彼女の異能
「おいおい、大丈夫かい?」
しゃがみ込んで嘔吐する俺の背中を女の背が撫でる。その声色は本当に心配そうな様子だった。誰のせいでこうなったと思っている。
「ちょ、ちょう、ちょ……」
「あー、なるほどね。ご覧よ」
女は指を差す。蝶野の死体の方向へ。
言葉にならない言葉を発していた俺もその指先を追った。
下半身だけになった蝶野。
不意に、その体が起こした。
二、三度ほど下半身が跳ねて、止まる。飛び出ていた腸がさらに散乱して悲惨さを増していた。
そして、切断面が泡立つ。
薄桃色の泡が下半身の断面を覆い、そこから筋肉のようなものが徐々に形成されていく。俺は呆気に取られてその様子を見ていた。
やがて、剥き出しの筋肉が蝶野の上半身を形作ると──
──次の瞬間、そこには桃色のジャージを羽織った制服姿の蝶野があった。うつ伏せの状態で。けれど彼女の姿がそこにあった。
「もう! 莇さん! 何するんですか!」
「サプライズだよん。少年の反応を見るに、蝶野ちゃんは自分の異能を伝えてなかったでしょ?」
立ち上がるなり、蝶野は避難の声を女に向ける。女は飄々とした様子でそれを受け止めた。
確かに、俺は蝶野自身の異能を知らない。姿を消したり、物をすり抜けたりするのは大蜘蛛の力で、蝶野の能力自体は秘密だと言われていた。
「だってさぁ、キモいとか思われたら嫌じゃん? にょきっ! って生えるならまだしも筋肉剥き出しになるし……」
「いやいや、それでも共有は大事でしょうよ」
二人の間で会話がなされるが、俺はついていけていない一人置いていかれている。一人呆然としている様子を蝶野が見つけたのか、俺の方へと小走りで近づき、目の前まで来るとその大きめの八重歯を煌めかせながらピースサインと共に満面の笑みを浮かべた。
「こうなったら仕方ないけど、私の能力は『再生』ね! 体の一部が残ってれば、そこから文字通り再生出来るの! ……あっ……」
蝶野はピースする自分の手を広げ、哀しげな声を漏らした。その理由は俺も察しがついた。切断したはずの右手の薬指も綺麗に再生したからだ。
成程、簡単に再生が出来るからこそ自分の体の欠損に無頓着な訳だ。
「もー! 木乃伊作りからやり直しじゃーん! 紅ちゃーん!」
蝶野は悔しげな表情を浮かべ、その場でわしゃわしゃと自分の髪を掻きむしって大蜘蛛を呼ぶ。いつの間にか復活していたらしい大蜘蛛が、蝶野の横に現れて首を傾げた。
「あのさ、前と同じで薬ゆ──」
「──やめろ!」
「え? どしたん?」
何をやろうとしたのか考えるまでもなく、俺はその言葉を遮った。このやり取りは前にもやった気がする。俺の語勢に対して、当の本人は不思議そうに小首を傾げるだけだ。
「お前の薬指は要らない」
「えっ、でも」
「でも、じゃない。とにかく受け取るつもりはないから切るな」
俺の言葉に、蝶野は不満気な表情を浮かべて半目を俺に向けてくる。
なんだ、俺が悪いとでもいうのか。
「……分かった。じゃあ、今回は止めとく」
「ずっと止めといてくれ」
蝶野と益体のない会話をしつつも、頭の中は未だに混乱していた。蝶野は再生能力を持っている。しかも、傷を癒すというレベルではなく、確実に死んだ状態から再生だ。
そして。
「──それに、姿を消せる。気配を消せる。存在を消せる。諜報要因としてはうってつけじゃないかい?」
俺の言葉を引き継ぐかのように、女が言った。そうだ、女の言葉の通りだ。大蜘蛛による『隠形』で姿を消し、存在すらも消し、万一の場合も蝶野自身の再生能力で復活できる。それは諜報や斥候としては優秀だろう。
「だから、俺のストーカーをしていたのか?」
「いやや! 確かに最初はそーだったんだけどさ! 見てる内に好きになっちゃって……えへへ……」
蝶野はふい、と俺から視線を逸らして顔を斜め下に向けて自身の人差し指の先を突き合わせていた。恋する乙女か。今時の恋する乙女は自分の薬指を渡して、俺の私物をコレクションするのか。
「指示したのはアンタか」
「そうだよん」
女は顔の横でダブルピースをする。その右手には拳銃が握られたままだ。目の前の発言と後継の不一致に、軽く目眩を覚える。
「何のために」
「状況の打開さ。いつまで経っても何も変わりゃしない。だから、妹ちゃんがご執心のお兄様の動向を探ってた訳。まぁ、役に立つ情報は得られなかったから命令は解除したんだけど、蝶野ちゃんは独自に続けてたみたいだねぇ」
「……てへへ」
「別に褒めてはないんだけどねえ。まぁ、《《あの件》》については感謝しているけれども」
「いえーい!」
女に褒められて嬉しいのか、蝶野は笑いながらその場で飛び跳ねていた。きっと頭の中はお花畑なのだろう。生きやすくて羨ましいよ、本当に。
「……で、結局アンタの能力は?」
「まぁまぁ、そう急かすなよ。……さて、次はこの石を見てくれ給え」
女はいつの間にか拳銃を仕舞っており、代わりに足もとに落ちていた石の一つを持ち上げ、広げた手の平を上に向けてその上に置いた。
そして間もなく、石は砂と成り果て、風に乗って何処かに舞っていく。
「げほっ……げほっ……」
何処からか噎せこむ声が聞こえたがどうでもいい。
「どういうことだ?」
「何がだい?」
こちらの質問の意図など分かっているだろうに、女は勿体ぶってその正体を明かそうとしない。そもそも自ら能力を明かすと言って言葉に連れてきたのにも関わらず、だ。
「……君は、私のことをどう思った? 岩を割った。岩を切った。岩を爆発させた。蝶野ちゃんを破裂させた。石を砂に変えた」
「……」
無言で、続きを促すと挑戦的な笑みが返ってくる。
「ぶっちゃけ凄くない?」
俺には到底できない芸当だし、一つの能力でアレだけ多彩なことが出来るとも思えない。蝶野も多彩ではあるが、あくまで防御特化で攻撃向きでは無い。そうなると、あれだけ多彩な攻撃ができるのは、確かに凄いと言えるだろう。
「……確かに、凄い」
「強そう?」
「……あぁ」
「……ってことはぁ?」
意地の悪そうな笑みで顔を覗き込まれ、俺は漸く自分の言葉を思い出した。「強いと思ったら名前で呼ぶ」ということ。
未だ実態は分からないが、これから説明はしてくれるのだろう。だから、俺はこんな女を呼びたくはなかったが、そうするしかなかった。
「……みさん」
「んん?」
「…ざみさん」
「んんん?」
「莇さん! これでいいですか!?」
「いいよいいよ! 一気に距離が縮まった感じがする!」
段々と耳に手を当てて近付いてくる莇さんの圧力に負けた。別に名前呼びくらいどうだっていいのだが、なんとなく悔しかったのだ。ただの子供の我儘程度のもの。
「ねぇねぇ、アタシはー? 試しに咲依って読んでみてー?」
「……咲依」
当然のように絡んでくる蝶野に鬱陶しさ感じて近づく腕を振りはらうが、めげない彼女に根負けして小さく名前を呼ぶ。
「──あっ、いま着床したわ」
もう、蝶野の言うことは全て無視することにした。あんな馬鹿に付き合っている暇はない。俺は莇さんの方へと向き直ると、手頃な大きなの石に片足を乗せて紫煙を燻らせていた。彼女のスレンダーな体型と何処か遠くを見ているような視線も相まって、妙に美しく見える。
「あぁ、少年。私の能力だがね──」
思わず生唾を飲み込む。最強を自称する女。多彩な方法で岩を破壊した女の子。その能力は。
「──『破壊』だよ。」




