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ステータスALL Sの受験生が170キロで高校野球を終わらせた件  作者: 白峰レイ
第2章 大学編

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第5話「日本の宝」

伊藤玲奈は、ベンチの少し後ろに立っていた。


マネージャーとして正式に加わってから、まだ日が浅い。

仕事は多いが、覚えることは高校の頃と大きく変わらない。

違うのは、空気だけだった。


大学野球のベンチは、合理的で、静かだ。

感情よりも数字が先に来る。

声よりも判断が優先される。


そしてその中心に――

夏目くんがいた。


先発、夏目孝太郎。

背番号1。


試合前のミーティングで、監督は淡々と確認する。


「今日は九回まで想定している。

 ただし、無理はするな」


その言葉に、誰も異を唱えない。


捕手も頷く。


「球数は九十までだ。

 それ以上は必要ない」


必要ない。


その言葉が、伊藤の胸に静かに沈んだ。


試合が始まる。


夏目くんの球は、速い。

けれど、甲子園で見た“あの速度”ではない。


コースは正確。

変化球の切れも十分。

ストライクゾーンで勝負する、完成された投球。


三者凡退。


ベンチは落ち着いている。


「今の感じでいい」

「無駄がないな」

「理想的な球数だ」


褒め言葉ばかりだ。


誰も不安がらない。

誰も興奮しない。


それが“正解”だという顔をしている。


伊藤は、スコアブックに目を落としながら、ふと気づく。


――夏目くんだけ、扱いが違う。


他の投手なら、少しの失投で声が飛ぶ。

テンポが崩れれば、ベンチがざわつく。


でも、夏目くんにはない。


失点しなければいい。

球数を抑えられればいい。

派手さは要らない。


「怪我だけはさせるな」

「壊れたら大問題だ」

「この選手は“日本の宝”だ」


そんな言葉が、裏で何度も交わされている。


守られている。

徹底的に。


でも――


(……それって)


伊藤は、マウンドを見る。


淡々と投げ、淡々と抑える夏目くん。

表情は変わらない。


楽しそうでもない。

苦しそうでもない。


ただ、役割を果たしているだけ。


(誰も、夏目くんに「どうしたい?」って聞いてない)


それに気づいた瞬間、

伊藤の指先が、わずかに震えた。


五回を終えても、球数は五十台。


監督は満足そうに頷く。


「このまま行けるな」


捕手も笑う。


「今日も楽ですね」


楽。


その言葉が、ひどく冷たく聞こえた。


高校の最後。

九回のマウンドで、震えていた背中。


終わりたくない、と言った声。


あの時の夏目くんは、

誰よりも不器用で、誰よりも人間だった。


今は違う。


完璧だ。

正しい。

評価される。


――でも。


(……私は、何も出来ない)


伊藤は、気づいてしまった。


この状況は、誰のせいでもない。

監督も、捕手も、チームも、

全員が「正しい」選択をしている。


怪我を防ぎ、

価値を守り、

勝利を積み重ねる。


否定できる要素が、どこにもない。


だからこそ。


(……悔しい)


自分が、何も言えないことが。


夏目くんが、

誰よりも大切に扱われながら、

誰よりも一人でいることに。


伊藤は、ベンチからマウンドを見つめ続ける。


声をかける理由もない。

止める権利もない。

変える力もない。


ただ、分かってしまった。


――この場所で、

夏目孝太郎は“怪物”ではない。


――でも、“人”としても扱われていない。


試合は、静かに進んでいく。


九回を投げ切れる投手。

球数を抑えられる投手。

完成されたエース。


その評価の裏で、

伊藤の胸には、消えない感情が残った。


何も出来ない悔しさ。


それは、

努力でも、知識でも、

今はどうにもならないものだった。


伊藤は、スコアブックを閉じる。


そして、心の中でだけ呟く。


(……それでも)


(私は、ここにいる)


(見ている)


(夏目くんが、

 このまま“誰にも触れられない存在”になるなら)


(それだけは、

 見過ごしたくない)


答えは、まだない。


ただこの悔しさだけが、

伊藤玲奈を、ベンチに縛りつけていた。

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