第9話
再び、部屋には静寂が支配していた。
話が終わったというのにセラフィーナは目を閉じ、微動だにしない。
全てを話し終えたアイナは何も言わないセラフィーナが怖くて震えている。
事の成り行きに身を任せていたユウナも気が気でない。
この沈黙をユウナは勇気を振り絞って、破る。
「お、お、お、お、お、おおかおかか、お母さん!!」
……どうやら緊張していたようでどもってしまったが、静寂は破られた。
アイナもユウナに感謝しきれないが、
とうのセラフィーナは、
「………………………zzz」
「寝てるの!?」
寝ていた。
「ちょ、お母さん起きて!」
ユウナに肩を揺すられ、目を開けるセラフィーナ。
目はまだとろんとしている。
「あら、ユウナ。アイナもごめんなさい。あんまり話が長いからうとうとしちゃったわ」
「「えぇ~」」
決死の覚悟で話したのにそれを長いと言われてしまった。
確かに話は長かったがそれを聞かせろと言ってきた張本人に言われると納得がいかない。
アイナもユウナも今まで緊張していたのが馬鹿みたいに思えてきた。
「お取り込み中ごめんよ~」
そんな中、のんきな男の声が聞こえてきた。
その男はいつの間にかテーブルに腰掛けていて、アイナの分のお茶を飲んでいた。
よれよれのTシャツの上によれよれの白衣を着た病的なまでに白く細い男。
その白衣には黒く変色した血痕が多く残っている。
セラフィーナが医者としての腕に信頼を置いている男だ。
本名は知るものは一人もおらず、皆は彼をルイと呼んでいる。
「ルイさん!あの人は!?」
「あの子なら峠は越えたね~あとは意識が戻るのを待つだけだよ~」
どうやら大丈夫のようだ。ユウナは安堵の息を漏らす。
アイナはユウナがそこまであの少年にこだわっている事が気になった。
「というか、ルイさんそのお茶さっきまでわたしが飲んでたんですけど……」
「あぁ~ごめんよぉ~ユウナちゃん。間接キスだね。ということで結婚しよう」
「いえ、結構です」
「わたしの前で娘に求婚なんていい度胸してますね、ルイ?」
「やだな~冗談だよセラ。だからそのどこから出したかもわからないナイフを僕の首から話してくれないか?」
特に恐怖していないように返すルイ。
無表情にナイフを構えるセラ。
この二人のやりとりはいつものことなのでアイナとユウナには慣れたものだ。
「あぁ~あの少年だけど、起きたら僕に連絡してくれるかい?患者の経過も見るのも仕事だからさぁ~」
「なに医者っぽい事言ってるんです?」
「いや、医者なんだけどさ……」
セラはまだルイの首にナイフを当てている。
一向に話が進まないのでユウナが聞く。
「ルイさん、ありがとうございます。彼の意識が戻るまでに何かできる事はありませんか?」
ユウナの問いにルイは命の危機に瀕しているというのにいつもと変わらない感じに答える。
「そうだね~これといってないかな~ただ」
「ただ?」
「意識はないはずなんだけどね~ずっと誰かを呼んでるんだよね~あの子。ノドも火傷してるからやめてほしいんだけどさ~」
それを聞いたユウナはうつむく。
自分と変わらぬ年頃の少年。
彼には生きたいと思う一緒にいたいと思う何か誰かがいたのだろうか。
「ユウナ?」
様子がおかしいユウナにアイナが心配するように声をかける。
「……なんでもないよ」
「じゃあ、僕はこれで失礼するよ」
「夜遅くにありがとうございます。診察代はいつもの口座に振り込んどくから」
セラフィーナはようやくナイフを下し、ルイにお礼を言う。
「そんなものいいから結婚しよう、セラ」
ルイは今までの飄々とした態度が嘘のようなまじめで真剣な声を出していた。
「私には愛すべき夫がいるんですよ~」
「2番目でも一向に構わない」
「…………ん?」
「ごめんなさい。じゃあいつでも呼んで。死体でもない限りどんな怪我でも病気でも治すからさ~」
プロポーズと土下座から帰宅までを数秒でこなした医者は去って行った。
「ユウナ、アイナ」
玄関を見据えたまま2人を見ないセラフィーナ。
アイナとユウナにとって、その背中が鬼のように見えても仕方のないことだ。
「「は、はい!」」
背筋を正して、これから起こる惨劇に恐怖する。
そんな二人の様子を裏切り、セラフィーナは振り返り2人を抱きしめた。
「よかったわ。2人が帰ってきてくれて」
「「お母さん……」」
先ほど感じていた恐怖は薄れていく。
涙を流しながら強く二人を抱きしめるセラフィーナにアイナとユウナは申し訳なくなる。
ここまで自分の母親を心配させてしまったのだ。
せめて罪滅ぼしになればと二人はセラフィーナを抱きしめ返す。
「危ない事はしないでとか言わない。無事に帰ってきてくれてうれしいわ。アイナはユウナを守ってくれてありがとう。ユウナもアイナを支えてくれてありがとう。」
セラフィーナの言葉は2人の心に深く刻みつけられた。
お茶を淹れなおし、今後の事を話すことになった。
今後の事といっても、今も隣の部屋で眠る黒髪の少年についてだ。
「あの子の事だけど、2人にはわたしが許可するまで接触する事を禁止します」
「な、なんでお母さん!?」
「どんな子なのか分からないからです。あんなケガは普通ではありえないわ。何か深い事情があるのかもしれないし、あの子自身に危険な何かがあるかもしれない。だから、あの子の安全が確認できるまであの部屋には結界を張っておいて中からは出られないように拘束します」
「お母さんそれはやりすぎじゃない?いくらなんでもおおげさじゃないかな」
「そうだよ。死にそうだったんだよ!?結界を張るのはやりすぎだよ!」
セラフィーナの方針に異を唱えるアイナとユウナだが、セラフィーナは方針を変えることはしない。
「確かにやりすぎなのかもしれないわね。でも、あなたたち、自分たちが使った魔法がどんなものか分かってないでしょう?」
「「え?」」
確かにセラフィーナの言うようにアイナ達はあの魔法がどのような効力があったのか分からない。また、アイナはあの魔法は失敗したものと思っていた。そのことをセラフィーナに聞くと、
「いえ、あの魔法には失敗なんてありはしないのよ。魔法陣を描いて呪文を唱える。これであの魔法は発動する条件としては十分なの。あとは発動するための魔力があればたとえ術者が気絶、さらには死亡していても問題ないの」
「お母さん、あの魔法が何なのか知ってるの?」
アイナは自らが発動した魔法どのようなものだったのか気になった。
ユウナも驚きに目を見開いている。
「知ってるのかって……アイナ、知らないであれを発動したの?」
「ゔ……」
痛いところを突かれたようでアイナは呻く。
その様子に呆れたように溜息をつくユウナとセラフィーナ。
「はぁ~いいでしょう。あれは召喚魔法という基礎魔法の一種です」
基礎魔法とは術者の魔力自体が魔法となるものの事だ。
アイナ達が現在、学園でカリキュラムを組まれている魔法は元素魔法と呼ばれるもので、これは、術者の魔力を世界にある魔力に練り込み、イメージした神秘を起こすもの。
これは4つの系統・火、水、土、風に準ずる現象が起こるのが特徴だ。
魔法使い達は使い勝手の良さから元素魔法を使う事がほとんどといっていい。
大きな違いは、魔法となるのが世界の魔力が主か術者自身の魔力のみという点である。
しかし、魔法というものはとてつもなく燃費が悪い。
通常、魔法で神秘を起こそうとすると人一人が保有する魔力では圧倒的に最低量まで足りないのである。
だから、魔法を個人で発動させるには世界の魔力に働きかけて利用するしか方法がない。
今は、クリスタルに関する産業が発達したため、魔力を貯蔵する事が可能となり、利用されている基礎魔法は少なくない。
ユウナもそのことには気が付いていた。
発生した地獄には世界の魔力は感じなかった。
魔力の奔流は全てアイナの魔力だった。
あれが系統魔法だと言われても首を傾げていた。
「その魔法は名前から分かるようにとある場所から生物を召喚するという魔法よ」
「とある場所?」
ユウナの問いにセラフィーナは、お茶を口に含みいと行きついてから話し始める。
「こことは違う世界。ありえたかもしれない可能性があった世界から呼びだすの」
「ありえたかもしれない可能性って?」
「もし恐竜が絶滅していなかったら、もしおとぎ話に出てくるような生き物がいたら、もし魔法が存在しなかったら、可能性は様々ね。簡単に言うと平行世界とかパラレルワールドとか呼ばれる世界のことよ」
「本当にそんな世界があるの?」
「さぁ?」
「さぁってどういうことよ?」
「実際にそれがあるという証明はされていないし、ないという証明なんてできないようなものなのよ。それにこの魔法は大昔にというかもう歴史にさえなっていない伝奇として伝わる歴史書に発動した記述されているわ」
「伝奇?」
「もうおとぎ話の域なのよ。ある国で召喚魔法の儀式が行われた。その国は隣国との戦争で勝利をおさめるために強大な力を欲した」
「大いなる力ってこと?」
「そうね。そして呼びだされたのは架空の怪物と呼ばれるものだったというわけ。怪物は三日と経たずに隣国を滅ぼした」
「三日……」
「でもそれだけの力を人間に御しきれるはずがない。怪物はさらに暴れ自国の領土すら焦土にした」
「……そしてどうなったの?」
「さらに三日たって怪物は力尽き倒れたと言われているわ。国の3分の1を焦土にするだけにとどまったのは運が良かったって書いてあったわね。今回あなた達は運がいい方よ。少なくとも召喚したのが怪物に見えないし、暴れる事もない。だから、わたしはあの少年が何者か分からない以上あなた達には会わせたくない。分かってくれる?」
アイナもユウナも黙るしかない。セラフィーナのしてくれた話は突飛な事で信じられるようなことではない。むしろ、
「お母さんはどうしてそんなこと知ってるの?」
2人の当然の疑問をユウナが代表して聞く。おとぎ話足されるような話を知っていてもおかしくはないが、それと召喚魔法を結びつける事は普通の人にはできない。
「昔ちょっとやんちゃしてたのよ~」
それしか話さない。
「それと2人に約束してほしい事があるの」
「なに?」
「召喚魔法を発動した事を決して人に話してはダメ。聞かれてもとぼけることね。あと今後この魔法を使うことも禁止します」
「どうしてよ。せっかく成功した魔法なのに……」
アイナにとっては初めて成功したといえる魔法だ。それを誰にも言えないとはどういう事なのか。
「危険だからよ。召喚魔法自体もそれを成功させた魔法使いも」
強大な力を生み出せる。
それは国にとって大きな軍事力となりえる力を手に入れることにもなる。
そのことが広く知られることになれば戦争の火種となりえない。
そうなれば成功させたアイナは国によって拘束される可能性もなくはない。
そのことをセラフィーナは説明する。
アイナもユウナも納得するしかなかった。
「……わかった。だれにも言わないし二度としない」
「わかってくれたならうれしいわ。それと、」
「まだあるの?」
「持ってきた本を渡して頂戴」
「……そこまで信用ない?」
そういいながらかばんに入っていた赤い本を取り出し、渡す。
「……なんでこれがここに?」
「どうしたのお母さん?」
「なんでもないわ」
セラフィーナが何か小声で言ったが聞き取れなかった。
するとアイナは隣であくびを描いているユウナに気づいた。
「ふあぁぁ~」
「ユウナ、女の子がはしたないよ」
「でも、お姉ちゃんそろそろ日が昇る時間だよ。わたし徹夜ってした事ないから……」
「ああ、もうこんな時間なのね。もう寝ようかな」
「そうだね。おやすみお母さん」
「おやすみ」
2人は時計を確認し、もう寝ようとそろって自分たちの私室へと足を向けた。
しかし、2人はわかっている。気づかれないうちに早く部屋に入ってベッドにくるまりたいと。
そして、ありもしない希望にすがっていたいと。
そんなことあるはずがないのに。
「待ちなさい」
2人はこの声を聞き、その場に硬直する。
どうにかやり過ごせたと思っていた。
思っていたかった。
「まだ、お母さんの話は終わっていないのよ?」
アイナは振り向く事が出来ない。というか体が恐怖に震え動く事が出来ない。
ユウナは今すぐに逃げ出したい。しかし、思うように頭も体も動いてくれない。
そんな二人の肩に手が置かれ、耳元でささやかれる。
「門限を3時間以上も破った上に、貸出禁止図書の無断持ち出し、無断外泊、授業の無断欠席、家屋倒壊に、お母さんを心配させた」
感情の籠っていない声で耳元で読み上げられる罪状の数々。
最後のは言い訳しようもない。
「さて、なにか言い訳を聞きましょう」
「貸出禁止図書の無断持ち出し、無断外泊、授業の無断欠席はお姉ちゃんだけです!」
「ユ、ユウナ!」
妹の裏切りに悲痛の声を上げる。
ユウナも恐いものは恐いし、できる事ならこれから起こる事は軽くしておきたい。
「そうね。でも世の中には連帯責任という便利な言葉があるわ」
そんなものは関係なかった。
ユウナは姉を売ってまで罪を軽くしようとしたし、アイナはユウナの裏切りで、さらに衝撃を受けている。
2人はこの日、二つ目の地獄を体験することになった。
どちらの方がましだったかは2人しか知らない。