第92話 末路。
奥崎と改がいる道路から三本ほど隣にある道路の電灯辺りに一つの影。
その者は黒いマントに身を包んでいるも、両肩から先はなく、全身がボロボロ。肌は気味が悪いほどに青白く、人ではないということが一目瞭然。
この者はさっきまで奥崎達と戦いを繰り広げていた霊異者、麦原翔。
彼はまだ生きていたのだ。いや、既に死んだ身のため、まだ存在していたというのが正しいのだろうか。
「……グッ……ウゥ」
麦原翔は、ナイフによって消滅したように見せかけて、何とかあの場から逃れてきた。
もし蹴り飛ばしたあの少女があの場に居たのなら逃げたことがバレただろうが、あの少年には気づかれないだろう。実際、今は誰も追ってこない。
しかし、重傷を負ってしまったのは事実。霊異者の頭にはナイフによる深い刺し跡が残っており、両腕も失っている。身体中にはヒビが入っており、今も少しずつだがヒビが広がり続けていた。
「……グゥ」
霊異者は憎しみからその青白い顔を歪める。
誰に対しての憎しみか……それは当然、さっきの三人。特に自分の獲物だと思っていた少年に滅せられかけたことに対して強い憎しみと苛立ちを募らせていた。
もちろん、あの幼い少女と金髪の女にも同じくらい募らせているのだが。
絶対に殺してヤル……ぐっちゃぐちゃニ何もかも後悔してしまうような程ノ恐怖に陥れて殺してヤル!……そう思う程に。
だが、今ハ……体ヲ治すのが先決ダ。
麦原翔はふらつく体に鞭を打って、歩き続ける。
どこでもいい……あいつらノような邪魔者のいない場所でまた人間ヲーーーー
「どこに行くんだい?麦原翔」
突然、後ろから女性の声が響いた。
振り返るとそこにはさっき、自分の分身達を殺しまくっていた金髪の女性が佇んでおり、とても冷たく、悍ましさを感じる瞳でこちら見ていた。
「ヒッ!?」
死ーーーー
麦原翔はつい尻餅をついてしまう。勝手に力が抜けて、無意識に歯が震える。
い、今の状態デハ絶対に勝てナイッ!逃げなけレバッ!
なんとか距離を取ろうとおぼつかない足で後退る。
麦原翔は理解していた。
恐怖で溺れ、満身創痍となっている今の自分では、目の前の金髪の女性から逃れることなど絶対にできないと。
それでも逃げようと麦原は駆ける。
右へ左へ。不規則に曲がっては、たまに壁を通り抜けて恐ろしい女性の手から免れようとする……
しかし、すり抜けた壁を抜けた先には既に女性が立っていた。
「う、ウわァァァ!」
「惨めだから逃げないでくれよ」
「っ!ク、クソッ!」
麦原はまた逃げようと反対側へと走る。壁をすり抜け、左に曲がるとそこには、
また金髪の女性が先回りしていた。
麦原翔は青白いその顔を青ざめさせ、紫色へと変色させる。
「どうだい?君が殺す時にやっていた手口を私なりに真似してみたんだけど?」
祭持営は肩をすくませた後に口を歪ました。そして見せつけるように大きく口角を吊り上げる。
それを見た麦原は思った。
コイツは遊んでいる……自分と同じ手口を使って俺を馬鹿にしているんだと。
ああ、そう思うと腹ガ立ってクル。ムカつく、殺してやりタイ!殺シタイッ!
麦腹は既に満身創痍の状態。
戦ったところで負けることは目に見えているし、本人もそれは理解している。だからといってこの女性から逃げ切れるわけでもない。だが、それでも殺してヤリタイッ!
「ウ、ウガァァァァ!」
麦原は己の感情のままに祭持へと飛びかかった。失った両腕の代わりに大きく口を開けて、己の歯を使って噛み殺そうと突っ込んでいく。
もちろん、そんな攻撃が祭持に届く訳がない。
祭持は飛びかかってくる麦原の頬に蹴りを、つま先をめり込ませ、そのまま地面へと振り下ろすのだった。
「今の君は獲物だ。狩人に歯向かうなんて許されないよ」
「殺ジデや……うブェ!?」
麦原は頭を上げようとするも、祭持がそれを許さない。今度は足を上げると、勢いよく振り下ろし、後頭部に踵をぶつけた。
「ガッ!?……アガッガッ!ガッ!ギィ!」
何度も何度も、何度も踵を振り下ろす。地面が割れようとも、鈍い音が響こうとも祭持は躊躇などしない。
何度も霊異者の頭を叩きつけた後、その振り下ろしていた足を止め、足元で地べたを這いつくばっている霊異者に、祭持営は囁いた。
「私はね?生前、君がどんな殺し方をしていたかを知っているんだ……まだ未来のある少年、少女らを死なない程度に痛めつけて、恐怖で心が壊れる寸前で殺していた……そうだろう?」
そう言うと、手に持っていた懺悔薄刀を適当な地面へと突き刺した。
祭持は決して、憐みの気持ちでから懺悔薄刀を手放したのではない。ただ、今から行うことに刀は不要……それだけのこと。
「蹴って殴って、骨を折る。爪を剥いで、歯を捻り取って、肉を抉る……今まで君がしてきたことを私が君にしてあげよう」
その言葉を聞いた麦原翔が一瞬、体を震わし、その後、顔を上げた。麦原翔の表情はすっかり恐怖に染まっており、その姿はとても惨めで不快。
「モ、モう、殺ざない!だガらっ!……」
「だから見逃してくれって?ふざけたことは言うなよ?君は、今まで命乞いをしてきた人達の言葉を聞き入れたことはあるのかい?」
「ぁ、ぁあッ、アるっ!」
「あったら、死人は出ていない」
祭持は麦原の頭を掴み、顔面をひび割れたコンクリートへと叩きつける。
「ガはぁッっ!」
「麦原翔……君は、殺したいから殺し続けた。殺した時の感覚が病みつきになり、やめられなくなった。死してもなお、殺しの感覚を味わいたくて霊異者になった……そんな君に同情する余地は無い」
祭持営の表情は辺りが暗すぎて分からない。きっと誰にも見せれない程のーーーー
「それじゃあ、始めようか。殺人鬼である君が、被害者の痛みを少しでも分かってくれることを祈るよ」
「や、ヤめっ!ぎゃあアあァァァァ!」
暗く深い道で、破壊音と悲鳴が鳴り渡る。しかしその声は普通の人には聞こえることのない叫び声。
誰にも聞こえることのない悲鳴が夜道に響いたのだった。
それから数分。たったの数分だったが、それだけの時間で麦原翔は憔悴しきっていた。
「…………ぁ……ァァ」
「ふむ、こんなものかな?本当はもっと徹底的にやるのがいいのだろうけれど、私は君とは違って、いたぶるのは好きじゃないからね。もう終わりにしようじゃないか」
そう言うと祭持は地面に刺した懺悔薄刀を取りに行き、その刃先を麦原へと向ける。
刃の先端を向けられた麦原翔は、悔しそうに歯のない口で食いしばった。
「グ、グググググ……」
自分がこんな惨めになって悔しがっているのではない。麦原翔は、もうこれ以上、人を殺すことができないことに絶望的な程に悔しさを感じているのだ。
ここで終わるなんてあり得ナイ……もっと、もっと殺スんダっ!人ヲっ!人間ヲッ!殺シダイッ!
「ク、クソォォォォォォ!」
麦原翔は飛びかかる。歯すら残っていない口で、それでも噛みちぎろうと爪の無い足で飛ぶ……自分の欲望のため、これからも快楽を貪るために。
そんな麦原翔を、祭持営は軽蔑と憤りの目で見下ろしながら、懺悔薄刀を構えた。その構えは美しく、畏怖を感じさせるものだった。
「さようなら、麦原翔。もう君に来世が訪れませんように」
「ガアアァァァァ!」
「何百、何千……彼の者滅さん」
「ああアアアあ…………ア、あ……ア」
一閃。祭持は飛びかかってくる麦原翔に向かって、たった一回だけ懺悔薄刀を振り落とした。
麦原翔は真っ二つに裂け、散っていく……やがて欠片すらも無くなり、世界から消えていったのだった。
生前、己の快楽のためだけに人を殺め、死後も霊異者になって人間を殺し続けた麦原翔は、消滅するその最期までずっと快楽を求め続けた。
被害者の気持ちも、被害者の親族の気持ちも知ろうともしなかった彼は本当に、救いようのない者だろう。
祭持営は音のしない街を歩き始める。月の光によってできたその影の背中はひどく寂しく映るのだった。




