エピローグ
結婚式当日。
その日は、よく晴れた、透き通るような青空をしていた。
長い冬を経てやってきた春の陽気は暖かく、どこか軽やかだ。その空気に当てられたかのように、小鳥たちが歌を歌っている。
それはまるで、二人の第二の出発を祝う祝福の歌のようだった。
そんな中、クルーニー伯爵家の庭の一角に、結婚式会場が開かれている。
レースや純白の布で飾り付けられた会場のあちこちには、ラベンダーの花が一緒に飾られていた。
ラベンダーの甘くてどことなく落ち着く香りが、会場全体を包み込む。
――その香りに乗って、空からよく知った大親友の笑い声が、降り注いできたような気がした。
(……気のせいかしら?)
そう思いながら。
シエナは、声をかけられる瞬間を今か今かと待ち構えていた。
「新婦、入場」
その声を合図に、バージンロードを父親と一緒に歩く。
純白のウェディングドレス。花束はもちろん、ラベンダーだ。
そんな彼女が被っているヴェールは、シエナがセレスティアのために作り上げたものだった。
二人で話し合った上で、セレスティアの両親に話を通して使うことを決めたのだ。
(使うかどうか、すごく迷ったし、セレスティアのご家族に話を通したときもかなり緊張したけれど……このヴェールをかぶってきて、本当に良かった)
自分で作ったものだと考えると気恥ずかしさが込み上げてくるが、シエナにとってはセレスティアとの思い出が詰め込まれた大切なものの一つだった。それもあり、なんだかすぐそばに彼女がいてくれるような、そんな気さえする。
同時に、幼い頃に出会った思い出や、イライアスを好きになってしまったこと、初恋が芽生えた最中、ヴィヴィアンヌのせいで二人の未来が確定してしまったこと……色々な幸せで苦々しい記憶が蘇ってきた。
(ずっと、こんな不誠実な気持ちを抱えたまま二人のそばに居続けている私は、幸せになってはいけないんだって思ってたけれど。けど今なら……いいえ、これからは、幸せになっても良いかもしれないって思える)
もしかしたらイライアスが結婚式を開きたがったのは、シエナのそんな思いを感じ取ってのことかもしれない。なんて思うが、どうだろうか。
家族とセレスティアの家族が見守る中、バージンロードを一歩、また一歩と前に踏み出すシエナは、視線の先に映るイライアスの姿を見て、微かに笑みを浮かべた。
シエナの父親から彼女の手を受け取ったイライアスは、じっとシエナを見る。
彼女は首を傾げた。そして、声をひそめながら問いかける。
「どうかした?」
「いや……こんな世界一美しい奥さんがいて、幸せだと思って」
「……みんな見てるんだから、しっかりして」
最近、ますます遠慮がなくなってきたイライアスに向かって叱ると、彼は「分かってるよ」なんて分かってなさそうな顔をしながら言ってくる。
そんなイライアスに抗議をする前に、壇上に牧師がやってきた。
牧師は言う。
「これより、お二人の挙式を執り行います。――新郎、イライアス・クルーニー。汝、妻を心より愛し、支え、別たれるその日まで、彼女と共にあることを誓いますか?」
「誓います」
「新婦、シエナ・クルーニー。汝、夫を心より愛し、支え、別たれるその日まで、彼と共にあることを誓いますか?」
「誓います」
「よろしい。それでは、指輪を交換し、神の御前にて誓いのキスを」
この日のためにあらためて用意した指輪には、二人の瞳の色の宝石が隣り合って嵌め込まれていた。
それを互いの薬指にはめてから、イライアスがヴェールを上げてくれる。
そしてシエナは、その青い瞳に吸い込まれるようにして目を瞑った。
唇が触れ合ったのは、一瞬。
しかしその日、シエナの中で確かに何かが変わった音がする。
そうしてたくさんのおめでとうの声を浴びながら、二人は神の前での誓いを終えたのだ――
*
そうして時間は過ぎ去り、夜。
風呂から出たシエナは、ベッドに腰を下ろしながらイライアスが来るのを待っていた。
その間に思い浮かべるのは、今日のパーティーのことだ。
(みんなに祝われちゃった……)
両親や義両親、兄や姉はもちろんのこと、セレスティアの家族、そしてちょっと居心地悪そうにしていた王太子殿下まで。みんな揃って、シエナたちのことを祝福してくれた。
今までの経緯もあり、そんなふうに祝われることを想像さえしていなかったシエナとしては、なんだかふわふわとした気持ちが拭えない。
(雲の上を歩いているみたい)
何より落ち着かないのは、今日が本当に初夜であることだった。
夫婦になったのは五年前だというのに、おかしな話だ。
(それに……結婚式があるからって今まで目を逸らしていたことに向き合うのは、今日しかないもの。しっかりしないとね)
なんて思っていると、扉が控えめにノックされる。
「どうぞ」と許可を出すと、大きな体を縮こまらせたイライアスが扉の隙間を縫って入ってきた。
シエナは思わずぽかんとしてしまう。
「ど、どうしたのよ、イライアス」
「い、いや、なんというか……落ち着かなくて」
(これは……やっぱり……)
思い浮かべていたことが当たっていた気配を察したシエナは、ぽんぽんと自身の横を叩いた。すると、肩身狭そうに扉の前で佇んでいるイライアスが、恐る恐るといった様子でやってくる。
しかし座ったのは隣ではなく、ベッドの端で、シエナははあ、とため息をこぼした。
「ねえ、イライアス」
「な、何? シエナ」
「薄々予想はしていたのだけれど……もしかして、私の気持ちの整理がつくまで、夫婦の営みをしないでいるつもりだった?」
びくっと、イライアスの肩が跳ね上がるのが見て取れる。どうやら完全に図星だったらしい。
そんな彼の様子にまたため息をこぼすと、彼は弾かれたようにこちらを振り返ってから、慌てて言い訳を述べ始めた。
「い、いや、だってさ! シエナは五年も俺に献身してくれたんだぞ⁉︎ それを考えたら、俺だって君の心が追いつくのを待つべきじゃないか……!」
「イライアス……そんなふうに思ってくれてたのね」
なんとなく、イライアスが今までのことを挽回しようとしていたことは察していた。
しかし、まさかここまでシエナに配慮してくれていたとは思わず、少し申し訳ない気持ちになる。
(けど……なんでこんなに離れてるのかしら……?)
親友同士だったときのほうが距離が近かったし、今までの分を取り返すかのようにデートに行ったり生活しているときの方が近くにいた気がするのだが。
何よりおかしいのは、視線が一向に合わないことだ。
(できたら、ちゃんと顔を合わせて話し合いたいのだけれど……)
そう思ったシエナが、彼に近づこうと腰を浮かした瞬間、イライアスが「ストップ!」と声を張り上げる。
「ダメだ、シエナ……この距離でいさせて」
「どうしてよ? せっかくの機会なんだし、私はきちんと顔を合わせて話し合いたいのだけれど……」
「ここは! ベッドの上! そして今の君は寝巻き姿だ!」
「だから?」
「〜〜〜〜〜〜ッッッ!!! 好きな人がそんな際どい姿してベッドにいるってだけでも気がおかしくなりそうなのに、近くにいたら理性がもたないだろ⁉︎ だから絶対にダメ!」
シエナは、思わずぽかーんとしてしまった。
(ええっと、つまり……これ以上近づいたら理性を失って襲っちゃいそうだから、ダメってこと?)
イライアスからのまさかの告白に、恥ずかしさよりも先に込み上げてきたのは、愛おしさと笑みだった。
「ふ……ふふっ……」
「ちょ……何がおかしいのさっ?」
「だって……あなたがまさかそんなにも気にしてるなんて思わなかったんですもの……っ」
「……あのね、これでも俺はれっきとした、成人男性なんですよっ? 性欲だってあるし、好きな人なら尚更あるに決まってるだろ……!」
「ええ、そうよね……笑っちゃってごめんなさい」
涙を指先で振り払いながら、シエナは改めてイライアスを見た。
「イライアス、あのね。その件であなたに、話したいことがあるの」
「……何? 話すのはいいけど、この距離は保ってくれると嬉しい」
「じゃあ、このままで」
シエナはそっと、自身の喉に手を当てた。
そしてゆっくりとさすりながら、口を開き、ある言葉を言おうとする。
つきり。まだ、なんとなく痛みはあるけれど。
(けど、一年前ほどじゃないわ)
それに、ここで言わなくていつ言うのだろう。
(ここを逃したら、絶対にずるずる先延ばしになって、またおかしな雰囲気になっていくに決まってるわ)
二人とも不器用だから、こういうきっかけがないと前に進めないのだ。シエナはそれを、痛いくらい自覚している。
だから。
「ねえ、イライアス。私――あなたのことが、好き」
シエナがその言葉を口にしてから、どれくらい経っただろうか。
「………………ぇ……」
イライアスが、か細い声を上げてシエナを見た。
その目は、今にもこぼれ落ちそうなくらい見開かれている。
その瞳がぱちぱちと、数回瞬いた。
「……シ、エナ……?」
「なぁに? イライアス」
「今、好きって……そう言ったのか……?」
「ええ、そうよ」
頷き、微笑めば、彼の顔がみるみるうちにしわくちゃになっていった。
「ほ、ほんとうに……?」
「あら、そんなに疑うなら、何度でも言ってあげるわ。――好き。あなたのことが好きよ、イライアス」
二度目の「好き」は、一度目の好きよりもするりと喉を抜けていった。
同時に、イライアスの瞳から大粒の涙がこぼれ落ちる。
彼は、声を震わせながら言った。
「俺も……俺も、好きだ、シエナっ……愛してる……っ!」
「ええ、知ってるわ。あなたが惜しみなく愛を伝え続けてくれたから、私もそれを口にする勇気が持てたんだもの」
他人からすればたった一言。それも、なんてことはない言葉。だが、シエナにとっては他人を、それも自分にとって一番大切な人を不幸にする、呪いの言葉だった。
だから心の中でどんなに思ったとしても、決して口にすることはできなかったのに。
(こうして言える日が来るなんて、不思議)
軽く喉をさすったが、もう鈍い痛みは感じなかった。代わりにあるのは、胸から溢れそうになるくらいの想いだ。
それは温かくて、儚くて、どこか切なくて、けれど愛おしい。そんな、柔らかな感情だった。
自身の愛がそんなふうに形を変えるなんてこと、きっと一年前の彼女は想像すらしなかっただろう。
そう思っていると、イライアスがさらに激しく泣く。シエナは、眉をハの字にした。
「もう、やだ。そんなに泣かないでよ?」
「泣くに決まってるだろ……っ」
「なら、涙を拭ってもいい?」
それが「近づいてもいい?」と同義だと分かったらしいイライアスは、一瞬逡巡した。しかしおそるおそる、躊躇いがちに頷く。
そんな彼が愛おしくて。シエナはすぐに身を寄せると、そっと指先で涙を拭ってから、目尻にキスを落とした。
イライアスがパッと顔を上げ、顔を赤くする。
「シエナ……っ⁉︎」
「ごめんなさい、つい……可愛くて」
「あのさぁ……っ!」
「それに、イライアスになら何されても構わないわ。だってもう私たち、本当の意味で夫婦になったんですもの。……違う?」
首を傾げながらイライアスの顔を覗き込めば、視界がブレた。
勢い良く引き寄せられたのだと気づいたのは、彼に口付けをされた後だ。
「んっ……!」
角度を変えて、舌が入り込んでくる。誓いのキスなんてお遊びだったと言わんばかりの、情熱的な口付けだ。
呼吸すら飲み込むほど深く長くキスに、シエナは生理的な涙をこぼした。
酸欠で頭がクラクラする中、ようやく解放された頃、気づけばベッドの上に押し倒されていたことに気づく。
上から見下ろしてくるイライアスの青い瞳の奥に、確かな熱を見たシエナは、もう後戻りできないことを悟った。
(けど、もう、過去に囚われて後戻りなんかしたくない……っ!)
シエナが両腕を伸ばし、自らイライアスにキスをすると、それをきっかけに彼の理性のたかが外れる音がした。
貪るようにして互いを求め合い、熱を交わしながら、シエナは思う。
(あなたのこと、好きだって気持ちを表に出せる日が来るなんて、思ってなかった)
そして、こんなふうにイライアスと体を重ねる日がくることも。
熱に浮かされながら、シエナは思った。
――きっと、これから先の人生で、シエナはこの日のことを忘れないだろう。
だって今日は、シエナがずっと抱え込んでいた呪いが解けて、祝福に変わった日。
そして、イライアスと本当の意味で『夫婦』になった日なのだから――
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