第29話 『中村秀人は折れない』
開明高校には野球部がなかった。
誰も作ろうとしなかったからだ。
そんな学校で――
たった一人、「野球をやろう」と走り始めた男がいる。
中村秀人。
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幼い頃の中村は、誰よりも野球が好きだった。
けれど身体が弱く、走れば息が詰まり、体育はいつも見学。
野球チームに入っても、最初のランニングで倒れた。
中学で少しは丈夫になったが、練習にはついていけない。
来る日も来る日も球拾い、ボール出し。
試合は一度も出られないまま三年間が終わった。
それでも中村の情熱は消えなかった。
(今度こそ、あのグラウンドに立つんだ)
ただ、その“当たり前の願い”が一番難しかった。
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野球部を作るために必要なのは9人。
だが現実は厳しかった。
「野球? 無理無理」
「場所ないし」
「道具? 予算? はは、夢見すぎ」
断られ、笑われ、めんどくさそうに顔をしかめられる毎日。
それでも中村は叫び続けた。
「あと8人!」
「あと7人!」
「次で6人!」
明るさは武器だった。
でも外面だけだ。
帰り道ではいつも電柱にもたれて泣いていた。
(……なんで俺、こんなに必死なんだろ)
理由は単純。
野球がしたいから。
ユニフォームを着て仲間と試合がしたいから。
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最初に確保した“1人目”――
それが 夏目孝太郎 だ。
野球経験ゼロ。興味もゼロ。
「名義貸しでいいから! 名前だけ! ほんと来なくていいから!!」
「……まあ、いいけど」
このとき夏目は、中村の夢を支える“最初の柱”になった。
本人はまったく気づいていなかったが。
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1年が終わる頃に6人。
2年の夏前で7人。
秋に8人。
そしてついに――
「……入ります! 野球部!」
最後の1人が現れた。
「よっしゃああぁぁぁ!!!!」
正式に“野球部”として認められた瞬間だった。
中村は泣いていないつもりだったが、涙はばっちり見られていた。
「キャプテン泣きすぎっす」
「声デカいっすよ!」
中村は鼻をすすりながら胸を張る。
「当たり前だろ!!やっと……公式戦に出られるんだぞ!」
本当に幸せそうだった。
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ある日、顧問の島田先生が言った。
「中村。9人揃ったんだし……夏目くんは外してもいいんじゃないか? 来ないんだろ?」
夏目は名義貸しのまま。
何度誘っても一度も来なかった。
中村は答えようとして――なぜか言葉が止まった。
「……いや、残しときます」
「え? でも――」
「なんとなく……外したくねぇんすよ」
理由なんてなかった。
ただの直感。
けれどその直感が未来をつなぐ。
誰も知らない。
この選択が後に“奇跡”を呼ぶことを。
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県大会1回戦の前日。
中村の膝が壊れた。
転倒。激痛。
医者の診断は最悪。
「大会は……無理でしょう」
中村の心のどこかが崩れ落ちた。
(なんで……なんで今なんだよ……)
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部室に戻り、全員の前で頭を下げた。
「……みんな……本当に……すまん……!」
床に額がつく音が響く。
「俺のせいで……せっかく9人揃ったのに……
試合……出られねぇ……!」
沈黙。
泣き出す部員もいた。
中村は続ける。
「没収試合だけは……避けたかった……
でも……全部俺のせいだ……!」
誰も何も言えなくなった。
沈黙が続く……
そこで――誰かが言った。
「……もし、夏目先輩がメンバー登録されてれば……代わり、いたんですけどね」
中村の肩が跳ねた。
バチィン!と頭の奥で火花が散った。
(……そうだ……! 夏目……!)
メンバー表を開く。
「10番 夏目孝太郎」
名前があった。
震える指でなぞる。
涙がこぼれた。
(ありがとよ……外さなかったのは……間違ってなかった……!)
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すぐに夏目のもとへ向かいたかったが、膝が痛む。
それでも半ば這うようにして公園へ向かい、先に着いて待った。
夕焼けの中、夏目が歩いてくる。
「……来たな、夏目……!」
夏目は眉をひそめた。
「お前、本当に膝やったのか?」
疑われているようで、中村は慌てて膝をアピールした。
「ほら見ろ!!」
「ドヤ顔する怪我じゃねーよ」
中村は胸ぐらを掴もうとして――届かない。
いつものように空を切る。
それでも叫んだ。
「夏目!!頼む!!
野球部に……いや!!試合に!!“本格的に”出てくれ!!」
夏目はため息をついた。
「俺、野球知らねぇぞ。練習もしたことない」
「知ってるよ!!
でも!!お前しかいねぇんだよ!!」
夏目は横を向く。
「悪いけど、俺には予定がある。筋トレと勉強」
「知ってるよ!!知ってるけど!!」
中村は――ゆっくりと膝をついた。
膝の痛みで顔が歪む。
松葉杖が倒れる。
それでも頭を下げた。
「……頼む。頼むよ夏目……
俺……ずっと夢だったんだ……
自分が作ったチームで……初めて公式戦に出るのが……
でも……俺が投げられなくなって……
全部終わっちまう……!」
夏目は言葉を失った。
「……悔しいよ……
こんなタイミングで怪我して……
みんなの夢も……俺の夢も……終わる……!」
中村の肩が震える。
「夏目……
お前が来てくれたら……試合に出られるんだ……
頼む……頼むよ……
お前しかいねぇんだ……!!」
夏目は、一瞬だけ空を見た。
そして。
「……分かったよ」
中村の動きが止まる。
「な……なんだって……?」
「出ればいいんだろ。どうせ今日は筋トレ軽めの日だし」
「理由それぇぇぇぇぇ!?!?」
中村は叫んだあと――号泣した。
「ありがとぉぉぉ!!夏目ぇぇぇぇ!!!」
夏目は耳を塞いだ。
「うるせぇよ」
けどその口元は、少し笑っていた。
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翌日。
中村は震える手でゼッケン10番を渡す。
夏目が袖を通した瞬間――
中村は背を向け、静かに自分の“1番”を抱きしめた。
「……頼んだぞ夏目……
俺の夢、全部……預けたからな……!」




