後日談①-2 イライアス、試される
その日から、イライアスの挑戦(もとい、イライアスとアデラインの謎の対決)は始まった。
手紙によるアデラインへの長文謝罪、今後の展望綴りはもちろんのこと、シエナへの手紙、贈り物――彼女は宝飾品をあまり好まないので、主に手芸道具や花、人気のスイーツ――などなど。
とにかく、自分が考えられるものすべてを試した。
もちろん、空いている時間があればフラメル家の門を叩き、面会を希望したことも数知れない(そのせいで、門番とはすっかり顔見知りになってしまった)。
が、どれも撃沈。
そんなこんなで、早一週間も経ってしまった。
両親は「この五年間、一度も実家に帰ってなかったのだから、それくらいは……」と言っていたが、あんな手紙を受け取ってしまったイライアスとしては、そんな悠長なことは言っていられないわけで。
(だって俺が何も行動しなければ、あの人絶対シエナのことを帰してくれないぞ……! それは嫌だ!)
「ここまできたら、夜中に忍び込んでやろうか……?……いやいやいや、お相手はシエナのお姉さんだし、何より王太子殿下との仲を取り持っていただいた恩もある。流石にそんな不義理は……」
と、イライアスが据わった目で悶々と考えていたときだった。
とうとう、手紙が届いたのだ。
『親愛なる義弟、イライアス
あなたの熱意は受け取ったわ。
いいでしょう。次いらした際には、我が家の門を開けるわ。
アデライン・フラメル』
イライアスは、自身の今日のスケジュールを確認し、緊急の要件はないと判断した瞬間、フラメル家へ向けて飛び出したのだった。
*
一方でシエナは、毎日穏やかに過ごしていた。
もちろん、最初こそ早く帰らなければという一心で気持ちが落ち着かない日々を過ごしていたが、姉の言うことに従ってやりたいこと――シエナの場合、やりたいことと言われてもいまいちピンとこなかったため、結婚する以前にやってきたこと――である手芸やお菓子作り、読書などをやっていたら、なんだか気持ちが落ち着いてきたのだ。
時折、姉が「最近流行りのケーキなんですって」なんて言ってお茶を一緒にしたり、ことあるごとになぜか増えていく花瓶のおかげで、部屋がなんだか賑やかなことになっているが、自分にとっての好きなものばかりが詰め込まれた部屋は不思議と居心地がいい。
(こうやって何も考えずに刺繍をするのも、久しぶりね……)
イライアスと結婚してからはずっと、何か急かされるように生きてきた。
それは彼が後継者だったから、早く治して帰らなければならないと使命感でもあったし、彼が良くならなかったら自分はこれからどうやって生きていけば良いのだろうか、という恐怖でもあった。
それから解放された上で、ありとあらゆる責任から一時的にでも逃れられたのは、本当に久しぶりだったのだ。
(この五年間で、それも当然のことになっていたと思っていたけど……結構負担になっていたのかしら?)
ちくちく、と針を刺しながら、シエナは思う。
それでも、作っているのはイライアスやアデラインに渡すためのハンカチーフやレースだというのだから、シエナは思わず笑ってしまった。
「私が起こす行動の先にはいつも、私にとっての大切な人たちがいたのね」
いつも自分が『誰かのため』に行動していたことを改めて悟り、シエナはなんだか笑ってしまった。
(まあでもいい加減、帰らなきゃね)
自分の家は、シエナの中ですっかりクルーニー伯爵家のイライアスのそばになってしまった。きっと心配していることだろうし、姉を説得せねば。
そう思っていたとき、タイミングよくアデラインが現れる。
その手には、大量の分厚い便箋があった。
シエナは首を傾げる。
「お姉様、そちらは?」
「その件なんだけれど……シエナに謝らなければならないことがあるの」
何やら、腰を落ち着けて話す雰囲気だ。そう思ったシエナが、手芸道具一式を脇に置いて姉に向き合うと。
「まず、この手紙はあなたの夫からのものよ。それも、一週間分ね」
「え」
「さらに言うなら、今あなたがおいた手芸道具も、彼からの贈り物」
「ええっ?」
「さらに言うなら、部屋いっぱいの花も、ここ最近一緒に食べていた人気のケーキも、全部彼があなたにって贈ってきてたの。……隠しててごめんなさいね」
シエナは考えた。
(お姉様は、考えなしにこんなことしないわ)
今回謝ったことから見ても、悪いことだと分かっていながら黙っていたし、手紙も敢えて渡さなかった。
けれど、手紙は未開封だ。そこまでシエナに干渉する気はない。だけど、イライアスの話題は徹底して避けていた。
「……もしかして、私にリフレッシュする時間をくださったのですか?」
辿り着いた結論を口にすると、アデラインは肩をすくめ苦笑した。
「まったく、そういうところは聡いんだから。……そうよ。あなたの人生ですもの、夫のため、子どものためとかじゃなく、たまには自分なりの生き方をしないと、苦しくなるものよ。……シエナも、あなたの夫もね」
「お姉様……」
その言葉には、夫婦生活を経験してきた者にしか分からない重みがあった。
その上、姉には五歳の娘と三歳の息子もいる。シエナに配慮してくれたのか顔を合わせたことはないが、二児の世話をするのはかなり大変だろう。
シエナがそう思っていると、アデラインは頬杖をつきながら、続けた。
「特にシエナは、結婚してから五年も、実家にもあたしたちのところにも来てなかったじゃない? それって、精神的にかなり消耗することだと思うの。あなたがいくら、他人のために生きることが好きだからって言ってもね」
「……今回、久しぶりに一人の時間ができて、初めて気づきました」
「ほんと? ならよかったわ。前回は、状況が状況だったからあたしも強くは言わないけれど……今後は顔を見せにいらっしゃいな。あ、もちろん、お父様とお母様もよ?」
「ふふ。はい」
「お兄様は頼りにならないし、どうでもいいわ。あ、でもお義姉様ならアリね……」
「ふふ……」
シエナが記憶している、芯が強くて優しい姉のままの行動と発言に、思わず笑みが浮かぶ。
それを見たアデラインは、呆れ顔をした。
「ったく。シエナももっと怒っていいのよ? あなたはあんまりそういった感情を表に出さないから、不満を溜めてないのか不安なのよ」
「だって、お姉様がこんなにも私のことを考えてくださっているんですもの。嬉しくないわけありません。……あ、ただ、イライアスに絶対会わせないようにしていたのはひどかったと思いますけど」
唇を尖らせて拗ねたように言うと、アデラインはバツの悪そうな顔をして顔を逸らす。
「……本当に悪かったと思ってるわ。でもそうでもしないと、シエナはあの男のことばかり考えそうだったから、つい……」
「まあ間違っていませんけれどね。それに、手紙も未開封みたいですから、この件は許します」
アデラインは、安心したような顔をして立ち上がった。
「あなたにそう言ってもらえてよかったわ。……この後、イライアスが来る予定なの。話をしたあとで呼ぶから、その間に帰り支度を済ませちゃいなさい」
「はい! あ、お姉様、お待ちください」
シエナは傍に置いた手芸用のカゴの中から、すでに完成していた一枚のハンカチーフとレースのリボンを取り出し、姉に渡した。
「お姉様のために作ったので、どうかもらってください」
「シエナ……」
「……いつも、私のことを見守ってくださり、ありがとうございます」
言いながらそっと抱き締めれば、ぐすっと涙ぐむ声が聞こえた。
「……もう、ほんと、この子は……いつもいつも他人のことばっかり考えてるんだから」
「ごめんなさい、そういう性分なんです。けれど昔よりは、自分を大切にできるようになりましたよ?」
「……夫のおかげかしら」
こくりと頷けば、今度は笑い声がした。
「それが聞けただけで、よかったわ。……ありがとう、大事にするわね」
そう言い、微笑んだアデラインの表情は、今まで見た中で一番優しく、温かいものだった――
シエナはアデラインを見送り、それから荷造りをメイドに頼んだ。
その間に、イライアスからの手紙を読もうと一番上に乗っていたものをペーパーナイフで開く。
そこに書かれていた内容を読んだシエナは、思わず笑ってしまった。
「やだ、イライアスって、こんなにも長文を書けたのね?」
そこには、シエナに帰ってきて欲しいと切願する言葉で溢れていた――
『シエナ。君がいなくなった屋敷はものすごく広くて寂しい気持ちになる。俺の中で君の存在がこんなにも大きかったことに、改めて気付かされた。そういう意味では、君のお姉さんに感謝するべきなのかもな。
けれど君のお姉さんから拒絶されてしまってな。今説得しているところだから、きちんと話をつけようと思う。君のためにも、俺の名誉挽回のためにも。だから少し待っていて欲しい』
他の手紙も開いて行くと、贈り物について書かれている。
『今日は花を持ってきた。君に似合いそうな明るい、オレンジ系の花束にしてもらったんだ。気に入ってくれると嬉しい』
『今日は、最近王都で流行っているらしいケーキを買ってみた。あんなにも並んでいるとは思わなかったよ……』
「イライアスが並んだの? やだ、想像できないわ」
同時に、あの日食べたフルーツがたくさん乗ったケーキの味を思い出して、なんだか温かい気持ちになる。
先ほどから見た感じ、どうやらこの手紙はきちんと時系列順に並んでいるようだ。
(となると、この辺りで手芸道具が贈られてきたような……)
その予想は、間違っていなかったらしい。手芸道具を購入するのにかなり四苦八苦した話が綴られていた。
『贈り物だといったら、あれこれおすすめされて困った。けれど君が喜んでくれるなら、このくらいなんてことないな。使いやすかったら、俺も嬉しい』
「……すごく使いやすいわ。ありがとう」
元あるのはもう何年も使い続けていたため、だいぶ傷んでいたのだ。そんなタイミングで新しいものを贈ってくれるなんて、タイミングがいいなと笑ってしまう。
そして最新の手紙には、こんなことが書かれていた。
『毎日花束を購入して行くからか、すっかり顔を覚えられてしまった。恋人を口説いていると思われたようで、応援されてしまったよ。参ったな』
「ふふ……」
『君に会いたい、シエナ』
「…………」
『君が恋しい。だから絶対、迎えに行く』
「……こんなにも熱い言葉、言えたのね。なんだかこそばゆいわ……」
けれど、胸はこんなにも温かく、イライアスへの愛おしさに満ちている。
そんな気持ちをそっと抱き締めながら。シエナは、イライアスがやってくるそのときを待ったのだ。




