第19話
放課後、春人は誰もいなくなった教室に一人だった。
夕焼けの光が教室内を赤く染め上げている。
校庭からは部活にいそしむ生徒の声が聞こえてくる。
誰もいない教室で春人はなにもすることなく座っている。
朝から考えることは今朝の出来事。決闘を受けるか否か。
今日の授業は全く頭に入ることはなかった。
あれから事あるごとにソフィ達クラスメイトにやめるべきだと言われた。
魔法の優位は絶対なのか。
なにかできることはないか。
「ユウ…ナギ……くん」
「ん?」
思考に耽っていると、誰かに声をかけられた。考えてばっかりだなと自分にあきれる。
(この一カ月いろいろありすぎだな)
春人は目を向ける。
そこにいたのはリタだった。
意外というかリタの方から春人に話しかけてくれたのは、これが初めてじゃないだろうか。
リタは両手でスカートを力いっぱい握りしめてうつむいている。
彼女にとって自分から人に話しかける事は相当の勇気がいる行為。
リタは小刻みに震えていて、どうにか声を振り絞ろうとしているのが分かった。
「ユウ……ナ、ギ君」
「うん」
春人はじっと彼女の言葉を待つ。
夕日に染まる教室、一人教室に残る男子、必死に言葉を出そうとする少女。
シチュエーションだけ見れば、少女の精一杯の告白の現場にも見えなくもないなと春人は思ってしまった。
「ごめん……なさ、い」
謝るリタ。
「どうして?」
「わ、たし…お、父、さまに…ユウナギ、君のこと……聞かれ、て……それで、」
精一杯の言葉は春人にはしっかりと届いている。
しかし、彼女にそれは分からないだろう。
うつむいて、誰かの顔を見ずに相手の表情を知ることなんてできない。
「ユウ、ナギ…くんは、恐かったって、でも……教室、だといい人だっ…て、そう言おうとして、」
「もういいよ、マルシェさん」
「でも、言えなくて……それで、お兄、様があいつは…クズだって、言って」
「大丈夫だから」
「今日、ちゃんと…伝えるから、お父様、と、お兄様に…悪いのは、わたしだって、わたし、が全、部悪いって…だからユウナギ君は、」
「マルシェさん」
春人はそれ以上の言葉は聞きたくなかった。
だから、リタの頭を撫でていた。
自分でもどうしてなのかは分からないが、これ以上苦しむリタを見ていたくはなかった。
リタは突然の春人の行動に目を白黒させている。
「マルシェさんは、なにも悪くないよ。悪いとしたら、出張って自分を抑えられなかった俺が悪いんだ」
「でも!」
「うん、そうだね。それでマルシェさんが納得できないっていうのなら、全部自分が悪いんだって言うならさ」
ここで春人は言葉を切ると、リタの目を見た。普段はうつむいて前髪に隠れていた瞳は深い藍色をしていた。
「その悪いは、ちょっとだけ俺にも背負わせてくれないかな?」
リタはきょとんと春人を見ている。
「でも、ユウナギ君、どう、するの? お兄、様は…魔法、使いで。決闘なん、てしないよね?」
「まだ、考えてるんだ」
「お父様、と、お兄様は……ユウナギ、君が…これに逃げた、ら学園を追い出す、って言っててだから」
リタに魔法は使えない。
それは、彼女以外のクラスメイトに言えることで、魔法科と普通科の絶対的ヒエラルキーは覆るものではない。
それでも、春人が引き下がる事はしない。
春人はリタの目をまっすぐに見て答える。
「関係ないよ。それにいやなんだ。やる前からあきらめるとか。だからさ」
魔法が使えないから、負ける。
魔法が使えるから、勝てる。
この学園にある常識。
春人にとって、今まで触れることのなかった現実。
理不尽な現実の一つにあきらめるという事は、もうしたくなかった。
「俺は、逃げることは絶対にしない」
意思ある言葉は少女に届いたか、春人には分からない。
しかし、これは夕凪春人の一つの性質だった。
「アイナが帰ってない?」
春人が学校から帰ると、セラフィーナがアイナが帰っていないという事だった。
「でも、アイナの帰りが遅くなるなんていつものことですよね?」
「そうなんだけど、ユウナは何も聞いてないらしいのよ」
アイナはいつも帰りが遅い。
それは一緒に暮らしてきて、春人にも分かっている事だった。
それでもセラフィーナがある程度容認していたのは、妹であるユウナがしっかりと監視、もとい報告していたから成り立っていた。
しかし、今日はユウナがアイナの行方を把握していないという。
「で、ユウナは?」
「あの子なら、アイナを探しに行ったわ。私が気付かないなんてって悔しそうにしてたわね」
「そうですか……」
春人もアイナがユウナに話してないのはおかしいと思う。
アイナは誰にも話してない事でもユウナには絶対に話すはずだ。
それにユウナが焦って探しに行くという事は何かがあったのかもしれない。
「それにあの子、昨日様子おかしかったでしょう?」
確かに昨日のアイナはおかしな様子だった。
ユウナに話しかけることもせず、後ろから一人で帰るなんて今までになかった事だ。
「わかりました。俺も探してきますよ。ユウナも心配ですし」
「お願いね」
春人は玄関の扉を開けて外に出る。
すでに日は落ちて、月明かりが街を照らしていた。
市街地の方は、鮮やかな照明の灯りが漏れ出して辺りを輝かせていた。
春人は外に出ると、デバイスを取り出し、ユウナに連絡を取った。
「ユウナ?今どこにいる?……うんうん。落ち着いてって、ね。わかった。じゃあ、そっちの方は任せるから、探したら家に帰って。………うん、でももう暗いから女の子の一人歩きは危ないよ。だから、あとは俺が探すから、だから、あとアイナの居そうな場所は?………あとは学園?わかった。うん、………了解。じゃあ、ユウナも気をつけて、じゃあ」
通話を切り、デバイスをポケットにしまうと春人は学園に急いだ。
アイナは簡単に見つかった。
見つかったというよりは偶然に近いかもしれない。
ユウナが言った心当たりの場所、学園の魔法練習場に向かっている途中、中庭のベンチで横になっているアイナを見つけた。
春人が見つけた時アイナは玉のような汗を多くかいていて、左手で顔を隠し、右手にはオレンジジュースの空き缶を持ってベンチからはみ出して力なくぶら下がっていた。
アイナは春人に気づいていないようで、ピクリとも動かない。
意識があるかも分からないが。
「おい、アイナ」
春人は、アイナに呼び掛けるとビクッと反応した。
どうやら寝ているわけではないようだ。
アイナは焦ったように、目元を覆っていた手でこするように動かした後、手を持ちあげて、春人を見据えた。
中庭を照らす街灯に照らされてアイナの顔が見える。
「なんだ、あんたか」
「なんだじゃないよ。なにしてたのさ、こんな遅くまで」
「うっさい。あんたには関係ない」
「関係なくない。セラさんとかユウナが心配してたぞ」
「そう」
「そうって……。それにこんなとこで何してんだ?」
「だから、あんたには関係ないって言ってんでしょ!」
アイナは起き上がると勢いよく立ちあがり、春人を見上げる。
アイナの身長では目線は春人の胸辺りにあるが、春人はその目をしっかりと見る。
その目は赤くはれ上がっていた。
「アイナ、泣いてたのか?」
「っ! あっち行け、バカ!」
アイナは顔を真っ赤にして走り出そうとする。
しかし、そのすんでの所で春人はアイナの手をつかんだ。
「だから、もう遅いんだから帰るぞ。そのために来たんだからな」
「離せ! バカ、アホ、変態!」
「お前、この時間帯でのそれはシャレにならねえからやめろ!」
「だったら、離しなさいよ!」
「さっきも言っただろうが、お前が帰らなきゃ意味ないって!」
「ほっといて! 私はやることがあんの!あんたに構っていられるほど暇じゃないの! だから話しなさいよ!」
「それはユウナやセラさんより優先させることか!」
暴れるアイナは春人のその言葉を聞くと、ぴたりと動きを止めた。春人は続ける。
「セラさんだって心配してたんだ。ユウナに何の連絡もなしにアイナが帰らないから。それにユウナだって心配して探してたんだ。アイナが私に何も言わないなんてってさ。それになんだ、そう言われると俺だって心配になるだろ。普段なんだけ落ち着いてるユウナがあんだけ錯乱してるとこっちまで焦るって」
「……さい」
「学園って言っても夜も安心ってわけじゃないんだから、あんまり遅くなったらダメだろ。まして、こんなとこで寝てたら風邪ひくしさ。ユウナだったとしても一緒だし、こんな遅くに外に出すのは感心しないしな、それに」
「うっさい!!!!!」
突然のアイナの叫びに春人は言葉を止めざるを得ない。
春人は、アイナを見る。
春人はアイナの涙を見て言葉を失った。
「ユウナ、ユウナ、ユウナ、みんなしてあの子のことばっかり、私はアイナだ!あの子の姉だ!だから、あの子を守らなくちゃいけないのに!どうして、」
こみ上げる涙を止める事が出来ない。アイナは何度もしゃくりあげる。
「どう、して、私には才能がない!…っ、私には魔法が、使えない!……っどうしてあの子が!」
「………アイナ」
彼女苦しむ理由が春人に分かった。
アイナは、
「あんたに、なにも…ないんじゃ、私には、なにもっ、ないって」
自分に魔法が使えないという事に嘆いているんじゃなく、
「私は、もう…っなにも耐えられない!どうして、あの子が!」
自分よりはるかに有能なユウナに嫉妬していた。
そして、そんな自分がどうしようもなく嫌いだった。
生まれる前から一緒にいた姉妹だ。
比べる対象はいつもお互いで、何をするにしても一緒で、そして、そこに差が出来た。
人は、妹を『姫君』と崇め憧れ、姉を『能なし』と嘲笑った。
優秀な妹と劣等な姉。
2人の間には見えない溝が深く掘られていた。
これが赤の他人であればアイナが今まで苦しむことはなかった。
あの人には敵わないとあきらめてしまう事が出来た。
いつか追いつくと息巻く事も出来た。
しかし、その相手はいつも大好きな妹だった。
好きなのに嫌いで、どうしようもなくうらやましかった。
魔法が使えて、しかも、天才だった。
嫉妬しないわけがないし、憎みもするかもしれない。
アイナはその感情をユウナに向けるようなことはしなかった。
したくなかった。
しかし、感情は自覚した時点で、その矛先というのは決まっている。
それがアイナには許せなかった。
妹に憎悪の感情を向ける姉が。
「それにあんたよ!」
彼女は目に涙を溜めて春人を見据える。
「あんたには、なにか…っあるって、そう思ったのになんで!あんたを喚んだのは、っ私なのに!」
アイナはきっと自信になったんだろう。
ここに春人がいるという事に。
アイナは期待した。自分の才能、非凡を。
しかし、現実には凡人の春人だ。
魔法も使えない。
何か特別できるというわけでもない。
魔法使いに敵うわけでもない。
だから、アイナは思った、自分はただの『能なし』なんじゃないかと。
「あんたが、あんっ、たが」
普通の人ならばここに春人がいることで自信がつくだろうが、アイナが目指すのはユウナだ。
彼女は非凡の才能を持っている。
アイナには普通では足りなかった。
だけど、
「あた、しはっなんでこんな『能なし』で『無力』なのよ!」
「それは違う」
自然と口にしていた否定の言葉。
春人にしてみれば、アイナが『無力』なんて認めない。
たとえ、それがアイナ自身であっても。
「アイナは『無能』かもしれない。『才能』なんてないかもしれない」
「だ、から、そう言って、あんた何言って……」
「だけど、『無力』なんかじゃ絶対ない」
春人の絶対の言葉にアイナは息をのむが、すぐに険しい目つきで春人を見る。
「どこにそんな根拠があるってのよ!」
アイナには春人が慰めで言っているのだと思った。
そんな安い言葉をかけてほしくなかった。
最初のころ、そんな言葉をかけてくれた人もいた。
しかし、そいつは今自分を嗤う側の人間だから。
「根拠なんてない」
春人の言葉にやっぱりと思った。
「俺は特別な何かがあるわけでもないし、お前が言うように魔法が使えるわけじゃない。それに、お前にも共感できるところはあるさ」
アイナに対して春人の声音はひどく穏やかで、まるで母の子守唄を聞いているように心地よかった。
「でも、アイナは俺をあの地獄から救ってくれただろう?」
あのまま春人がアイナに召喚されなければ、春人は死んでいたことは間違いない。
だから、春人にとって、アイナは命を救われたことに等しい。
「たとえ、アイナでも俺の恩人に『無力』なんていう事は許さないよ。『無力』な人間が人を救えるわけない」
誰かを救うという力は、あの地獄で、春人が一番欲しかった力そのもの。
そして、春人は『無力』だったからこそ救えなかった。
守れなかった。
「でも、それでも、私は、」
「もしだ」
春人はなにか言いかけるアイナの言葉を遮る。
「それでも、アイナが自分を『無力』だって言うなら。その原因が俺にあるのなら」
春人の決心はついていた。
「証明してやるよ。アイナ・エアハートの力を。召喚獣たる俺が」
次の日、春人はクラスメイトの制止を尽く無視し、決闘を受ける旨を校長に告げていた。