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伝説ではなかった軍人少女、キャンバス上で踊る  作者: あしのクン
売れない画家と伝説ではなかった少女軍人
5/5

親友と後輩 1

 その日の晩、呼び出した親友と後輩が自宅に来た。


 缶ビールと肴を持参した親友の下北しもきた 美沙みさは中学時代に知り合った同級生で、現在、化学製造会社の営業部で働いている。


 カトリーヌ用の寝具一式と寝巻を用意して持ってきてくれた後輩の間崎まさき あおいは高校時代の美術部の二つ下の後輩で、今はデザイナーとしてデザイン会社に勤務している。


 カトリーヌは葵が用意してくれた寝巻に着替え、応接間兼茶の間と隣接している空き部屋の畳部屋で布団を被って寝に入った。

 寝に入った時刻が二十時過ぎだから随分と早めの就寝と思えなくもないが、カトリーヌにとっての今日は二十一世紀の日本と十五世紀のヨーロッパのギャップを体感して疲れ果てたんだろう。


 筋トレで鍛えられた大柄な体格の美沙に小学校の校長先生のような大きな声で挨拶をされても、爽やかなライトグリーンのジャケットを着た葵に春の陽気のような優しい口調で自己紹介されても、反応が薄く、挨拶をされている間は何度も欠伸を噛み殺していたからな。


「お子様が寝に入ったので、こっからは大人の時間ということで」


 トイレから応接間兼茶の間に戻った俺は炬燵テーブルに置かれた缶ビール一缶の蓋を開け、喉に流し込む。

 美沙はノンアル缶酎ハイを、葵はノンアル缶カクテルの蓋を開けた。

 缶ビールは余っているものの、二人とも車を運転して帰宅するので飲むわけにはいかない。


「美沙先輩とこうして悟先輩の家にお邪魔するなんて久しぶりですよね。連絡は取り合っていましたが、三人がこうして対面で会うのも久しぶりです」


 葵がノンアル缶カクテルを一口飲んでから、声を弾ませて言った。

 

「葵と会うのはいつぶりだっけ?」


 俺が確かめると、葵は首肯した。


「コンビニでたまたま顔を合わせたのは三カ月前ですが、家にお邪魔させていただくのは一、二年ぶりだと思います」

「顔を合わせたのは、その時以来か。その日は日曜日だったっけ」

「そうです。日曜日です」


 三カ月前の寒かった日曜日、朝清掃のバイト帰りにコンビニに寄ると、買い物を終えて店外に出た葵と顔を合わせた。

 その日も今夜の服装と同じようにライトグリーン色系の服装だった気がする。

 ヘアスタイルも今夜と変わらずにロングヘアだった。

 風に吹かれてロングヘアの頭髪がぱらぱらと崩れ、柔和な笑みを浮かべる顔を覆ったのを思い出した。


「あたしは悟とも葵ちゃんとも顔を合わせたのは、一、二年前にこの家で酒を飲んだ夜以来だね。たまに営業車で岳田まんぷく食堂の前を通った時に掃除してる悟を見かけたことがあるけど、葵ちゃんを他の場所で見かけたことはないなあ」


 美沙がそう言ってから一本目のノンアル缶酎ハイを一気に飲み干し、白色のタンクトップの上に着ている黒色の革ジャンのチャックを下まで下ろした。

 そして、薄い赤茶色の頭髪を後頭部で束ねているヘアゴムを外して改めて束ね直し、ヘアゴムを外す前よりも整ったポニーテールに仕上げ直した。


「同じ釣川市内に住み、業種は違っても同じ市内で働いているのに、悟先輩や美沙先輩と街中で滅多に顔を合わせないのは不思議ですよね」

「高校生だった頃はしょっちゅう三人で遊んでいたのに、あたしと葵ちゃんが大学に通うために地元を離れ、地元に帰ってきたと思ったらお互いに仕事に忙しくて、酒を飲んで騒ぐ時間がなかなか取れなかったもんね。悟、唯一相手にしてくれるあたしらに会えなくて寂しかっただろ?」


 葵からはラクダよりも優しい瞳を、美沙からは勝利で対戦を終えた格闘家のような目を同時に向けられた。


 美沙に言われた通り、いまの俺には遠慮なく連絡を取り合い、会えば馬鹿騒ぎできる相手は美沙と葵の二人しかいない。

 美沙以外の小中高の同級生がいまどこでどう生きてるのかなんて知らんし、高校時代に所属していた美術部の後輩の中で今でも慕ってくれているのは葵ひとりだけだ。

 高校時代につるんでいた男友達の代わりに美沙が今では互いに悪態をつきあう親友的存在となり、美術部の部長だった俺に困った表情で『伝説上の人物はキャンバスから出てきた例は皆無ですよ』と釘を差してきた当時後輩の葵が今でも慕ってくれている。


 そんな二人だけが俺を相手にしてくれる唯一の同世代というのは認めよう。

 ただ、高校時代に比べて二人と会う時間が大幅に減ったから寂しいと思ったことはない。


「寂しいと思ったことはねえよ。退屈な時間が増えただけだ」


 それが俺の本音だ。

 だが、二人は互いに顔を見合わせて、


「悟の悪い癖。いつもの強がりが出たよ」

「もっと素直になってくだされば、悟先輩はもっと素敵になれるはずなのに残念ですね」


 と、笑い合った。


 なんなんだよ、こいつら。

 いつも思うんだが、高校時代、接点のない二人を結びつけたのは俺なんだぞ。

 いまこうして二人が良好な関係を持ち続けているのは、二人の間のど真ん中に俺が陣取っているからだぞ。

 そんな俺を馬鹿にするなんて。

 ちょっとは感謝してほしいよ。


「嘘じゃねえよッ。だいたい今夜、お前たちに集まってもらったのは寂しかったからじゃねぇッ。伝説の軍人少女と言われてたカトリーヌ・アンヌが実体を持って現れたから、二人に会せようと思って呼んだんだよッ」


 これも俺の本音だ。

 俺は高校時代から、伝説と言われている人物が実体を持って現れたら肖像画を描いて販売すると宣言していた。

 それを知っていた美沙と葵にカトリーヌに会せ、ここはひとつ驚かせてやろうと企み、家に呼んだのだ。


「そんなに大きな声を出すと、カトリーヌさんが目を覚ましてしまいますよ」


 葵が応接間兼茶の間とカトリーヌの寝ている畳部屋を隔てる襖を指差し、その指をそのまま唇の前に立てた。

 慌てて口を両手で塞いだ俺に美沙が、


「会せるからと呼び出されても、あたしらはカトリーヌとまともに話せなかったじゃん。そればかりか、あたしは祝い酒を買って来いと酒は買わされるし、葵ちゃんは葵ちゃんで、寝るための布団とカトリーヌの着るパジャマがないから持って来いと言われて持ってこさせられるし。あたしらは悟のご機嫌を取る接待役じゃないよ」


 寂しいから自宅に呼んだと邪推され、そればかりではなく、美沙と葵を接待役扱いしていると決めつけられた。

 こいつ、毎度変わらずに悪態をつきやがってッ。


「俺はお前たちを接待役だなんて思ってねえよッ。家に呼び出したのは、お前たちを驚かせてやろうと思ってッ、俺の宣言通りに事が運びそうだと教えてやろうと思って……」

「はいはい、わかりました! 悟先輩も美沙先輩も落ち着いてください。そんなに大声を出すと、カトリーヌさんが本当に起きてしまいますよ。ゆっくり休ませてあげましょう。ね?」


 葵が喧嘩の絶えない幼稚園児同士の喧嘩に、また喧嘩ですかはいはい、と仲裁に入る保育士の声のようなトーンで、俺と美沙の間に入ってなだめた。

 俺と美沙が口喧嘩を始めると、葵がなだめ役に徹するのも毎度変わらずだ。

 そして、潮が引いていくように俺と美沙が落ち着きを取り戻すのも、毎度変わらずだ。


 この場も予定調和の展開になって落ち着きを取り戻したところで、美沙が二本目のノンアル缶酎ハイの蓋を開け、


「今日、カトリーヌと初対面を果たして、どんな感触を持った?」

「感触って?」

「この先、悟は一緒に住むことになったカトリーヌの絵を描くつもりでいるんだろ? 描いた絵を販売して、大金を手に入れるつもりでいるんだろ? 悟のその考えが初対面を果たしてどう変わったのかを訊いてるんだ」

「その考えに変わりはねえけどさ、」


 と、俺は昼前にアトリエ兼物置付近で声を掛けられた場面から、昼下がりに自宅前の歩道で走行する自動車を指差しながら悲鳴を上げていた場面を経由し、俺におんぶされて自宅に戻ったあとは美沙と葵が自宅に来るまでコタツムリになっていたカトリーヌの様子を話した。


「自動車を指差しながら悲鳴を上げている十五世紀の少女と、それを目撃して立ち尽くす二十一世紀の三十代の男を想像すると笑えてくるな」


 美沙が本当に愉快そうに笑ったが、俺にとっては笑い事ではなかった。


 歩道で地べたに座り、走行する自動車を指差しながら悲鳴を上げるカトリーヌを立たせようと腕を引っ張ってみたが、腰を抜かしたみたいで立ち上がることができず、仕方なく背負って自宅に戻った。

 そのかん、昼間にクレームをつけに自宅に来た隣人に二階の窓から睨みつけられるし、背負わされても悲鳴を上げ続けるカトリーヌに指差されるドライバーの視線が俺にまで及んで恥ずかしかった。

 恥ずかしい思いをして自宅に戻してやったというのに、カトリーヌは何一つお礼を言わずに炬燵に潜り込み、俺の呼びかけや問いかけに応じようともしない不愉快なコタツムリと化した。


 しかし、十五世紀には自動車も炬燵もなかったはずだろ。

 なのに、どうして自動車にはあんな過剰反応を見せたというのに、炬燵には過剰反応を見せずに潜り込めたんだ。

 それが不思議でしかない。


「笑い事じゃないよ、本当に」

「感触としては、カトリーヌとの生活に前途多難といった感じか」

「共同生活については前途多難だ。でも、俺はカトリーヌを描き、絵を販売して大金を手に入れ、画家として歴史に名を残してやるからな」

「その強がりの態度がいつまで続くことか」

「あっ?」


 こいつ、また悪態をつきやがって。


「この先の二人での暮らしの懸念材料について、カトリーヌさんが伝説上の人物と呼ばれていた点も加味して考えた方がいいかもしれませんね」


 美沙との口喧嘩第二ラウンドの火ぶたを俺から切ってやろうかと構えたが、葵のその発言で戦意が削がれた。


「カトリーヌが伝説上の人物と呼ばれていた点も加味したほうがいいって、どういう意味だ?」

「悟先輩も美沙先輩も三年前の騒動を覚えていらっしゃいますか?」

「三年前?」


 三年前というと、俺が夜間の駐車場管理のバイトを始めた頃か。


「どんな騒動があったっけ?」


 俺はさっぱり思い出せん。

 美沙はゆっくり頭を左右に振ってポニーテールを揺らしていたが、その動きが止まると、真夏の太陽のような笑顔になった。


「『本能寺の変』事件だな」

「あッ、それかッ」


 三年前に起きた『本能寺の変』事件、美沙に言われて思い出した。

 北関東三県のひとつで餃子が有名な県に、戦国時代に『本能寺の変』と呼ばれる謀反を起こした明智光秀が肖像画から実体を持って現れたとの報道が日本全国に駆け巡るや否や、テレビもネットも大騒ぎになった。

 しかし、報道がされてから十数日後、明智光秀とその同居人は姿を消した。


 そりゃそうでしょうとも。

 本能寺の変を起こした真相を訊き出すべく、明智光秀の住んでいる家に歴史学者やら歴史マニアやら歴史ものの書籍や雑誌を出版する編集者や記者やら押し寄せて大混乱に陥り、日常生活をまともに過ごせなくなったんだもん。

 そりゃ姿をひっそりと晦ましますよ。


「美沙先輩、正解です」


 葵が嬉しそうな笑顔でうなずく。


「失踪した光秀らはまだ見つかってないよな」

「美沙先輩、続けて正解です」


 美沙に連続正解を決められて、なんか腹立つな。


「その事件とカトリーヌとの共同生活になんの関係があるんだよ。カトリーヌはもともと史料が少なすぎたから、伝説上の人物と言われていたんだぜ。だいたい、動機が不明の事件なんて起こしてなかったはずだろ」


 俺が辛うじて二人の輪に入り込むと、葵は嬉しそうな笑顔でうなずいた。


「悟先輩のご指摘通りです。カトリーヌさんは動機に複数の説が提唱されているような事件を起こしたと記録した史料も残っていません。ポイントなのは、史料が少なすぎて実在が疑われていた点です。つまり、存在が謎であったわけです」

「そうとも言えるな」

「本能寺の変については、明智さんが謀反を起こした動機について幾つもの説が提唱されていますが、どの説も決定打に欠けたままです。つまり、謀反を起こした動機がいまでも謎のままということです」

「そりゃそうだろうな。張本人がいなくなっちまったわけだから、謎なんて解けるわきゃない」

「ということは、『本能寺の変』事件とカトリーヌさんの存在に共通するキーワードは『謎』になりますよね?」

「……そうなる、か」


 俺は一本目の缶ビールを飲み干し、二本目の缶ビールの蓋を開けて半分くらいまで喉に流し込んだ。


 明智光秀が本能寺の変を起こした動機は謎のままだ。

 俺たち三人はカトリーヌが実在した人物だったと知ったが、絵画から実体を持って現れたことをまだ知らないカトリーヌの実在を証明するために研究している歴史学者にとっては存在が謎のままだ。

 なので、共通するキーワードが『謎』というのは間違っていない。


 しかし、それがどういう理屈でカトリーヌとの共同生活をしていく上での懸念材料に繋がるんだ。


 『本能寺の変』事件の場合は、本能寺の変を起こした動機を正しく答えられる明智光秀が現れ、謎だった動機を訊き出したい連中が家に殺到し、同居人と共に姿を晦ませた。

 存在が謎だったカトリーヌが現れたというのが知れ渡ったら、『本能寺の変』事件の騒動のように、実在を証明するために研究している歴史学者が実在確認のために俺の家に殺到するかもしれない。


 あ。


「そういうことかッ。カトリーヌが実在していた人物だったと知れ渡ったら大騒ぎになって、日常生活が脅かされ、明智光秀たちと同じように姿を晦まさなきゃいけなくなるかもしれないってことかッ」

「正解です」


 明智光秀とその同居人のように俺はカトリーヌと二人で姿を晦ませなくちゃいけなくなるかもしれないなんて思いもしなかった。

 毎度ながら地頭のいい葵から助けられる。


「それが、これからカトリーヌさんと暮らしていく上で外部からもたらされる懸念材料です。それに加え、美沙先輩がちらっと触れましたが、十五世紀の世界に生まれ育ったカトリーヌさんを二十一世紀の世界の環境にどう馴染ませていくのかも考慮する必要があると思います」

「カトリーヌを二十一世紀の世界の環境に馴染ませられるか否か、は内部に抱える懸念材料というわけか」

「悟先輩も連続正解です」


 葵が家の外にも内にも懸念材料があると明確にしてくれた。

 やっぱり、地頭のいい奴が身近にいると助けられるな。


 なんて、安心している場合じゃねえな。

 生まれ育ち、いまもこうして暮らしている我が家を捨て、カトリーヌとどこかで隠遁生活を過ごすなんて無理だ。

 カトリーヌを二十一世紀の世界、つまり、日本の環境にどう馴染ませていくかなんて、すぐに頭に浮かばねえ。


 なんて苦悶している俺をじっと見ているポニーテールの女。


「一、二年ほど会っていない間に頭の回転が鈍くなっちゃったようだな。あたしは葵ちゃんの話を少し聞いただけで、すぐにピンと来たぞ」

「うるせえなッ。お前の自慢話を聞きたいなんて頼んでねえよッ」

「そう頭に血を昇らせるなよ。協力できそうなことは協力してやるって話をしようとしてんだから」


 美沙が口角を上げ、炬燵テーブルに肘を着いて前屈みになった。

 協力だとか支援だとかの申し出を切り出した後に口角を上げる仕草を見せた時の美沙には警戒しなくちゃいけない。

 協力や支援を終えた後にそれを引き合いに出して取引に持ち込み、美沙も得を得ようと企んでいるからだ。


「悪党、今回は何を企んでるんだ?」


 俺も炬燵テーブルに肘を着き、前屈みになる。

 美沙は毎度のことながら悪びれる様子もなく、


「それは後日のお楽しみってことで。教えてもらいたいんだけど、朝清掃と夜間の駐車場管理のバイトのスケジュールはどうなってるんだ?」

「そんなことを聞いてどうするんだ……朝清掃のバイトの出勤は日、木、金、土の九時から十一時まで。夜間の駐車場管理のバイトは日、月、火、木、土の二十一時から翌日の三時までだ」


 美沙が俺の返答を聞きながらスマホに打ち込んでいく作業を終えると、壁掛けカレンダーを眺めた。


「明日が土曜日だから、朝清掃と夜間の駐車場管理のバイトがあるわけだな」

「深夜にかけての仕事をしていると、朝清掃のバイト中とか日中とかに眠くなったりはしないんですか?」

「悟はショートスリーパーだから、眠くなったりはしないだろ」


 俺より先に答えるなよ。

 実際に睡眠時間が短時間でも、寝不足解消に昼寝をすることはないけどさ。

 質問に何も答えずにいると無視したと思われるので、ひとまず質問者の葵に向かってうなずいておく。


「明日は土曜日だから、どちらのバイトもある。でも、それがどうしたというんだ?」

「悟は明日の九時前から十一時過ぎまで、この家にカトリーヌをひとりにさせておくというわけだろ」


 美沙はそう言うや否や、俺が半分まで飲んだ二本目の缶ビールを美味しそうに飲み干した。


「なに飲んでんだッ。それノンアル缶ビールじゃねえぞッ」


 美沙は俺の家に車で来ているから、その車を運転して帰宅しなければならない。

 葵もそれと同じで、だからノンアル缶カクテルを飲んでいるのだ。

 その理屈で美沙もノンアル缶酎ハイを飲んでいた。


「飲酒運転して帰るつもりなのか? それとも、代行を呼んで帰るつもりなのか?」


 思いもよらなかった美沙の行動に葵も仰天したようで、炬燵テーブルに両手を着いて膝立ちになり、自分でも答えられなかったクイズの正答を答えたライバル相手を見るような眼差しで美沙を凝視した。


「飲酒運転して帰るつもりはないし、代行を呼んで帰るつもりもない。あたし、今夜、ここに泊まるわ」

「今夜、俺の家に泊まるだとッ?」


 今度は思いもよらなかった言葉に仰天させられた。

 しかし、仰天させた張本人はけろりとしている。


「今夜、ここに泊まって、そのまま悟が朝清掃のバイトから帰ってくるまで、あたしがカトリーヌの面倒を見てやるよ。一回、家に帰って、翌朝に悟の家に来るのは億劫だからね」


 カトリーヌの面倒をバイトに行く俺の代わりに見てくれる?

 さっき、美沙が言っていた協力できそうなことは協力すると言っていたが、それはつまり、そういうことなのか?


「さきほど協力できそうなことは協力するっておっしゃっていましたが、そういうことですか?」


 葵に先に質問された。

 さっきから美沙と葵に先を越されてばかりだ。

 俺、そんなに頭の回転が遅くなったのか?


 頭を掌で叩く俺を一瞥した美沙が手の中にあった空の缶ビールを指で弾く。

 非常に軽い金属音が耳に忍び込んだ。


「今日のカトリーヌの様子を聞くと、二、三時間でも家にひとりにさせておくのは怖いよ。この家には十五世紀には発明されていなかった家電製品などが並んでる。それをいじって驚いて家を飛び出し、外でまた二十一世紀の物品を目にして驚いて騒いだらどうなる。騒いでいる少女が伝説上の人物と呼ばれているカトリーヌ・アンヌだと知れ渡ったら、騒ぎはもっと大きくなるだろ」

「そうなりますと、『本能寺の変』事件のような大騒ぎになりますね」

「さすが葵は物分かりが早いな。悟はわかったのか?」


 美沙が空の缶ビールを指で連打し始めたので、非常に軽い金属音が立て続けに俺の耳に忍び込んだ。

 俺は頭を叩くのをやめ、美沙から空の缶ビールを取り上げて握り潰した。


「カンカンカンとうるさいんだよ、お前は」


 俺の頭と握り潰した空の缶ビールに何度も目を通わせた美沙がなにかを言いたげだったが、もう先に何も言わせない。

 頭の回転が下がったとは、もう言わせない。


「協力してくれるのは有難いが、明日明後日の土日、仕事は休みだろ。予定とかないのか?」

「明日の夜に予定が入ってるけど、それまでは暇だから心配するな」

「心配なんてしてねえよ。ただ、寝るための布団はないぞ」

「この部屋の暖房を効かせて寝れば、凍え死ぬことはないだろ。あと、起きた後にシャワーを浴びたいから、シャワーを貸してくれ」

「使ってないバスタオルもないぞ」

「車にソープ類と封を開けてないバスタオルを二枚ほど積んである。だから、それも心配するな」

「……なんか用意周到だな。今夜、泊まる気で来たんじゃないだろうな?」


 俺の問いかけに美沙は返答を拒絶するように、葵のいる方向に顔を背けた。

 何も答えずに顔を背けたということは、図星だったみたいだな。


 それはそうと、炬燵テーブルの上にある缶ビールは残り一缶だ。

 さっきみたいに取られて飲まれないように、美沙が顔を背けている間にさっさと蓋を開けて飲み干してしまおう。

 顔を背けて俺の行動を察知できず、飲み損ねたことを後悔するといい。

 そして、俺の頭の回転が遅くなっていないことを実感するといい。


 美沙の様子を注視しながら、缶ビールに手を伸ばし始める。

 伸ばした手と缶ビールがそろそろ接触してもおかしくはない。

 自然と頬が緩んだ俺の耳に忍び込んできた音は、蓋が空いて炭酸の逃げる音だった。


「あッ?」


 俺よりも先に缶ビールを手に取り、蓋を開けて口を付けたのは、美沙が顔を背けている方向にいる葵だった。

 お前も家に帰らずに泊まっていく気かッ?

 美沙と一緒にカトリーヌの面倒を見る気かッ?


「久しぶりに悟先輩の家で楽しく飲んでいるので、私も宿泊します。翌朝に帰宅します。私は美沙先輩と違って、土曜日も日曜日も予定は入っていません。美沙先輩、私も目を覚ました後にシャワーを浴びたいので、ソープとバスタオルを貸してください」


 台詞の前半部分は俺に言う台詞だろ?

 なのに、どうして俺を見ずに美沙を睨むようにして最初から最後まで言い切ったんだ?


 顔を背けているので、葵に睨まれている美沙の表情は窺えない。

 ただ、何が可笑しいのかわからんが、両肩とポニーテールの尻尾を揺らしながら笑っているのはわかった。


「悟、アルコール入りの酒がなくなったぞ。コンビニまで行って買ってこい」

「なんで俺がッ?」

「悟はアルコールが入ってるから、車を運転して買いに行くなよ。自転車も駄目だ。文句を言わずにひとりでさっさと行って、適当に買ってこい」

「俺ひとりにあんな遠いコンビニまで歩かせるつもりかよッ」

「さっきも言ったろ。あたしらは悟のご機嫌を取る接待役じゃないよって。いいから、ひとりで早く買ってこい」


 美沙がこれ以上のやりとりを拒絶するかのように、玄関方向を指差した。

 その強引な態度からして経験上、もう美沙に食い下がるのはもう無理っぽい。

 俺自身も中途半端な飲酒量だったから、早く酒を飲みたいし。


「俺もお前たちの接待役でもねえからなッ」


 俺は立ち上がりながら捨て台詞を吐き捨てた。


 葵は美沙を睨むのをやめ、立ち上がった俺と目が合わせないように両手で持った缶ビールに視線を落とした。

 ちょっと待て。

 どうして少し怒ったような表情になってんだ?


 美沙は相変わらず俺から顔を背けたまま、玄関方向を指差した手を左右に振った。

 見送る時くらい、俺を見ながら手を振れよ。


 一体全体、なんなんだよ、こいつたち。


(次話に続く)

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