第51話「前だけ見ろ」
◆ 準決勝前夜
開明の宿舎は静かだった。
勝って浮かれて騒ぐようなタイプのチームではない。
ただ、空気のどこかがピリッと張りつめている。
理由は一つ。
明日の相手は、東陸高校の
“全国が注目する怪物打者”
九条 昂
甲子園前からドラフト候補に挙げられ、
大会中もずっとホームランを量産している。
SNSはすでに地獄のように荒れていた。
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◆ Tmitterトレンド
1位:夏目孝太郎
2位:九条昂
3位:準決勝カード
4位:左腕ジャイロ
5位:左も右も完全試合
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特に目立ったスレがひとつ。
【速報】準決勝、怪物 vs 怪物【九条vs夏目】
1 :風吹けば名無し
夏目の160ジャイロを九条がどう攻略するか。普通に楽しみ。
8 :風吹けば名無し
九条は低め全部ホームランにできる化け物やぞ
15 :風吹けば名無し
夏目「……軽い」
九条「あ、これ低めだな」
↑こういう未来だけはやめてくれ
29 :風吹けば名無し
なお九条、右投手には異常に強い模様
30 :風吹けば名無し
左投手には……?(震え)
開明ベンチで、この話題を読んで青ざめるやつがひとり。
中村だった。
(……おい。おいおいおい。
この大会でいっちばんやべぇやつじゃねぇか……)
隣では夏目が飄々と水を飲んでいる。
(……何でこいつはいつも平常運転なんだよ)
伊藤はスコアブックを閉じながら言った。
「夏目君。明日、右?左?」
「……どっちでもいいけど」
「右はダメだと思う」
中村の声が宿舎に響いた。
「右で投げたら九条の餌だぞ!?
145キロ台まで落ちてただろ!?
お前の“どっちでもいい”は信用できねぇんだよ!!」
夏目は黙ったまま肩を回す。
(……んー、右もう軽いけどな……)
夏目は投げられそうだったが、敢えて言う必要もないなと思った。
「左で行く。」
伊藤は大きく息を吐いた。
「助かった……」
中村は安堵しつつも、すぐに夏目へ詰め寄る。
「ただし!九条には絶対低め投げんな!
あいつ低め全部ホームランにするぞ!?
高めのジャイロでぶん殴れ!!」
夏目は軽く首を傾げた。
「……そんな強いの?」
「見ろよ、これ!」
中村はスマホを渡した。
動画には、九条が“芯を外されているように見える球”を
簡単にスタンドへ放り込む姿が映っていた。
夏目は静かに言った。
「……なるほど」
(……楽しいかも)
そのわずかな目の輝きを見て、
伊藤は背筋が冷えた。
(……やる気出たわね、この人)
怪物が怪物に興味を持った時。
球場は必ず、とんでもないことになる。
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◆ 準決勝当日・試合前
外野スタンドが“開明”のプラカードで埋まっていた。
完全試合2回。
左腕ジャイロの衝撃。
SNSの大炎上。
そして全国の期待。
すべてが夏目へ向かっている。
中村はユニフォームの袖を引っ張りながら呟いた。
(……ちょっと吐きそう)
でも、横を見ると夏目は平常運転。
ぼそっと言った。
「……昨日の味噌汁うまかったな」
「どのテンションで甲子園来てんだよ!!」
伊藤の笑いが弾ける。
空気が軽くなった。
一
試合直前・ベンチ前
中村が一歩前に出た。
「……おい」
それだけで、全員が見る。
中村は一塁ミットを叩いた。
パン。
「相手、九条だろ」
誰も答えない。
「正直、やべぇ」
笑いは起きない。
「でも」
中村は夏目を見た。
「投げるのは、こいつだ」
夏目は黙っている。
「だからさ」
中村は肩をすくめる。
「守るぞ」
一瞬の間。
「変なヒーローごっこすんな」
「点取られても、下向くな」
「夏目が投げてる間は、前だけ見ろ」
それだけ言って、一歩下がる。
「……行くぞ」
短く、
「「おう」」
—
『二番、ピッチャー、夏目孝太郎、背番号10』
球場が爆発した。
スタンドが地響きのように揺れる。
その大歓声の中で、
九条昂がベンチから現れた。
バットを肩に担ぎ、
夏目の方を真っ直ぐ睨む。
目が合った。
夏目はほんの少しだけ口角を上げた。
(……強いんだろ? お前)
九条は鼻で笑った。
(お前の左腕、叩き折ってやるよ)
完全に火花だった。
周りが勝手に熱狂していき、
空気がひとつの場所へ吸い寄せられる。
怪物 vs 怪物。
甲子園が待ち望んだ瞬間だった。




