5.無血開城の朝
夜が明ける。
皆、疲れているようだが、表情はそんなに暗くない。とにかくこれで、誰一人死ぬ事なく終わるのだ。そう考えれば御の字ではないか。
◇
やがて、約束の時間が来る。
城門を開ける。
カスティーリャとアラゴンの兵が入ってくる。その後に続いて、カスティーリャとアラゴンの両王が入ってくる。
「これより、カスティーリャのフェルナンド王とアラゴンのイザベル女王へ、アルハンブラ宮殿とヘネラリーフェ離宮の引き渡しを行います。」
ムハンマド王が前に進み出て、フェルナンド王とイザベル女王に、二つの鍵束を渡す。一つはアルハンブラ宮殿の鍵束、もう一つはヘネラリーフェ離宮の鍵束である。
「これが楽園の鍵です。」
ムハンマド王が言う。
だが、眼前の二人の勝者の王は、何も答えない。
「では、私はこれで失礼致します。」
ムハンマド王はそう言って、両王の前を離れ、母のアイシャと共に、城の南端の「井戸の門」へと歩み去ってゆく。その後ろには、ダンタリオンが付き従っていた。
それを見届けてから、カスティーリャの兵が大きな声で通告する。
「ではこれより、グラナダの兵と住人は、一人ずつ検分を受けたのち、門を出るように。その際に、信仰について問うので、正直に答え、その後の指示に従うように。」
◇
井戸の門に辿り着くと、ダンタリオンが鍵を開け、小さな門扉を開く。
「今日のことを、後の人々は歴史にどう書くのでしょう?」
ダンタリオンが問う。
「敗者の事など誰も書きはすまい。歴史はいつでも勝者のものじゃ。」
ムハンマドが答える。
「では、私が後の世へ語り伝えましょう。ヘネラリーフェのほとりの物語を。」
ダンタリオンが言う。
「そうか。」
「私は死ねませんので。」
二人が小さな門をくぐる。
「ではムハンマド様、アイシャ様、お元気で。」
「ダンタリオン、お前もな。」
「元気でね、ダンタリオン。」
門扉を閉ざし、鍵を掛ける。
二度とここへ戻らぬ二人のために、鍵を懐に入れて持ち去る。
◇
鍵を懐に仕舞ったダンタリオンは、大きく深呼吸をする。背中の開いた服から、少しずつ、青緑の輝きを持った漆黒の翼が姿を現す。
さあ、また行こうか。
伸び切った翼を、大きく一度羽ばたかせる。
バァン。
大きな衝撃音が響く。
二度、三度と羽ばたくと、ダンタリオンの身体は宙に浮き、やがて恐ろしい速さで空を駆け始める。
カスティーリャとアラゴンの兵達が気付いて騒ぎ始める。フェルナンド王も見ているだろうか。
アルハンブラ宮殿の上空を飛ぶ。
そして、旋回してヘネラリーフェへ。
さよなら、私の美しい隠れ家。
◇
これ以後、黒翼の悪魔の行方は杳として知れない。
この作品は、ホアキン・ロドリーゴの美しいギター曲「ヘネラリーフェのほとり」へのオマージュとして書いたものです。
ストーリー自体は、悪魔が出て来る所以外は、なるべく史実に沿った内容としています。
今回のテーマ「友情」については、アイシャとダンタリオンの、身分と種族を超えた友情、と言うことで。




