第60話『決勝戦前夜 それでも明日は来る』
甲子園準決勝を勝ち抜いた夜。
宿舎のロビーだけが、不思議なほど静かだった。
昼間の歓声も、SNSの騒ぎも、
ここまで届かない。
夏目はスポーツドリンクを片手に、
窓の外の暗闇をぼんやり眺めていた。
(……明日で、このチームは終わりか)
勝っても終わり。
負けても終わり。
どんな結果でも、
このチームで野球する日は明日が最後。
実感が湧かないのに、
胸の奥だけがじんわり熱い。
そこに小さな影が近づいた。
「……いた」
伊藤だった。
ジャージの袖をまくり、
薄い光に頬を照らされながら夏目の隣へ座った。
しばらく黙って、
その横顔を見つめていた。
「……明日で終わりね」
「……ああ」
「勝っても、負けても」
夏目は視線を落とした。
「……そうだな」
伊藤は、ゆっくり息を吐いた。
「……変よね。
勝ちたいし、絶対優勝したいのに……
その後のことを考えると、胸が苦しくなるの」
夏目は驚いたように彼女を見た。
伊藤は笑っているのに、
目だけが少し揺れていた。
「みんなでベンチに座って、
あなたの球をスコア付けて……
中村くんが叫んで、みんなで盛り上がって……
それが明日で終わっちゃうんだって思ったら……
なんだか……ね」
夏目は言葉を絞り出すように言った。
「……俺もだ」
伊藤が目を瞬く。
「野球、もっとやれる気がする。
もっと投げたいし……
もっと勝ちたいし……」
そして一拍。
「……このチームで、まだやりたいんだよな」
伊藤は何も言えなくなった。
胸の奥がぎゅっと締めつけられた。
その空気を、
爆音で破壊する男がひとり。
「おーーーい!!青春止まれぇぇぇ!!」
ロビーの扉を開けながら乱入してきたのは中村だった。
「お前らの“しんみりタイム”は何回目だぁ!?
監督が“早く寝ろ”って言ってんぞ!!」
「……声でけぇよ」
「そ……そんな大声出さないでよ……!」
中村は二人を交互ににらみつけ、
ふいに真顔になった。
「……なあ夏目。
明日が最後って……わかってんだよな」
夏目の指がピクリと動く。
「……わかってる」
「俺だってさ、復帰したばっかで……
もっとお前と野球したかったわ。
でもよ……明日で終わりなんだよ。
どんな形でも」
中村は笑った。
「だから勝つんだ。
明日は“最後の野球”なんだからよ」
伊藤も、小さく頷いた。
「そうね……最後の日。
だからこそ、全員で野球しないと」
夏目はゆっくり立ち上がった。
「……わかった」
そして二人に向き直り、
短く、だけど強く言った。
「明日、勝とう。
最後にするのは……優勝してからでいい」
伊藤は胸に手を当てた。
中村は鼻をすすりながらニヤッと笑った。
三人は並んで廊下を歩き出す。
明日で終わる。
でも――
(終わらせたくない)
その気持ちだけは、
三人とも同じだった。




