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ep4 西村山交番の相談者

私の前に座るのは、森藤伸子、26歳女性。


うん、この人のことは、知っている。


なぜなら、先日の大騒動の火元だから。


資紡績化粧品の経理部所属。


住居は、ちょっとオシャレな建物の集合住宅の3階。


世間的には、マンションと呼ばれている建物だ。


そして、彼女が『アッくん』と呼ぶ彼氏さんの田中敦は、特殊詐欺の犯人として塀の中。


あっ、まだ裁判中だから、塀の中ってわけ・・・でもないか・・・


そう、彼女こそあの赤いペンキ事件の中心人物・・・でもないか・・・


うーん・・・100万円騒動は、結局、事件にならなかったし、なんて呼べばいいんだろう?


「ってことになって、私、どうしたらいいでしょうか?」


そうして、今回の相談も彼氏さん絡みであるのだが・・・


「あのー、聞いてますか?」


「あっ、もちろん、聞いてるぞ。」


やばっ、全く聞いてなかった。


こいつ、今、なに話してたっけ?


「ホントに大丈夫ですか?」


「ああ、もちろん、大丈夫だ。」


全然、大丈夫じゃないっ。


相談内容の見逃し再生無料配信機能が欲しい。


「よかったぁ。断られるかと思ってたんですけど、じゃぁ、今からお願いしますね。」


えっ・・・今から・・・私は、何をお願いされた?


状況を把握できずに、言葉を濁していると、後ろから声がした。


「えーと、私も行ったほうがいいですかぁ?」


奥の部屋から、枝毛をチェックしながら出てきたのは、ゆるふわちゃんこと、神咲萌環。


去年まで西村山のご当地アイドルをしていた新人婦警。


新人ながら、私よりも地域の皆様に愛されているマスコット的存在。



蜘蛛の糸っ!



「そうだなっ。2人で行った方が分かることも多いかもしれない。」


ゆるくてふわふわで、今にも切れそうな糸であるのが心もとないが、つかまないわけにはいかない。


何を頼まれたか分かっていない、どこに行くのかもわからない状況。


1人で行くという選択肢は、私に存在しないのだ。


こうして、私たち3人は、連れ立って西村山交番を出ることになった。


ゆるふわちゃんと、相談者の森藤伸子が並んで私の前を歩くのを横目で見ながら、頭の中を整理する。


彼女の相談は・・・


確か、彼女の住んでいる集合住宅の駐車場のいたずらの事件の相談であったことは、聞いた記憶がある・・・うっすらと。


問題は、その後だ。


何かを頼まれたようだが、余計なことを考えている間に、その「何か」を聞き逃したことが問題だ。


「結局、青ペンキの問題が、森藤さんのせいみたいに思われてるんですね?」


っと、聞き捨てならないことをゆるふわちゃんが、相談者さんにたずねている。


青ペンキ?たしか、赤色じゃなかったか?喫煙所にあのおじいちゃんが巻き散らしたペンキは・・・・


「はい、警察に居るあっくんが、そんなことできるはずないのに、みんながあっくんのことを疑っているんです。」


あっくんとは、相談者・森藤伸子の彼氏さんで、田中敦のことで間違いないだろう。


目下、特殊詐欺事件の受け子として、逮捕拘留中の人物だ。


「そっかぁ、まぁ青いペンキがジーンズや靴に付着してたもんね。」


おいおい、友達と話しているんじゃないんだぞ。


ゆるふわちゃんと彼女さんの話が、あまりにもゆるふわすぎて頭に入りにくい。


しかし、大体の内容はつかめた。


集合住宅の駐車場で、車にペンキをぶちまけた人間がいる。


ペンキの色は、青色。


そして、ジーンズや靴に青ペンキが付いていた田中敦こと彼氏さんが住民に疑われている・・・と。


しかも、いたずらをされていた日の朝、青ペンキが、森藤伸子さんの部屋のドアにかけられていたので、別れ話のもつれから、彼氏さんがやらかしたという噂まで聞こえてきた・・・か。


うん。犯人は、田中敦だな。


よしっ、解決。


そんな風に考え事をしていると、振り向いたゆるふわちゃんが、私に話を振ってきた。


「で、どう思います?敦さんには、逮捕拘留中っていう立派なアリバイがある状態なんですけど、伸子ちゃんは、公表したくないそうなんですが。」


おいっ、「ちゃん」は無いだろう。


彼女さんを呼ぶときは、せめて「さん」付けしよう。


森藤さんだ。森藤さん。


下の名前をちゃん付けで呼ぶゆるふわちゃんにあきれながらも、田中敦にアリバイがあることを突き付けられ、私は、小さくうなることとなる。


「ぅぅう・・・まずは、現場に到着してからだ。現場を見ないことには、何にも言えないな。」


こういう場合、先送りが正解である。


歩いているうちに、思いがけないアイディアが浮かぶこともあるはずだ。


アスファルトを眺めながら、てくてくと2人の後を歩く。


にんじん、はくさい、レタス、ブロッコリーがお買い得で、トウモロコシがすごく安い。


たまねぎ、ばれいしょは、お高め。


値上がりしているお米は、無くなりそうだからって、多めに買おうとする人を見かけるけれども、そろそろ新米が出て来る季節。


今後、大幅値下がりしそうな古米を高値で買い占めるなぁんていう、バカげた行動をしているので、今は、逆に買い控えるべき。


いや、私の頭がおかしくなったわけではない。


前を歩く2人の会話がおかしいだけだ。


事件の話をしろ。事件のっ。


そうこうしているうちに、高級自動車の販売店が見えてきた。


その向かい側の建物こそ、事件の現場だ。


歩きながら浮かんでくるはずの思いがけないアイディアは、もちろん、欠片も浮んでこなかった。


これは、たぶん、2人の会話のせいだと思う。


そして、現場の駐車場は、立体ではなかった。


いわゆるピロティ構造。


壁がなく柱のみで構成された1階駐車場だ。


といっても、柱自体は太いし、構造もしっかりしているように見えるので、たとえ地震が起こっても、ぺしゃっと潰されるといったことは、無さそうだ。


そして、問題の青ペンキだが・・・


無かった。うん。跡形も無い。


「事件が起こってから、5日も経ってますから。当然、消しちゃってますよねー。」


「そうですね。管理人さんがお願いしていた業者さんが、一昨日、入ってました。」


はいはい。そんなこったろうよ。


「それは、予想していたが、実際の現場を見ながら話をしておかないと、後で齟齬が生じかねない。それで、被害は、どんな状況だったのかな?」


すでに青ペンキが、きれいさっぱり消されていたのは、予想外の事態だが、そんな雰囲気は、欠片も見せてはいけない。


自信たっぷりに、森藤さんにたずねるとさっと奥の車を指さした。


「えーと、被害が一番大きかったのは、一番奥のあの車のある場所です。」


今は代車が停めてあり、実際に被害にあった車は、修理工場にあるそうだが、ボンネットの前部、バンパーを含めてガリガリと傷つけられた上に青ペンキをかけられていたらしい。


その他の車は、ほどほどの被害。


前窓・・・フロントガラスに、申しわけ程度にちょんとかけられたモノが、ほとんど。


そして、駐車場の地面いっぱいに青ペンキがまかれていたというわけだ。


「あと、奥の車は、ボンネットのエンブレムも折られていたそうです。」


ほぉ・・・ボンネットエンブレムを付けている車は、今ではほとんどない。


もし、ボンネットエンブレムのような突起物が付いていれば、万が一歩行者と接触した際、それが凶器になってしまう可能性があるため、2009年1月以降に登録された乗用車には、取り付けてはならなくなったためだ。


まぁ、例外的にSクラスやEクラスでは、大きさを小さくしたうえで、力が加わると倒れるように設計したエンブレムが、まだ付けられているが・・・


ということは、奥の車・・・車種は、あの高級車か・・・


「折られたエンブレムは、近所の公園のトイレで見つかったって言っていました。」


なんと、そのエンブレムは、ご丁寧にも男子トイレの便器に接着剤を使って、強力に接着されていたという。


ワケが、分からない。


「あぁ、なるほどっ!」


その時、区画分けされた駐車場の地面を手のひらで撫でながら、何かを見ていたゆるふわちゃんが、声を上げた。


「どうした?地面に何か痕跡でもあったか?」


「いえ、地面には、何にもないです。でも、犯人は、ある程度、知的で、くだらないこと・・・いたずらなんかに時間をかける層の人間ですね。田中敦さんとは、まったく違うタイプの人です。」


おいっ、それは、彼氏の田中敦が知的ではないと言っているんだぞ。彼女さんの前で失礼だろ。


そういうことに全く頓着しないゆるふわちゃんが、あまりにゆるふわ過ぎて、めまいがする。


「あの・・・地面には、何もなかったんですよね。じゃぁ、なるほどって、何がわかったんですか?」


森藤さんが、ゆるふわちゃんにたずねる。


確かに、いったいどんな手掛かりを見つけたのか・・・気になる。


「あぁ、簡単なことです。便器にエンブレムでしょ?めるせ●す便器ってことですよね?」


やめろっ!道を挟んだ向かいは、高級自動車の販売店だぞっ。


しかも、知的とか・・・小学生レベルの語呂合わせだ・・・


力の抜けた私は、思わず頭を押さえて、その場に座り込んでしまったのだった。

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