子育てと通告と蟻
開けた場所に足を踏み入れる。
「それで?別れの挨拶は終わったかの?北斗。」
さも、当たり前のように周殿 兵佳はそこに現れた。
「なんだ、北斗まだすませてなかったのか?」
「え、何を、」
「いい加減、子離れしろよっていう挨拶だ。」
「それって挨拶なの?」
「“お父さん嫌い”でもいいんじゃないのか?」
「君って本当そういうとこのセンス酷いよね。」
「そこまでにしておこうかの?」
周りは集団に囲まれていた。
「周殿 兵佳、貴様もしつこい男だな。
息子に嫌われているというのに、
あぁ、長男にはとうの大昔に嫌われてはいたがな、
よっぽど、子育てが下手糞なのだろうな。」
「荒方のお嬢さんは子育てというものがわからんだろう?
どんなに手塩に掛けようとも、
子供というものは自由に育つ。
親の目の届かない場所に行って何をするか、
わかったものではないんじゃがの。」
「とても可愛がっているようには見えないが、
貴様の愛情表現というのも、歪んだものだな。
性格がねじ曲がっているせいか?」
「いい加減、無駄話はやめてもいいかの?
北斗、これ以上無駄な時間は取らせるな。行くぞ。」
兵佳の言葉に、北斗は動かない。
だが、その顔には恐怖にも似た感情が見えた。
「時間と犠牲を無駄に増やす気かの?」
感情も無いその冷ややかな目が三人を見下す。
「貴様がアジアのどこぞに消えれば済む話だろうに?」
朱鷺だけが悪態をつく。
兵佳はさっと右手を挙げた。
集団の持つ銃に準備の音が響いた。
「最後の通告だ、北斗、来い。」
ちらりと隣りを見る。
涼しい顔の朱鷺、その向こうには何だか疲れている顔の藤。
そんな彼と目が合って、お互いに考えが一致した。
―――こんな時に考えることではないと思うんだけど。
荒方 朱鷺という人物に出会って11ヶ月。
出会いの4月は本当に衝撃的なことばかりで、
口も性格も態度も悪い無茶苦茶な人だと思った。
だけど、己の愚かさも思い知らされた。
5月は太一を巻き込んで、
スリルと冒険みたいな経験。
なんだかんだで彼女はこっちの課題を、
あっさりとクリアしてしまった。
6月にいたっては自分のいる会社のことも、
ろくに知りもしなかったってことを知ったし、
勉強も沢山出来た。
7月にはストーカーに誘拐事件。
肝が冷えることばかりで慌ただしくて、
結果的に遊園地で遊べた。
8月は自分の過去に立ち向かった。
忘れたくても忘れられない事。
やっと、決別をして前に進めるようになった。
9月に諦めようと思ったのに、
それは許してもらえなかった。
素直に言うよ、かっこよかった。
10月はわりと趣味に没頭したのかも、
おかげでろくでもない目にあったけど、
寸前のところで失わなくて済んだ。
11月、知らなかった家族のことを知った。
離れていた2つがやっと一緒に居られて、
そして、この手から離れていった。
12月なんてのは本当に疲れたよ。
もう常識が通用しない事ばっかりで、
それでも本当に楽しそうだった。
1月は大きな存在を切り離した。
簡単なことでは無かったけれど、
それでも成し遂げたんだ。
この11ヶ月は本当に色々あった。
今まで過ごしてきた何十年が薄れてしまうぐらい。
たった一人の、この存在によって大きく揺れ動いた。
今まで諦めていたことも諦めなくて良くて、
やりたかったことを叶えられて、
投げだしたことにけりをつけられた。
今のこの状態はいわばピンチだ。
命の危険があるはずなんだ。
だけど、
いつからだろう。
この手が震えなくなったのは。
諦めたら楽になると思わなくなったのは。
今まで怖かったものを、前ほど怖いと思わなくなったのは。
「なぁ、親父、一つ聞きたいんだけど。」
こんな風に彼に質問するのも今まで無かった。
兵佳も珍しいと思ったのか、何だと返事をした。
「俺、そっちに行くつもりないんだけど、いい?」
今まで、そんな事を言われたことが無かった。
少なからず兵佳は動揺した。
物心ついた彼の目には欲求というものが存在せず。
光の入ることすら無いように見えた。
子供特有の我儘を言うことも、
泣きわめくことも一切ない。
楽に使えると思った。
それは予想通りで、
母親代わりと川伊達に任せて功を奏した。
それで成功したはずだった。
海外に行っても予定通りに帰ってきていた。
優李に会うことがあっても命令に背くことは無かった。
誰かと深く会うこともしなかった。
それが気が付けば、
テレビでその身をさらし、
愛想を振りまき、
まるで今までとは違う。
別人のように生活をしていた。
くだらない世界に身を置くなど理解できなかった。
ましてや、戻ってこないなどありえなかった。
いずれ圧力さえかければ簡単に戻ると鷹をくくっていた。
だが、悠長なことを言っていられない事態になった。
北斗を手元に戻さねば、己の身が危なくなる事態だ。
あくまで噂に過ぎなかったあの存在が動き出してしまった。
しっかり把握できればいいものを、
もはや伝説に近い代物が、突如、微かにざわついた。
手に触れられない、耳にすることも確実には叶わない、
それが動き出したかもしれないという不確かな情報が、
流れてきただけでも危険だというのに。
だからこそ、北斗を手元に戻すと決めた。
だが、そこにまさか、鷹友 帝人の愛娘。
ゴーストと呼ばれる小娘が現れようなどとは。
何の因果か、荒方 朱鷺。
「………北斗、理解しているのか?
お前を守ってきたのはわかっているはずだ。」
「………まあね。」
「“片割れ”と共に朽ちる気か?」
もっと早くに気づくべきだった。
「………そのつもりは無いよ。
だって、教えてもらったから。」
自分にとっての一番の“脅威”になりえる存在は、
「そんなことしなくても“大丈夫”だってことを。」
“北斗”自身だったこと。
「お前がどう思うとも、お前は追われ続ける。
例え、何年の時が経とうが、どんな場所にいようが、
そんなものは関係ない。
どんな手を使ってでもお前は追われ続ける。
それでもそんな口を利くつもりか?」
北斗はため息をついたが、
代わりに言葉を出したのは朱鷺だった。
「問題ない。
何年かかってでも何をされても全て返してやろう。」
「………荒方のお嬢さん、何もわかっておられぬようじゃの?
それがどういう意味をさしているのか、
何にも見えておらんようじゃ。
長年にわたる争いは疲弊するだけ、
そんな不毛な争いに何の意味がある?
大人しく渡してしまえば、お嬢さんが気にかかることは何もない。
さっさと楽になって、大事な御父上の元に戻ったらどうじゃ?」
「“蟻の一穴”」
朱鷺の一言に眉間にしわを寄せる。
「意味を知っているか?性悪狸。」
「………それがどうした。」
「どんな強固なものも、蟻が開けた穴で崩れてしまうらしい。」
「だから何だという?」
朱鷺は真っ直ぐに見据えて兵佳に問うた。
「貴様には身に覚えが無いのか?」
「………無いな。」
だが、朱鷺はにやりと笑い、藤にそっと教えた。
「藤、人の心を知るのに触る必要はあるのか?」
「……全部じゃないけれど、触らなくてもわかるよ。
その人の仕草や微かな反応、それで見抜くこともできる。
いわば、メンタリストってやつだね。」
「そうか、お主はそれも取得しているのだな。」
「まぁ、ある程度には。」
「ならば、今の周殿 兵佳の反応を見て感じ取れたな?」
「………もしかして、荒方さんも出来るわけ?」
「たぶん、お主より精度はいいと思うが?」
「もういい加減いいかの?荒方のお嬢さん。」
朱鷺はとびっきりの笑顔で答えてやった。
「十分だ。
何年もかかる必要は無くなったしな。」
「また、わけのわからぬ話を。」
「近いうちに必ず貴様にとっての“蟻”を見つけ出してやる。
だから、覚悟していろ!狸爺!!」
兵佳は右手の合図を振り下ろした。




