落とし物
「01:47」
(眠い……)
私は大学の学費を稼ぐために新聞配達をしている。
寝起きまなこを擦りながら電柱にぶつからないように歩く。
昨日、電柱に激突したのを飲み会帰りのサラリーマンに見られて恥ずかしい思いをしたのだ。
事務所に着いて、折込チラシの山を机の上に乗せる。
「今日はいつもより重いな。そうか……土曜じゃん」
スーパーやら、サプリメントやらの広告の薄いチラシが沢山重なって束になっている。
「おはようございます」
早めに来る配達員のおじさんに挨拶をする。
今日は私の方が早かったみたいだ。
長くなった前髪が右目にかかって痒い。
そろそろ髪も切りに行かないとな……。
トイレの手洗い場の鏡の前で、寝起きの髪をポニーテールに結び直し、帽子をかぶる。
どうやら帽子の隙間から長くなった前髪が下がってきていたようだ。
化粧をしないままの顔で仕事場にくることも、西片ひかりはすっかり慣れてしまっていた。
トラックが到着し、ラーメン屋の行列のように気だるげに並ぶ。
「今日は80部です」
運搬業務のおじさんが荷台を開け、手慣れた様子でドサッと新聞を下ろし渡す。
手袋を付けずにプラスチックの紐を握りしめる。
ぎゅうぅぅと掌に紐が食い込んで痛む。
(痛い……)
気を抜くと怪我をすることを想像しながら自分の机に刷られたばかりの新聞を載せる。
手袋をつけて、いつもの作業が始まる。
「1、2、3、……、10」
10部数えて、パンパンと叩いて角を揃え、机の角に積む。
無心でひかりは新聞にチラシを織り込んでいた。
「そういや、聞いたか?」
「何を?」
メガネの40代後半くらいのおじさんが、角刈りの同い年くらいの男に話しかける。
「粕谷の2丁目で1週間前火事があったらしい。一般宅からの出火だったらしいけど、そのせいで1時間停電になる程酷かったんだってさ」
「気温はマイナスになるし、何より今は乾燥しているからな」
ひかりはその話を背中越しに聞いていた。
「それがさ、こっからが変な話なんだが。この前、俺の家にきた郵便屋さんが言ってた話なんだが。その男性の同僚が酔ったままコンビニにお酒の当てを買いに行ったらしいんだ。その時に、小学生くらいの女の子から声をかけられたらしくて「郵便屋さん、落とし物ですよ」って」
「そんなん酔っ払いの夢かなんかだろう」
角刈りのおじさんが新聞を叩きながら言う。
「いやいやそれがさ……俺だって同じように言ったさ。でもなぁ、その人以外でも同じように声をかけられたって人がちらほらいるんだって、郵便屋さんが言ってたんだ。そしたらみーんな、ボブカットの女の子でチューリップのヘアピンをしてたって言ったそうだよ。」
「こんな令和の時代にそんな怪談を流行らせようなんて、お前も暇だな〜」
角刈りのおじさんが顔を顰めるのが、高層ビルのように積まれた新聞の向かいに見える。
「いいから黙って聞けって。それで……その酔った同僚がハガキを無言で受け取って顔を上げると、その女の子はもういなくなっていたんだってさ。その日からだんだんその同僚は「最近、体が重いんだ」って言い始めたらしくて……それから10日後配達中にバイクに乗ったまま後ろを振り返って、気が狂って叫んだと思ったら、そのままコンクリのブロック塀に突っ込んだらしい」
「で、その同僚はどうなったんだ?」
角刈りのおじさんは織り込みの手を止めて、聞いた。
「そのまま亡くなっちまったんだって。警察は酒の飲み過ぎだって、言ってたらしいけど。だから夜に似た女の子に話しかけられても、絶対にハガキを受け取っちゃいけないですよって、釘を刺されたんだ。だから気をつけてくださいってさ」
メガネの男性は新聞を織り込みながら、何やらこちらを見つめてくる。
「ひかりちゃん、どう? おじさんの怖い話怖かったでしょ?」
「洒落にならないんで、もうやめてもらえますか……?」
この人はいつも何かと茶々を入れてくる。どうやら私の反応を楽しんでるらしい。
そそくさと積み上げた新聞をバイクの荷台に乗せ縛る。
(めちゃくちゃ嫌な話を聞いてしまった……そんな話なんてあり得ないでしょ)
と心の中で呟きながらヘルメットを被り、事務所を出発した。
▼
ひかりがやっと配達分の半分を配り終えた時だった。
土曜の新聞は重いのもあり、家のポスト前にバイクを寄せるためにブレーキをかけると、寒いせいかエンジンがアイドリングをせずに、そのまま止まってしまう。
(えー、なんで先週修理に出したばっかりなのに……)
思うように動かないエンジンにイライラしながら、ひかりは配達をしていた。
白いタイルの塀の銀ポストに新聞を入れようとする。
2つ折りにした新聞からグシャッと嫌な音が聞こえた瞬間に、ひかりはポストに新聞を押し込むのをやめた。
(やっば! 破れたかも……)
半分入れかけた新聞をそっと取り出して、表面を確認する。
(よかった。ちょっと折り目がついただけだ)
曲がった部分を丁寧にのばす。
両股でバイクを挟むようにバランスを取りながら、3つ折りにした新聞を入れようと両手で銀ポストに入れる。
その時だった。
街灯の光の影ではっきりとはわからなかったが、ポストの奥で何かがコチラを見ていた。
「!?」
驚いた反動で思い切り新聞を中に投げ込んでしまって、反対側に新聞が落ちた。
バサッ
向こう側の地面に入れたばかりの新聞が落ちる音が聞こえた。
(さ、最悪……!!)
急な出来事に声も発することができなかったひかりは目を見開いて、閉まった銀ポストの蓋を見つめる。
連絡帳に「丁寧にポストに入れてください」と書かれている。
後から上司に注意される自分の様子が頭をよぎった。
(入れ直さないと……)
静かにバイクのエンジンを切り、黒いステンレス製の門に手をかける。
幸い門には鍵がついてないタイプだった。
恐る恐るポストの裏側を覗き込む。
(さっき……、何かいたよね……?)
ひかりは熊と遭遇した時に逃げるように体をゆっくり動かして様子をうかがった。
いや、体が思うように動かなかった……!
静けさと緊張のあまりに耳鳴りがした。
心臓が飛び出そうになるのを我慢しながら、勇気を出してバッと見た。
そこには地面に落ちた新聞があるだけだった。
緊張で耳についてしまいそうな程強張った肩を大きく下に動かし、息を吐いた。
(良かった……。気のせいだ)
落ちた新聞を拾って、ポストに入れ直した。
ポストの蓋が緩いようで、ちょっとした振動で自動的に蓋が開いてしまうくらいに緩かった。
さっきとの体の動かなさはなんだったんだと思うほど、体に油をさしたかのようにスムーズに動いた。
門を閉めて、振り返る。
すると、さっき落としたはずのバイクのライトが付いていた。
「!?」
(エンジン切ったよね……?)
周りには全く人がいる様子はなかった。
気味が悪くなって、ひかりはスタンドを蹴るうようにしてたたみ、その場を一目散に離れた。
(何かが後ろからついてきてる気がする……)
その後の仕事は、ポストに新聞を入れるごとに後ろを振り返ってしまって、全く集中できなかった。
▼
次の日。
「ひかりちゃん、どうしたの君が不着を3件もするなんて珍しいじゃないか」
いつもお菓子をくれるおじさんが話しかけてくる。
新聞が入ってなかったとお客さんから連絡が来たのだろう。
ひかりはカレンダーに書いてある店番の名前をチラリと見た。
「すみません。ご迷惑おかけしました。」
ひかりはこの人に、新聞配達のやり方を教わって、師匠のように慕っている存在だった。
「いや、言い訳に聞こえるかもしれないですが。昨日、こういうことがあってですね……」
ひかりは、昨日の不可解な出来事のことを順序よく話した。
「寝ぼけてたんじゃいの? 勉強のやりすぎだよ、きっと」
揶揄うように話すいつもの感じに、ひかりは少しホッとした。
「やっぱそうですよね。夢でも見てたんだと思います」
02:40、いつも通りに事務所を出発した。
ひかりは昨日のバイクが止まった家の前に来た時、ドキドキしながらポストの中を覗いたが何もいなかった。
その日は、昨日何事もなかったかのように配達は無事に終わった。
「本当に昨日、私寝ぼけてたのかもしれない……」
ひかりはそう思った。
▼
東京の冬はビックリするぐらいに雨が降らない。
ひかりの実家がある長崎は雨の町と言われるくらいに、季節関係なく雨が降る。
カッパを着て憂鬱な気持ちになりながら、その日ひかりは出勤した。
01:50、10分も新聞の店着が遅れた。
皆の顔が「こんな雨の日に限ってという」訴えるような表情だ。
新聞配達員にとって、たった10分の違いでさえ場の空気が張り詰めるほどシビアになるのだ。
配達が遅いと深夜や早朝にも関わらず、ポストのそばに立ち「もっと早く持ってこれないの」と文句をお客さんから言われることがあるからだ。
しかも、雨の日は新聞配達員にとっては戦争になる。
なぜなら、300部近くある新聞にチラシを織り込んだ後に、1部ずつ雨に濡れないように薄いビニールで梱包する(雨ビをする)という工程が一つ増えるからだった。
しかも雨ビする機械は配達員14名に対し、たった4台という少ない数だ。
当然代わりばんこになりながら、新聞を梱包する。
雨の日は、おばちゃん達がバーゲンセールで目玉商品を取り合うかのような殺気を出しながら、雨ビした新聞をバイクの後ろに積み準備できた人が出発する。
事務所を出発する時間が、織り込み作業時間が倍になることで配達時間、退勤時間も後ろ倒しになる。
その日、ひかりが事務所を出発できたのは02:55という、いつもより15分も遅い時間だった。
雨はひかりがバイクのアクセルをひねるに比例して、ビチャビチャと顔に叩きつける強さが増す。
帽子のつばで、ギリギリ前が見えるくらいの角度に顔を下に傾ける。
その時、完全にひかりは先日起きた不可解な現象のことは頭から抜けてしまっていた。
例の白タイルの塀の家の前にさしかかる。
3つ折りにした雨ビの新聞を銀ポストの中にゆっくり落とし込んだ。
何も起きなかった。
十時の路地を曲がろうとした時だった。
「おねぇちゃん、これ落としたよ」
雨が降る中、ハッキリと光の耳には女の子の声が聞こえた。
後ろをゆっくり振り返ると、赤い傘をさした女の子が雨ビの新聞を差し出していた。
「…………、あ、ありがとう」
ひかりは目を丸くしながら受け取った。
深夜3時近くに小学生の女の子がたった1人で、そこにいたからだ。
「…………気をつけて帰るんだよ」
「うん! お姉ちゃんも気をつけてね!」
女の子は熱った頬で無邪気に笑った。
前を向き直し、アクセルを回す前に車が来ていないかカーブミラーを確認した。
「あっ……!」
左の進行方向から車は来ていない様子だった。
顔を上げた瞬間に、ひかりは気づいてしまった。
それは反対側の右の通路を映すカーブミラーに映っているのはバイクに乗ったひかりだけだったことだった。
(やばい……、今後ろにいる女の子って…………)
おじさん達が話していた怖い話を思い出す。
角度的に、映るはずの女の子の姿が映っていなかったからだった。
ひかりが再び後ろを振り返ると、誰もいなかった。
ひかりは震え上がり、一目散にその場を離れた。
事務所に帰ってきて、バイクの前カゴに入れていた女の子からもらった新聞を確認すると、その新聞は3つ折りにされていた。
▼
次の日、ひかりはやっと一週間に一回の休みだった。
遅刻ギリギリの時間に起きてしまったひかりは、リュックのチャックが空いたまま部屋を飛び出した。
鍵をかけているときに何かが地面に置いてあるのが目に入った。
(新聞……? 隣の人のかな)
配達員が間違えてひかりの部屋の前に置いたのだろうと思った。
何とか授業に間に合ったひかりは、配達中に会った女の子のことが授業中も頭を離れなかったが、少しは気が楽だった。
以前もひかりは、夜の配達中に目の座ったおじさんと(おそらく不審者と)目があった次の日の配達は、遭遇して何かされるかもという恐怖から生きた心地がしなかったからだった。
(代配のおじちゃんに何も変なことなかったか聞いてみよう)
「ひかり?」
「ん?」
隣の席の友達がこちらを見つめていた。
「なんか体調悪い?」
「いや、そんなことないよ。ちょっと考え事してただけ」
家に帰ると、外に置いたままにしていた新聞はドアの前からなくなっていた。
(やっぱり、隣の人が新聞取りはじめたんだ)
▼
01:20、出勤する時間になった。
眠気で落ちそうになる瞼を擦りながら外に出る。
カサッ
足元に何かが当たった。
雨ビに入れられた新聞だった。
(こんな時間にもう配達って、早いな。また間違えてるし)
「知らない新聞……」
表紙の字は外国の文字なのか読めはしなかった。
ただ、メイカイシンブンとカナ文字の読み仮名だけ読めた。
蹴飛ばした新聞を壁に立てかける。
(ほんとなんなんだろう)
ひかりは、不審者と遭遇した時と同じくらいの恐怖を感じながらも出勤した。
「おはようございます」
休み明け、昨日代配をしてくれたおじちゃんはまた違う区域の代配のため出勤していた。
「昨日はありがとうございます。配達中、なんか変わったことってなかったですか?」
「え? 何もなかったよ。なんかあったの?」
おじちゃんは自販機のブラックコーヒーを飲みながら答えた。
「いや、何でもないです」
「何なーん! 気になるよ」
おじちゃんは女の子には遭遇しなかったのだろう。
ちょっとだけホッとする自分と、心の中の不安と恐怖が増幅するのがわかった。
02:30、事務所をひかりは出発した。
白いタイルの家のポストに新聞を落としたが、何も起こらなかった。
心臓の鼓動がドクンドクンと脳まで響くのがわかった。
十字路が近づく、後ろを振り返り、カーブミラーで車が来ていないことを確認した。
(いない……)
気持ちを落ち着かせるために、コンビニで大好物のホットココアを飲みに駐車場に入った。
深夜であるからか、ひかり以外のお客がいる様子がなかった。
歩道に前輪が乗り上げた時だった。
ドンっ
何か荷台が重くなった気がした。
バイクを駐車場に停めて、エンジンを止める。
新聞を積んだ荷台を見ても何ら変わりはなかった。
コンビニに入り、おにぎりコーナーの隣のホットドリンクコーナーからココアを選び取る。
店員は奥の部屋にこもっているのだろうか、客の来店を知らせるチャイムが鳴っても出てくる気配がなかった。
(ん〜、セルフかぁ)
セルフレジの隣にあった、子ども用の棒つきキャラクターチョコが何となく目に入った。
(配達終わったら食べようかな)
ひかりはココアと棒付きチョコを持ち、セルフレジでスマホ決済を済ませた。
▼
ココアを飲んで、駐車場を出る。
蛇のような坂を下ったところにある神社の前を通った時に、再び荷台に重さを感じた。
今度はバイクのタイヤが地面に沈み込むのがわかるくらいに揺れた。
振り返ったが何も変わったところはなかった。
再び走り出そうとした時、パサっっと何かが地面に落ちた。
左後ろを見ると新聞が1部地面に落ちていた。
拾い上げようと地面にかがむ。
拾った新聞の表紙にはメイカイシンブンと書かれていた。
「お姉ちゃん」
耳元で女の子の声がした。
恐怖で声のする方を見られなかった。
聞こえていないふりをして、新聞をそのまま地面に置き、再び走り出した。
緊張で耳鳴りがし出す。
耳を塞ぎたくなるほどに徐々に音は大きくなっていく。
すると突然、バチンと大きな破裂音がした。
少しずつスピードが落ちていく。
アクセルを回しているのに、バイクが唸りをあげるだけでタイヤが回らない。
エンジンベルトが切れたようだった。
(追いつかれる! 動いて、動いてよぅ……!!)
パニックになり、無我夢中でバイクを動かそうとしていると後ろからトントンと肩を叩かれた。
「落とし物」
振り返ると、積んだ新聞の上に足をぶらつかせながら座るあの女の子がいた。
「……」
手には雨ビに入れられた新聞。
それをこちらに差し出している。
「………………」
沈黙が永遠に時を引き延ばした。
「………………」
反応をしないひかりに呆れた女の子は、道路の白線を跨ぎながら歌った。
「新聞屋さん、落とし物。拾ってあげましょ、1枚、2枚、3枚、4枚〜」
童謡を歌いながら、そしてこちらを振り返り、再び近づいてきた。
「7枚、8枚、9枚、10枚?」
10枚と言った女の子は新聞を手渡してきた。
何かひかりが言葉を発するのを待っている。
「…………あ、あっ、ありがとう」
新聞を受け取って、顔を上げると女の子はいなくなっていた。
彼女が座っていた荷台の新聞の上には、小さな歯形がついた棒付きチョコレートが残されていた。
▼
これは後に分かったことなのだが、火事で亡くなった女の子はお手伝いをするのが大好きな女の子だったらしい。
「ありがとう」って言われることが好きだったそうだ。
その女の子のお母さんは、いつも御仏壇にその子が好きだった棒付きチョコレートをお供えしていた。
あの日、ひかりがチョコレートを買っていなければどうなっていたのだろうか。
きっと女の子は冥界新聞に載る自分の名前の隣にひかりの名前も載せていたのかもしれない。
(了)
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