第5話 ペアワーク1
ペアワーク。
大抵の人間は、隣の席の可愛い女子とキャッキャうふふすることを、一度は夢見ているだろう。
しかし現実は無情であり、往々にして残酷なものなのだ。
つまり何が言いたいのか……
「……」
「……」
誰か助けてくださいお願いします……
いや普段はもうちょいマシなんですよ、ええ。
小言は言ってきてもまだ会話は成立するし、早めに終わったら、時間まではなんやかんや会話が続くから、意外と気まずくなることは無かった。
これなら、まだいつも通りなんか言ってきてくれた方がマシなんだけど……まあマシなだけで全然嫌ではあるんだけどね!
だってさっきから笑わないんですよこの人。
ただ淡々と与えられた課題をこなしてるだけ。何こいつロボットなの?
しかも、こんな状況なのに不機嫌な様には見えないから、もはや不気味すぎて仕方がない。
いつも通りの雰囲気でただ無言なだけ。さっきの圧力も今は全く感じない。
多分俺は今、台風の目にいるんだろうな。つまりこの授業が終わったら吹き飛ぶね、はは。
俺が思考を巡らせている間にも授業は進んでいき、ついに先生が、本日四度目くらいの悪魔の提言をする。
「はい、じゃあ今からこの英文ペアで読んでー」
50代後半くらいのおばさん感が強い先生が、のほほーんとした感じでその言葉を口にする。
そんな軽い感じで言うんじゃねえ! その言葉で絶望する奴もいるんだぞ!
俺はチラリと隣を見る。既にこちらを向いていて、英文を読む準備は万端のようだ。
ねえ君なんでペアワークはやる気に満ち溢れてるの?
まじさっきから気持ち悪いくらい俺に関わって来ないのに、なんでペアワークはそんな準備が早いんだよ……
あーもしかしてあれか? ペアワークを早く終わらせたいのか?
……そうと分かれば、俺もその案に乗らせて頂こう。
幸い、俺もこいつも本気を出せば、本来なら1人で3分はかかるこの英文を20秒で読める。
残りの空き時間は少なく見積もっても5分はあるはず。
微妙に時間が余るより、これぐらいガッツリ時間がありがたい。
その間自習に集中すれば、この気まずさはとりあえず無くせるはずだ。
そう思って俺はこいつに向き合い……それを確認したそいつは英文を読み始める。
「Many people beleive that Internet is …… 」
そこで一度詰まる。
「……」
そいつは一度、じっくり読む素振りを見せてから続きを読み始める。
「……important for people. Hoever, あ、……it is……」
そいつはまたも詰まる。しかも一回言い間違えた。
……おかしい。絶対におかしい。
こいつ、ここまでのペアワークもこんな感じのミスを連発していた。
解いた問題を隣の人と照らし合わせるときとか、答えが違うことが分かると『なんで?』と言って聞いてきた。
それがこの授業で俺に放った最初の言葉である。
お前今まで全部満点だっただろうが!
俺がお前に英語を教えたことなんて一度もないのに、なんで無言のこいつに教えることになったんだよ……これでも終わったら『ありがと』って感謝は言ってくるんだよな。 どういたしましてこの野郎!
だが、流石にこいつがこんなミスを連続させることはありえない。
人間誰しもミスがあると言うが、こいつはそんなことないのだ。英語に関してだけでいえば、俺はミスをしている所を一度も見たことがない。
こいつは英語が得意とかの次元ではなく、もはや英語の神なんじゃないかと、俺は思ってる。
この前の中間テストも満点だったという噂だ。
英語に関しては勝てるビジョンが全く見えない。それくらいには突出している。
そんなこいつが、このレベルの英文で詰まるだと、しかも一度や二度じゃない。今日だけで両手は使い切ってる。
そんなことは絶対にありえない。まだ宝くじが当たったと言われた方が信じられる。
ここまで、もしかしたらもしかすると気のせいかもしれないと思って、何も言わずやってきたが、流石にそろそろ確信に入った。
こいつわざとやってるな。
だけど理由が見当たらない。なんでそんなことするんだ? 現在怒り心頭中のこいつが、わざわざこんな真似をする理由が無さすぎる。
……待てよ?こいつまさか……
俺はそこで、ある一つの可能性に思い当たる。
「なあ、ちょっと聞いて欲しいんだが……」
「……?」
そいつは英文を読むのをやめて、耳を傾ける。
俺はそいつに、疑問をそのまま
「お前、実はもう怒ってないだろ」
「……っ!」
「その反応は図星だな」
「……は?」
「おい今更不機嫌アピールをするな。俺の目はもう騙せないぞ」
「……」
そいつは黙りこくる。
その瞳は左右にさまよっており、明らかに焦っている様子だ。
「いつからだ?」
「5時間目始まってすぐ……」
「割と序盤じゃねえか」
だからこいつ、休み時間に醸し出してた圧力が、授業中は無くなってたのか。
「 ……つーか不機嫌になったの休み時間の中盤だよな? 不機嫌だった時間殆どねえじゃねえか」
そいつは言い訳するように言葉を並べる。
「最初は勿論怒ってたわよ? 誠心誠意の謝罪をしない限り、絶対に許さないつもりだったもの。でも本当に申し訳無さそうにしてるから、まあ良いかと思って……」
こいつちょろすぎだろ。あれだけやられてそんなあっさり許すんだ……うん、この後ちゃんと謝っておこう。
「……なんで怒ってる演技なんかしてたんだ?」
「それは……」
そいつは言い淀む。言いにくいことなのか?
今回は俺が全面的に悪いので聞かないでおこう。
「まあいいや。じゃあ放課後は行かなくて良いんだな?」
放課後が地獄から空白に戻ったのはデカすぎる。
まじで今日は終わったかと思ったけど、何とかなりそうで良かった。
「それはダメ」
「……え?」
おっと聞き間違いか?イエスじゃなくてノーが返ってきたんだけど。いや、きっと間違えたんだろう、どこかで言語化機能がバグって『いいよ』を『ダメ』に変換してしまったに違いない。
「用があるから残って」
俺の耳は正常だったようだ。狂っているのは俺じゃなく、目の前の少女らしい。あるいは世界。
「お前が? 用? 俺に? ごめん、ちょっと何言ってるか分からない」
「そう、じゃあ放課後よろしくね」
「おいこらお前のその耳は飾りなのか? 何が『じゃあ』だよこの野郎」
「この棟の4階に空き教室があるからそこね」
「ちょっと止まろうか。一旦そのベタ踏みしてるアクセルから足を離して人の話を聞こう」
「……あ、一応誰かいるかもしれないから、授業終わって5分くらい待ってから向かってね」
「ダメだこいつ。早く何とかしないと……」
何なのこいつ? そんなに俺を放課後残らせたいのかよ。
俺はため息を一つ着き、
「分かった、行くのはいいけど一つ聞かせてくれ」
「いいわよ、何かしら」
……こいつ都合のいい耳してやがる。
俺はそいつに手招きをしてから、周りに聞こえないように耳元で言う。
「どうしても二人きりじゃないとダメなのか?」
「……っダメよ」
なんか一瞬間があったような……ていうか顔赤くなってるし。
まじでこいつ何話す気なの?
「あなた達、いつも読むの早いわねえ」
俺たちがそんな話をしてると、いつの間にか近くにいた先生が、そんなことを言ってくる。
「ええ、英語は得意ですから」
そいつは笑顔でそう答える。……切り替え早くない? あなたさっきまで顔赤くしてましたよね?
……よく見るとまだ顔赤いな。それを除けば完璧な応対をしてるから凄いもんだ。
「俺も読むだけなら得意なので」
俺も適当に合わせておく。他の人に合わせておけば大体のことは何とかなると思ってる、日本人の鏡である。
「二人とも成績が良いのも納得よねえ」
思ったより長くなったので2話に分けます。
次回はちゃんといつも通りのペアワークをするはずです。