楽しそうでと出来ないと決めた
11カ月。
あと2ヶ月。
俺たちはあの頃から何か変われたのかな。
でもようやく気付けたんだ。
この手に残るものなんて何もないかもしれない。
でも大事なことは最初っから決まってて、
すぐそこにあったんだって。
だって君は何度僕らが迷ったって、
その度に同じことの繰り返しでも言ってくれるんだ。
―――どうしたい?
そう言って、迷路になった道を切り開いてくれる。
そうでしょ?
大事なこと、それは自分がどうしたいか、なんだ。
[2月]
「「「きゃあぁあああ!!!ふじくぅぅぅうん!!!!!!」」」
屋外から響き渡る黄色い声に、爽やかな笑顔を振りまく。
より一層、悲鳴にも近い声が響く。
『正直、耳が痛くなりそう。』
現在、藤はラジオの公開録音のゲストとして、スタジオ内にいる。
外からの声はイヤホンに入ってくるようにしてあるのだが、
乙女パワーの威力は絶大だ。
こっそりイヤホンの音量を下げた。
話題と言えばやはりバレンタイン。
料理の腕をテレビで披露して以来、
どんな料理をするだの得意料理は何だのという質問が多い。
だが、ここはバレンタインである。
作ったりはせず、もらうばかりだ。
「もらって嬉しいチョコはありますか?」
「んー、特にこだわりはありませんね。
自分のために用意してもらえたのなら、嬉しい限りです。」
「甘いものは得意なんですか!?」
「わりと、好き……ですかね?」
好きという単語だけでファンは盛り上がる。
ガラスの向こうに見える人たちの笑顔。
楽しそうで、
楽しそうで、
楽しそうで。
それを冷めた目で見るもう1人の自分を感じた。
*******************
朱鷺には止められかけたけれど、
それでも希望を聞いてくれた彼女に感謝した。
ノックして扉を静かに開いた。
「藤さん!」
藤の顔を見て驚く女性。
その近くのベッドには人工呼吸器の音が聞こえていた。
「くろ………奄くんの容体は?」
「今は安定はしております…といっても、こんな状態ですが。」
無数の機械につながれた彼の姿は決して安心感など無かった。
ただ痛々しさ以外の何物でもない。
「………先生は何て?」
「………先は何の予想もつかないと……。」
玄宇 奄の姉は静かにそう答えた。
ほんの2ヶ月ぐらい前まではあんなに動いていたのに。
わずかな間に、自分で呼吸することさえ出来なくなっている。
憎んで睨みつけて叫んでいたのに、
今はぴくりとも動くことのない、
ただベッドに横たわっているだけの存在。
手に触れようとして止めた。
触れてはいけないような気がして。
彼はそれを望んでいないような気がして。
自分が、触れることでまた傷つけてしまうような気がして。
『どんな場所にいても過去は消えない。』
この先、どんなに華やかな舞台に立とうとも、
どんなにたくさんの人たちから賞賛されようとも、
今ここで横たわる彼の姿を忘れるはずは無い。
彼のこうなる経緯に自分が関わっていたこと、
もしかしたら、この命が消えてしまうかもしれないこと、
ずっとどこまでもこの心に残り続けるのだと。
そういうことに気づいてしまったら、
与えられる声援に素直に応えてあげられない。
自分が黒く汚れた人間に思えて仕方ないのだ。
ここに来れば感じられると思った。
確信できると思った。
自分のやったことの末路。
生きてきた世界がどんなものなのか。
思い知らされるとわかって。
見ないようにすればよかったのかもしれない。
何も感じないように、
忘れる努力をすれば。
この子の勘違いのせいにすれば。
楽になれるかも。
―――出来ない。
己の力が、
かける言葉が、
言うべき事実が、
結局のところ何もかも足りなかったのだ。
だから、こんな結末を迎えるんだ。
これがまぎれも無い現実なんだと。
受け入れなくては。
現実から目をそらしてはダメなんだ。
そうでなければ、進めない。
少なくとも、
今の自分はそうなんだ。
「ごめん……。」
こんな言葉も今となっては何の意味も無い。
もう今の状態では言葉も行動も何の意味も無い。
―――君には何もしてあげられないんだ。
悔しくて、爪が食い込むほど手を握りしめた。
「!?」
はっと気づいた。
ベッドの脇に置かれたテレビ台。
並べられたディスクのパッケージと雑誌。
「弟は…奄はここに来た時、すぐに記憶障害が起こりました。
数年前の記憶が無くなり、数日後には1週間前の記憶が、
そのうち、前日の記憶も無くなって、
自分のことも私のこともよくわからなくなっていったみたいで…。」
近づいてそれを手に取った。
「でも、不思議なんですが………テレビに藤さんが映るたびに、
“この人、かっこいいね!”って言うんです。」
毎日、記憶を失っても、姉のこともわからなくなっても、
テレビに映る藤を見るたびに目を輝かせていた。
藤の特集が組まれた雑誌も毎日目を通して、
ドラマや映画を一日中飽きることなく見続けていた。
憎しみも何も無かったころの彼のように、
ただ、ひたすらに憧れるように“かっこいい”に感動していた。
彼の記憶が無くなっていくこと。
体がどんどん弱くなっていく姿を見ているのが辛くて、
悲しくて怖くて仕方がなかった。
それなのに、嬉しそうに楽しそうに藤のことを話すのだ。
そんな奄の姿が唯一の救いだった。
たくさんの罪を犯して、
何もかもが狂ってしまって、
許されないことをした彼が、
色んなものを失っていくのは当然だと理解していた。
理解はしていたが、
それでも、姉のことを想ってくれたことを、
それが間違った方向に向いてしまったことを悔やんだけれど、
でも、彼は笑ったのだ。
「私は人として彼を許してはいけないとは思います。
でも、姉としては彼を想う人間でありたいんです。
だから―――」
精いっぱいの想いを込めて伝える。
「藤さん、奄に“笑顔”を与えてくださってありがとうございますっ!」
悔やまないで欲しい。
でも、もし悔やんでしまうなら、思い出してほしい。
あなたの存在が一人の人間に、大事なものを与えてくれたことを。
きっと、もっと、ほかにもたくさんいるはずだから。
あなたの笑顔が、仕草が、言葉が、声が、全てが、
誰かにワクワクやドキドキ、楽しいや嬉しいを感じさせているはずだから。
彼女の言葉に藤は驚いていた。
というより信じられない気持ちだった。
いつも、人の気持ちを利用しているつもりだった。
手に取るようにわかる。
人の欲しがっているもの、望んでいること、
ただ、それをなぞっているだけのことだと。
だから、誰かの笑顔などどうでも良かった。
気にも留めなかった。
人の欲に付け込んで、得ているだけなんだと。
そんな世界なんだと思っていた。
それなのに。
消失していく世界の中で、
悲しみしかない現実の中で、
“ありがとう”と言われた。
玄宇の顔を見つめる。
本当に笑っていたの?
本当に楽しかったの?
彼女の言葉が嘘には思えない。
だけど、
『君の言葉で聞きたかった。』
頼むから、
お願いだから、
もう一度だけでいいから、
彼にチャンスを与えて。
目を閉じて強く祈る。
そんなことしか出来なかった。
「………ありがとう。」
そう呟いて、奄の手を握った。
怖くて握れなかった。
本当を知るのが、怖くて。
でも、目をそらさない。
もう二度と間違いはしたくない。
自分の存在を喜んでくれる人のために。
自分がやれることを全力ですると決めた。
ゆっくりと深呼吸をして、手を離す。
再び、握りしめる手に力を入れた。
奄の姉に微笑むと藤は病室を後にしたのだ。




