪魔しました。」
そう言って、彼らは店からあっけなく去って行った。
「ごめんね。」
しばらくして、太一はそう言って三人を見送った。
帰る道すがら、朱鷺は何も言わずただ車を運転した。
それは帰り着いても、朱鷺は気にしたふうでも無く藤と北斗に何も聞かなかったのだ。
「………太一の事、どこまで知ってるの?」
北斗が風呂から上がると、そんな声が聞こえた。
確認すると、藤が朱鷺の部屋の入口に立っているのが見えた。
「名前程度だな。何故だ?」
「勝手に調べられるのは嫌いだから。」
「調べずとも、今日の様子を見ていればだいたいわかるけどな。」
「……………。」
「お前達が調べるなと言うなら調べたりしない。」
藤は無言でリビングに戻った。
その後姿からでもわかる。
不機嫌そうな顔をしてるはず。
にこにこしながら北斗はその背中に近づいた。
「藤、風呂あいたよ。」
「うん。」
振り返った瞬間、和らいだはずの藤の表情が曇る。
「北斗、床。」
下を見ると髪から落ちた水滴が点々と続いていた。
ごめんごめんとタオルで拭き取ろうとしたが、藤からストップがかかる。
「何で拭くつもり?」
「何ってタオル。」
そう言って首にかけたタオルを見せる。
「髪拭くので床を拭かない!俺が拭いておくから、北斗は大人しく座ってて!」
「はーい。」
言われた通り、ソファに腰掛ける。
テレビをつけて雑誌に目を通してると、頭に新しいタオルがかけられ、
雑誌の上にはドライヤーがほうり込まれた。
次いで、わしわしと髪の毛が拭かれる。
「ちゃんとドライヤーで乾かしなよ。」
「えー、ドライヤー嫌いだから、藤やって。」
「手間がかかる。」
あらかた拭いてドライヤーに手を伸ばす。
するとその手は待ってましたと言わんばかりに捕まえられた。
少し引っ張られると、下から北斗が見上げ口を開く。
「手間がかかるのは嫌い?」
からかうような、甘えるような表情で見上げる。
藤は溜息をつきながら答えた。
「ペットは手間がかかるものでしょ。」
その言葉により一層、北斗は藤を引き寄せる。
「じゃあ、ペットらしくおねだりしようかな。」
「おねだり?ドライヤーするんでしょ?」
「ドライヤーは嫌いだからいらない。」
「それは却下。」
「気難しいご主人様だな。」
「言う事聞かないと叱るよ。」
「じゃあ、叱ってもらおう。」
「なにそれ。」
「藤に怒られたい。」
「またそんなこと言って…」
「なんで?普段叱らない藤が叱るんだよ?それって特別でしょ?」
「北斗……………!」
「!?」
びたりと動きが止まる。
恐る恐るテーブルのほうを見ると、冷蔵庫から飲み物を取り出した彼女の姿があった。
朱鷺が振り向くと二人と目があう。
「私の事は気にするな。空気と思え。」
「「思えない。」」
「案外デリケートなんだな…。」
「「何か言った?」」
「いいや。」
溜息をつきながら二人は体勢を戻した。
そそくさと部屋を出ようとした朱鷺に、声をかけたのは北斗だった。
「ねぇ。」
「何だ?」
「君さぁ、不可能は無いって言ったよね?」
「言った。」
「やりたい事言ったらやらせてくれるとも言ったよね?」
「あぁ、言った。」
ソファから顔だけ振り向き、彼女を視界に捕らえる。
「じゃあ、太一に関わってる借金取りをどうにかして。」
にっと笑ってそう言い放った。
不機嫌な顔をしていた藤だが、北斗の言葉に機嫌を取り戻した。
「俺達にとって、太一は大事な友達なんだ。
あいつにはもっとまともな生活をして欲しい。
一緒にいて申し訳なく思わないように。」
「………もし、どうにか出来るのなら。朝の嫌がらせをやめてあげるよ。」
藤は視線を合わせないまま、そう付け足した。
しばし待ったが、朱鷺からの返事は無い。
『やっぱ、出来るわけないよな。』
そう内心思いながら、姿勢を戻す。
だが、
「あの男の事を徹底的に調べる事になるがいいのか?」
そう返ってきたのだ。
藤は「かまわない。」とだけ答えた。
「よかろう。調度いい機会だしな。その依頼を受けてやる。」
随分と自信満々な物言いに、二人ともが振り返る。
「多少の時間は取るが構わんか?」
「あ、あぁ。」
「そうだ、貴様らスリルが好きなようだからな。
今までに体験した事の無いスリルをプレゼントしてやろう。」
「「は!?」」
「楽しみにしていろ。」
そう言って去ろうとした朱鷺だが、すぐに足を止めて、もう一度振り返る。
「それと、毎朝のアレは嫌がらせだったのか?気づかなくてすまなかったな。」
万遍の笑みで言い捨てて、リビングを去って行った。
「………北斗。やっぱり俺、あの子嫌いだよ。」
「うん、俺も嫌い。」
この時、彼女の言っていた“スリルのプレゼント”の意味をわかっているはずも無く。
ちゃんと話を聞いておけばよかったと後悔する事になるのだ。
藤と北斗のやりとりは鳥肌立てながら書いてます。