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ステータスALL Sの受験生が170キロで高校野球を終わらせた件  作者: 白峰レイ
第2章 大学編

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第8話「楽しかったから続けてる」

その日は、練習が休みだった。


理由は単純で、前日の試合で想定より多く投げていたからだ。

夏目にとっては珍しいことではない。

大学に来てから、そういう「管理」は当たり前になっていた。


午前中の講義を終え、教室を出る。

廊下は騒がしい。

友人同士で昼飯の話をする声、次の講義をサボる相談、どうでもいい雑談。


その中を、夏目は一人で歩く。


誰も隣に座らない。

誰も話しかけない。


悪意はない。

ただ、距離があるだけだ。


(……慣れたな)


そう思った自分に、少しだけ違和感を覚える。


階段を下りたところで、声をかけられた。


「夏目くん」


伊藤だった。

ジャージではなく、講義用の私服。

手にはノートと、コンビニの袋。


「この後、予定ある?」


「……いや」


「じゃあ、一緒に帰らない?」


断る理由はなかった。


二人でキャンパスを出る。

平日の午後、大学の外は思ったより静かだった。


しばらく、他愛もない話をする。

講義のこと。

レポートの締切。

伊藤がマネージャーになってから増えた雑務。


野球の話は、出ない。


出ないまま、駅とは逆の道に差しかかった。


「こっち、近道なの」


伊藤がそう言って曲がった先に、小さな公園があった。


ブランコ。

砂場。

古い鉄棒。


人はいない。


夏目は、無意識に足を止めた。


「……ここ」


声に出すつもりはなかった。


伊藤が振り返る。


「どうしたの?」


「……いや」


そう答えたが、視線は公園から離れなかった。


理由は分からない。

ただ、胸の奥が、ほんの少しだけざわつく。


伊藤は何も言わず、隣に立った。


沈黙が続く。


先に口を開いたのは、伊藤だった。


「ね、夏目くん」


「ん?」


「……なんで、まだ野球続けてるの?」


唐突だったが、責める響きはなかった。


「昨日のピッチング」


伊藤は、公園の奥を見ながら続ける。


「抑えてた。結果も出してた。

 でも……苦しそうだった」


夏目は、すぐに答えられなかった。


理由は、考えたことがなかったからだ。


勝つため。

期待されているから。

辞める理由がないから。


どれも正しそうで、どれも違う気がした。


「……高校の時は」


気づけば、そう口にしていた。


「高校の時は、楽しかった」


伊藤が、静かにこちらを見る。


「甲子園の前とか……

 正直、きつかったけど」


声が、少し低くなる。


「でも、楽しかった。

 投げるのが」


理由を説明しようとして、言葉が足りないことに気づく。


楽しい。

それだけだった。


「だから、続けてるんだと思う」


伊藤は、すぐに返事をしなかった。


「……じゃあ、今は?」


「……分からない」


正直な答えだった。


今の野球は、楽しくも、嫌いでもない。

ただ、続いている。


伊藤は小さく息を吐いた。


「そっか」


それ以上、踏み込まない。


でも、言葉は続いた。


「高校の時の夏目くんね」


少しだけ、懐かしそうに。


「投げる前に、必ず一回だけ深呼吸してた。

 覚えてる?」


「……そうだったか」


「うん。

 今は、しない」


夏目は、無意識に自分の呼吸を意識した。


確かに、しなくなっていた。


「変わったのが悪いって言いたいわけじゃない」


伊藤は前を向いたまま言う。


「ただ……

 昨日の夏目くん、ちょっと遠かった」


遠い。


その言葉が、胸に残る。


公園を抜け、駅へ向かう道に出る。


人の気配が戻ってくる。


「今日は、休みでよかった」


伊藤が言った。


「野球がない日も、大事だから」


「……ああ」


別れ際。


伊藤は一度だけ立ち止まり、振り返る。


「夏目くん」


「ん?」


「昨日のピッチングが、間違ってたとは思ってない」


少し間を置いて。


「でも、苦しそうなのは……

 見てて、嫌だった」


それだけ言って、改札へ向かった。


夏目は、一人でホームに立つ。


電車が来るまでの間、

さっきの公園の風景が、頭から離れなかった。


(……なんでだ)


理由は、まだ分からない。


ただ。


「楽しかったから続けてる」


その言葉が、

今の自分には、少しだけ眩しかった。



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