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2.無言の契約

陽炎(かげろう)のような煙から目を離さないまま、男は出来るだけゆっくりと傍らで震える子供の肩に触れた。


それでも子供の体は痛々しい程にはね上がり、呆然としていた顔はみるみるうちに恐怖に歪んでいった。


「チビ、」


「わああぁぁぁぁ!!」


落ち着け、と男が言う前に、子供は悲鳴を上げて駆け出した。


幼いながらに眼前の光景の恐ろしさを肌で感じていたのだろう、まるで弾丸のようにその姿は布を翻して消えていった。


ゆるゆると固まりかけていた煙が一筋、蛇のように入口に向かって這い出そうとして諦めたように踵を返す。


小さく、煙が哭いた。


け、け、と引き攣った笑い声が頭に滑り込む感覚に、男は膝を震わせた。


本能的に後退した足の先が木箱に当たり、大袈裟な音を立てる。


いつの間にか煙は消え失せ、代わりに一人の青年が其処に居た。


透き通るような飴色の肌に、不釣り合いな白く濁った瞳。


手足の先は霞んだように掻き消えており、青年が人ではないことを認識させられる。


青年の視線の先は定まらない。瞳の無い眼球は、それでも確かに役目を果たしているようで、ぐるりと動いて見せた。


「……蓋を開けたのは、貴様か。それとも今し方転げて行った餓鬼(がき)の方か。」


薄汚い鼠め、と言葉は続いた。


「……俺だ。俺が開けた。」


情けない程に声が震えている。


男は久しぶりに恐怖を感じていた。


「……良かろ、成れば貴様が型代(かたしろ)よ。」


青年は、笑った。


整った顔立ちを、悪魔のように歪ませて笑う。


笑い声は、煙の哭き声とそっくり同じであった。


「解き放たれ、時は来た。貴様の御霊(みだま)を型代に、儂は産まれる事と成る。」


がしゃん、とけたたましい音を立てて、男はその場に尻を付いた。


飴色の腕が緩慢な動作で男に伸び、煙の中から細い指先が顔を出す。


するり、と男の頬に触れたそれには温度が無く、ただ空気の塊のような感触を得た。


「っ、ひ……!」


ゴーグルの奥で固く目を瞑り、男は小さな悲鳴を上げた。


つい先程、砂丘を流れる砂のように消えた子供が脳裏に甦る。


今更にして恐怖と子供への微かな怨みが溢れ出た。


空気の塊は確かに頬に触れており、その指先はぴくりとも動かずに其処にある。


「……?」


いつまで待っても、それは動かない。


恐る恐る薄く目を開けた先に、信じられないものを見たような形相が目と鼻の先にあった。


「ひえっ!?あいたっ!」


思わず顔を後ろに引くと、知らぬ間に随分後退していたらしく、山になったガラクタに後頭部を強かに打ち付けてしまう。


「……貴様、何者だ。」


「えっ…えぇ、いや、それ俺のセリフ…」


戸惑いを隠せない様子で、男は言葉を漏らした。


「魔の気が一欠けらもありやしない。悠久に等しい生を続けてきたが、貴様のような空の器はてんで見た事が無い。」


どうなっておる、と目の前の異形は訝しげに口を曲げる。


「魔の気って、ええと、魔法の力のことかい。確かに俺はそんなもの持っちゃいないけども、その、そんなに珍しいことか?」


「当然だ!力として使う程ではなくとも、生きた物であればその身に幾許かの気は留め置かれている筈……それすら無いとは貴様、完全に屑、(ごみ)同然ぞ!」


忌々しい、と青年は舌打ちをして男に触れる手を掻き消した。


やっとのことで息をついた男は、ゆるゆると立ち上がって尻の砂を払い落とす。


「……それで、あのう。アンタは、何なんでしょうか。」


ちら、と青年を見る。


男の作業台に腰を掛けて胡坐(あぐら)を掻いたその様子は酷く尊大で、男は知らずの内に改まった口調で問いかけた。


「何だ、知らんで蓋を開けたのか。手癖の悪い鼠だとは思っていたが、頭も相当残念じゃの。」


「……好きで開けた訳じゃ…」


口を尖らせて口ごもる男を一瞥して、青年は呆れたと言わんばかりの深いため息を落とす。


「やれ、これが儂の型代と思うと情け()うて涙が出るわ。」


「いや、だから……アンタ何なんだよ、さっきからカタシロ、とかって言ってるけど、何の話なんだ!」


わずかに荒げた語気に、青年は濁った白い瞳で男を睨み付けた。


怯んだ男を尚も視線で縫い止めて、煙に塗れた指先で自身の頬をついと突いて見せた。


「その冴えない(つら)を水にでも映して見やれ。契約はとっくに済んでおる。」


「はぁ?」


まるで犬でも追い払うような手付きで、青年は男をあしらう。


何だよ、と小さく悪態を付きながら男は自らの頬を指先で撫ぜる。


ふと、木箱の中に埋もれた(すず)の板が視界に入った。


鈍い光を放つそれを引き出して、顔を映す。


ゴーグルを上げてまじまじとそれを見つめた後に、男の顔は奇妙に歪んだ。


「……何だ、これ。字?」


男の頬にはちいさな痣が浮かび上がっていた。


糸がうねったようなそれは、確かについ先程までは存在していなかった筈の跡であった。


「オルカ、と申す。」


「え?」


「儂の名だ。そんでもって、貴様の顔に書いてあるのも同じ意味。」


もう一度、男は自身の顔を見る。


「一度書けば消せぬでな、互いに諦めるしかなかろ。」


「……いやいやいや。何言ってるんだアンタ。」


意味が分からない、と続ければ青年は再度呆れたように溜息を吐き出した。


「古今東西、精霊が入った容れ物を開けた者は其れの主に成るものぞ。魔力が空の主殿なんざ前代未聞だろうがね。」


宜しくしてやるから成る丈早めに死んでくれ、と笑顔と共に投げられた言葉に、男は最早返す言葉も存在しなかった。




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