第31話「放課後、ヒーローはいなかった」
放課後。
校庭の端で、白石は一人で座っていた。
以前と同じベンチ。
でも、そこに夏目はいない。
遠くで、野球をしている声がする。
笑い声。
ボールがミットに収まる音。
白石は、そちらを見なかった。
少しして、夏目がやって来る。
息を切らしながら、ベンチの前に立った。
「……ごめん。今日、ちょっと遅くなった」
白石は首を振る。
「ううん。大丈夫」
そう答えながら、
ほんの一瞬だけ、夏目の後ろを見た。
誰かに見られていないか、
無意識に確かめる癖が、白石にもついていた。
最近、二人は校庭ではあまり一緒にいない。
代わりに、公園。
それも、人のいない時間帯。
夏目が、自然とそうしていることを、
白石は気づいていた。
でも、何も言わなかった。
言えなかった。
「今日さ」
白石が、少しだけ声を弾ませる。
「新しいステージ、クリアしたんだ」
「マジで?」
「うん。ちょっと難しかったけど」
白石はゲーム機を取り出し、画面を見せる。
夏目は覗き込みながら、素直に感心した。
「すげえな。俺、そこ無理だった」
白石は、嬉しそうに笑った。
その笑顔を見て、
夏目の胸の奥が、少しだけ痛んだ。
――俺、嘘ついてるな。
そんな感覚が、一瞬よぎる。
本当は、無理じゃない。
やれば、できる。
でも、白石が“得意なもの”を、
自分が簡単に越えてしまうのが、
なぜか怖かった。
「ねえ」
白石が言う。
「今度、キャッチボールしよ」
夏目は、一拍置いた。
「……ああ。今度な」
「いつ?」
「……ちょっと、用事があってさ」
白石は頷いた。
「そっか」
それ以上、聞かなかった。
聞いてしまうと、
何かが壊れる気がしたから。
数日後。
廊下で、白石は誰かに肩をぶつけられた。
「邪魔」
短い言葉。
振り返ると、
クラスの男子が、笑いながら去っていく。
「また一人?」
「ヒーロー来ないの?」
周囲から、くすくすと声が漏れる。
白石は、俯いた。
言い返さない。
言い返せない。
その様子を、少し離れた場所で、夏目は見ていた。
胸が、ざわつく。
助けに行けばいい。
声をかければいい。
それだけで済む話なのに。
足が、動かない。
――見られたくない。
その感情が、先に来てしまう。
自分でも、情けないと思った。
それでも、体は正直だった。
放課後。
白石の家。
ゲームをしながら、
白石はふと口にした。
「最近さ」
「うん?」
「みんな、俺のこと見て笑うんだ」
夏目は、コントローラーを握ったまま黙った。
「前から、そうだったけど……」
白石は、少し間を置いて続ける。
「孝太郎といる時は、あんまり言われなかった」
それは、責める言い方じゃなかった。
事実を、淡々と話しているだけだった。
夏目は、画面を見つめたまま答える。
「……気のせいだろ」
自分でも、分かっていた。
嘘だ。
白石も、たぶん分かっている。
でも、白石はそれ以上何も言わなかった。
その沈黙が、
二人の間に、見えない壁を作った。
帰り道。
夏目は、一人で歩きながら考える。
――俺、何してるんだ。
白石といる時間は、楽しい。
本当に、楽しい。
でも、それと同時に、
どこかで逃げている。
誰かに見られないように。
自分が傷つかないように。
白石は、ヒーローだと言った。
でも、今の自分は、
ヒーローから一番遠い場所にいる。
その夜。
夏目は、布団の中で目を閉じながら、
ふと思った。
――驚かせよう。
白石を。
自分がすごいことを見せれば、
全部、元に戻る気がした。
言葉じゃなく、
行動で。
その考えが、
後に取り返しのつかない分岐になることを、
この時の夏目は、まだ知らない。




