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料理とストレスと新人

 五ヶ月。

 きっと、何もわかって無かったんだと思う。

 過去は忘れるだけのものだと。

 乗り越えるでも無く、ただ、放置してるに過ぎないものだと気づいて無かった。

 いずれ、目前に恐ろしい形を成して現れてしまうものなんだと知らなかった。

 向き合って初めて自分の力になるものだと、彼女は教えてくれた。



 [8月]



 暑い。

 快晴の空は太陽を遮るものが無い。

 外に一歩も出たく無いと駄々をこねたくなる。


「アイス…氷…いっそ北極に行こうか。」

「そんな呪文は効かんぞ。」

「荒方さんなら北極に連れて行けるでしょ?」

「むざむざ死地に行く必要はあるまい。安全第一だ。」

「だって暑い…。」

「ならば車の外に出るか?」

「焼肉になっちゃうよ。」


 車内でぐだぐだそんな話をするのは北斗だ。

 暑がりな彼はとにかく夏が苦手だ。

 車の中は冷房を効いていて涼しいというのに、文句ばかり言っているのだ、外の暑さに。


 すると、テレビ局から仕事を終えた藤が出て来た。

 笑顔で出迎えた北斗だったが、すぐに察した。


「………ただいま。」


 史上最悪に不機嫌である。

 こういう時、長年の付き合いで北斗は藤に話し掛けない。

 不機嫌MAXな彼の場合、しばらく放っておいておさまるのを待つほうが得策なのだ。


「…荒方さん、メールで頼んでおいた物は揃った?」

「あぁ、間違い無く揃えた。」

「そう、有難う。」


 発車してしばらくすら藤が口を開いた。

 珍しくも朱鷺に「有難う。」等という言葉を使った。

 流石の彼女も、何事かと嫌な意味でドキドキする。

 北斗は今晩の事を覚悟することにした。


*****************


「今日はあんたの分も作るから、黙ってそこに座ってて。」


 帰宅するなり、開口一番がそれだった。

 リビングのテーブルに藤から頼まれていた大量の食材を置いた瞬間の出来事。

 有無を言わさない彼の雰囲気に、ゆっくりと椅子に腰を降ろす。

 北斗も隣りの椅子に座ったのを見届け、藤は普段つけないエプロンを取り出し身につけた。

 食材と調理器具を並べると「よし。」と呟き調理を開始した。


 ただ、黙って背中を眺める状態なのだが、朱鷺は視線を北斗に向けて合図した。

 彼は少し近づき、本当に小さな声で説明した。


「藤はストレスが溜まると、とにかく料理で解消するんだよ。だから、今は下手に動か、」


 だんっと二人の目の前にカップが置かれた。

 顔を上げるといつもの倍以上に冷ややかな表情の藤がいた。


「……珈琲、飲むでしょ?」

「「……はい………。」」


 藤はすぐにキッチンに戻る。

 二人は素直に珈琲を飲む事にした。


 それからどれくらい経ったのか。

 テレビのついていない部屋にはただ料理の音しか響かず、会話もせず、時間の感覚はわからない。

 だが、テーブルいっぱいに料理が並べられ、朱鷺は思わず驚きの声をあげる。


「こ、これはフレンチのフルコース!?」

「…相変わらず、凄いなぁ。」


 所狭しと並べられた品々はどこかの高級レストランで見たことのあるようなメニューばかりだった。


「簡易版だけどね………どうぞ、召し上がれ♪」


 そして、いまだかつて見たことの無い、爽やか過ぎる藤の笑顔に朱鷺が固まる。

 どうやらたまっていたストレスが全て解消され、ご機嫌になったらしい。


「な、ナイフとフォークで食べたほうがいいのか?」

「そんな本格的なものじゃないから、お箸でいいよ?」

『『十分、本格的に見えるけど。』』


 むしろ、異常なほど優しい藤が怖く思えて仕方ない朱鷺だった。


「………美味い!」

「おかわりもあるから。」

「では、おかえり!」

「あんた食べそうだもんね。たくさん作っててよかった。」

『荒方さんが居てくれて良かった。』


 前回は中華のフルコース、満漢全席に近いものを作られて数日間かけて消費した。

 北斗はわりと飽きが早いほうで、少し食べる手を控えようものなら、逆に藤のテンションが底まで落ちてしまうので、かなり苦しい思いをしたものだ。

 数日の間に体重が5キロ増えた事もある。

「…藤。何かあったの?」


 朱鷺が何度目かのおかわりをした頃、様子を見ながら北斗が切り出した。


「ん、あー、まぁ、ちょっと最近出て来た若手のタレントだか俳優だかわけわかんない奴がいるんだけど、そいつに事あるごとに絡まれるんだよ。それが欝陶しくて。」

「藤に絡むなんて珍しいね。」

「今まで見たことも聞いた事もな……………!?」


 ちょうどつけられたテレビを見て藤が固まる。

 北斗もそちらを見た。


「今日のゲストは、ドラマや映画で大活躍!人気急上昇中の玄宇 奄(くろう えん)さんにお越しいただきましたー!」

「こんにちはー。」


 爽やか好青年が画面に映っていた。


「………………ちっ。」

『藤の舌打ち、初めて聞くよ…。』


 険しい表情になっていく藤。

 どうやら、余程酷いようだ。


「玄宇さんは、」

「奄ちゃんて呼んでください!俺、愛称で呼ばれるほうが好きなんでー。」

「えぇ!じゃ、じゃあ、奄ちゃんは最近マイブームみたいなのありますか?」

「んー、マイブームってわけじゃないけど、ある目標を立ててますね!」

「目標?」


「人生の大先輩あの“藤”さんを超えたいと思ってます!」


 朱鷺と北斗は思わず噴いた。


「え、あの最氷プロダクションの藤君ですか?」

「はい!俺の超えたい目標なんです!ま、新人の俺なんかが偉そうに言えたもんじゃないですけど。まぁ、“打倒・藤さん”みたいな目標のほうが自分としてもわかりやすいなーって感じですね!」


 ボキッと嫌な音がした。

 朱鷺と北斗が視線を移すと、藤の手元で箸が無惨にも真っ二つに折られていた。

 急いでテレビは消され、数日間つけられる事は無かった。

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