第7話 夢。それは果たして夢だけなのか
「はぁ……はぁ……はぁ」
とても暗く寂しい廊下。どこまで続いているかも分からない狭くて長い廊下を、私はただただ夢中で走り続ける。
扉、扉、扉。一切、見分けのつかない暗い扉達の横を無我夢中で通り抜けながら、私は必死に腕を振る。
恐怖、危機感。顔が青ざめる程の強烈な切迫感に襲われ思考が回らない。ひたすらに足を動かし、この状況下から脱出したいという考えだけが私の体を支配していた。
「はぁ……はぁ!」
それからどれだけ走り続けたのだろう。体感で言うと一時間くらいかな。恐怖と緊張がずっと続き、もうこれ以上この状態が続いたら頭がおかしくなりそうと思っていると、不意に通路の真ん中で立ちはばかる少女が見えてきた。
シワだらけで伸び切った紫と黄色のTシャツ。何か茶色い液体がこべりついたヨレヨレの紺色のスカート。そして少女の手によって握りつぶされている男の子の人形の頭。
私は走るのをやめ、息を整えると同時にゆっくりとその少女に近づく。そしてある程度近くに寄ると、少女の姿が鮮明になってきたのだった。
暗いこの廊下では、もう少し距離を縮めないと少女の表情を見ることはできない。けれど、この距離でも少女の頬を真っ赤な涙が垂れているのはよく見える。
そんな少女が私に向かってゆっくりと手を伸ばす。
細く、小さい手。少しでも力を入れると折れてしまいそうな、そんな少女の手は、私には絶対に届かないはずの距離なのに、私には何処か掴まれそうな気がして足を一歩後ろに引いてしまう。
いつからだろう……私は、少女に恐怖を抱いていた。
「……ぇして」
怯えた私に少女は呟く。弱々しく、切なさが混じる声で。何回も何回も呟き、その声に次第に力が入る。
返して……返して返して。
「ひっ!」
そんな少女の気味が悪い奇行に、私は思わず声が出てしまう。声を出した私に気が付いたのだろうか、顔を勢いよく上げ、今までで一番大きな声で叫んだのだった。
「返して!」
「っ!!」
鼓膜が張り裂けそうな、耳をつんざく叫び声。怒りと悲しみ。若干の戸惑いと確固たる意思の籠った声は、私にはとても辛そうに聞こえた。
そして、そんな叫び声とほぼ同時に、何か大きな物体が横から現れ、唸り声のような音を立てる。
その突然現れた大きな何かを見ようと、私は顔を横に向けようとするも間に合わず、私と少女はその物体と衝突し、私の視界全てが黒く染まったのだった。
「っっ!! ……はぁ、はぁ……はぁ!」
乱れた息。異常なまでに速い心拍数。
気がつくと、見慣れた天井が見えた。白をベースに緑と黄緑のチェック柄が交差している天井。そう、私の家の一角にある、私の部屋の天井。私は見慣れた天井の模様をじっと見つめ、自分の心を落ち着かせる。次第に上下していた肩は大人しくなり、速い鼓動も落ち着いてくる。ようやくパニックになっていた頭が冷め、私はさっきの出来事が現実じゃないことを理解した。
そう、あれは夢だったんだ。そして、それはここ最近何度も見てきた光景だということも思い出し、もう何回言ったかも分からない言葉を私は口にした。
「また同じ夢……」
そう……私は同じ夢を見る。
「……君? 奥崎君!? そんな固まってどうしたの!?」
『朝、学校に行くと隣の席の女の子が霊異者に取り憑かれている』、そんな突然のことで頭が真っ白になった俺だが、競斗さんの心配そうな声で我に返った。競斗さんはこちらを覗き込むようにして見ている。
少し傾いたショートボブの茶色い髪が揺れていい匂いがする……これはシャンプーの匂いか?……なんて思ってしまうが、俺の今の状況下では邪魔な思考でしかない。
登校した俺に唐突に突き立てられた、隣の席の人に霊異者が取り憑いているという事実。しかもその霊異者は、昨日遭遇したあのカラスの怪物よりも、恐らく力の強い霊異者だ。そしてやはりこの匂いはシャンプー。と言うことは朝、シャワーを浴びてから家を出た……違うそうじゃない。
同じことを二回も考えてしまう程に混乱した頭を落ち着かせる為、そして整理する為に一度大きく深呼吸をした。ゆっくり、味わうように。
「お、奥崎君!?」
ああ、いい匂いが俺を落ち着かせてくれる。フローラルな香りだ。それに女の子特有の匂いもする。ああ、落ち着く。
しっかり落ち着くことのできた俺は、この後の立ち回りをどうすればいいのか、それを考える為に、昨日の祭持さんとの会話を思い出すのだった。
えっと……この場合は、どうすればよかったか……そうだ、とりあえず目を合わせないように気をつけなきゃいけない。それとルーツ。そう、それに関するキーワードを言わないことだったな。どんな言葉がキーワードなのかは分からない。だからなるべく会話を少なくして、同じ言葉を選んで使おう。
結構雑だが、俺は、今後の競斗さんとの接し方を大雑把に決めていく。
そんな俺の心情も知らずに、競斗さんは姿勢を低くすると、更に顔を覗き込んでくるのだった。そして競斗さんの動きと連動するように、黒いモヤの目の視点が、ギョロリとこちらを向く。
「っっ!」
まずい、目が合ってしまう!
目を合わせると一巻の終わり。俺は競斗さんの肩に憑いている霊異者と目が合わないように急いで違う方向へと視点を変え、視界の端で霊異者の目線を確認する。
今の挙動は流石に不自然過ぎたか?
あまりに挙動不審な行動を取ってしまったと心配になるが、霊異者は数秒こちらを見つめた後、興味が失せたのか、競斗さんに視点を戻す。
良かった、大丈夫だったみたいだ……うん。
「ねえ、奥崎君……大丈夫?」
ほっと胸を撫で下ろしていると、また競斗さんが声をかけてくる。
そんな競斗さんに心配させまいと、俺は口角を上げ、笑顔を作ると笑った。
「あ、いや……急に挨拶されたから少し驚いたんだ……ははっ」
自分でもぎこちないと思う程の笑顔だったが、競斗さんは気付かなかったらしい。俺の言葉を真に受けて、驚いた表情をする。
「ええ!? そんな表情になる程びっくりしたの!?」
そんな表情?
俺は、どんな表情はしていたのだろう……俺としてはただ笑顔を作っただけなんだが。競斗さんはまるでショックと言わんばかりに肩を落とし、「ごめんね、ごめんね?」と何度も謝ってくる。
「そんな謝ることじゃないから謝るなよ。俺が勝手に驚いただけだって」
そう、競斗さんのせいではない。動揺した原因は、競斗さんに取り憑いているその肩の黒い霊異者のせいだ。
「ええー、でも……」
それでも、申し訳なさそうにする競斗さんを見て、このままでは拉致があかないと感じた俺はチラりと時計を確認した後、急かすように言った。
「そんなことより早く席に着いた方がいいんじゃないか? もうそろそろチャイムがなるぞ」
今の時刻は八時十八分。あと二分後にはショートホームルームが始まってしまう。まだ鞄が机の上に置きっぱなしになっている競斗さんはきっと、準備を終えてないだろう。
「そ、そうだね! ヤバい!早く準備しないと先生来ちゃうっ!」
予想通り、まだ何も手を付けていなかったらしく、競斗さんは俺の言葉を聞いて、時計を確認した後、慌ただしく隣の自分の席へと行き、準備をし始める。
……とりあえず、危機は去ったな。
俺は自分の鞄をロッカーに入れに行くと、自分の席に座った。
うん、一度頭の中を整理しておきたいな。このまま競斗さんと喋っていたら、何かやらかす……そんな気がする。
恐らく霊異者に取り憑かれたままの競斗さんの危機は去ってないが、俺の命の危機は一時的になくなっただろう。
そんなことを考えていると担任の先生が教室に入ってくる。
「朝の会、始めんぞー」
「うわぁぁ! やばいやばい!」
……後ろのロッカーで、競斗さんが慌てているが、俺は知らない。
「ほら、そこ! 早く席につけ!」
「は、はいぃ! 今着きますぅ!」




