第2話「怪物は、いらない」
一回表。
夏目孝太郎は、何事もなかったかのように三人を抑えた。
速球は155キロ前後。
コースは正確。
変化球も、必要な分だけ。
三者凡退。
スタンドは軽く拍手し、
ベンチは当然のように頷いた。
「いい入りだな」
「予定通りだ」
誰も騒がない。
誰も驚かない。
それが、この場所だった。
二回表。
先頭打者の名前が、アナウンスされる。
「4番、レフト。九条 昂」
その瞬間、空気が少しだけ変わった。
甲子園。
プロ蹴り。
リベンジ。
言葉にならない“物語”を背負った名前だった。
九条 昂は、バットを肩に担いだまま、ゆっくりと打席へ向かう。
(……来たな)
マウンドの夏目を見る。
背番号1。
帝京中央大学のエース。
(168キロか……)
実際、一回に見た球は確かに速かった。
ミットを弾く音もした。
だが。
(……それでも)
(こんなもんじゃねぇ)
九条の胸にあったのは、期待だった。
そして、それが静かに剥がれていく感覚。
――思い出す。
プロ球団の会議室。
差し出された資料。
確約に近い言葉。
「この順位なら問題ありません」
「即戦力です」
「君なら確実に球界を代表する打者になるだろう」
九条は、その場で答えた。
「行きません」
理由を問われ、
はっきり言った。
「まだ、やり残したことがあるので」
全員が察した。
名前を出す必要すらなかった。
夏目孝太郎。
甲子園で“世界”を驚かせた怪物。
(あいつを超えずに、先に行けるかよ)
だから大学を選んだ。
だから、ここにいる。
セットポジション。
初球。
外角いっぱい。
155キロ前後のストレート。
九条は、動かない。
(違う)
二球目。
内角。
タイミングを外すように弧を描くカーブ。
ほんの少しだけ、バットが動く。
(……これじゃねえ)
三球目。
逃げない球。
真ん中寄り。
(……)
九条は、迷わず振った。
乾いた音。
打球は、高く上がり、
レフトスタンドへ一直線に伸びる。
フェンスを越えた。
一瞬の静寂。
次の瞬間、歓声。
九条は淡々と一塁へ走り出す。
拳は握らない。
叫びもしない。
(……入ったか)
それだけだった。
マウンドを見る。
夏目は、表情を変えない。
悔しそうでも、驚いてもいない。
ただ、次の球を考えている。
その姿を見た瞬間、
九条の胸に、はっきりとした感情が浮かんだ。
――違った。
(俺が追いかけてたのは、こんなんじゃねぇ)
ベンチに戻る。
周囲が声をかける。
「さすがだな」
「4番の一振りだ」
でも九条は、聞いていなかった。
視線は、マウンドへ。
夏目は、その後も淡々と投げ続ける。
安全で、正確で、強い。
そして――
ベンチの奥で、監督が腕を組む。
九条は、それを見て悟った。
(……次からは、勝負されねぇだろうな)
小さく息を吐く。
怒りでもない。
悔しさでもない。
ただ、冷めた感情。
(これが大学野球か)
(怪物は、いらねぇってことか)
もう一度、マウンドを見る。
夏目孝太郎は、
もう“怪物”として投げていなかった。
九条は、静かに思った。
(……つまんねぇな)




