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片翼

【本文・下書き】


光の届かない地下の墓所に、ひとつの“生”が横たわっていた。


誰も来ない、誰も祈らない、忘れ去られた墓標の群れ。その中にただ一人、黒い外套に包まれた少年が目を覚ます。


湿った空気。ぬるい石。煤けた天井。

だがそれよりも先に、彼の意識を貫いたのは背中の痛みだった。


「……っ、ぐ……!」


息を吐いた瞬間、視界に白がちらついた。

背筋を裂くような激痛。そこにあるはずのない、何かが――ある。


手を伸ばす。触れる。

そこには、“翼”があった。だがそれは一枚だけ。不完全に、右側だけに突き出している。


「なんで……俺、は……」


言葉が出ない。自分の名前が、出てこない。


彼は周囲を見回す。苔むした墓標、折れた柱。小さな鉄柵に囲まれた、その場所は明らかに“死者のための空間”だった。

だが、なぜ自分がそこにいるのか。どこから来たのか。何者なのか。


まるで、すべてが霧に覆われていた。


彼はふらつく足で立ち上がった。翼がバランスを狂わせる。頭が揺れ、視界が歪む。


じっとしていれば死ぬと本能が告げていた。

男は、足を引きずるように立ち上がった。瓦礫を踏みしめ、崩れた階段を探し、ようやく最下層の縁にたどり着いた。


――その時、意識がふっと途切れた。


***



次に目を覚ましたとき、彼は薄暗い天井を見ていた。


「……よかった、ほんとに……生きててくれて……!」


穏やかで、けれど少し泣きそうな声がした。

視線を向けると、少女がいた。年は自分と同じか、少し下かもしれない。

亜麻色の髪と、優しげな瞳。部屋の隅には古びた薬箱と、湯気の立つ水差し。どうやら彼を介抱してくれていたらしい。


彼はそっと背に手を回す――

……何もなかった。あの、裂けるような痛みも、異様な重みも、まるで最初から存在しなかったかのように消えていた。


「ここは……?」


「下層の住居のとこだよ。……えっと、私の部屋。あなた、最下層で倒れてたの。墓所の、すごく危ない場所で……亡者だらけなのに、なんでそんなとこに……ほんと、無事でよかった……」


「……ありがとう。でも……俺……」


「記憶、ないんだよね? 顔見たとき、なんとなくそんな気がしたの」


少女はそう言って、小さく微笑んだ。


「ねえ、名前ってある? 呼び方ないと、なんだか変な感じしちゃうし……もし思い出せないなら、仮の名前つけてもいいかな?」


「……思い出せない。でも、どこかに手がかりがあるかもしれない」


彼のその言葉に、少女は頷いた。


「じゃあ……行ってみよう。あなたが倒れてた場所に! もしかしたら何か、見つかるかも!」


***


二人は再び最下層に向かった。

彼が目覚めたその場所には、崩れた墓標と、のろのろと歩き回る亡者の影だけが残っていた。


手がかりは何もなかった――そう思ったその時、墓標の脇に倒れていた金属の札が目に入った。そこには、薄く文字が刻まれていた。


「……Rain Croaレイン・クロア……?」


「それ、きっと……あなたの名前なんだよ……! ね、そうだとしたら、なんかちょっと、かっこいいかも……!」


「……そうだな。じゃあ、俺はレイン。レイン・クロアってことにする」


少女は嬉しそうに笑った。


「私はリリ。リリ・オルフェっていうの。ううん、改めて――よろしくね、レイン!」


少女は微笑んだ。



***


下層に戻る途中だった。突如、空気が変わった。


「……リリ、下がって」


呻き声とともに、亡者がこちらに迫ってくる。

干からびたような体、濁った目、異常な脚力――すぐにリリに向かって跳びかかってきた。


「危ないッ!」


レインが手を伸ばすと同時に、背中から――“それ”が現れた。


破裂するような音とともに、黒く歪んだ片翼が顕現する。

それは右側だけ、形も不完全で、明らかに飛行には向かない。けれど、レインが叫ぶと同時に、翼は風を生み出し、亡者を吹き飛ばした。


「な、なに……いまの……! すごい……でも、ちょっと、こわかったかも……」


リリが呆然と立ち尽くす。


そしてその翼は、まるで命を終えたように、羽の一枚一枚が崩れ落ちていく。

ふわりと宙を舞い、地に落ち、雪のように溶けて消えていった。


レインは自分の背中を見つめた。


「……俺の、翼……?」


漠然とした不安と、理解できない何かが胸に広がる。

だが、確かに言えることがあった。


――これは、始まりだ。


彼は名を得た。翼を持った。

そして、少女と共に、失われた自分を探す旅が始まった。

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