執念と忘却とパスタ
暗闇の中の足音はコツコツと音を立てて近づいてきた。
「……始めは、仙羽殿の監視がとれていないだけかと思っていたのだがな。
よくよく考えてみれば、組の中にわざわざ潜入した人間が、
堂々と外に出てくるのは随分おかしな話だな。
ならば、考えられるとすれば、本当のターゲットが仙羽殿の近くにいたという事か。」
足音はゆっくりと朱鷺の前に立ち止まる。
「ライブ会場での、あんな嘘くさいたれ込みにも引っ掛かったふりをしたのも、
ターゲットを監視するため。
ターゲットの予想はつく。
問題は一つだけ…………藤と北斗のどちらがターゲットだ?
答えろ、繁牙 蛍。」
繁牙は黙って立ち止まっていた。
いつものように噛み付くような態度は見せず、冷淡な視線で朱鷺を見下す。
あえて、彼を“ほたるちゃん”では無く“けい”と呼んだのは、彼の本気がうかがえたからである。
繁牙はゆっくりと口を開いた。
「私は“周殿”を潰す!!」
「……その為にFBIも辞めて、日本に帰ってきたのか。」
「貴様はよく知っているだろう!?」
怒鳴るような声に顔をしかめる。
もはや冗談が通じる状態では、無い。
それに彼がここまで執着する理由もよく知っている。
「忘れろと言ったはずだ。」
「私が引き下がると思ったか!?」
「ま、受け入れない事ぐらい予想はついたけど……よりによって今か。」
「貴様がボディガードだろうが何だろうが関係無い。」
「北斗は父親と直接的に関わって仕事をしているわけじゃない。」
「だから何だ?それで周殿と無関係と言えるわけが無かろう!」
『これだから、この男は面倒なんだよ。』
繁牙の本当の目的は北斗の監視だった。
朱鷺がついている為に、公には監視をつけられ無かったのだが、太一に近づく事で北斗に近づいていたのだ。
「勿論、周殿 北斗が我々に協力をするなら話は別だがな。」
「さて、何の事だか知らないな。」
周殿グループのマフィアという話はあくまで噂に過ぎない。
だからこそ、繁牙は確かな情報を得て、周殿を潰しにかかりたいのだ。
だが、もし、周殿グループがマフィアという事実が露見すれば、国際規模での摘発は免れない。
そんな事になれば、HOKUTOの身もただでは済まなくなる。
わかりきってはいても、何とか避けねばならない。
「………何故、そこまで守る。」
「仕事だからな。
北斗が本当に裏世界で活躍していたならば受けはしなかったが。
今、私はあいつのマネージャーであり、ボディガードでもある。
契約上は仕事をやり遂げるのが私の信念だ。
よく知ってるでしょ。わかったなら大人しく、」
「断る。」
言い終える途中でぶった切る。
「蛍………私はお前を気に入ってる。
だからこそ、相手にするような事はしたくない。だが、私の仕事の邪魔を、」
「そんな事はどうでもいい。」
またもやぶった切る。
冷静であっても礼儀を欠いたりしない男が珍しい行動をとる。
もはや、聞く耳も持つつもりもないようだ。
朱鷺は深く溜息をついた。
「荒方、貴様に一度依頼した。
あの子を助け出してくれと。
その為なら何でもすると………だが、結果は“忘れろ”だった。」
彼の握り締めた拳から血が滴り落ちる。
「忘れられるわけが無い!!
私は、私の大事な妹を死に追いやった周殿を絶対に許したりなどせぬ!!!
必ず、この手で潰してくれる!!!」
まるで泣いているかのような、心の痛みが伝わるその叫びに、朱鷺は目を離さなかった。
「例え、貴様が私の前に立ちはだかろうとも容赦はせんぞ、荒方!!!」
今にも殺されてしまいそうな迫力に、朱鷺は軽く息を吐くと「わかった。」と呟いた。
「どいつもこいつも面倒ばかりおこしやがって………。」
「何だと?」
一度視線を外したが、もう一度視線を戻した時、繁牙はぞくりと背筋に悪寒を感じた。
それは、数年前。
荒方 朱鷺と初めて会った頃に感じた物と同じ物であり、彼女に対して恐怖を感じた、そのものだ。
「好きにすればいい。
だが、私は己の仕事に妥協する事は一切しない。
先珠だろうが、周殿だろうが、警察だろうが、私は手加減などしない。」
一瞬、意識を緩めただけだったが、気がつくと彼女は目前に立っていた。
「後悔するなよ?」
たったその一言だけで、凍りついたように動けない。
そのまま、朱鷺は去って行った。
彼女の姿が見えなくなってようやく呼吸をまともに出来るようになった。
「流石………皇帝と呼ばれた男の愛娘なだけはあるな。」
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久しぶりに頭にきたのか、機嫌が悪いのを自分で感じて嫌になる。
帰宅するとリビングで二人が寛いでいたのだが、それを察知したのか、突然、床に正座をした。
「………何だ?」
「いや………流石にお怒りなんだと。」
「怒ってはいるが、お前達では無い。」
「何かあった?」
「色々と面倒なだ………」
ふとテーブルのメモに目がいった。
藤と北斗は「あっ。」と慌てた。
書き置きをそのまま残してしまっていたのだ。
だが、朱鷺は紙を手に取ると溜息をついた。
「こう思うなら、最初からするな。」
「「…………はい…………。」」
「先に相談するなり、何なりしろ。」
「「……………はい………………。」」
縮こまっていく彼らの姿に、 彼らの決意も伊達じゃ無かったのだと、感じ取る。
「パスタが食べたい。」
「「え?」」
「美味いパスタを知っている。今から食べに行かないか?」
「………い、いいけど。」
「まさか、知り合いに、」
「あぁ、本場イタリア仕込みのシェフがいる。」
慌ただしく彼らは仕度を始めた。
朱鷺の怒りはすっかり消えていた。
彼女はただ「ごめん。」とだけ書かれたメモを手帳に挟んだ。
何と無くお守りのように思えたからだ。




