通話記録
ほんの小さなすれ違いのはずだった。
──「ねぇ、最近帰りが遅いんじゃない?」
それが始まりだった。仕事のプロジェクトで主任になった僕の帰りは確かに遅くなっていた。
「そんなことないよ」と伝えても、疑心暗鬼になった君は信じてくれなかった。
──「もし女性と会ってるなら、素直に言ってよ。」
僕、君のことが大好きだから。そんなことしないのに。
──「離婚しましょう。」
曖昧な返事ではなかったはずだった。
本気で否定した。何度も説明した。怒っている…いや、呆れている君の耳には届かなかったようだった。
君がそれを望むなら、って。僕が君に疑われるようなことをしてしまったから、って。
──「わかった。」
僕は君と離婚した。
─
僕は気持ち悪いから。君の連絡先を消したはずなのに、電話番号を忘れようとはしなかった。
離婚して二年。僕は頭がおかしくなっていた。
公衆電話で、記録の残らない場所で。
静かに10円玉を入れた。受話器を耳元に当てる。
お願い、出て。
56秒。僕は微動だにせず、瞬きもせず、待った。
結果は出なかった。当たり前だ。
いきなり公衆電話から電話が来たら無視をする。だって怖いから。
でも、伝えたかった。
僕はまだ貴方のことが好きだ、と。
それから一週間に一回、土曜日に僕は公衆電話に寄った。いつか出てくれることを信じて。
─
23回目。希望も薄れた頃。
いつもの通り10円玉を入れて、受話器を耳元に当てた。数秒後、ブチッ、という音と共に彼女の声が聞こえた。
『もしもし。』
久しぶりに聞いた君の声。少し低めで心が落ち着く声。変わらなかった。ただ、声が冷たかった。
「久しぶり。」
声が震えていた感覚がする。
「ごめん、ずっと。気持ち悪かったでしょ。」
『…そうね。気持ち悪かった。』
『でも、私にこんなことするの、貴方しかいないと思った。』
「…そっか…、うん…、そっか。そうだよね。」
「ずっと電話し続けて、伝えたいことは一つなんだ。」
僕は追加で10円玉を入れた。
「僕、君のことまだ好きなんだ。
この気持ちに応えてもらおうとかは思ってない。」
「ただ、伝えておきたかった。」
『……あの時は、私も少しおかしかったのは認める。貴方の言い分を聞かないで勝手に決めつけた。』
少し申し訳なさそうな声。
そんな風に思っていたのか。僕は君のことなんてほとんど知らなかったのかもしれない。
『それは、本当、ごめん。』
『…でも今ね。私は再婚したの。』
驚く話でもない。僕は君にとって他人だから。
「……そっか。……幸せ?」
『うん、すごく幸せ。』
声のトーンが柔らかくなった感覚がする。一応これでも夫をしていたから、少しは分かるつもりだ。
『私と貴方の関係が終わったのは事実。』
『さようなら。』
通話が切れた。
君みたいな素敵な人。男が好きにならないはずない。再婚だって、するとは思ってた。
でも、思っていたよりも早くて、僕のことなんて元々興味なくて、もう忘れてたのかな、って思うと、僕が全て悪いのに悔しくて、悲しくて、苦しかった。
気持ち悪い僕でごめん。
僕は君のことを好きでいるのをやめられなかった。




