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ep9 意外な逮捕者

あの精神科の病院の敷地での、逮捕者っ。


クマさんからの電話で、その人物の名前を聞き、私の眠気は、吹き飛んだ。


逮捕者の名は、藤川彦隆。


そう、藤川先輩であった。


夜・・・というか、未明のことであった。


「あの馬鹿、病院の木に登ってやがった。」


木に登る・・・


なるほど、入り口のセキュリティが厳しい以上、抜け出すなら、窓などの開口部。


そして、上部階ほど、施錠が甘い可能性が高いのは、どんな建物にでも言えること。


木に登っていたということを考えると、先輩は、夜のうちに病院のセキュリティの穴となる部分を調べようとしていたに違いない。


「あのっ、藤川先輩は、何か言っていましたか?」


「それだっ。あいつ、カブトムシを捕まえようと思って木に登っていたと答えやがった。」


カブトムシ???


あぁ、これは、きっと、私の捜査を手伝っていたことを話さないために、先輩がとっさについた嘘・・・作り話だ。


 ~おままごとで、本捜査の邪魔は、しちゃぁいかん。~


このクマさんの言葉が、私にとってどれくらいツラい言葉だったか・・・藤川先輩は、理解してくれていたのだろう。


「それでや。お前、藤川になんか頼んどらんやろうな?捜査情報を漏らして、病院に探り入れてたんとは、ちゃうな?」


「い・・いえ、何も頼んでません。」


 ~オレが、お前の捜査を手伝っていること、誰にも言うんじゃねぇぞ。分かってんな~


昨日の去り際の藤川先輩の言葉は、こういうことだったのだろう。


その気持ちを無駄にするわけには、いかない。


嘘をつかず、事実は、言わない。


何も頼んでいないのは、嘘ではない。


「ん、分かった。あぁ、佐藤。今日、何も無いようなら、午前中のうちに、本署・・・1課に顔を出せっ。」


「はいっ。了解しました。」


電源ボタンを軽く押し、真っ黒の画面に変わったスマホを枕元に置く。


藤川先輩が・・・私の道しるべが居なくなった。


いや、7年前の男が、病院から抜け出す方法を見つければ、事件は、ほぼ解決という事実は・・・藤川先輩の示してくれた道が無くなったわけではないのだ。


しかし、慎重に行動しなければならない。


病院側の警戒は、強くなっているだろうから。


藤川先輩の犠牲を無駄にしてはならないっ。


「午前中のうちに、1課に顔を出せっ。」というクマさんの指示に従い、高齢者の相談があっても、奥の部屋で無視を決め込むんじゃないか?という不安を感じつつ、ゆるふわちゃんに交番を任せて本署に向かう。


階段を上がり、1課の端にあるクマさんのデスクへと足を進める。


「おぉ、早かったのぉ。」


「おはようございます。あの、藤川先輩は、どうなりました?」


「もう釈放されとるわ。というか、逮捕は、無かったことにした。」


「はっ?」


「いや、病院のほうも、科が科だけに、ご近所に悪評がたつのは避けたい意向があるみたいや。あそこは、ちょっと、敷地を拡張しようとするだけで、反対運動が起きる土地柄やしな。藤川は、現行犯逮捕されたんやなくて、職務質問からの任意同行ということにした。」


藤川先輩には、木に登ってカブトムシを採ろうとしていただけで、悪意が無さそうだということ。


病院も、精神科ということで近隣住民への評判もあることから、大事にしたくないということ。


そして、元警官の逮捕というのは、避けたい警察側。


これらのことから、現行犯逮捕をなかったことに・・・簡単に言うと、また、もみ消した。ということだ。


「まぁ、あいつは、ツイとる。夜中というか、未明の犯行で良かったな。コンピューター入力されとらんかったからのぉ。」


デジタル化推進の例にもれず、警察内部でも、電子化が急速に進んでいる。


通常の場合、逮捕などがあった場合は、それが、速やかにコンピューターに入力される。


そうなってしまうと、その書き換えは、出来ない。


書き換えたという記録が残るためだ。


しかし、未明の逮捕だったことと、同じくらいの時刻に、最近、この西村山を騒がせている連続放火と思われるボヤの通報があったため、藤川先輩の逮捕については、コンピューター入力されず、旧来のと同じように紙で、現行犯逮捕手続書・・・現行犯人と認めた状況、逮捕の日時と場所、逮捕者、逮捕前後の被疑者の言動などを記載する・・・書面を作成しただけで、それも、下書きのような状態で放置され、あとは、連続放火のほうに、人員が、回されていたのだ。


「まぁ、たかだか、庭への不法侵入ってだけやしなぁ。そこが、たまたま、病院だっただけで・・・」


クマさんは、こういう仕事が、異常に早い。


今朝、私に電話をかけてきた時間には、書きかけの現行犯逮捕手続書が廃棄され、代わりに、職務質問及び所持品検査に係る報告書が作成されていたらしい。


「でや、ホンマに、たまたまやな?今回の事件の捜査を手伝ってもらうよう頼んどらんやろなぁ?」


「はいっ、そんな頼み事は、していません。」


「よっしゃ、ほな、アレとは、しばらく連絡とるな。顔も合わせるな。あと、あの病院へ近づくな。」


「えっ?でも・・・」


「でも・・・やないわっ。病院は、うまいこと丸め込めたけどな。ホンマやったら、大事やで。元警察官が、精神科病院の敷地で不法侵入で逮捕。麻薬や向精神薬を盗もうとしたとか、センテンススプリングみたいな週刊誌に書かれても、おかしいないっ。分かっとんか?お前。ちょっとは、考えて行動せいっ。」


私が、どう答えようとも、藤川先輩が私を手伝ってくれていることは、クマさんにとって決定事項だったようだ。


まぁ、その通りなので、怒られても仕方がないと言えば仕方がないが・・・


しかし、バレてるのなら、慎重に進める必要はないのかもしれない。


こうなってしまえば、私には、覚悟を決めて、もう一度、病院に突撃するしか道はないのだから。


「あぁ、そやっ。佐藤なぁ、あの病院は、1課の捜査班が3回も見に行っとる。抜け穴は無い。それこそ、壁をぶち抜いたりせん限り、7年前の男は、病院から抜け出すのは、無理や。いらんことは、考えんようになっ。分かったら、帰れっ。」


「あっ、はい。分かりました。」


まるで、思考を読み取ったかのように、クマさんが、小声で私を怒鳴りつける。


小声にしたのは、他の1課のメンバーに、聞こえぬようにという配慮だろう。


追い立てられるように、1課を後にする。


署の玄関を抜け、交番へと戻る道すがら・・・私は、クマさんの言葉を思い返した。


 ~抜け穴は無い。それこそ、壁をぶち抜いたりせん限り、7年前の男は、病院から抜け出すのは、無理や。~


しかし、7年前の男以外に犯人は、思い浮かばな・・・いや、違うっ。


7年前の男という部分は、私たちの思い込みだ。


私は、藤川先輩の言葉を思い出した。


 ~狙われていたのは、被害が大きかった奥の車の男性~


 ~犯人は、7年前の男で間違いないだろう~


 ~森藤さんのドアにペンキがかけられたのは、昔の部屋番号を見て、奥の車の男性だと思い込んだ犯人が、間違ったから~


 ~あとは、7年前の男が、病院から抜け出す方法を見つければ、事件は、ほぼ解決~


あぁ、何ということだろう。


「犯人は、7年前の男で間違いない」という部分には、根拠が一切ない。


他の部分は、一定の根拠があり、納得できるせいで、「7年前の男が犯人」という部分まで、正しいと思い込んでしまったのだ。


昨日の段階で、このことに気づいていたならば、藤川先輩をあんな目に合わせることはなかったのに・・・


後悔は先に立たずというが、悔やんでも、悔やみきれない。


「佐藤先輩、遅いですよー。さっきから、ずっと待ってたんですからぁ。」


悔しさをかみ殺しながら、西村山交番に入った瞬間、私に声をかけてきたのは、留守番を任せたゆるふわちゃん。


そして、椅子に腰かけて、私を待っていた人物・・・


それは、あの人であった。

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