prologue
突然、自身にあり得ない事があったとする
その時、人はどうするか……
必死に事態を逆転させようとするのか
被害を少なくしようとするか
誰かを救おうとするか
夕凪春人の思考はそんなことにばかり巡っている。
今はそんな事を考えている場合ではないはずだが、
結構余裕なんだろうか?
左手はまだ温かい手を握っている。
右手はどうなっているかなど想像したくない。
まだ大丈夫だと考えたいが春人の頭は働いてくれない。
なぜか……
全身の至る所から脳に伝わる激痛がそうさせるのか。
しかし、すでに痛みなど感じない。
なら、どうしてか……
頭の奥底で、脳の根幹で、あるいは、心というあいまいなものの中心で、
もう一人の自分が優しく厳しくささやいている。
―――――あ き ら め ろ
「どうして?」
―――――認 め ろ
「なにを?」
―――――お 前 の 罪 を
「罪?」
―――――な に が で き る
「何かあるはずだ」
―――――あ る は ず が な い
「だから罪ってなんだよ」
―――――今の己に感じずにはいれんよ
「だから何が」
―――――『 無力 』が如何に罪なのかという事が
その言葉に春人は言いようのない嫌悪感を抱く。
(俺が無力?)
「ふざけるな」
かすれた声で言う。
確かに学校の成績はあまりいいものじゃなかった。
だけど決して悪くもなかった。
部活では一年の頃こそ下手だったが、今年からレギュラーになれた。
それだけの努力を俺は積み重ねたはずだ。
『努力は人を裏切らない』
小学校の時の先生が、中学校の校長が、部活の顧問が、プロ野球選手が、サッカー選手が、
ありとあらゆる人が言っていた。
だから春人はできるように、うまくなるように時間を費やした。
そして掴んできた。
口をそろえて言ったくれた。
結果をみて多くの人が、
『努力して良かったな』
父が、母が、
熱気に包まれる空間で必死に目をあける。
映るのは灼熱の地獄。
長く目を開けていられず瞼を下す。
酸素を求めて息を吸う。
入るのは業火により熱せられた高温の空気。
当然、それは喉を焼き、肺を焼いた。
呼吸が止まる。
今の春人にはできる事は少ない。
この地獄を終わらせることも、巻き込まれた人を助けることもできはしない。
それでも、
左手に掴んだ妹・夕希の手を離さないように力を込める。
夕希がいる。
大きなことはできない。
でも、握った手を離さない。
夕希とこの地獄から抜け出す。
それくらいできるはずだ。
いや、できなければならない。
だから春人はまだ生きている。
――――世界は灼熱の地獄に支配されていて――――
業火に焼かれながらも必死に目を開け、凝らす。
――――どこにも救いはないかもしれないけど――――
自分の右手を見る。
――――努力は裏切らないと信じている――――
そこにはガレキに押し潰された肘から先。
――――今踏ん張らないでどうする――――
オレはいい、左手には夕希の手の感触。
――――この感触があるだけでいい――――
自分の左手を見る。
――――あきらめたら、本当に無力だ! ――――
かすれた視界、眼球を焼くほどの業火の中。
―――――夕希―――――
………裏切らないはずだった。
春人が見たのは、
ガレキの下に横たわり。
肩口まで伸びた髪は無造作に床にばらまき、業火で焼かれている。
今日着たいつもよりおしゃれしたであろう白いワンピースの袖口は真っ赤に染まっていて。
整った顔立ちをした美少女。
笑った顔が可憐でかわいかった妹は、
目を見開き、意思なき瞳でこちらを見ていた。
―――それは、妹・夕凪夕希だった《もの》
一瞬だったかもわからない。
しかし、春人にとっては長い時間その瞳と見つめ合っていたように思う。
その瞳は、色を失い、瞬きもなしに春人の目を見続ける。
その口は、■ぬ直前まで誰かに呼び掛けていたのか開いている。
その手は、■してなお離すまいと強く握られている。
その顔は、■きているにはあまりにも白く、■■の表情をしていた。
「……ゅ………」
声は出ない。
灼熱の地獄はその名を呼ぶ事さえも許してくれない。
「…………っ……………ゅ………き…………………」
それでも呼ぶ事をあきらめたりしない。
―――――や め ろ
頑張れば報われると信じている。
―――――信 じ て 何 に な る
目の前に横たわる現実を認めたくなくて、
―――――認 め ろ
まだ頑張れると思いたくて、
―――――お 前 の 無 力 を
しかし、現実は春人に希望ではなく、
―――――あ き ら め ろ
絶望という牙を剥く。
―――――夕 希 は 『 死 』 ん だ
出るはずない声で春人は叫ぶ。
それは声なき咆哮。
右手を潰され、喉を焼かれ、全身を血で濡らし、
聞こえるはずのない絶叫は空虚に響いていく。
春人の心は崩れていった。
春人は己の無力を呪い、憎悪し、そしてあきらめた。
目の前の現実を受け入れるのは難しい。
だが、己の無力は受け入れる。
『自分は夕希を離してしまった』
瞬間、春人と夕希の間で光が発生した
それは爆発による輝きかどうかは判断がつかないが、
光は夕希の体を飲みこむ。
それを見た春人はとにかく絶叫するが、
「……っ………っ…」
声は出るはずもなく、血走らせた目を向ける。
視線で殺せるように、この絶望を壊すように《なにか》を睨む。
しかし、直後、別の光が春人を包み込む
春人は自分の状況に構わず、夕希を飲み込む《なにか》を睨み続け、必死に声を出そうとする
そして、光は容赦なく春人を飲みこんだ。
最期に見た夕希の顔は泣いているように見えた。
《世界同時多発テロ》
2031年6月29日に事件は起きた。
日本、中国、アメリカ、フランス、ドイツにて起きた爆破テロ・
世界中を合わせて死者五千人以上、行方不明者2万3千人以上にも及ぶ。
日本では国会議事堂、防衛局、警察庁などが標的とされた。
その行方不明者リストの中に《ユウナギハルト》《ユウナギユキ》という二つの名前があった。
二人は防衛省に勤める父を待つために母親と庁舎ロビーにて待っていたところを巻き込まれた。
二人の父親は事故後死亡が確認され、母親についても死亡が確認された。
二人については依然行方不明。
遺族や彼らの友人、関係者は二人の生存を望んだ。
しかし、そんな彼らにも絶望は牙を剥いた。
事故から二ヶ月後、彼らの死亡が確定した。
がれきの下にて夕凪春人、夕凪夕希、二名の遺体が発見されたと。
それは待ち続けた人達にとって残酷な宣告、わずかな希望を摘み取った。
営まれた葬式で彼らは二人を一目見ようとしたが、断られる。
曰く、遺体の損傷が激しいため見せられないと。
皆、どうしてとこんな残酷な事はあるかと発し、突きつけられた現実を呪い、涙した。
しかし、これは遺体を発見した関係者にしか分からない事であるが、二人の遺体はいまだに全身が発見されていない。
兄・春人は彼の右腕の肘から先と血痕が発見されている。
またその右手の状態はがれきの下敷きとなり、原形を留めていなかった。
妹・夕希については現場に残された大量の血痕のみ。
しかし、二人に共通して言えるのはいまだに全身が見つかっていないという事。
残された部位と血液をDNA鑑定した結果二人の者であると確定。
そして現場の状況と周囲の捜索の結果から生存の可能性は限りなく低いだろうとの判断からの決定だった。
この事実を知る者に彼らに親しい人物はいない。
それは事務的作業の中で一つの事実と決定によって終わりを迎えた。
つまり、そこに希望を見出す者など皆無だっだ。