2.見知らぬ停留所
あたりはすっかり暗くなっていた。陽は落ちきって、空の端が、空の下で火事でも起こっているかのように、燃え燻ぶる熾き火のような濃赤色を留めているのが、木々の向こうに見えた。いつの間にこんなに日が暮れたのだろう。日が高かったのは、そう前のことではなかったような気がするというのに。白い日差しが黒い夕闇へと姿を変える途中の鮮やかな橙を見ていない。
不安である。
ぐるりと見回して、心細くなった。もしや、ここは市内ではないのではないのだろうか。町の喧騒が聞こえなかった。人家が見当たらないのである。あたりは木に囲まれており、空気の臭いが違った。バスの車内から飛び降りて着地した先では、地面が舗装されていなかった。舗装されてもいない、土の地面である。ぶおん、と原動機の音を響かせて、バスが走り出した。心細くなって思わず後を追おうとしたら、ぐるりと細長い車体が急激な方向転換をするのであわてて避ける羽目になった。道路がないので、軌道が予測できなかったのである。いつからこんな、まるで田舎道のようなところを走っていたのか、記憶になかった。バスに乗るとぼうと物思いにふけってしまう悪癖のせいだ。まるで周りを見ていない。
走り去るバスを、呆然と見送った。眩い前照灯と、白々しく照らし出された車内があっというまに木立の奥に消えた。市外へ出て、あのバスがさらに向かう先はいったいどこなのか。
立ち尽くしている間に、一緒に下りた乗客たちはさっさと歩み去っていた。それぞれ、己らの向かうべき方角を心得て、私には暗いばかりで右も左も北も南もわからぬ道を、そそくさと、それぞれ深い闇の中へ姿を消していく。道を問おうにも、呼び止める間も隙もなかった。すぐに、私は一人になっていた。
まったく不安になってしまって、泣きそうになった。道に迷うのは最早特技のようなものである。幼いころから幾度となく曲がるべきではない角を曲がっては道を見失い、電車に乗れば誤った路線に飛び乗っては半泣きで人に助けを請うたものだが、幾度繰り返そうと、一人見知らぬ土地に立ち尽くす心細さに慣れることはない。まるで、二度と馴染み深い土地には帰れなくなってしまったかのような絶望感を覚えるのだ。そもそも、ここはどう見ても市内ではなかった。乗ったのは間違いなく市営のバスだった。市営のくせに、市を出ることなどあるのか。路線によってはそんなこともあるのか。聞いたことがない。
暗がりから聞こえる音は、まるっきり山の中の音だった。葉擦れの音がさやさやと絶え間なく響く。臭いも山のものだった。豊かな腐葉土の臭いだ。自分自身は街中にしか住んだことはないが、山中の親戚の家へ遊びに行くとこんな臭いがした。冷たい夜の空気は湿っており、近くに田んぼか沼か、川があるような気がした。踏みしめた地面もしっとりとしていた。
携帯電話を取り出してみれば、無情にも圏外、と小さな文字が瞬いた。液晶画面が思いがけなく暗夜に慣れ始めていた目に眩しかった。
(立ち尽くしていても仕方がない)
道路が舗装されておらず、道とそれ以外の地面の区別がつけられぬから心許ないが、反対方向へ向かうバス停はこのあたりだろうかと、見当をつけた方へいくらか歩いてみた。ばしゃりと足が濡れた。大きな水溜りに出くわしたのである。ここ最近、こんなに大きな水溜りができるほどの雨など、降っただろうか。如何に市外であろうと、さほど天候に違いのあろうはずもない。それほど天気の崩れた日は、ここ一週間ほどなかったのに。空気の湿り気は、この水溜りが原因かもしれぬ。しかし、どんなに大きくとも水溜りである。これほどまでに湿り気を与えるはずはない。思い切って屈みこみ、顔を近づけて検分しても、深みは二寸あるかないか。表面に細かい泡が浮く、ただの汚い水溜りであった。
水溜りで足を濡らしてしまったので、すっかりめげてしまった。もうバス停など探したくない気分になる。どうせしばらく待っていたら明るい照明を掲げてやって来るのだから、そのときに移動すればいいのではないか。もうそのままここから動かぬ、そう決心をした。その矢先に、ふと振り返ったそこに今までは気がつかなかったタクシーを見つけて、あっさりと決心は崩れた。黒い車体は闇に沈み、皓々とした光を放つ運転席ばかりが、ぼうと浮かんで見えた。車に藁にもすがるような思いで駆け寄り、居眠りを決め込んでいる運転手を起こそうと、フロントガラスを強めに叩いた。
「すみません」
ごんごん、と拳がガラスを打つ音が響く。しかし、運転手は身じろぎもしない。よほど深く眠っているのだろうか。目を落とすと、車扉に飾り付けられた装飾が目に留まった。花を模し、水引を思わせる意匠の、白や薄紅、金のテープでできた大きな飾りで、開店祝いに軒下に提げられてでもいそうなだ。めでたいことがあったのか。しかし、最前の喪服の群れが不吉な予感を感じさせた。喪服は、つまり忌み事の徴だろう。花も、凶兆のような、不気味な気配がしてならなかった。もしかしたら、先ほどの喪服の集団、彼らのうちの誰かが呼んだタクシーだろうか。弔事にあわせ、タクシーもこんな飾りをつけているのだとか。不祝儀にはそぐわない気がしたが、そう考えるのが一番しっくりきた。
声を大きくして、何度かガラスを叩くことを繰り返したが、運転手は目覚めなかった。仕方がないので、どれほど待てばいいのか見当もつかないが、自然に目が覚めた時に乗せてもらえるよう頼むことにした。
さして遅い時間でもないが、これほど深く眠り込んでいるのは、疲れているためだろうか。居眠り運転という言葉が脳裏を掠めたが、ほかに交通手段も見当たらないのだから、このタクシーを頼るほかに仕方がない。
ひとまずの解決策を得て、当面の不安は解消された。ここがどこだかは知れないが、今日は運よく懐具合も暖かいので、交通費の心配も必要ない。願わくは、このタクシーを呼んだ当人が、路頭に迷う見知らぬ人をタクシーに同乗もさせないような非道な人物ではないことだ。