—共鳴
あおいは、ようやく理解し始めていた。
この施設は、能力者を抑え込むための場所ではない。
抑え込みながら、観察するための箱だ。
壁は厚い。
床は硬い。
だが、それ以上に――
空気が重い。
目に見えない何かが、
常に身体の表面をなぞっている感覚。
考えようとすると、思考が鈍る。
叫ぼうとすると、喉が先に疲れる。
能力を「使えない」のではない。
使おうとする前に、削がれている。
⸻
実験は、日常の延長のように行われる。
番号で呼ばれ、
同じ動作を繰り返し、
同じ結果を待つ。
感情は記録されない。
数値にならないものは、存在しないのと同じだった。
ガラスの向こうで、黒井が立っている。
片耳にインカム。
視線は、被験者ではなくモニターに向いている。
「抑制フィールド、安定」
「変動なし」
「次へ進め」
淡々とした声。
人の声というより、
施設そのものが喋っているようだった。
⸻
その夜。
洗浄室。
一日の終わりに必ず行われる、
“リセット”の時間。
被験者たちは一列に並ばされ、
四方のノズルから高圧の水が噴き出す。
皮膚が痛むほどの水圧。
音はすぐに、思考を奪う。
――だが。
あおいは、違和感に気づいた。
(……軽い)
ほんの一瞬。
胸の奥に貼り付いていた重しが、
ふっと浮く感覚。
その瞬間だった。
『今だ』
声は、耳ではなく、
直接、頭の内側に届いた。
驚いて視線を動かすと、
隣に立つ北村が、わずかに顎を引いている。
『聞こえるな』
『ここは、数十秒だけ“抜ける”』
水音がうるさい。
集中しないと、声が溶けてしまう。
『抑制は完璧じゃない』
『高圧水で、波動が乱れる』
息が詰まる。
問いかける前に、北村は続けた。
『俺は、偶然知った』
『洗浄室だけだ』
『会話が限界。能力は……まだ無理だ』
警告音が、微かに鳴る。
『時間がない』
『君は、施設と“合う”』
意味が分からない。
けれど、その言葉に――
床が、きしんだ。
本当に、ほんのわずか。
だが確実に、
コンクリートが共鳴した。
『……やっぱりな』
北村の声に、確信が混じる。
次の瞬間、
水圧が一段階、上がる。
思考が一気に濁る。
声が、途切れる。
仕切りが降り、
被験者たちは再び分断された。
⸻
独房に戻ったあおいは、
しばらく動けずにいた。
耳鳴りの向こうで、
施設の低い唸りが聞こえる。
それは、
生き物の呼吸に似ていた。
(……ここは、鳴ってる)
押さえつけられているはずの力が、
完全には眠っていない。
洗浄室。
ほんの数十秒。
そこだけが、
世界と繋がる隙間。
あおいは、初めてはっきりと理解した。
この場所は、
壊せる。
その可能性だけが、
胸の奥で、静かに光っていた。




